後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「江戸時代や明治時代の雰囲気が漂う小石川植物園」

2024年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム
四季の流れに従って公園や植物園では季節の花が咲き、樹木が美しいたたずまいを見せてくれます。そんな風景が好きで暇さえあれば公園や植物園をめぐり歩いてきました。
小金井公園、武蔵野公園、野川公園、小宮公園、光が丘公園、善福寺池公園、石神井公園、昭和記念公園、神代植物公園、郷土の森博物館公園、上野公園、新宿御苑、そして広大な水元公園などなど随分といろいろな公園を散策しました。そしてその都度花々や樹木の写真を撮ってネットの上でご紹介してきました。写真を少しだけトリミングしたり説明文を書いているとそれぞれの公園の楽しさがよみがえって来て再度楽しめるのです。
ところで少し趣の変わった小石川植物園をご紹介したいと思います。江戸時代や明治時代の雰囲気が残っている地味で静かな植物園です。
明治維新の後で明治政府は、江戸幕府の薬草園を東京大学の付属植物園にしました。それが小石川植物園として公園のように一般に開放されています。文京区の東洋大学の傍にあります。
明治、大正の文学作品に時々出て来る植物園です。
例えば、寺田寅彦の随筆に小石川植物園が出てきます。子供とドングリの実を拾いながら亡くなった妻を偲ぶ場面が出て来ます。去年は妻も一緒に楽しくドングリを拾ったのに、その妻は病死してしまい、今は居ない。ドングリを一個一個拾いながら若い妻の面影を偲んでいる場面です。
有名な植物園なので一度行って見たいと思いつつ月日が流れてしまいました。それである時に小石川植物園を散策したのです。
そうしたら小石川植物園は淋しく古い感じがする所なのです。小石川養生所のあった所のせいかも知れません。
その上、江戸時代の御薬園や明治時代の植物学研究所の雰囲気が残っているようです。
薬草園なので花が植えてありません。植物学研究所の庭のような配置で畑や池が配置してあります。歩く路も楽しい回遊式でありません。
そういう意味では小石川植物園は江戸時代や明治時代の時代性を残している文化遺産なのです。それも貴重なことだと納得しながら散策しました。
春の花が咲く頃や新緑の頃に訪れればまた違った印象になる筈と考えながら散歩しました。ある冬の植物園の思い出です。
下に3枚の小石川植物園の写真を掲載いたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「縦社会の崩壊は日本の社会を激しく変えた」

2024年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の社会風潮は時代によって大きく変ってきました。しかし日本に住んでいる我々は普段その変化を意識していません。私はその変化を考えることは重要だと思います。毎日が新鮮な気持ちで楽しく過ごせます。

今日は1990年頃の日本の縦社会の崩壊が社会を激しく変えたことを書いてみたいと思います。それは日本の社会の大きな変化の一つでした。日本の縦社会が崩壊し、横社会になったのです。

「縦社会」と「横社会」の概念は文化人類学者の中根ちえ女史が言い出した概念です。

この日本の縦社会が1990年の前後に起きたバブル経済の崩壊によって急激に崩壊してしまったのです。

当時、サラリーマンをしていた人々は縦社会の崩壊を強く実感した筈です。

それまでは大会社が数多くの子会社を傘下に従え君臨していたのです。大会社の命令は絶対的で子会社は親会社の指示通りに動いていたのです。

大会社の人が飲食店や酒場に行くと非常に大切にされ、子会社の人々はそうではなかったのです。東京の有名な幼稚園への入学には父親が大会社の課長以上でなければいけませんでした。

会社の中では上司の職務命令は、絶対で下の人は質問すら許されないのです。

その身分制度は昔の軍隊の階級による服従文化がそのまま日本の社会に残存していたのです。

ところがバブル経済の崩壊で、親会社が貧乏になり傘下の子会社の面倒をみることが出来なくなったのです。親会社と子会社の縦の関係は一朝にして崩壊してしまったのです。

子会社は親会社を離れ、独自に製品の販路を世界に求めなければ生き残れなかったのです。これで日本の小さな会社が強く独立するようになったのです。

同時に会社の中の上下の人間関係も崩壊し、上司はあくまでも部下を納得させる説明責任が要求されるようになったのです。

雇用の契約も終身雇用から個人の能力に従った期間限定の雇用契約に少しずつ変っていきました。

この変化が伝統的な「男尊女卑」の思想も消し去ったのです。

女性でもその才能によって差別されず優遇されるようになったのです。結婚して子供が出来て職場を辞めた女性でも才能さえあれば会社へ復帰できるのです。

その上、ボランティア活動や趣味の集まりで、人々は会社の中の縦の関係とは別の横の人間との絆を大切にするようになったのです。縦社会から横社会への変化したのです。そこには一切の上下関係がありません。

戦前の日本では女性は働かないで家庭を守るべきという考えが強かったのです。もちろん例外的に活躍する人もいましたが、彼女たちは「職業婦人」と呼ばれ特殊な人々と考えらていました。
江戸時代や明治時代の男尊女卑の思想が強く生き残っていて、才能ある女性も差別され不遇な時代でした。
男尊女卑の考えが変わりはじめたのは1964年の東京オリンピックの頃からでした。その頃から経済の急速な成長が始まります。すると結婚した後でも次第に女性が同じ会社で働き続けるようになったのです。それ以前は結婚すると「寿(ことぶき)退職」と称して会社を辞めさせられるのが普通でした。
「良家の子女は結婚したら外では働かない」という思想が完全に消えてしまうには随分と時間がかかったのです。
それだけに現在の日本で、女性が大活躍しているのを見ると隔世の感に打たれます。

しかし日本は現在でもまだまだ男女差別が残っています。欧米の国々に比較すると日本と韓国は女性の社長、部長、課長の数が非常に少ないのも事実です。楽観は禁物です。

今日は戦後もかなり経った1990年頃の日本の縦社会の崩壊について書きました。縦社会から横社会への変化したのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人 

今日の挿絵代わりの写真は小平市にある東京都立薬用植物園で私が撮った花の写真です。以前によく行った植物園です。
 
1番目の写真は珍しい青色のケシの花です。この薬草園だけで栽培している自慢の花です。
 
2番目の写真は薬草のジキタリスの花です。
 
3番目の写真は美しい色のペチュニアです。
 
4番目の写真はラベンダーです。香が良かったです。

 5番目の写真はウスベニタチアオイです。色合いが柔らかく優しそうなたたずまいです。