「野川」は国分寺崖線の下から湧き出る幾つもの泉の水を集め、小金井市の武蔵野公園と野川公園の中を流れくだり、調布市で多摩川に合流する小さな川です。
昔の話ですが、1963年に国分寺市の押切間という窪地にあるアパートに引っ越した時その窓の下に流れていました。
当時は下水施設も無いので生活排水が流れているドブ川でした。ボウフラが発生し夏には蚊が窓から無数に襲ってきたのです。初夏には無数のツバメが飛び交ってそれらを食べていました。
南こうせつの歌う「神田川」のように若かった我々は何も恐れるものが無く、蚊が発生するドブ川でもロマンチックな清流に見えたのですから不思議です。
その後、国分寺市の隣の小金井市に引越しましたが、その崖下に野川の下流が流れていました。
経済の高度成長に従って野川の浄化と遊歩道の完備が進められ、現在は、その野川が江戸時代の様子に還ったような美しい景観を示しています。
野川の源泉は国分寺崖線とそれに続く小金井崖線の根元から湧き出る数多くの泉の水なのです。
野川公園の中の湿生植物庭園の裏から多量の湧水が出ています。そして小金井市の滄浪泉園の池の端にも湧水が出ています。
少し上流に歩くと貫井弁天の神社の裏に湧水があり、大きな池になっています。
その上流の東京経済大学の中にある新次郎池も湧水が溜まった池です。そして国分寺駅の南にある殿ヶ谷戸公園内の池の端にも湧水があります。
野川はさらに西へ続き国分寺街道の下をくぐり、不動橋に達します。そこで2手に分かれ本流は北上し、押切間という窪地を通り、JR中央線の下をくぐり日立製作所中央研究所の庭にある大池へと繋がっています。
その大池は幾つかの湧水を集めた広い池で、そこから野川へ流れる水量が一番多いので「野川の源流」ということになっています。
一方、不動橋で分かれ西に向かった川筋は江戸時代の「お鷹の道」として散策路が出来ています。このお鷹の道に沿った地域には2つの大きな湧水があります。
一つは真姿池(ますがたのいけ)の横にある泉です。もう一つは現在の武蔵野国分寺の裏山から湧き出す泉です。湧き出す水の量は少ないのですが、ここが野川の一番西の地点です。ですから私はここの国分寺裏の泉が野川の本当の源泉と信じています。
このように野川の源流地域には数多くの湧水がありますので散策する人が絶えません。
西国分寺駅から古代の東山道武蔵野路を南下して、黒金公園の國分尼寺跡を見て、武蔵野線の下をくぐると国分寺跡の広場に出ます。その北に現在の国分寺があり、そこから「お鷹の道」がはじまって東の方向に延びています。国分寺資料展示館を見て、真姿池と泉を見ます。そこに取れたての農産物を売っている農家があるので何か季節の野菜を買います。
そして国分寺駅に出て、殿ヶ谷戸公園を散策します。健脚な方は東京経済大学の新次郎池に出て、そこから野川の両側にある遊歩道を根気よく歩きます。すると貫井弁天の下を通り、武蔵野公園に出ます。
大岡昇平の「武蔵野夫人」に描かれたハケノミチにも湧水があります。「中村研一美術館」の前にも澄んだ水が流れています。さらに東の野川公園を散策して是政線で武蔵境駅に出てJR中央線で帰ります。
「野川公園」から下の下流にも遊歩道がついています。深大寺まで歩いたこともありましたが最近はそこまでは足が伸びません。
数多くの美しい湧水がある野川の源流地域は天気さえ良ければ素晴らしいハイキングが楽しめます。是非一度お出かけなさって下さい。
下の一番目の写真は小金井市内を流れる野川です、手前が下流でその先に武蔵野公園と野川公園が連なっています。
二番目の写真は湧水をたたえている貫井弁天の池です。池から小さな滝を経て野川へ水がながれています。
三番目の写真は国分寺の近所にある真姿の池とそのわきの泉から流れている水路です。
四番目の写真は現在の武蔵国分寺と水源の裏山の写真です。
五番目の写真は日立製作所の中央研究所の中にある崖下の広い湧水池で大池と言う名前がついています。
関係者以外立ち入り禁止ですが春と秋に一日ずつ一般公開がされています。毎年、中央研究所のHPに公開日がは発表されます。
六番目の写真は現在の武蔵野国分寺前に出ている散策路の案内図です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
・
・
・
・
・