後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

この優しそうな馬の目をご覧下さい

2012年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

9月に東北海道の川湯に泊りました。その川湯にあった馬の牧場です。家内が草を与えると大変やさしそうな表情になるのです。特に目を細めて優しそうにするのです。馬は賢い動物だと言いますが家内と会話をしているように見えます。そんな写真をお送り致します。

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趣味と職業の融合・・・生活庭園研究家、原田聖也さんのこと

2012年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

甲斐駒岳の麓に自然な傾斜地に花々を育てている原田聖也さんという中年の男性がいます。ふだんは東京に住んでいますが時々その花の園に行って質素な小屋に何日か泊ります。泊りながら花々の世話をしています。その花園を彼は「陽賜里工房」と命名し、その中に屋根だけの喫茶店を作りました。

原田聖也さんという方とは数回しかお会いしたことがありませんが、とても不思議な方です。

私の人生観は「誇りに出来る職業に一生を捧げる」という理想を掲げて、趣味に労力を使うのは悪いことだという考え方でした。しかし実際は趣味の面白さに負けてヨットや山林の中の小屋へ随分と労力を使いました。

ところが原田聖也さんの「陽賜里工房」を仔細に観察すると「独創的な庭を造る事」が彼の趣味であり、また職業のようです。一種の庭師なのです。彼独特の庭を注文する人がいて、その庭を造ることで生計が成り立つように考えている様子です。

彼の肩書は、「生活庭園研究家」というものです。

普通の人はまず家を建て、その回りに庭を造ります。しかし彼の場合はまず庭を造り、その片隅に生活出来るような質素な、小さな家を建てます。小さな家ですがロマンチックで詩的な家です。

そして庭の空間の適切な場所に屋根だけの「喫茶店」を作るのです。

分かり易く言えば、「庭」が主体で、家は従なのです。あくまでも庭を楽しむために喫茶店もそえるのです。

このような庭の造園の注文が沢山あれば、それが職業になります。

実は私はいろいろな方と知り合いになりました。特にブログを書くようになってから自分とは全く違った人生観を持っている人々と知り合いになりました。

「あなたの人生観はどういうものですか?」という質問は絶対にしません。それはある意味で大変失礼な場合があるからです。しかし何となく、そこはかとなく判るような気がします。

最近の日本人には、趣味と職業の融合した人々が沢山いるようです。職業が主で、趣味が従でないのです。主従関係でなく、融合しているのです。その様子を感じる度に、ああ日本は豊かになったんだという感動を覚えるのです。戦前、戦後の貧しい生活を潜りぬけてきた老人の感慨です。

こんな記事を書く気になったのは昨日、原田聖也さんから「陽賜里工房 気まぐれ通信」というお手紙を頂いたからです。四季折々に気まぐれに送ってくれる楽しい手紙です。そして陽賜里工房に咲いている花々の写真が刷り込んであります。その庭にサルやシカが遊びに来ている様子が書いてあります。

楽しい手紙です。

それをご覧になりたい方は、原田聖也さんのメール:t-taraku@t-net.ne.jp へお願いすれば送ってくれると思います。彼に頼まれたわけでも無く書きましたのでご迷惑なことかもわかりませんが。

ついでにある年の春の「陽賜里工房オープンガーデン」の様子をつけておきます。

陽賜里工房という名前の喫茶店は、春と秋の2回しか開店しません。原田聖也さんは、コーヒーの修業を重ね、特別のコーヒー豆焙煎工場のものを仕入れて使っています。食品衛生法を勉強をし、飲食店開業の資格も取りました。

この喫茶店は北杜市の真原桜並木のはずれにある花の園です。庭全体がなだらかな南向きの斜面になっていて、春には満開の桜の木が2本、ピンクのユキヤナギ、水仙、ヒトリシズカ、イカリソウなどに囲まれています。

花園の一番高い所にはロマンチックなデザインの木造の家があり寝泊まりする場所になっています。

訪れたお客は勝手に花の園を歩きまわり、花々を鑑賞します。そして花疲れしたら洒落た店に入って香り高いコーヒーを頂きます。

コーヒーを飲む場所には女主人が居て、つれずれの話し相手になってくれます。店の主人のお母さんです。上品な日本語を使う方です。花の園の作り方などのよもやま話です。バプテスト教会を開いている方です。亡くなったご主人はその教会の牧師さんで、ご自分も宣教活動をしながら幼稚園の園長さんもしていたそうです。

下にこの花の園の中の喫茶店の写真をお送り致します。

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丁度5年前にこのブログを始めたいきさつを思い出しながら山林の中の小屋へ行きます

2012年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

皆様はブログを始めた時、どのようないきさつで始めたのでしょうか?

私は丁度5年前の10月に下のような甲斐駒の眺めを楽しみながら車をゆっくり走らせていました。

私の山小屋のそばに住みついている木内正夫さんが歩道の上で挨拶しています。車を止めたら、相談事があるので後で私の小屋へ行くといいます。

(下の写真で斜めに立っている柱は熊さんの手になる芸術作品で、先端からワイヤーが下がっていて巨大な鉄球がぶら下がっています。広い公園の中心にあり甲斐駒の景観に負けない迫力があります)

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小屋の前で焚火をしていたら木内さんが来ました。そして、いきなり、「ブログを始めませんか?」と薦めるのです。

ブログという言葉を聞いた事がありません。何かサッパリ分かりません。しかし、手取り、足取り、教えてくれると言うのです。

下の写真が私の小さな林の中の小屋です。1973年に立てました。

木内さんの山荘はここから600mくらい離れた林の中にあります。30年以上前から住民票を横須賀から旧武川村(現在の北杜市)へ移して独りで住んでいます。

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それ以来、木内さんはインターネットの使い方やデジカメで撮った写真をブログへ掲載する方法を丁寧に教えてくれました。

その頃、コンピューターの故障を直しに来てくれたPC修理のプロがこのブログを数分間で立ち上げてくれたのです。2007年の11月5日がこのブログの創刊日です。

考えてみると不思議です。インターネットやブログの事をまったく知らなかった私がそれ以来、毎日、毎日、記事を書いて掲載したり、写真を撮ってブログへ掲載しています。

その技術を教えてくれたのが木内さんです。何度も彼の山荘の3階にあるコンピューター室に行きました。彼は約束通り手取り、足取りしてくれるようにして教えてくれたのです。

それ以後、時々木内さんを私の小屋へ招待して2人でビールを飲みました。

足元には下の写真のような薪ストーブがパチパチと音と立てて燃えています。

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前の日に東京の自宅で自分で作ったビーフシチュウを鍋ごと持ち込み、薪ストーブで温めて2人で食べた事もありました。

このブログの左下の方に「推薦したいブログ」として、鬼家雅雄という名前で、木内さんの自然を相手にした四季折々の写真や記事が掲載したHPが紹介してあります。

ついでに書けば、伊豆に住んでいる木内光夫さんという方とも友人になりました。彼は木内さんの弟で、山荘で知り合ったのです。伊東市で「岩漿」という文学会を主宰している方です。地方で文学の灯を掲げています

このように、このブログは木内さんのおかげで順調に出発出来たのです。

その後、独自に幅を広げ色々な方々と友人になることができました。mikaさん、 「昼のガスパール」というブログの主のオカブさん達です。「推薦したいブログ」をクリックするとこれらの印象深いブログがご覧になれます。

このブログもあと数週間で丸5年になります。

ネットの上でできた友人も増えました。ブログは引退後の楽しみとしてかけがえの無いものになっています。

今日はこれから、このブログの発祥の地になった山林の中の小屋のペンキ塗りに行って来ます。そうして木内さんの山荘にも久しぶりに寄って見ようと思っています。

皆様はどのようないきさつでブログを始められたのでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人