後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

江戸時代は鷹狩り、そして明治天皇は兎狩り

2012年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

江戸時代の将軍家や藩主としての趣味は鷹狩リと決まっていました。

私の住んでいる近くの武蔵国分寺には尾張徳川家のお鷹場がありました。その事は、心やすらぐ昔の風景をお送りいたします・・・尾張徳川家のお鷹の道 という記事で紹介しました。良く馴らした鷹で、山野に棲む小動物を狩るのを楽しんでいたのです。

ところが明治維新以後、明治天皇は鷹狩りではなく犬を使った「兎狩り」に変えたのです。

欧米の文化の導入方針に従って、イギリス王室の趣味の「兎狩り」を趣味にしたのです。

明治天皇は「兎狩り」のために何度も東京都下の連光寺村へ行ったのです。 

その時に泊ったのが府中市の豪商の田中家でした。泊った部屋の狭さや侘しさを見ると明治天皇も大変だったと同情します。

欧米へ日本の天皇がイギリスの王室と同格であることを示すためにこんな部屋に泊りながら「兎狩り」をしたのです。今日撮って来た写真で以下にご説明いたします。

まず田中家の入口です。この門を明治天皇は5回もくぐったのです。

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この家の一番奥の座敷が行在所として泊った部屋です。8畳間くらいのわびしい部屋です。

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下は明治13年から17年までの行幸記録です。

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下はこの田中家の側面です。当時の豪商の家は間口が狭く、奥行きは非常に長かったのです。奥の方には商品をしまっておく蔵が並んでいます。

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下は田中家の説明です。幕末では田中家は府中で一番の土地所有者でした。

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以上の写真は全て先程、私が府中市郷土の森博物館公園で撮影して来ました。

しかし下に兎狩りの残酷なイメージを伝えるために1枚の写真を示します。

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写真の出典は、

http://static.photaki.com/%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%82%AE%E7%8B%A9%E3%82%8A%E7%8A%AC%E3%80%81arjonilla%E3%80%81%E3%83%8F%E3%82%A8%E3%83%B3_131511.jpg です。

このように兎狩りの趣味は残酷なものなのです。

広大な植民地支配をしていたイギリスの文化の背景を示すようです。その帝国主義を導入した明治時代も当然武力による植民地獲得へと進んで行ったのは無理もありません。

明治天皇の兎狩りの折に泊った豪商の家を見ながら、そんな事を考えさせられました。明治時代は大変な時代だったのです。(終り)


この日本に住む幸せをしみじみ想う

2012年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

戦前、戦後の生活を経験し、現在この豊かで麗しい日本に住んでいると、しみじみとした幸福感につつまれます。食料が潤沢になっただけでなく新幹線や高速道路や航空路線が四通八達しています。女性はみな美しいファッションで身を飾っています。

そして最近の私は公園に行くたびに強く幸せを感じます。最近の公園は予算に余裕があり、設計する人々に楽しい夢があるようです。

昨日も昭和記念公園の「子供の森」でも幸せになって帰って来ました。

そこで皆様にもその幸福感を味わって頂きたいと思い、以下に写真を用いてご紹介いたします。

「子供の森」は公園の北西の端の広い森の中にあります。いろいろな設備が森の中に散在していて子供たちを喜ばせているのです。

まず入り口からはいるといきなり霧の森があって下の写真のように霧が湧きあがって来ます。この霧が現実の世界と「子供の森」の境界です。この霧の向こうでは子供が主役で、王さまです。霧の向こうに見えるのはインカのピラミッドです。日本ではないのです。

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少し森の中を進むと「雲の海」へ出ます。巨大な風船を半分にして地面に固定してあります。子供達がその上に乗って、飛び上がって遊ぶところです。下に示すように小学生用と、母と幼児用に区別して2つ並んであります。

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上が小学生用で、下の母と幼児用反発力が少なくなっています。

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「雲の海」を過ぎて森の奥に行くと、そこには下の写真のような「ドラゴンの砂山」があります。

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ドラゴンの腹の中へも入れます。

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そして「子供の森」の中央には「森のだがしや」とツリーハウスがあります。

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上が「森のだがしや」と、下がツリーハウスです。

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さて子供達は何処に居るのでしょうか?不思議の思って探しました。

丁度、昼食の時間だったのです。あちこちの木陰に沢山いました。

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みんな母親の作ってくれた弁当を一心に食べています。

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しばし近くのベンチに座って子供達を眺め、幸せな気持ちになっていました。

しかしフト気が付きました。昼食が終わればこの子供達が一斉に歓声を上げて「雲の海」や「ドラゴンの砂山」へ走って行くに違いありません。それは想像しただけでも大きな騒音に違いありません。私は彼等に気づかれないように足音を忍ばせて「子供の森」を出て来ました。そして「こもれびの丘」の雑木林を歩きながら何故か強い、強い幸福感に包まれていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)