晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

ブルターニュは<海>!

2008-04-24 06:25:35 | 旅行とレジャー
ブルターニュは<荒海の国>。

半島北側は、英仏海峡を望み、特に荒海と厳しい気候にさらされる。
半島南側は、太平洋に面し、穏やかさと温暖さに恵まれる。

そして、浸食によって陸地が引きちぎられてできた、小さな島々と岩礁が無数に点在する。
数多い湾の奥には港があり、その進入路を守る砦や要塞が、多く造られた。


     
未だに残る多くの砦の一つ。現在も国の海軍省の管理下にあります。

その他、戦略的に意味の無い場所の島々は<私有地>が多く、立派なお屋敷が一軒だけ建っている、このような島がある種<名物>で、専門の不動産業者には、<売りに出たら買いたい>人々が長~い<ウエイティング・リスト>にひしめき、<一世紀待ち!!>だそうです。

     

そしてそれらの島々の多くは、潮の干満の差の激しいこの地にあって、引き潮の時間帯は、<陸続き>になってしまうものも多いのです。

     


そして、<ブルターニュの島>と言うと、最も名高いのがなんと言っても『ベル・イル島』。
その名も(直訳して)「美しき島」というのですから!
東西10キロ、南北6キロくらいの歪んだ楕円形のこの島は、ブルターニュ屈指のリゾートとなっています。
その浸食されて出来上がった海岸線の美しさは、筆舌に尽くしがたい物があるほどです。

     

<盲腸>みたいに本土から垂れ下がるキブロン半島先端の、キブロンの港からのフェリーは、島の住人の貴重な足、かつ観光客の渡し船で、50分で島と本土を結んでいます。

     

自然が100%守られた島内では、なんと<野生のキジ>が車道を横切りました!

     

そして、中世においては、<ブルターニュの海>が、<世界の果て>と思われていました。
ブルターニュ地方の四つの県の最西端<フィニステール県>は、直訳すると、<ここに大地終わる>という言葉なのです!

今日の正確な測量技術の確立によって、ポルトガルの<ロカ岬>がヨーロッパ最西端と認められるまでは、そのブルターニュ最西端の『ラ岬』こそが、<台地の終わる場所>だったのです。

     

詳しく<経度の線>が載っている地図で見ると、ポルトガルの西海岸とブルターニュ半島の先端は、ほとんど<差>が無い様に見えます。

岬の先端の駐車場から<野生の植物群>の保護区になっている遊歩道を15分ほど歩いて(シャトルバスもありますが。。。)いよいよ岩だらけの<先端部>は、まるで北アルプスの縦走コースのようにあちこちに張り巡らされている鎖をたよりに、垂直に切り立った厳しい岸壁の直下75メートルに逆巻く荒波に震えながら、行ける所まで行けば、もうそこは<ほとんど>世界の終わり、を実感できます。
売っている<絵はがき>も、売店のポスターも、観光パンフレットの説明文も、現地では、何もかも『世界の果て』の文言が溢れています。

     
この<遠景>の写真では実感できませんが、<荒海に突き出した岩の尾根>は、数百メートルの長さで、高さは海面から80メートルほどもあるのです!

その<海の国>ブルターニュは、北海岸で名高い歴史的な港町『サン・マロー』、先端に近い軍港『ブレスト』など港町がたくさんあります。
なかでも『コンカルノー』は、イワシ漁で知られた港ですが、海にはり出して<出島>があるのです。

     

入り口は橋でつながっており、大砲が並ぶ進入路は曲がりくねり、まさに<要塞>。

     

そして城門をくぐると、細い通りには<海の歴史博物館>や、お土産屋さんやレストランが立ち並び、観光客がそぞろ歩いてにぎわっています。
島全体を取り囲む<城壁>にうがたれた所々の小さな門を出ると、やっぱりそこは海の上の<島>であった事を実感する事ができるのです。

     

そして、<ブルターニュの海の幸>といえば、オマール海老と<牡蠣>。

     

実に、ブルターニュ原産のこの<丸い>牡蠣を、いつでも<たらふく>食いたくて(!)、シーザーの海軍はブルターニュのケルト人の最強艦隊を撃破したのです。

2段の櫂の並ぶ快速艇で、取れ立てのこの牡蠣を、<ローマまで>運んだというから、食い物の力は恐ろしい!
コメント
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