皆さん、『大学』とは何ですか。
ヨーロッパ各国、『大学都市』という町が有ります。
パリ、ボローニャ、モンプリエ、サラマンカ、コインブラ、ハイデルベルク、ケンブリッジ、、、
「この町は大学の有る町です」といえば、ある種<文化>や<伝統>やを超えた、その町の持つ<犯し難いまでの>ステータスを感じさせてくれるのです。
ところが、わが同胞に或る町を説明する際、そう言ってもニュアンスが全く伝わりません。
なぜなら、日本では、駅の有る所必ず大学が有る、からです。
極論すれば、電信柱と同じ。
(ヨーロッパの町には<電柱>等無いけれど)
まるでNOVAじゃあるまいし。
大学とは。
ただ一言、<高いレベルの学問>を修めたい者が身を委ねる場。
いいですか、<高い>レベルの<学問>を<極める>為に、行く所ですゾ。
そういう組織は、長い長い歴史の中で、政治的にも、哲学的にも、そして当然経済的にも、自立しているのです。
商業活動の一分野として、ビジネスとして、『大学』を経営する、何てことは有り得べからざる発想のはずだ。
理解できます?
コンビニと大学が、<商い>としては<同列>である、という日本の現実が。
商いである以上、<利益>を出さなくてはならない。
昨今の少子化の社会において、もはや<学生様>は<お客様>。
あの手この手で<客を引く>。
「ニイさん遊んでいってくんなまし~」
当然<ヨーロッパ研修旅行>という名の観光旅行は<ウリ>の一つ。
「あのガッコがいい~! イタリアとかいけたりするしい~!」
そして、各社(!)共存する為に、<偏差値別>に『大学』が存在する事となった。。。
つまり、<高度な学問>を探求する目的を満たす組織が本来の大学の存在目的だったはずなのに、日本の現状では、<社会人になる前に、最後に多いに遊ぶ場所>にすぎないですよね。
それって、若旦那(バカ旦那?)に大人の仲間入りをさせて、真面目に家業に励ませるるために連れて行った『吉原』と同じジャンか。
(やってる事に大差ないカモ)
学問的香り等、(理系学部の一部例外を除いて)ほとんど無いに等しい。
知能指数も、知的好奇心も、より高いレベルの未知の領域への探究心も、何も無い。
そのような、<偏差値別>大学が、何故必要なんだろうか。
猫も杓子も。
ましてや、一般的に言って『短期大学』という代物のイミが不明だ。
『生活デザイン科』って。
それって、いわゆる<専門学校>の範囲の事でいいんじゃないの?
何でも<ナントカ学>と銘打てば、いかにも<学問>に聞こえて、専門化した事になるとは言えあんまりではありませんかね。
そして、IQ百以下であろうと80も無かろうと、<自分のレベルの場所>の試験さえ受けて、学費さえ払えば、猫も杓子も『大学生』。
キャピキャピとブランド品を山ほどぶら下げて、サークルだの、合コンだの、バイトだのにうつつを抜かした挙げ句に、修学旅行にヨーロッパに連れて行かれる。
数世紀の歴史を刻んだ石畳の重みに気がつくだけの頭も無く、エビちゃんだのタッキーだのの話題に盛り上がりながら無為に歩く。
フィレンツェでは、グッチの本店とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と、どっちが優先?
地上に存在する構造物の全てに対して、<空間における数学的比例配分>の哲学を確立した、<あの>ブルネレスキのドームに登って、マル文字で<落書き>をする訳です。
<ナントカ参上!! 夜露死苦>といっしょ。
掛け値なしの<バカ>。
こんなレベルの『女子短期大学』なんて、資源の無駄使いダ。
日本に大学なんて20も有れば良い。
後は、<ナントカ塾>とでも名乗って、せいぜいビジネスに励んでください、経営者さま。
ヨーロッパ各国、『大学都市』という町が有ります。
パリ、ボローニャ、モンプリエ、サラマンカ、コインブラ、ハイデルベルク、ケンブリッジ、、、
「この町は大学の有る町です」といえば、ある種<文化>や<伝統>やを超えた、その町の持つ<犯し難いまでの>ステータスを感じさせてくれるのです。
ところが、わが同胞に或る町を説明する際、そう言ってもニュアンスが全く伝わりません。
なぜなら、日本では、駅の有る所必ず大学が有る、からです。
極論すれば、電信柱と同じ。
(ヨーロッパの町には<電柱>等無いけれど)
まるでNOVAじゃあるまいし。
大学とは。
ただ一言、<高いレベルの学問>を修めたい者が身を委ねる場。
いいですか、<高い>レベルの<学問>を<極める>為に、行く所ですゾ。
そういう組織は、長い長い歴史の中で、政治的にも、哲学的にも、そして当然経済的にも、自立しているのです。
商業活動の一分野として、ビジネスとして、『大学』を経営する、何てことは有り得べからざる発想のはずだ。
理解できます?
コンビニと大学が、<商い>としては<同列>である、という日本の現実が。
商いである以上、<利益>を出さなくてはならない。
昨今の少子化の社会において、もはや<学生様>は<お客様>。
あの手この手で<客を引く>。
「ニイさん遊んでいってくんなまし~」
当然<ヨーロッパ研修旅行>という名の観光旅行は<ウリ>の一つ。
「あのガッコがいい~! イタリアとかいけたりするしい~!」
そして、各社(!)共存する為に、<偏差値別>に『大学』が存在する事となった。。。
つまり、<高度な学問>を探求する目的を満たす組織が本来の大学の存在目的だったはずなのに、日本の現状では、<社会人になる前に、最後に多いに遊ぶ場所>にすぎないですよね。
それって、若旦那(バカ旦那?)に大人の仲間入りをさせて、真面目に家業に励ませるるために連れて行った『吉原』と同じジャンか。
(やってる事に大差ないカモ)
学問的香り等、(理系学部の一部例外を除いて)ほとんど無いに等しい。
知能指数も、知的好奇心も、より高いレベルの未知の領域への探究心も、何も無い。
そのような、<偏差値別>大学が、何故必要なんだろうか。
猫も杓子も。
ましてや、一般的に言って『短期大学』という代物のイミが不明だ。
『生活デザイン科』って。
それって、いわゆる<専門学校>の範囲の事でいいんじゃないの?
何でも<ナントカ学>と銘打てば、いかにも<学問>に聞こえて、専門化した事になるとは言えあんまりではありませんかね。
そして、IQ百以下であろうと80も無かろうと、<自分のレベルの場所>の試験さえ受けて、学費さえ払えば、猫も杓子も『大学生』。
キャピキャピとブランド品を山ほどぶら下げて、サークルだの、合コンだの、バイトだのにうつつを抜かした挙げ句に、修学旅行にヨーロッパに連れて行かれる。
数世紀の歴史を刻んだ石畳の重みに気がつくだけの頭も無く、エビちゃんだのタッキーだのの話題に盛り上がりながら無為に歩く。
フィレンツェでは、グッチの本店とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と、どっちが優先?
地上に存在する構造物の全てに対して、<空間における数学的比例配分>の哲学を確立した、<あの>ブルネレスキのドームに登って、マル文字で<落書き>をする訳です。
<ナントカ参上!! 夜露死苦>といっしょ。
掛け値なしの<バカ>。
こんなレベルの『女子短期大学』なんて、資源の無駄使いダ。
日本に大学なんて20も有れば良い。
後は、<ナントカ塾>とでも名乗って、せいぜいビジネスに励んでください、経営者さま。