私は、実は<明治維新>を、評価しません。
あれは、しょせんは『長州』と『薩摩』によるクーデターに過ぎない。
そこまでは良しとしよう。
幕府は既に<動脈硬化>状態であったし、<西欧の列強>の圧力はアメリカに代表されて、迫っていた。
何らかの劇的な変革は、必要不可欠であったろう。
だがしかし。
結果としての『明治維新』は、上記二藩の<不満分子>の中のさらに<残りかす>と、一部権力欲にかられた<公家衆>による、権力の収奪に過ぎなかった。
つらつら歴史をひもといてみるに、真に『新生日本』にかけがえの無い人材になるはずだったのは、<西郷隆盛>と<勝海舟>と<坂本龍馬>だけだったのでは無かろうか。。。
そして残念な事に、三人とも、キャリアーから外れてしまう。
もちろんそれ以前に、あちこちの<志士>たちを啓蒙し、育み、鼓舞した思想家や先達は、居た。
しかし、ほとんどは維新の表舞台に出る以前に、没してしまっている。
そして、<ご一新>の新政府を<お手盛り>で造り上げ、<権力>をほしいままにしたのは、まさに上手く立ち回って生き延びた<残滓>に過ぎなかった。
その手段が、実に『錦の御旗』であった。
かってに担ぎ上げたその旗が、<みかどをお守りすべく>必死に戦った『会津の殿様』を逆臣にしたてあげ、あまたの有能な人材を殲滅してしまう。
その<残滓>がひとたび権力を手にするや、連綿と今日までの日本をダメにした係累を造り上げてしまったのだった。
いわゆる<明治の元勲>と呼ばれるほとんどは、一藩のリーダーレベルの器であって、<日本国>の未来を託せる程の器量では無かった。
伊藤博文のごときは、芸者の尻を追いかける事が生き甲斐のごとき下世話な男であったのに、<総理大臣>となり、あとはおって知るべし。
唯一合格点の線上にいるのは<大久保利光>だろうが、薩摩閥は長州閥の前には、サイドラインに過ぎない。
本来の<プロフェッショナルな技能集団>である軍隊という存在は、我彼の兵力と戦力と国力と装備との冷静な比較を行った後に、<戦争を開始する決定を下す>はずの物であるべきなのに、<大和魂>やら<神風>やら、全く<プロ>とは正反対の言辞を労して、何の根拠も無く「大和民族は負けるはずは無い」と国民を誘導して、我が国を破滅の戦争に導いた<大日本帝国陸軍>の首脳をはじめとして、政府の行政財政軍事のシステムの中枢は、<長州のザコ達の末裔>に依って営まれて来ており、戦後もいったい何人の<昭和の妖怪の如き首相達>を輩出して来た事か。
今日のダメな日本を造ったのは、<長州>である。
なにが言いたかったかと言えば、『錦の御旗』という怪かしについて、だった。
今日の<錦の御旗>は『改革』。
自民(公明)政府のリーダー達は、カラスの鳴き声のごとく、我も我もと口を揃えて<カイカクカイカク>と唱えていらっしゃる。
本来『改革』という言葉は、<従来の制度等を改めて、より良い物にする事>である。
しかるに『行政改革』をさけんだハシリュウさんがやったことはと言えば、<建設省>と<運輸省>を一緒にして『国土交通省』という名前にし、<文部省>と<科学技術庁>とを一緒にして『文部科学省』と改名した。
で、役人の数が二分の一になったかって??
残念ながら一足す一は二。
前より<何が><何処が>良くなったの?
『財政改革』を叫んだ人は誰だっけ。
もう、いい加減書くのも面倒になって来た。
最後の極め付けが『郵政改革』!
そもそも一国の総理たるもの、国の全ての将来の為に身を粉にして働くベキものだと思っておりました。
しかるに小泉純一郎サンは、<ユーセイ!ユーセイ!>と叫ぶだけで首相となる。
それって、『郵政大臣』レベルの主張ではないのか。
<改革>が否決されると衆議院を解散し、<郵政カイカク>に賛成か、反対か、という<ソーセンキョ>を行う始末。
それって、世界の常識では『国民投票』で行うべき事だゼ!
それに巻き込まれて、自民党に大量に投票した日本人の情けない事ったら。。。
過疎化の進む我が祖国は、僻地と称する人口過疎地には、お年寄りしか住んでいない。
自分で歩き回る事も困難な一人暮らしのお年寄り達に取って、外部に開かれた唯一の窓が、<郵便配達>のおじサンだったのですって。
その日その家には配達する郵便物はなくても、巡回地区の一軒一軒に立ち寄って、一言声をかけて行ってくれる<郵便局員>が、いわばそれらのお年寄り達にとっては、生命線だったハズ。
それは、公共事業だからこそ、可能であった。
(同じ<公共事業>でも、<無駄な道路造り>と何と言う違い!)
しかるに、郵政を民間会社にしてしまったら、当然<営利事業>である以上、<ムダ>は全て切り捨てられ、過疎地の定期的巡回等出来る訳が無い。
会社を経営する立場では、当然の事ですよね。
『改革の本丸』が<ユーセー民営化>?
所詮対米追随政治家である彼が、国民が溜め込んだ潤沢な<貯金>を、外資金融機関に解放する為の事。
バカみたい。
<改革>と言われれば、それに反対する事は,<非国民>と言われるみたいな気がして、我も我もと賛成してしまう。
<改革>なんて言って欲しくない。
それらは皆<改悪>だろ!
あらゆる弱者を切り捨て、ワーキング・プアーを溢れさせ、国民に<雇用>を保証しない制度にしてしまい、世界の中の<活気の無い日本>を作り出して、止めるダト!!
息子が<後継者>ダト??
『錦の御旗』を掲げるやつに,ろくなやつは居ない。
あれは、しょせんは『長州』と『薩摩』によるクーデターに過ぎない。
そこまでは良しとしよう。
幕府は既に<動脈硬化>状態であったし、<西欧の列強>の圧力はアメリカに代表されて、迫っていた。
何らかの劇的な変革は、必要不可欠であったろう。
だがしかし。
結果としての『明治維新』は、上記二藩の<不満分子>の中のさらに<残りかす>と、一部権力欲にかられた<公家衆>による、権力の収奪に過ぎなかった。
つらつら歴史をひもといてみるに、真に『新生日本』にかけがえの無い人材になるはずだったのは、<西郷隆盛>と<勝海舟>と<坂本龍馬>だけだったのでは無かろうか。。。
そして残念な事に、三人とも、キャリアーから外れてしまう。
もちろんそれ以前に、あちこちの<志士>たちを啓蒙し、育み、鼓舞した思想家や先達は、居た。
しかし、ほとんどは維新の表舞台に出る以前に、没してしまっている。
そして、<ご一新>の新政府を<お手盛り>で造り上げ、<権力>をほしいままにしたのは、まさに上手く立ち回って生き延びた<残滓>に過ぎなかった。
その手段が、実に『錦の御旗』であった。
かってに担ぎ上げたその旗が、<みかどをお守りすべく>必死に戦った『会津の殿様』を逆臣にしたてあげ、あまたの有能な人材を殲滅してしまう。
その<残滓>がひとたび権力を手にするや、連綿と今日までの日本をダメにした係累を造り上げてしまったのだった。
いわゆる<明治の元勲>と呼ばれるほとんどは、一藩のリーダーレベルの器であって、<日本国>の未来を託せる程の器量では無かった。
伊藤博文のごときは、芸者の尻を追いかける事が生き甲斐のごとき下世話な男であったのに、<総理大臣>となり、あとはおって知るべし。
唯一合格点の線上にいるのは<大久保利光>だろうが、薩摩閥は長州閥の前には、サイドラインに過ぎない。
本来の<プロフェッショナルな技能集団>である軍隊という存在は、我彼の兵力と戦力と国力と装備との冷静な比較を行った後に、<戦争を開始する決定を下す>はずの物であるべきなのに、<大和魂>やら<神風>やら、全く<プロ>とは正反対の言辞を労して、何の根拠も無く「大和民族は負けるはずは無い」と国民を誘導して、我が国を破滅の戦争に導いた<大日本帝国陸軍>の首脳をはじめとして、政府の行政財政軍事のシステムの中枢は、<長州のザコ達の末裔>に依って営まれて来ており、戦後もいったい何人の<昭和の妖怪の如き首相達>を輩出して来た事か。
今日のダメな日本を造ったのは、<長州>である。
なにが言いたかったかと言えば、『錦の御旗』という怪かしについて、だった。
今日の<錦の御旗>は『改革』。
自民(公明)政府のリーダー達は、カラスの鳴き声のごとく、我も我もと口を揃えて<カイカクカイカク>と唱えていらっしゃる。
本来『改革』という言葉は、<従来の制度等を改めて、より良い物にする事>である。
しかるに『行政改革』をさけんだハシリュウさんがやったことはと言えば、<建設省>と<運輸省>を一緒にして『国土交通省』という名前にし、<文部省>と<科学技術庁>とを一緒にして『文部科学省』と改名した。
で、役人の数が二分の一になったかって??
残念ながら一足す一は二。
前より<何が><何処が>良くなったの?
『財政改革』を叫んだ人は誰だっけ。
もう、いい加減書くのも面倒になって来た。
最後の極め付けが『郵政改革』!
そもそも一国の総理たるもの、国の全ての将来の為に身を粉にして働くベキものだと思っておりました。
しかるに小泉純一郎サンは、<ユーセイ!ユーセイ!>と叫ぶだけで首相となる。
それって、『郵政大臣』レベルの主張ではないのか。
<改革>が否決されると衆議院を解散し、<郵政カイカク>に賛成か、反対か、という<ソーセンキョ>を行う始末。
それって、世界の常識では『国民投票』で行うべき事だゼ!
それに巻き込まれて、自民党に大量に投票した日本人の情けない事ったら。。。
過疎化の進む我が祖国は、僻地と称する人口過疎地には、お年寄りしか住んでいない。
自分で歩き回る事も困難な一人暮らしのお年寄り達に取って、外部に開かれた唯一の窓が、<郵便配達>のおじサンだったのですって。
その日その家には配達する郵便物はなくても、巡回地区の一軒一軒に立ち寄って、一言声をかけて行ってくれる<郵便局員>が、いわばそれらのお年寄り達にとっては、生命線だったハズ。
それは、公共事業だからこそ、可能であった。
(同じ<公共事業>でも、<無駄な道路造り>と何と言う違い!)
しかるに、郵政を民間会社にしてしまったら、当然<営利事業>である以上、<ムダ>は全て切り捨てられ、過疎地の定期的巡回等出来る訳が無い。
会社を経営する立場では、当然の事ですよね。
『改革の本丸』が<ユーセー民営化>?
所詮対米追随政治家である彼が、国民が溜め込んだ潤沢な<貯金>を、外資金融機関に解放する為の事。
バカみたい。
<改革>と言われれば、それに反対する事は,<非国民>と言われるみたいな気がして、我も我もと賛成してしまう。
<改革>なんて言って欲しくない。
それらは皆<改悪>だろ!
あらゆる弱者を切り捨て、ワーキング・プアーを溢れさせ、国民に<雇用>を保証しない制度にしてしまい、世界の中の<活気の無い日本>を作り出して、止めるダト!!
息子が<後継者>ダト??
『錦の御旗』を掲げるやつに,ろくなやつは居ない。