晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

イスラエルのやってる事はナチスと同じだ!

2009-02-06 08:49:38 | 国際関係
パレスティナさん一族は、同じ土地に建つ、同じ家に、もう2000年近く住み続けていました。
土地はそれなりに広いものの、大して豊かでもなく、食べて行くのがやっとの生活ですが、先祖代々皆幸せに暮らして来ました。

ところが、60年くらい前、とある偉い人達から無理矢理間借り人を引き受けさせられました。
イスラエル家を名乗るその一族に、渋々ひさしを貸したとたん、家を乗っ取られ、パレスティナさん達は母屋から叩きだされて、離れや、物置や作事小屋に追いやられてしまいました。

当然、パレスチナさん達はびっくりして、なんとかイスラエル一族に、母屋を返してくれる様に頼みました。

ところが、『ここは紀元前3000年以上前に我々が住んでいた土地だから、ここは我々の家だ』といって、ツバをかけられて追い返されてしまったのです。

パレスティナさん達は、困り果てて、そいつらに間借りさせてやれ、と押し付けて来た<偉い人々>に掛け合いに行った所、けんもほろろにあしらわれてしまいました。

パレスティナさん達の家長さんは、もう年寄りなので逆らい様も無く、泣く泣く引き下がります。
でも、血気盛んな子供達がそれで納得するはずもありません。

母屋に押し掛けて行って、近くに居たイスラエルの連中の一人に殴り掛かりました。
そうしたら、その子は、周り中よってたかってボコボコにされ、半殺しの目に遭わされてしまったのです。

これには母親が我慢出来ず、母屋に怒鳴り込もうとしました。

ところが、イスラエルの連中の方が先にはなれになだれ込んで来て、女子供関係なくぶちのめしてしまいました。
『俺たちに歯向かうヤツは、皆こんな目に遭うと覚えておけ』というのが捨て台詞でした。

パレスティナさん一家は、全員この不条理な仕打ちに涙します。

その後も、特に子供達が納得出来ず、時々遠くからののしって見るのですが、その度に石つぶてを見舞われてしまいました。

とうとうたまりかねた次男坊が、長老達や親達が止めるのを振り切って、エンピツ削り用のナイフを持って母屋に乗り込み、近くの一人に切り掛かりました。

その後に起こった出来事は、身の毛もよだつような凄まじい事でした。

イスラエル一族の若い衆が大挙してはなれに押し掛けて来て、逃げ遅れたお年寄りや子供達を皆殺しにしてしまったのです。
泣き叫ぶパレスティナさん達を、イスラエル一族の連中はニタニタ笑いながら見下ろして、ドタグツで踏みにじり、ツバを吐きかけては大笑いをしていました。
それだけでなく、<二度と乱暴な事をやらせない様にお仕置きだ>とか言って、皆が肩を寄せあって暮らしていた離れも奪い取り、とうとうパレスティナさん一家は全員が庭の物置で暮らすしか亡くなってしまったのです。

それからの50年は、パレスティナさん達に取っては、地獄そのものでした。
水も電気も無い、ましてトイレも無い物置で暮らす彼等は、門を塞がれてしまっていたので仕事に行く事も出来ず、外からの助けも全く無く、ただただ屈辱の日々を、食うや食わずで送るしか無かったのですから。

散々抵抗した子供達も、それでも大人に成長し、物置で結婚し、物置で子供が生まれていきました。

その子達は、もともと2000年も一族が住んで来た家の様子は全く知らず、彼等に取っての<世界>は、ただただその<物置>なのです。

時たま、そんな世代の誰かが我慢出来ず、母屋に石を投げたりしてしまいます。
そうすると、それから1週間くらい、母屋から散々銃弾を打ち込まれてしまいました。

誰かが、塀をくぐって外に抜け出して、ピストルを手に入れて来ました。
皆勇気百倍になって、母屋に近づき、人影を狙って一発ぶっ放してみました。

そうしたら何と、大砲で1000発くらい砲撃されてしまい、小屋は粉みじんになってしまいました。

皆泣きながら、もっと小さな手造りの掘建て小屋を造って、乞食みたいな暮らしをするしか有りませんでした。
本当なら、パレスティナさんたちが幸せに暮らしていたはずの家も離れも、いつの間にか立派な大きな御殿に立て替えられており、中では毎日ご馳走をたらふく食べて宴会三昧でいる様子が、何となく感じられ、パレスティナさん達は悔し涙にくれながらも、イスラエル一族の横暴を訴えるべく、叫び続けております。

時々、『うるさい』と言ってはブルドーザーで皆のかけがえの無い掘建て小屋を踏みつぶして、笑いながら引き返して行く事もあります。

抗議すると、10人殺されました。

仕返しに、お屋敷に忍び込んで一人殺した孝行息子が居ました。

そうしたら、イスラエルの連中は、その子の家族と、親戚一族300人を皆殺しにしてしまいました。

仕返しに相手を10人ぶん殴ったら、1500人殺されました。

時々、外からマスコミが来る事が有ります。
パレスティナ一族の人々は、ただ涙ながらにイスラエル一族の傍若無人な狼藉を訴えるだけです。
その後、屋敷ではパーティーが繰り広げられ、マスコミの人達に酒池肉林のもてなしをして、『パレスティナの乱暴者達が自分達に暴力を振るうから、時々懲らしめてやるのです』と涼しい顔で説明しているようです。

もはや、パレスチナさん達は、かっての自分達の土地の片隅に必死でしがみついて暮らすしか、方法は有りません。
家屋敷は二度と取り返せない事は解っています。
でも、泣き寝入りは出来ません。
かって母屋で住んでいた世代はもうほとんど残っておらず、逃げて来て敷地のスミに立てた掘建て小屋しか知らない世代ばかりになってしまってはいても、彼等は自尊心まで失ってはいないのです。

これから、1000倍返し、万倍返しされる事は解っていても、腕が動く限りは<石>をなげ、口が動く限りは<非難の叫び声>を上げ続けることでしょう。
時には、運良く手に入った銃器で、屋敷の中に玉を打ち込む事でしょう。

イスラエルの連中が、家屋敷を返還する事はもうあり得ない夢にすぎなくなってしまってはいても、少なくとも最初に強引に家を乗っ取られた時点で、まだパレスティナさん達の物だった、離れや作事小屋は返してもらって、電気もガスも水道も元通りに使える様にして、パレスティナさんたちが働きに行ける様に、鉄条網で封鎖してある門を解放して、人間として最低の生活が出来る様にしてくれない限り、パレスティナさん達の抵抗は絶対に止まないでしょう。

それどころか、酷い仕打ちを受ければ受ける程、イスラエルの連中への憎しみは増々大きく膨らんで行くでしょう。

<北風>は絶対にマントを吹き飛ばす事は出来ないのです。
<石器時代の神話>を根拠に<自分達の土地>だとむちゃくちゃな理屈で、既に2000年人が住んでいる土地に無理矢理<建国>した方が、常に謙虚で居なければ、事態は絶対良くならない事くらい、<イスラエル人>以外は子供でも解ることです。

あらゆる産業を牛耳っているユダヤ資本のロビー活動に抵抗出来ない<アメリカ合衆国>が不条理な依怙贔屓を続ける限り、イスラエルは、常に平気でパレスティナを破壊し続けるでしょう。

非人道的武器で、使用禁止対象の『白リン爆弾』を平気で使い、後少しで『核爆弾』まで使いかねない<狂犬国家>イスラエルが、人類の最大の<癌>であります。

そのイスラエルの非道さを<容認>するアメリカも、シリアに「核を持つな」と言う資格も権利も無いのですね。
シリアに取っては、いつ何時イスラエルの核攻撃を受けるかもしれない脅威と隣り合わせに暮らしているのですから。
(実際去年アメリカがOKしていればやってた!!)

そして、紀元前3000年の土地所有権(5000年前!!の何の権利だ)を振りかざすのなら、アメリカは<先住民>に国土を明け渡さなければならず、夫々のヨーロッパの出身国に引き揚げ無ければならない事になる。

そのヨーロッパも、夫々のケルト人や、エトルリア人達に返さねばならず、一体何処に行けばよいのやら。

もちろん日本もアイヌの人々や、熊襲の人々や、出雲族に返さねばならなくなる。。。

宗教に忠実なのは勝手だが、それは自分達の間だけにしてくれ。

かってに自分達だけで石器時代に生きてろ!

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