晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

「絶対平和という共同幻想を植え付けた元凶である憲法」(維新の会)という『幻想』を打ち砕け!

2013-04-09 21:15:58 | 政治と社会
「憲法は、過半数でコロコロ変える様な物では有りません」(谷岡緑の風共同代表)


「憲法九十六条」を変える事が好ましい : 28%
「憲法九十六条」を変える事は好ましくない : 23%
「憲法九十六条」を帰る事 : どちらとも言えない : 46%



安倍晋三の持論であった「平和憲法」の改悪が、俄に現実味を帯びて来た。

維新の会は「平和」を幻想と切って捨て、憲法改悪を党の基本政策として、その立ち位置を明確にした。

みんなの党も「憲法改悪は公約です」から反対では無い。
「ただ優先順位が違う」等と、布石を打った上で、幹事長が流れに乗り遅れまいと言う態度を明確にした。

新党改革も「憲法を変える事は必要」と、みんなの党と同じ言い訳で「先にやる事が有る」と言いつつも、同じ船に乗る事を明言した。

公明党だけは、「未だ憲法を変える事が争点になる所までは、言っていない」と、連立与党に留まれる様に、明確な反対はしない。


しかも、<国家の思想>を、<国家の骨格>を、<国民が目指す哲学>を、全国民で共有し、未来の子孫達に受け伝え、世界に訴える神聖にして不可侵なる『憲法』の、新構想を掲げて「改正」を問うのでは無く、先ず「改正の条件」を先に「変える事が前提」の基準に変えようと言う、前代未聞で言語道断の強硬手段に訴えようと言う姿勢は、一体何処から来た物なのか。


戦中派議員が去り、戦後派ばかりになってしまった「二世」「三世」議員ばかりになって、国民全員が身にしみて感じた「平和への渇望」と「戦争への忌避」が、精神の中に全く存在しない世代が勝手に暴走し始めた。

戦争に突っ走った過去の「反省」と、実際に体験した悲惨さへの「嫌悪感」、そこから導かれた平和への「渇望」を、息子や孫達にちゃんと伝えて来なかった戦中派の責任は大きい。

とは言うものの、『絶対的平和』を偉大なる幻想としか捉えられない、精神的に大切な物を持ち合わせていない「欠陥人間」が、これだけ多くなってしまったことは、憂慮などの言葉では表せない程の「国民精神」の危機である。


人格は顔に表れる。

人間、四十を過ぎたら、顔に責任を持て。

そこで、憲法の改悪を言い募る輩の表情を見ていると、やはり「真っ当な人間」とは言い難い物が透けて見える。


安倍晋三。

石破茂。

石原慎太郎。

橋下徹。

松井一郎。

渡辺喜美。

江田憲司。

舛添要一。


どちら様も大変なご一党さんで。

見るからに悪党面。

あるいは、一見柔和に見えるその裏側に透けて見えるイヤラシさ。


こんな事を書くと、「貴方は外見で人を判断するのか」という批判が来る。

しかし、善人には無い「アクドさ」が必ず現れているものです。



私は、個人的に長い間「性善説」で生きて来た。

そして晩節を迎え、世の中そんな物ではない事を、やっと悟に至ったのです。

悲しい事に。

やはりこの世には「善」と「悪」とが存在する。

人類史上あらゆる民族の宗教に、善悪の対立が有る。

「神」と「悪魔」

「光」と「闇」

「善」と「悪」

この二元論は、通常一神教と呼ばれる宗教に於いて、際立っている。

神がこの世界を作った。

その「造物主」の光り輝く楽園を羨む「闇の世界の支配者」が、楽園を奪わんと進出して神の軍勢に叩き伏せられる。

その叩き潰された『悪の化身の破片が「物質」となり、この現実の世界を作った』という、神の世界の光に対比して現世を闇の世界で穢れたもの、とする「ゾロアスター教」「マニ教」以来、その『二元論』は、ユダヤ教からキリスト教、更にはイスラムにまで連綿と受け伝えられて来た。


仏教だけは、仏が造物主ではなく、従って閻魔様も単に「地獄の番人」貳過ぎない点で違っているが、いずれにしても神話の時代から<善>と<悪>とは併存していたのだ。

ましてや、たかが人間である。

善人だけが居るなど、やはりあり得なかった。


一般的には、悪人はひっそりと身を顰めて居るものだ。

あるいは、善人面して身を偽って生きている。

支配者は、善人を標榜し、人民の指導者にして良き家父長である支配者は、絶対善で有るべきなのだ。

陰では、いかなる不埒な事をやっていようと、表向きはあくまで民衆を救う、民衆の為に、支配者で居る事を演じていた物だ。



しかるに、現代の日本に有って、支配者は「良きリーダー」である仮面を取り去った。


この「憲法改悪」思想は、あくまでアメリカの世界戦略の一環として、位置づけられるべき物である事は、疑いの余地は無い。

アメリカの国内は、財政的に瀬戸際に追い込まれている。

外国の秩序の維持の為に、アメリカの若者を戦争に送る必要は無い、と言う考え方が国民の主流となっている。

ベトナム、カンボジア、中東、中南米、アフガニスタン、パキスタン、イラク、再度アフガニスタン、そして今シリアと打ち続く終わりの無い戦争状態に、軍部にも厭戦気分が広がっている。

復員軍人の精神的トラブルはいや増すに増して、自殺者も後を絶たない。

そんな現状に有って、戦争立国アメリカとしては産軍複合体の存続の為に、そしてその産軍学の経済構造に則って巨万の利を貪る「コングロマリット」の利益確保の為に、戦争は欠かせない。

その、物資的人的困難の両面を負担させうるのが、我らがニッポンなのだ。


TPPに何が何でも引きずり込んで、「日本的なるもの」の制度をすべて打ち崩し、そこにアメリカの制度を嵌め込む事によって利益をすい尽くす。

10年後、20年後に日本と言う国が存在しているかどうか、そんな事はどうでも良い。

とにかく、ここ10年くらいで日本の肉と血とを、総てすい尽くしてアメリカの再建に当てよう。

その間に、日本の軍隊を世界中の隅々まで派兵する事を日常化させる為にも、日本人を兵士として戦場に送り、アメリカ軍の代替えをやらせる為にも、「平和憲法」は邪魔以外の何物でもない。


今まで、サンフランシスコ条約以来連綿と続いて来た、日本の対米隷属姿勢をより明確化させて、間接支配ではなく直接支配を可能にする為にも、対日戦後政策の最大の過ちであった「平和憲法」の撤廃は至上課題であったのだ。

日本側も、立法も行政も司法も、いちいちアメリカにお伺いを立て、その後日本の側から率先してアメリカの意思を「忖度」して、アメリカの利益が日本の国益と言う発想で統治して来た。

その姿勢をより明確にし、率先して対米隷属姿勢の強力な行動を行う為にも、平和憲法の破棄は悲願であった。

それにしても「昭和の時代」は、憲法の改悪を言い出す事は、日本国内に有って心理的に「タブー視」されて来た。

戦争への拒否感が、世代に根付いていたからである。


その時代は、過ぎ去った。


身の丈に有った経営を変えなかった先代が逝き、創設期の苦労を知らない二代目が、跳ねっ返りで「カッコ付け」始めたのだ。

その時代が来た。

アメリカにとっても、日本にとっても、願っても無い時代となった。


TPPで富みを捧げる。

平和憲法の破棄で、人的資源を捧げる。

原発推進で、核兵器の原料を捧げる。


強いられてではなく。

自らの意志で、自ら願い出て。

宗主国に取って、こんなに都合の良い植民地など、歴史上他に類を見ない有り難い民族だ。



それにしても、不思議でならない事が有る。


宗主国アメリカに取っては、日本から搾り取れるだけ搾り取って、日本の国土に人も物も金も、一切絞れる分が無くなったとしたら、それで用済みで良い訳だ。

しかし。

ご主人様に変わって率先して植民地政策を自らに課している、日本側の政治家と官僚達は、国民が絞り尽くされて、制度が根本から破壊されて、物心ともに資本が一切消滅してしまったとしたら、一体どうするつもりなんだろうか。

今は、自分達も「植民地の代官」として、甘い汁を吸ってるから良いだろう。

しかし、汁が一滴も無くなった時、汁を産み出す国民が力つきた時、彼等はどうするつもりなんだろう。

勿論、今この時代官である輩は、その頃は既に現役では無いかもしれない。

そして、老後をパラダイスで過ごせるだけの蓄財を為しているのかもしれない。

でも、シロアリにだって「次の世代」は居るだろうに。

今の現役シロアリは、自分達だけが良いメを見れば、それで良いんだろうか。



いずれにせよ、抑圧されて搾取されて、生きさせられている。

死ぬ程働かされて、すべてを外国に吸い上げられる。

その間、国土は駐留軍に提供し、首都の上空の管制権は無く、化学薬品まみれの毒を喰わされ、放射能を被爆させられ、それを「知らされずに」生かされ続ける。

その事に異議を唱えると、警察権力が冤罪を仕組み、検察権力が証拠を捏造して起訴し、判事が法に規定されない「想像」で予定通りに有罪にする。

その間、マスコミが狂った様にネガティヴ・キャンペーンを張って、警検判の提灯持ちを続ける。

なんてこった。

ウンザリしないのか。

なんで、拳を振り上げないのだ。


「憲法改正が良いか悪いか」どちらとも言えない、と堪える半数の日本人よ。

何の為に、誰の為に生きているのか、考えてみた事が有るのか。



拙ブログで、事有るごとに繰り返して来た。

「戦争を永久に放棄する」という、崇高な精神を何故理かい出来ないのか。

原生動物以外で、交配によって種を維持する発達した生き物の中で、捕食目的以外に同種で殺し合うのは一部の例外を除いて『ヒト』だけである。

そんな、殺し合う事が原点である「人類」に於いて、自ら殺す事を放棄する事を「国是」とした例は、人類史上他に無い。

たとえGHQが主導して作らせたられた「憲法」とはいえ、そこには携わった当時の同胞達の、瀬戸際の駆け引きが有ってのこの憲法である。

敢えて言えば「天皇制」すら残せたでは無いか。

決して、何から何まで押し付けられた憲法では、無い。

「絶対の平和」を願う。

人類史上、唯一無二の試みで、人間の至高の精神の尊厳の表現である。

『戦争は、これを永遠に放棄する』


主立った化学産業と工業に取って、軍需産業は多かれ少なかれだ蹴られない分野として存在する。

あらゆる分野のハイテクの象徴である。

納入先が、敢えて言えば金に糸目をつけない、製造側から言えば垂涎の分野である。

製造する事は、即売れる事が決まっている、夢の様な商売である。

財界は、やりたいだろうさ。

そして、兵器は製造すれば消費されなければならない。

何故なら、旬製品が出回った時点で、それは最先端とは言えなくなるからだ。

常に、新型の、より高性能な、より殺傷力の高い製品が、求められる。

つまり、メーカーに取って終わり無き稼ぎ頭である。

しからば、世に送り出した兵器は、消費されなければならない。

幾ら新型製品が世に出ようと、旧型が市場にだぶついている限り、売れないのだから。

そこで、定期的な棚卸しと、在庫調整、そして新たな発注をする為にも、戦争は欠かせない。

その経済サイクルが、国家の基本となっている国が、世界最強の軍事力を持つ「アメリカ合衆国」である。


そんな国の植民地と言う立場に有る以上、そんな宗主国のよって立つ経済システムの歯車に組み込まれている限り、彼等の意向に逆らう訳にはいかない。

それが現実。


そんな現実である以上、そろそろ「ハッキリ認める」必要が有るのではなかろうか。

独立国の幻想を与えられて、その実主権すら無い。

「名ばかり管理職」みたいなファーストフード・チェーンの店長はやめよう。

主権国家の国民と言う空手形に立脚して、その実奴隷の地位に要る事を隠蔽され多状態で生きて行くのは、そろそろ止めよう。


国連の議席は放棄すれば良い。

アメリカ合衆国に、日本は「アメリカ合衆国の植民地」である事を、正式に世界に向けて宣言してもらおうじゃないか。

植民地人である事が明確に示されれば、我々も無駄な事はやらない。

国連負担金だって、払わずに済めば儲け物。

正式な植民地であれば、災害時には宗主国が救済する義務を負う。

『友達作戦』などと尤もらしい名前をつけて、580億円もの請求書を送りつけられる事も、無い訳だ。

「思いやり予算」など、負担しなくとも済む。

租税も、予算編成も、その執行も全部宗主国にやってもらえば良い。

どうせ、住民の為に使われる額など、今までと変わるまい。

中間で、散々盗み喰いをし放題だった「シロアリ」共のエサの分が、彼等に回らなくなる程度の被害しか有るまい。



安倍晋三クン。

貴殿の姿勢を『諾』としよう。

TPP参加も、平和憲法の放棄も、国軍創設と徴兵制の復活も、原発推進も、フクイチの被曝を国民に強いる事も、瓦礫処理の拡散によって被爆汚染を希釈する事も、秘密保護法も、国民の番号制度も、総て「良し」としよう。

だから、お願いだ。

もう、国民を「国民」などと呼んで騙し続けないで欲しい。

さっさと「米国の植民地」である事を日米双方で世界に向かって宣言して欲しい。


それならば、祖国を持たぬ根無し草としては、ここまで日本の将来の為に一喜一憂する事も無く、ゆっくり眠れると言う物だ。




しばらく、ゆっくりと睡眠をとり体力を整えた暁には、我々は蜂起するだろう。

独立主権国家という幻想を新J込まされているからこそ、「お上に逆らう」事など考えもしない人々も、植民地の奴隷で有る事を肝に命じさせられたら、行動は変わって来る。

植民地の新聞テレビなど、即座に信じたりもしなくなるだろう。

反権力の精神が、芽生える事だろう。

そして、密かに力を蓄え、密かに連絡を取り合って、いつの日か「独立を勝ち取る為に」立ち上がるだろう。


日本は、「これまで植民地にされた事が無かった」と、思い込まされて来た。

だからこそ、自惚れて第三世界を見下して、偉そうな態度で肩で風を切って世界を歩いて来た。

支配者から見たら、お笑いぐさであった事だろう。

「対日年次要望書」などと言う『命令書』を毎年送りつけながら、表向きは「同盟国」呼ばわりして、住民が実態に気がつかない様に配慮されて来た。

豚もおだてりゃ木に登る。

舞い上がって、大義なきイラク戦争に大金を出し、ご主人様のパトロン面して来たのだ。

お陰で、国民達は良い様に洗脳され、使い勝手の良い駒として大量生産されて来た。



立ち上がる為に。

我々は「植民地人」貳過ぎなかった事を、実感しよう。

ひとたび、これまでに於かれていた立場を理解すれば「沈黙の羊の群れ」は「勤王攘夷派」としての行動様式を、思い出すに違いない。


安倍クンのお陰で。

石原クンのお陰で。

橋下クンのお陰で。


我々は、やっと覚醒する事が出来る機会を得る事になる。


「絶対の平和」を共同幻想と言い捨てた「日本維新の怪」の方々に、御礼申し上げる。

「平和憲法」こそが、日本を堕落させたと言い放って恥じない。

そのような「橋下徹」や「石原慎太郎」なる精神的不具者を、国政に送り込む事となる社会の腐敗こそが、日本の堕落の現れである事を、肝に命じて認識しなければならない。


皆さん。

我々日本人は、シロアリに間接統治されているアメリカの植民地の奴隷なのですよ!!

せめて「奴隷状態」から脱して、国民の命と財産の安寧を防ぎ止めている、強大な堤防を崩壊させうる一穴を穿てる「蟻」にまでは、成長しようと思いませんか!?







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