晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

<心にしみる光景> / 『コルシカ島』讃歌

2010-03-23 09:12:49 | 心にしみる光景
やっと<春>らしくなって来て、連日透明感溢れる光に満ちてきました。



こうなると、日本の政治やら、官僚の横暴やら、小さな事(!)に心を煩わせられたくなくなって、旅に出たくなってしまいます。



目指すは。。。


当然、光に満ち満ちた<地中海>。

地中海とくれば、私の大好きな『コルシカ島』!






最南端の<ボニファッチオ>は、断崖絶壁にへばりつく。

目を凝らせば、遥かイタリアの『サルデーニャ島』の影も望める程。


海岸線に点在する<洞窟>に船ごと入り込んだり、かつての<海賊>の巣窟をかいま見る。



かねてより、地中海は<文明の揺籃>の地であり、富が集まり、海賊が跋扈した物でした。

アレクサンドリアと、バルバリー(現チュニジアあたり)及びエル・ジャザイール(現アルジェ)の<イスラム海賊>連合に対するは、ジェノヴァ、コルシカ、マルセイユの<キリスト教徒海賊>の連合軍が、お互いの土地を襲い、沿岸の町々を略奪していた。

特にジェノヴァ人で、イスラムに改宗し、トルコ大守のお墨付きを持ってキリスト教世界を荒し回った<赤髭>は、多いに恐れられた物でした。



     

最北端に近い<ノンザ>の村には、勢力争いで追われた山賊がかくまわれた海賊村でありました。


追われる海賊は山に逃げ込み、合われる山賊は海岸に逃げて来る。



コルシカ島は、地中海でシチリアとサルデーニャに次ぐ、3癌目に大きな島ですが、それでも南北150キロ、東西50キロ程しか無く、地中海の海面からいきなり<高山>がそそり立った如き、山国であります。

2600メートルの、万年雪を頂くモンテ・チント山を筆頭に、2000メートル級の峰は10座を越えます。

その島の斜面全体に灌木が生い茂り、その植物層は、ハーブの下草に覆われた、野生の果物の樹々なのです。

その植物層を現地で<マキ>と言います。

夏の間は、そよ風とともに、<イチジク>や<レモン>、<仏手柑>や<栗>や<ラズベリー>の花や果実の香りと、<ミント>や<ターメリック>や<コリアンダー>や<クミン>や<ニンニク>の香りが入り交じった、えも言われぬ甘い香りに満ちあふれています。


エジプト遠征からの帰路、船上でナポレオンが言った言葉。
「ああ私の故郷の香りだ。たとえ島影が見えなくとも、このマキの香りで、私は故郷の近くに居る事が分かる。。」

誇張では無く、本当にフルーツとハーブの香りに満ちた島なのです。



古代のフェニキア人が入植し、ローマ帝国に編入され、その後ビザンチンやあちこち支配者が入れ替わり、13世紀から<ピサ>の所有となります。

その1世紀後<ジェノヴァ>が領有するに至り、500年間搾取され続けました。

島民達はその間独立運動の<反乱>を続け、とうとう持て余したジェノヴァは1768年にルイ15世に島を売却し、以後フランス領になります。


フランス領になったと言えど、所有者が変わっただけで島の生活は何も変わらず。常に<独立運動>が続きます。

そして直後に、ナポレオン家のライバルであった『パオーリ家』のパスカル・パオーリに依って『自由コルシカ共和国』が打ち立てられました。



     


内陸の、高山に囲まれた盆地の町<コルテ>に、その首都が於かれたのです。

このコルテの城塞から見下ろす周辺の光景は、絶景です。


内陸の山間部には、野生のイノシシと、山の中に放し飼いで飼われている豚と、その両方の自然に交配したイノブタとが自由に歩き回っており、それらのドライソーセージは抜群。



最後に、豊富な海の幸のなかでも、とりわけ忘れてはならない物に<オマール海老>が有ります。

島の最北端、<コルシカ岬>に、まるで箱庭みたいな小さな港を持つ、人口100名くらいの村<チェントウーリ>は、、オマールの水揚げがコルシカ一を誇ります。

その、わずか30mx10mくらいの港の真ん前にあるホテルのレストランで出される、<オマールのマキいぶし焼き>が、あらゆるオマール料理の愁眉の一品です。




  とれとれのオマール           島の下草<マキ>でいぶして出てきます。



ああ、早く夏がこないかなあ~!

コメント
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