晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

<古代ローマ帝国興亡史>を思わせる、日本文明の<断末魔>状態を見せつけられた<ラストラン>

2010-03-13 07:25:27 | 日本人の意識と精神構造
日本を、『古代ローマ帝国』に重ね合わせる事自体、あまりにもおこがましいのですが。


その事はあくまで<比喩>として、読んで頂きたいのです。


頂点を極めた文明は、その後下り坂に入るしか無い事は、避けられない史実である。

永遠に栄え続ける文明等、あり得ない。

頂点が<高い程>、衰退してゆく速度は<速く>、そして頂点に有った時期が<長い程>、衰退に向かうリズムは<緩やか>である。

古代ローマ文明程<長期間>にわたって、<最高の>レベルを維持し続けた文明は、人類史上他に類を見ない。


であるからして、その<衰亡>はユルヤカであった。
その時代に生きた<ローマ人達>は自分達が<滅び行く道>をたどりつつ有る事など、全く感じ取れなかった筈であろう。

一つの文明が、あまりにも繁栄を続けると、自らの力で自らを司る能力を失ってゆく。

一つの民族が、と言い換えても良い。

豊かで満ち足りていると、自分の国を自分たちで守る事が出来なくなってゆく。


この、ローマの衰亡の<テーマ>は、19世紀『ロマン主義』の発達の影で、産業革命による市民感覚の変化によって必然的に生まれて来る、『リアリスム芸術(自然主義)』の前に立ちふさがり、あくまで芸術の守旧派がこだわった<アカデミスム>に拘泥した芸術の王道が、好んで取り上げたテーマであった。



日本という<文明>が、果たして存在したかの議論はさて置いて、一応は「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」とほめ殺しにすら遭遇したほど、一応の頂点を極めたらしかった。

1980年代であったのか?

振り返ってみればあまりにも<瞬間的>に短かった<日本の全盛期>があっけなく過ぎ去り、今や衰退の極みに落ちってしまったかの如くに思える現象が、後を絶たない昨今である。。。



▶「北陸」「能登」がラストラン=半世紀の歴史に幕-「撮り鉄」厳戒・JR上野駅(時事見出し)

>上野~金沢間を半世紀以上にわたり結んできた寝台特急(ブルートレイン)「北陸」と夜行急行「能登」が12日夜、定期運転のラストランを迎えた。
車体を撮影しようとする鉄道ファン「撮り鉄」の一部にマナー違反も目立つことから、JR東日本は、両列車が発着する上野駅ホームに職員40人を配置、厳戒態勢を敷いた。

>警視庁鉄道警察隊と上野署も不測の事態に備え、ホームなどに警察官を配置した。

>同社によると、両列車をカメラに収めようとするファンは先月中旬ごろから急増。今月6日は土曜日ということもあり、700人を超えたという。同社は現在、警備員を増やし、11日夜までは約20人態勢で警戒。12日夜は倍の約40人態勢で臨むが、「実際にどれくらいの人がホームに詰め掛けるか、想像もつかない」としていた。
【時事通信】



実際に、この現場をNHK BSのニュースで見た。

唖然として、言葉が出てこなかった。

良い歳をした男どもが、声をからして叫んでいた。

「ありがと~!」
「わすれないぞ~!」
「ありがとう~!」

一人の<バカ>では無い。

大勢が<涙目>で別れの言葉を叫んでいた。



<鉄道が大好き>と言う人は、どこの国にもいる筈です。

でも。。。
日本以外の、如何なる国でも、如何なる民族でも、こんな支離滅裂なバカは、存在しないと<断言>できる。


この映像を見せられて、私は<日本の衰亡>を目の当たりに見た気がした。



やっぱり日本は<変だ>よ。

「おたく」
「萌え」
「フギュアー」
「メイド喫茶」

一人前の精神を持たず、実生活や実社会に適合出来ず、適応しようとすらせず、ヴァーチャルな世界に没頭して、架空のフギュアーと恋愛をする男の存在。


かたや、弱い立場の対象を虐める、辱める、欲望の対象としてしか扱えない、暴力でしか自己の存在を表せない男達。

10代前半から、不必要に色気づく娘達。

マスコミに煽られ、大人の色香と<しどけなさ>とを混同し、<はしたなさ>を<エロい>と表現して肯定する勘違い。

芸能人と同じ<非現実的>な、過剰なメイクやネイル・アートを真っ昼間から施して、それが変である事に気がつかない女達。


それらが普通に受けとめられている、日本社会。


今や中学高校で、パリに修学旅行でやって来る時代となった。

その女子中学生、女子高校生の、異常に短いスカートと、むき出しの太ももの大集団に驚いた現地人(フランスの人)に聞かれた事が有りました。

「あれは<売春婦>の養成学校ですか?」
「日本にはそんな学校まで有るのですか?」

本気で聞かれたのです。
私がどれほど恥ずかしかったかお分かりになりますか?
引率の先生方も、自分が引き連れている生徒達が、そんな風に見えているなんて事は、考えた事も無い。

つまり、日本と言う所は、それが当たり前の社会なのだ。



政府が、二酸化炭素の排出量を規制する政策を打ち出せば、企業は率先して見本を示して世界に<日本の技術>を見せてやろう、では無くて。

「そんな事をすれば、生産を海外に移さざるを得ない」という反応しか出てこない。

かって1970年代であったか、『カリフォルニア州』が車の排気ガス規制を、当時の基準からしたら<不可能>に思えた程の厳しい基準を決めた時。

ホンダが先陣を切って、10年かかると言われた新基準をクリアーする車を、2年で開発してみせた。


あの頃の<気概>は、どこへ行ってしまったのだろう。
あの頃は、企業人たちは<バイタリティー>と<矜持>とを持っていた様だ。


あるいは、やはり日本は<外圧>が有れば、動くのだろうか?
<外圧>が無ければ動けないのだろうか?


<派遣法>を改正しようとすると、別の抜け穴を考えつく。

困難と思えるが<大切な事>に挑戦して、打ち勝つ努力をする代わりに、日本の将来の姿など一顧だにせず、ただ安易な解決方法に頼ってしまう。

適正な<報酬>を支払う事を前提として、会社経営をするのでは無い。
適正な<衣食住>をまかなえる給与を支払う様な発想は、無い。

有る意味で非人道的とすら言える様な報酬しか提供せず、毎日平気で何時間も残業させて、当然その残業の対価は払わない。


社員が<人間的>に生活が可能な給料を支払って、それで成り立つような財務設定の基での経営など考えもしない。


「これだけやるから働け。いやなら代わりはいくらでもいる。」

そのような、働く側の犠牲の上に会社経営を行う現状は、異常だ。


同業者どうし、お互いを尊重し合って、パイを分け合うのではなく、他者のすべてを蹴落として、自分だけ<勝者>に有れば良い、と言う経営哲学。


そのような社会に生きてゆくには、何か<異形の物>にうつつを抜かすしか、生きる術が無くなってしまった社会に成り果てたのか。。。


どうすれば、もう少し<まともな社会>に戻れるのだろう?

日本人は、生き延びてゆけるのだろうか?



コメント
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