うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

どこかのだれかへ

2005年09月30日 | ことばを巡る色色
これは、多分、ほんの一握りの大人と子どもへの手紙です。
世の中の多くの、大部分の人は、優しく暖かいものを持ち、それを分け与えて生きています。分け与えられた人は、次の人にまた分け与えていける。でも、そうでない人もいる。でも、そうでない人も、明日も生きていくべきです。そうして、できれば昨日や今日と違った、心の休まる明日を迎えるべきです。今まで、苦しんできた分、もっともっと誰よりも温かい明日を迎えるべきです。でも、その中にいる人はグルグルとその周りを駆けて、自分を支えられない。一番幸せになるべき人が、暗い森の中を歩いている。そういう人への手紙です。

人は誰かに育てられ、そうして誰かを育てていくわけだけど、自分の育てられ方に問題を抱えている人がいて、そういう人が子を育てるとき、また問題を起こしてしまうことがある。または、自分が育てられたときの問題ゆえに、自分が育てる側に回ることや、育てることに躊躇する人がいる。どうやってその折り合いをつけていけばよいのかを考えたいのです。
だって、おかしいでしょ。与えられなかった人は、与えられる権利がある。だのに、また、迷路の中に入ってしまう。そんな自分がうまくやっていけるはずはないと思い込んでしまう。また傷つくことが怖くて、何もできないでいる。
人がおくられてきた理由は、その、ぐるぐるの帯、表がいつの間にか裏になり、また元に戻ってしまう、その帯の循環を、まっすぐに戻していくことではないんだろうか。
虐待を受けた子、無関心に育った子、過剰な干渉を受けた子、いじめられた子、親の罪をわがことのように思う子、自分の家族を過去にも未来にも思い描けぬ子、そういう子も、生きていかなければならないし、そういう子こそ、生き続けるべきだ。
そのために、いったい私に何を語ることができるだろう。
私は、君に話がしたいんだ。でも、きっと、私の前に君を座らせたら、そのことだけで、君は体をこわばらせるだろう。そんな状況であることを誰にも知られたくはないし、見破られたくはないはずだし。だから、私はここで、どこかの誰かに、いつか届くことを願って、話しかけたいんだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天」のしごと

2005年09月28日 | ことばを巡る色色
多分、やっぱり、「育てる」ということを考えることの広さがまとまらなさに拍車をかけているような気がします。私の心の中のここには、語りたいことがちゃんとこうやってあるのに、うまく伝えられていないことがもどかしいです。「育てる」側からの話と、「育てられる」側からの話が、一緒くたになってしまっていますね。一つ一つ場合わけをしていくべきなのかもしれないと思います。。(書いても書いても、うまく言えてない気がするので、前の繰り返しになっている部分があると思いますが、ご容赦ください。)

まず、共育という言葉のまわりについて。
私は、親がどう育ったかなんてことに、まったく興味がありません。たとえば、自分の友達が子を持ち、それによって変わったというのなら、その人の友達としての驚きや発見はあります。しかし、それはあくまでも個人的な感想であって、それ以上のものではありません。親になり、成長しようとしまいと、どうぞご勝手にって本当は思っています。確かに成長していく親のほうが、子にとって有益である場合のほうが多いでしょうが、それだけのことです。「育てる」ことの目的は「子が育つ」こと以外にはないからです。だって、自分が育つために子どもを育てるわけではないでしょ?「育つ」主体は子どもであり、それ以外には何もない。花をはぐくむのは土だけど、そのとき限りで土が駄目になろうと、それによって美しい花が咲けばそれでいいんじゃないんのって思えてしまいます。いい花を咲かせるために、どう土作りをすればいいのかということは大切だけど、「こんなに土がよくなりました」なんて、思わないでしょ。たとえば、私が子を育てどう親として育つか、ってことも、ほとんど考えたことがありません。確かに、子どもを持ったばかりは、みんなへたくそで知らないことだらけだろうけど、子への対処の仕方もわからないことだらけだろうけど、それができるようになったから、親として育ったなんてことは、どうでもいいことです。それって、自分の育て方への承認を求めてるだけのような気がしてしまいます。「こうやって育てたい」なんて、傲慢なことだし、一瞬一瞬変わっていく子どもの流れに逆らうことになってしまいかねない。自分の成長具合を考える時間があるなら、子の「今」を見ることに当てたほうがいい。子どもは親の自己実現や達成感のために育つわけではないはずでしょ。「育つ」というそれだけが独立してあるものであり、それは親の人生の実現とは関わりなくあるべきものだと思う。子は「その人」であり、まったく親とは別の人生なのだから。
人は次の世代が育つ手助けをする時だけ、「天」の役割のひとつを担うことができる。それだけで、いい。それを渡されただけで、いい、って思えるじゃん。
「よく育てましたね」という認定書なんて、もらわなくっていい。そんなものを目指さなくっていい。そうすると、「子」そのものが見えなくなってしまい、「よく育てる」ことだけを見てしまう。ご褒美や、承認がなくっても事を為すことが、「子」ではなく「大人」「親」ということではないのかと思う。

近況報告 昨日、うちの庭で転び、両足負傷中です。かっこわろし。
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多分誰が悪いわけでもなく

2005年09月26日 | ことばを巡る色色
しつこくって申し訳ないんですが、前回に引き続き「育てる」ことについて書きたいと思います。
前回の記事には暖かいコメントをいただきありがとうございました。
ここに来てくださる方は、本当に良い方ばかりで、「まとも」な方(素直な意味でとってくださいね)ばかりで、だから、私の考えが少し乱暴に聞こえたのではないかと思います。「共に育って行くっていいよ」とやさしく言ってくださる方ばかりで、胸が痛くなりました。ここにコメントを書いてくださる方のご家庭はちゃんと機能しているということが、その方一人一人のブログを拝見していてとてもよくわかります。だから、私のこの記事、前回の記事も極端なものに思われると思いますし、そんな方たちの家庭には不要のものです。でも、私が書きたかったのは、そうではない子が、世の中には少なからずいるということかもしれません。
そこに「愛がない」と断言するつもりはありません。親は親で自分のせいいっぱいで育てようと思っているのかもしれません。でも、大人になる過程で、つらい思いをしている子はいる。学校に行けなかったり、自分を傷つけたり、投げやりになったり、絶望していたり、へとへとになっていたり。親や大人からの「愛」をどうやっても見つけられない子も世の中にはいる。その子たちのことを考えています。
たとえば、肉食獣が草食獣を育てているような親子を見かけます。逆のときもあります。肉食獣にとっては肉を食うことが真実であり、草食獣にとっては草を食うことが真実です。多分、どちらも悪いわけじゃない。でも、その組み合わせはなかなか幸せなものにはなりにくいものです。そんな時、子どもはどうしたらいいのだろうかとずっと考えています。
子どもにとって親は、代わりのないものです。「愛」の量とか、質とか関係なく、いつだって、子どもは親(大人)に愛されることを望んでいる。でも、もし親がそれに応える力がなかったら、子どもはどうすればいいんでしょう。私は、そんな時は、ひと時だけ、子どもは親を捨ててもいいと思います。それは、愛されることを一時的に望まないということです。親(または大人)に愛されることを自分の価値の中心に置かないということです。応える力のない人に望むことは、心をすり減らしてしまいます。それは悲しいことだけど、いつか大人になって、落ち着いて話せる日まで、親を待ってあげなければいけないのかもしれないと思います。親に愛を乞うより、それが、傷ついた子の緊急避難なのかなって思っています。

うまく言えていないのは痛感しています。わかってもらえるかどうか、自信がありません。でも、まだ言えていない考えがあります。だから、しつこいですが、続きは次回に。

今日の記事のおしまいに、前回から次回へと続くこの記事を書くきっかけとなった、ある方の記事に書いた私のコメントを、載せておきたいと思います。

         >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
傷ついたもの、欠落したもの、背負ったもの、それらは残りの人生の中で、埋められていかなければなりません。それが生きるということですから。そうして、それは、謝ってもらうことでも、癒してもらうことでも、愛してもらうことでもないと思います。それでは折り合いがつかぬほど、大きく傷つき、へとへとになり、乾ききってしまっているからです。与えられても、与えられても、求める心は満たされない。求めれば求めるほど、満たされなさが深まっていくばかりです。
ただ一つだけ、本当にその傷を治すものがあります。それは、「育てる」ということです。愛して、いつくしんで、子ども(自分の子であろうと、よその子であろうと)を育てることだけが、救われる道です。自分が満たされなかったことを、取り戻すのでなく、子を満たして育てる側に回ることによって、また、自らも満たされていくということです。生き続けるということはそういうことではないかと思います。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

育ったり、育てたり

2005年09月25日 | ことばを巡る色色
「共育」とか「親業」という言葉が最近使われているのを目にする。これらの言葉に共感される方が少なからずいらっしゃるとは思うけれど、どうも私は違和感を感じてしまう。違和感というより、単に、これらのコトバが好きではないという感情なのだろうけど。この都合のいい言葉で了解してしまっていいのかという思いが私の中にはある。
「育てる」というのは、本能的な行動である。生き物として生まれたからは、人はどうしようもなく、「育ててしまう」もののはずである。そんな「育てる」ことの中で、「おとうさん(おかあさん)も親として育っていくから、一緒にがんばりましょうね」なんていわれた子どもはいい迷惑ではないのかと思えてしまう。子どもは育つために生まれてくる。親を育てるために、そのお手伝いや、ともに育つ仲間として生まれてくるのではないはずだ。健やかに育てられるのは、子どもたちに与えられたの権利だ。意地悪な子も泣き虫な子も癇の強い子も落ち着きのない子もぼんやりな子も、みんなみんな。
私が子だったら、自分を育てることに、「共育」とか、「親業」とか名づけられるのはまっぴらごめんだ。結果として、きっと親は育つだろう。しかし、「毎日私も子に育てられている。一緒に育っている。」なんて、思ってほしくはない。
なぜ、その人たちは、この言葉を使いたがるのだろう。育てるということは、何も持たず愛するということであり、愛を知るということではないのか。なぜ、育てるということが、子ではなく、自分に向いてしまっているのか。

それとは違った意味で子を育てられない親がいる。子どもを育てられない大人がいる。

私は、子どもが苦手だ。幼稚園の先生になりたいと思ったことは一度たりとしてないし、小さい子の面倒を見るというのもよくわからなかった。でも、わたしにとって、この世界で一番辛いのは幸せでない子どものことを考えることだ。子どもを無垢で純粋だなんて思ってないけど、けして、子どもを傷つけてはいけないと思う。子どもは寄る辺ない存在だ。心細い身分だ。彼らは社会の中で一人で生きていけない。そんな人たちを一人ぼっちにすることは、人として許されないことだ。
それでも、いろいろな理由で幸せでない子はいる。あまりにも足らないために、あまりにも過剰なために。そんな子達を考えると、頭の端っこや、胸の裏側がピリピリと痛くなる。太い針で刺されたような痛みが走る。自分が真っ暗な場所に一人捨てられたような気分になる。
一人ぼっちの傷ついた子よ。もし私の声が聞こえるならば、立ち止まって聞いてください。
そんな大人は、捨てていいんだよ。
捨てるといっても、ずっと死ぬまでってわけじゃないから、今、そんなに辛い今は、捨ててしまえばいいんだよ。
君が、愛してほしいと思っている、愛したいと思っている、その人は残念ながら、それに応える力がない。本当に残念で悲しいことだけど、応える力のない大人もいるんだよ。君は捨ててしまうことに躊躇するだろう。愛されることをもっと待っていたいと思うだろう。愛されていると信じたいだろう。でも、悲しいことだけど、ちゃんとそれができない大人もいる。自分の親や教師がそういう人であることもある。そんなときは、一人で生きていく道を、一人で探したほうがいい。きっと、いつかは、それは君が、今の君くらいの子を持つ年になっているころかもしれないけど、いつかは、君をちゃんと愛せなかった「大人」も、すこしだけ、話の通じる人になっているかもしれない。それまで、君が待ってあげなければならないっていう、理不尽も、悲しいことだけど、ある。君は育て。愛してほしい人が、ちゃんと愛することがわかるまで、強く、育て。何よりも、君が君であることが大事なことだ。だから、捨てていいんだよ。

*予告* すみません。次回も「育つ」シリーズです。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌詠み宣言

2005年09月22日 | ことばを巡る色色
中学のころ、俳句を読む授業があった。私は一生懸命、学校帰りに考えて、「なり」だの「たり」だのを使って、こいのぼりの句を作った。授業で、国語教師が選んだ秀句は拍子抜けするような、子供の独り言のような句だった。私のプライドは大きく傷ついた。国語では何があろうと我が一番と思い上がっておりましたから。でも、落ち着いて我が句を見れば、ひねくり回しているうちに、中身のない空々しいものがそこにあった。それ以来、私は、ずうっと、句も歌も作っていない。そんな私が歌をつくってみようと思ったのは、かささぎさんのブログを拝見するようになってからだ。歌で書かれた記事に返しの歌を詠んでみたいという気持ちが素直に湧き上がってきた。コメント欄に自作を投稿してみた。うまく作らねばという気持ちを脱いでみた。
そんなわけで、宣言してみたい。少しずつ、歌を詠もうと。

逃げ惑い 振り返り見る 楼閣は バベルの塔か 富める国びと

正義という 名に押し込めて ひたすらに おさなき命 貧しき民びと

天上の 黄泉つ国の わたつみの いづこよりくる こゑの悦楽

懐中の言葉一つを頼りにし 果ては知らねどこの道を行く

暴風に晒されなおも香を放つその小さき草に導かれ行く

有中の無 無中の有と説く(梳く)神(髪)の 無より始まる 美もありて好し

花火咲く下で いま 手を つないでる

はぐるれば 二度と会えぬか 夏祭り

幼き人 産毛光りて 夏が来た

これらは、今まで自他のブログコメント欄に詠んだ句・歌です。宣言記念に おいておきたいと思います。
 
コメント (23)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たたかう花ー中川幸夫

2005年09月21日 | 語る!
私は、闘う人が好きだ。真っ直ぐに求め、求めることと闘う人が好きだ。
中川幸夫。彼を知ったのは、ずいぶん前の早坂暁の本の中だった。
四国の遍路道の近くにある百貨店の家族を描いた「花へんろ」というドラマを書いた早坂暁という脚本家が好きで、小説も含め、彼の著書の多くを読んでいた時期があった。
「花へんろ」は今思い出しても名作だ。桃井かおり、森本レオなど、豪華な顔ぶれのドラマだった。早坂氏のドラマでは、「夢千代日記」が有名だが、私は「花へんろ」が好きだ。早坂氏は、多くの秀作といえる小説を書いており、そちらも紹介したいのだが、中川氏を知ったのは、「華日記」という、華道界を書いたノンフィクションでだった。
中川氏は、家元制に疑問を抱き流派から離れ、会派に属さず、花をいけ続けた人だ。脊椎カリエスにより不自由な体を押して、生ける花は、生と死が、美と醜が、せめぎ合いながら、闘いながら、手を取り合いながら共存している。
爛熟した幾千幾万の花びらから流れる血の花汁。噎せ返る花の命。または、床の間に一輪だけ取り残された清冽な侘び助。上半身だけで踊る高齢の舞踏家に天上から降り注ぐ何十万という花。潔く、匂いたち、生きながら死に、動かぬものの内の鼓動を挿し。花と闘い、美と闘い、花と戯れ、美にひれ伏し、すっくりと花と向かい合い、美を指でたどり。

数年前、岐阜県が主催する「織部賞」の授賞式で、私は中川幸夫氏に会った。彼に会うために私は授賞式に行った。彼はサインを求める私に、はにかんでいた。隣に座っていたカメラマンのアラーキー氏が「先生、人気者ですね、して差し上げなさいよ」と言ってくれて、ゆっくりと「花」と書いてくださった。花のように見ても見ても飽きぬ字だった。だれが教えるわけでもないのに、時がくれば咲いていく花のように、揺るぎのない美しい字だった。人知れずとも咲く野辺の花のように、強く、やさしい目を持つ人だ。
たたかう心の、その先に生まれる、きっぱりと美しい花。この世の全てがそこにあり、この世ならぬ花がそこに咲いている。

中川幸夫事務所
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉フェロモン

2005年09月17日 | 語る!
多くの国民と、何人かのくのいち刺客を魅了してやまない、小泉純一郎。
この選挙の間、彼は多くのメディアに登場した。選挙カーの上で手を大きく振りながら、叫ぶ姿。それらに熱狂した人も少なくないだろう。まずいまずいと思いながら、私も、その姿に、ちょっとそそられてしまった。なびくグレーの髪、クールビズの色シャツ腕まくり、ほかの政治家とは違って体脂肪の低そうな血管の浮く手の甲から腕のライン。この存分に発せられたフェロモンは一体なんだろう。人は(特に女性、おばさんは)、振り向いてくれないのに、その道を行く人が好きだ。「なんとか私がしてあげたいぃぃ」と思ってしまうものだ。彼を見るとき、「たらし」という言葉を思い出す。「魅力的」と「たらし」の違いは、「たらし」がほんとうは、自分しか愛していないことだ。無意識のうちに愛されるすべを知っていて、愛される自分を愛していることだ。それは彼が女系の姉妹の中に育ったこととも無関係とは言えまい。また、長い間独身でいることもその証だろう。彼にとってのファミリーは、彼を愛し、世話する人なのではないか。彼の中に、他者を愛するとか世話をするという形はないのではないか。残念ながら、人は(特に女性とかおばさんとかは)そういう人に惹かれてしまう。報われなくても、この人が立派になるのならと思ってしまう。国民総赤サギである。彼は涙する。オペラに。薬害に。X-JAPANに。拉致に。少年特攻兵に。相撲の大一番に。彼の価値観は自らの涙の行方だ。彼は決める、涙の量で。この国の行方を。そうして、法律さえも変えることができる数を、彼は手にした。
この人のそういうあり方に気づかないうちはいいのだが、気づいてしまうと、誰かのように切り捨てられてしまう。代わりはたくさんある。これからも愛してくれる人は出てくる。いや、出てこない日が来ても構わない。「美学」という美名の下に去っていく自分も、また、彼の愛する自分であるからだ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

fetishism(実らぬ恋)

2005年09月16日 | ことばを巡る色色
駅をぼんやり歩いていたら、あの人に暗がりに連れてこられました。あの人 は、私に目隠しをし、お好みの仮面をかぶせ、、ゆっくりと耳元でささやきました。
「さあ、このbatonを、君にあげる。怖がらずに恥ずかしがらずにbatonを握ってごらん。きっと、ほんとうの君が見えてくるよ。僕に君を見せてごらん。」
その大きな瞳、長い睫毛で私を見つめていることが、目隠しされているからこそ、痛いほどに感じられました。
そうして、あの人は、batonを握らせたまま、仮面の紐を解かせ、でも、目隠しははずさずに、私に答えを求めたのです。


1.あなたは何フェチ?
「絶叫」かもしれません。叫んでいる人が好きです。人の名前を叫んでいるなんていう場面を見たりすると、好きにならずにいられません。いいえ、絶叫させようなんていう加虐的なことを考えてはいないんです。指揮棒でオーボエを指して叫んでるマエストロとか、切なそうに歌うボーカルとか、二度と会えぬ恋人の名を呼んでいる悲恋の主人公とか。「求道」の人が眉根を寄せている姿が、イイです。きれいな人にはぜひ、涙をためた目で「ソラリス!!」「ああちゃん」とか意味もない言葉を叫ばせてみたいです。
もうひとつ言ってもいいですか。「サスペンダー」がいいです。大人なのに、サスペンダー。大人なのに、半ズボンにソックスにトレッキングシューズ。そうして森の中に去っていく。山の中に去っていく。いえいえ、爆笑問題の田中君とか、勝俣君は想定外です。誤解しないでくださいね。

2.異性を見る時、まず何処を見る?
「生え際」ですね。生え際の美しい人はたいてい全て美しい。そこからゆるく流れる髪が風になびくのも素敵です。髪の毛のない生え際も好きです。ショーン・コネリーはひとつの理想の生え際です。だから、仮面の人も安心してね。「眉根」がきれいに寄せられるかは見ておきたいですし、「三白眼」のように酷薄な感じの目も好きです。「僕にはやらねばならないことがあるんだよ」といって、捨てられたいです。仕方なく去る私に後ろから、「うさとぉ」とかいって叫ばれたいです。ごめんなさい。なんだか、イメクラのようになってしまいました。

3.最近プッシュ出来る部位
わたしのなかで、ですか?そんなこと言えません。やめてください!言えませんから!!

4.異性の好きな部位5つ
持ち物よりも、気になるのは、言葉や声。むかぁし、「いいことにしようよ」といって口説かれた(←死語?)ことがありますが、「に」を抜いてくれれば、すぐに翻心したことでしょう。よぉくかんがえよぉ、ことばはだいじだよ、です。そっと、「いいことしようよ」なんていい声で言われたりしたら…
あえて部位を言うなら、肩、腕、髪・・・これ以上は堪忍してくださいませ。

5.フェチを感じる衣装は?
探検ルック…。

6.バトンを渡す5人
この上、私がどなた様かに渡すのでしょうか。あの方同様「このひとのフェチ記事が読んでみたい!」というのなら、破綻のなさそうなあの方やら、ねこっかぶりの方やら、いとしい人とか、真性かぶりものの人とか、十字架背負ったお方なんですよ。ただ、口に出して言うなんて。できないわ、あたし。

コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

圧勝ショック

2005年09月14日 | ことばを巡る色色
先日の選挙は自民の圧勝だった。
そのせいか、記事が書けなくなってしまった。
書く気持ちが、なかなか上がってこない。
この国がわからなくなってしまったのかもしれない。

圧倒的な勝利を収めるものに、いつも私の中の警鐘が鳴る。
中身はどうあれ、圧倒的に強いものはそれだけで、危険だ。

たとえば、圧倒的に正しいもの。
「正しいもの」は、「圧倒的に正しく」なった途端に、
嘘を内在してしまう。
本当に、ほんとうに、始まりは正しかったはずなのに、
大多数が信じ、支持した途端にそこには、信じてはならぬものが生まれてしまう。

「正しくないもの」にだまされるのは、まだ救いがある。
でも、「正しいもの」が、人をだます時、
だます方もだまされる方も、それに気づかない。
それは、最もマズイことだ。
正しいことをやっていると信じ、気がつくと取り返しのつかないところに立っているんだ。

私の中の何かが叫ぶ。
疑え。信じるな。
人の為すことのほとんどにおいて、
圧倒的な勝利は、胡散臭い。

人は慢心するものだからだ。
圧倒的なものに酔うからだ。そこに、「正しくない」ものが入る隙を作ってしまう。
人は酔う。熱狂する。圧倒的なものに。
それに酔うことは楽しく、楽チンだ。考える必要はない。
誰もが支持している。
正しく強いものを支持することは、安心だ。
その枠の中で生きることは、認められることであり、認めることだ。
そこに安らかな大きな広い道が見えている気になる。

そんなときこそ、疑わなければならない。
そこには、巧妙な罠が、マヤカシが、もう仕掛けられている。
疑え。信じるな。
正しければ正しいほど、強ければ強いほど。
疑え。強さに身を任せるな。強さに魂を売るな。

それを叫ぶはずだった人は、今頃、netで株でも買ってるんだろうかな。
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶滅危惧種(水中の花)

2005年09月08日 | お出かけ
最近、すぎ昌さんあきちゃんが記事になさっている、姫河骨(ヒメコウホネ)の自生地は私の家からさほど遠くないところにある。
私は、今まで、ヒメコウホネという植物をまったく知らなかったし、自生しているこの洞の存在も知らなかった。そこは高架の下にある里山だ。すっぽりと取り残されたような場所で、行ってみたいなと思っていたところだ。
ヒメコウホネは、スイレンの一種で、きれいな水に生える黄色い可愛い花だ。絶滅危惧種とされているらしい。水の中の太い根が骨のように見えるのでこの名がついたと書いてあった。河に沈んだ骨というちょっと怖い名を持つ植物である。花だけが、首を伸ばし水面のいくらか上に花を咲かせる。人には、長く伸びた茎とその先の花だけを見せる水生植物だ。思い立って出かけたため、カメラも忘れてしまった。どんな花かは、お二人のところでごらんいただきたい。
当地が台風の暴風雨圏をやっと抜けた頃、すぎ昌さんに教えていただいた道順を頼りに出かけた。だあれも居ない高架の下に、静かに湧き水でできた川が流れ、周りに湿地が広がっていた。台風で随分水量が増えていたのだろう。川底まではっきり見える澄んだ水がとくとくと流れていた。ビーチサンダルの足を、清く、冷たい水が洗っていった。
ヒメコウホネは、今まで見た写真とは違い、とっぷりと水につかっていた。湧き水が流れるままにそよぎながら水底で花が咲いていた。
たぶん、水面に首を出した姿が愛でられているのだろうが、私が初めて見たヒメコウホネは、息をつめて水の中に居た。流れに抗わず、身を任せながら、水に浸かっている姿だった。
滅び行くものとして危惧という人の思いなど、全く頓着せず気持ちよさそうに流れの奥に潜んでいた。
日を浴びるために、または受精の虫をとまらすために、花は高く高く水上に花首を伸ばすのだろう。それは、花としての精一杯の自然だろう。だが、今日のように川が深くなる日は、川の流れる底にあって、むしろ川に流されることを楽しんでいるようだ。
晴れた日は陽を求め、流れの深い日はその深い流れに洗われることを厭わず、楽しむ。
そんな人に、わたしもなりたい。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お誕生日のカード

2005年09月07日 | ことばを巡る色色
私が大学の頃入っていたサークルは、その月生まれの子をまとめて祝う、お誕生日会というものがあった。お誕生日会前には、はがき大の画用紙が渡され、それにお誕生日おめでとうのメッセージを書き込む。お誕生日のときは、それぞれが書いたメッセージの画用紙が綴じられて、誕生日を迎える子に渡される。

上級生にKRCさんという人がいた。彼は理系なのに、ちょっと不思議なやわらかい雰囲気(その頃はそういう人をナヨナヨと表現していたが)を持った人で、いつも紙袋や、布の手提げバッグを持っていた。「ふわふわ」っと声をくぐもらせて笑う人だった。さして個人的な話をするわけでもなく、サークルの仕事を一緒にやるというお付き合いだった。

私が2年生になった4月(私は4月生まれだ)の、KRCさんからのメッセージカードを私はずうっとずうっと覚えている。

それはピノコが書くようなブルブルの汚い字で、全部ひらがなで書かれていた。

うさとおねえちゃんえ。
あたちはうさとおねえちゃんがだいすき。
だってうさとおねえちゃんは
いっとう、きゃんきゃんしてないんだもの
いつだって、なにがあっても、きゃんきゃんしないんだもの。
でも、おねえちゃん
たまにはまどをあけてごらん。
おそらはあおくてひろくてきもちがいいよ。
だいすきなうさとおねえちゃんえ。

いつも戦闘体勢にあった私は、
「見透かされているじゃん」と思ったけど、
ほんとうは、泣けちゃうくらいうれしかったのさ。
それからは、ちょっとだけ、きゃんきゃんしてもいいかなって気分にになったのさ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガッコーというもの

2005年09月05日 | ことばを巡る色色
ガッコーになぜ行くのか、ということ、を考えてみた。
といっても、私でない人がどのようにガッコーを考えているかに口出しをできるはずもないので、私にとってのガッコーを書くことしか、私にはできない。
私は、きれいな履歴書で書ける過去をもっている。
「だから、あなたには何にも判らないわ」といわれれば、一言もない。
ガッコーに行かないあなたはわたしではないから、そう思うのも自由だ。
「きれいな履歴書の人の言うことなんてきれい事だ」といわれれば、そうかもしれないとしか言えない。だから、自分にとってのガッコーを私は書くのだ。だから、これは一人語りなんだろう。
さて、一人語りを始めよう。
私にとってのガッコーは、舞台だったし、武器を手に入れる場所だった。
前にも書いたのだが、私は、世間的には、マイナスな要因を持って育った。それは、物心ついてからの出来事だったので、私は強くそれを意識して毎日を暮らした。
神戸のあの事件の被害者の兄のその後のドキュメンタリーを見たが、彼は激しくそれを引きずっていた。彼も被害者なのに。きっと、犯人の少年の兄弟も違う形で刻印を押されているだろう。まだ、どちらもあの頃は小さい人だったのに。自分に非がなくても、被害者の兄弟であること、加害者の兄弟であることは、もうそれで否定のできぬものとして、人生に付きまとうのだ。良いとか、悪いとかそういうことではない。押された刻印が○印でも、×印でも押されていることは、変わりない。たとえば、それが背中にあるなら、服を着て隠すだろう。でも、自分は知っているのだ、背中にある刻印を。いつも、びくびくしている。誰かが暴いてしまわぬかと。そうして、自分が刻印を押された意味を考える。なぜ自分でなければいけなかったのかと。運命は、自分に何をさせたがっているのかと、刻印の文字を読もうとするのだが、解読不明なのだ。
刻印を押され、小さい人だった私は、復讐を誓った。私を選んだ運命に対する復讐である。
ゼッタイに、うまく隠し通す。そうして、シアワセになる。そうして、フツーの人の顔をして暮らす。そうして、何かの拍子に暴かれてしまっても大丈夫なように武器を持つ。私の刻印をあざ笑う人がいたら、それで、その人を刺すために。とにかく、その場だけでも何もいえないように、強力な武器が必要だと思った。容姿にも体力にも自信がなかったので、きれいな履歴書という武器を手に入れることを選んだ。
私は、そのためにガッコーへ行った。
フツーの人をやる舞台でもあったし、勉強をやって行って「すごいねー」とガッコーで言って貰ったりすると、その時だけ理不尽な刻印から逃げられた。
そんな不純な動機のためにガッコーは存在した。わたしにとって、それだけの意味のところだ。
だから、ガッコーがいらないと思う人にとって、ガッコーはいらないのかもしれないと思う。
だから、つらい人は、とりあえず、ガッコーに行っとけとも思う。
理不尽な友達やセンセーは居るけど、卒業したことに意味を押し付ける人は、たいてい理不尽な人なので、「ガッコーを出た」というだけで、その後、その手の理不尽は回避できる。大人になってもそんなことで人を判断するようなやつに、大人になってあーだこーだ言われるほど、人生は暇でもないし、大人になってそれに付き合うのはエネルギーの無駄だと思う。
こんな動機だったので、ガッコーはつらかった。特に中学はつらかった。中2のときは最初の鬱期で、食べ物がのどを通らないという日が長く続いた。本当に空腹なのに、口に詰めても嚥下できないのだ。夜も怖かった。横に誰かが居ないと、とにかく怖くてたまらなかった。夜は一人で留守番だったので、親戚を泊まり歩いた。でも、復讐だったので、ガッコーには行った。1ヶ月いくと「そろそろ、許されるよね」と思って、休んだ。高校は、中学よりはましだったけど、1年生のうちは、休み時間にトイレに行かないと不安で授業が受けられなかった。何度か鬱を繰り返すうちに、だんだん慣れてきた。とにかく、武器を手に入れなければ、フツーの人にならなければという思いが強かったので、鬱期も休んでいる時間はなかったからかもしれない。鬱をやるなら、もう少し暇になってからと思ってたのかもしれない。(最近は、付き合い方も上手になったので、鬱も長くならない。人は何でも慣れるものだ。随分オトナになってひどい鬱の人は、慣れていないのかなって思う)
そうして、大学に入った。私のできうる限りの、最強の武器を手に入れた。
そういうものが必要でなければ、ガッコーに行く意味はないのかもしれない。
でも、だれだってその気になれば結構勉強もできちゃうよねっとも思う。
大学の友達は、本当に楽だった。何かしら、人生に引っ掛かりを持っている人も多かったし、私の言いたくないことはほっといたままで私を受け入れてくれた。
そういう友達に会えたことは、本当に幸せだと思うし、大学に行かなければそういう人にも会えなかったろうと思う。

自分が理不尽なものにさらされていると思う人は、ガッコーに行くといいと思う。
残念ながら、理不尽なセンセー理不尽なオヤ理不尽なトモダチ理不尽な世間のオトナにほっといて貰うための最強の武器はガッコーへ行くことだ。それも、できるだけ、文句を言わせぬガッコーに行くことだ。
私はその武器を選んだが、世の中には別の武器もある。それを選択するならば、ガッコーとは別の道を行けばいい。
ただ、ガッコーは社会が長年をかけて作り上げたシステムなので、他を歩くと時間がかかってしまう。遊歩道を歩くか、けもの道を行くかというほどの違いだ。選択は自由だ。選択したからは、その道を胸を張って歩けばいい。「誰かにそうさせられた」と言わなければ、それはあなたの道なのだから。
そうして、急いではいけない。強い武器を手に入れるには、年月が必要だ。
(私は、10年弱の年月でこれを手に入れたが、手に入れたことで、腰を下ろしてしまった。本当はこの年月の中で学問が好きになっていたかもしれないが、その後きちんと勉強しなかったのは悔やまれるところだ。)

受け入れてはもらえないかもしれないけれど、つらい思いをしている、まだオトナでない人に、何か話しかけられないかと思っている。
何があっても、やっぱ、生きてることは、それだけで、ただしい。
人は、生きているために生きている。
そうして、生きていかなければならない。
あなたが、生まれてからの日々で、誰か一人とでも言葉を交わしたなら、話しかけたなら、
あなたは、生き続けなければならない。
生きているということはそれだけで、とうとい。


かささぎさん
ギビさん
kenさん
にトラックバックです。

できれば、一軒家@メモのko-ko-sei nikki てとーさんにも捧げたいけど、逡巡してます。

コメント (23)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小声で叫ぶ判断基準

2005年09月04日 | 語る!
今日、2つ目の記事。1日に記事2つ!!ぱちぱち(自分賞賛)

この人はどんな人でしょ、って考えるとき、今までの世間の基準って、全然役に立たない。
これまでの世の中は、年齢・収入・肩書き・持ち家・車のグレード・結婚・子ども・学歴なんかで、相手がある程度はわかったんだから、簡単なものだった。
でも、この頃は、ブログを読めばわかるように、そんなものでは、その人のなーんにもわかんないよって、どんどん突きつけられている。
だから私はこういう基準で相手を判断している。
(いろいろ差しさわりがあるので、どのように判断しているかは書かないです。ご容赦ください。また、○×という判断でもないです。悪意もないです。非難議論にもよわいです。逃げ腰です。)
あいのり
NANA
家犬
やまちゃん(NCの)

ジャニ
林真理子
ラッセン画
めちゃイケ
錠剤
韓流(定番でした)
B’s (これも定番か)
鶴太郎絵
大人塾
tsunami
超訳
生・爆



うれしくなったり、残念になったりする。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和・覚書き

2005年09月04日 | ことばを巡る色色
一昨日、スポーツ新聞の片隅に、おくやみの記事を見た。一人の作曲家が亡くなったという。その人の名、その人のペンネームに記憶はなかったが、彼が作曲したものには、目を引かれた。今まで、それらが私の中でひとつに結びつくことはなかったが、それぞれが違った色合いを持ちながら、心の中にひっそりと沈んでいる「唄」だった。これらを一人の人が作っていたということに、驚いた。

グッドナイト・ベイビー
八月の濡れた砂
昭和枯れすすき
どしゃぶりの雨の中で

昭和歌謡というジャンルがあるとすれば、裏昭和歌謡ともいえるのかもしれない。
これらの曲が流行っていた時、私はまだ大人とは言えない頃だった。街には、いろいろなにおいがあふれていた。場末の横丁があった。子どもが出入りしてはいけない路地裏があった。世を捨てた男女が立つ辻があった。
今は、アジアの国の細い横丁に入らねば見ることができないが、雑多な、悲しい惨めなものがあふれている裏道があった。ぼんやりとともるネオンや、酒場や水はけの悪い下水のにおいや。
後ろめたさ、恨み、惨めさ
世の中は、捨てるか、捨てられる場所だった。
今の街は、清潔で、衛生的だ。
世の中に捨てられたり、世の中を恨んだりするような話はもう聞かない。捨てられないかわりに、「切り捨てられる」ということになったようだし、恨むかわりに「逆恨む」のかもしれない。
どちらが、嘘っぱちの世の中なのだろう。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする