うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

神話と欲求

2021年03月31日 | ことばを巡る色色
日本神話の中で引っかかるところ。伊弉冉は加具土命(カグツチは「輝く」「火」であろうか。香具山と呼ばれるいくつかの山は、火山であったり、製鐵であったり、陽があったりということか)を産んだ時、女性器を焼かれたために死んだ。加具土命は火の神なので火傷をしたのだ。とにかく痛そうだけど、痛そうなのは、神話の中で他にも出てくる。
須佐之男命の狼藉に天照大神の機織り女は驚いて梭で女性器をついて死んでしまう。
箸墓の(大神神社の言い伝えにもある)倭迹迹日百襲姫命は箸が女性器をついて死んでしまう。
これらはほかの男と交わることにより、結果的に死ぬこととなったことを暗示しているのかなっとも思えるし、出産が現代とは比べ物にならないほど危険な事柄であったことと関係しているのかなっとも思うが、それにしても女性器が死亡理由になることが神話では目立つ気がする。とにかく痛そうだ。
それに比べて、男性器への記述はあるのだろうか。少なくとも死亡原因に男性器が関わるというのは覚えがない。また、痛そうなのも読んだことがない。古今著聞集だったかで、夢でとられた男性器がキノコになって、上流からどんぶらこと流れてきたってのがあった気がするけど、それくらい(古今著聞集だったのか、どの話だったのかは今度調べたい)
「邪魔」という熟語を考えるという番組で、「邪魔」は日本で使う場の雰囲気を乱すという意味ではなく、本来仏教では「魔羅」のことであるというのを見た。隠語の「魔羅」は男性器のことであるが、仏教で「魔羅」や(邪魔)は「修行を妨げる魔物」という意味であるとのことである。そうか、修行者にとっての男性器は修行の妨げ、魔物なのだな。男性の性的興奮を感じる脳内箇所は征服支配による興奮の場所と近いので混同して育ってしまうとシリアルキラーができてしまうというのを読んだ。性的暴行も、支配征服と切り離せないのではないだろうか。所有欲とか捕食欲とか。敵国の女を狩るのもそれが支配征服と同義でもあるからだろう。
これは男女に限らないけど、人と対すときになかなか支配征服欲を抑えられない。マウンティングってのもそうだろう。なぜ、支配征服することは快感なのか。支配征服ほ生きるために不可欠であるという点から、逃れることはできないのか。そうして、逃れるべきなのか。否か。
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権力と婚姻

2021年03月31日 | ことばを巡る色色
先日JO先生は、日本の神話に女性蔑視はないとおっしゃったが、国産みの時、伊弉冉が先に声を掛けた不具の蛭子が生まれ、これではあかんということで伊弉諾が先に声をかけることにして神々が生まれたというのは、古事記が書かれた時代の感覚を反映しているのだろう。女が先に立つのは災いであるという感覚があったのだろう。
大和の権力は地方の有力者の男を力で屈服させ、有力者の娘との子を作ることで地方を取り込んでいった。大和の権力者は多数の嫁(妃)を持つ。多数の嫁を持つことが力を示すものであったのかもしれない。婚姻は複縦でも和合でもある表裏をなすもの。
考えれば古今東西、閨閥は政治に大きな役割を果たす。西欧の王家は複雑に婚姻関係を結んでいるし、明治の政治家と経済人も、戦国から徳川の時代の有力者も婚姻と養子関係を重ねている。徳川幕府へと続く中で生きた人達は、名古屋あたりの近所の人々でもあった。誰とかさんちの息子の誰とか、って感じで見知っていた人たちが、じゃあ息子と娘を一緒にさせよか、うちの息子は出来が悪いからそっちのできる息子たちの一人を養子にくれよ、とか。そう考えると、教科書に出てくる人も、政治という大きなものと近所づきあいめいた卑近なものの集合の中で生きていたのかなっと思う。 織田を滅ぼした明智の娘が春日局になったり、二代将軍が秀吉の秀のつく名前だったり、とても不思議だなと思っていたけれど、みんなちょっとした知り合いだからね。遠くの有能な新人より、古くから知ってる誰とかさんちの子の方が信用され、採用されるってのは、今も続く就職のコネとおんなじ構図だ。
権力の流れは高邁に、社会の変化のように思われているけど、人はそういう身近な人付き合いから逃れられないのだろう。
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2021冬ドラマ

2021年03月31日 | ことばを巡る色色
2021冬ドラマ

天国と地獄サイコな二人  
  のめりこんで見た。9.10話のざらざらな違和感。ヒッチコック「サイコ」のオマージュと見れば、(誰でもないものによる事件)の意味が恐ろしく迫ってくる。誰でもない というのはどういうことなんだろう。個人の生き様(よう)を奪われているということなのかな。それは太陽のようにまぶしくて真実が見えなくなっていることなのだろうか。にもかかわらず、私は私の希望的観測で、その「物語」を見、他者を名付けてしまう。私は私の見たいようにしかものを見られない。名づけられたものを名づけられたようにしか見られない。できることは、私の希望的観測、名付けられた名前をまずは疑ってみることだ。(追記)森下さん、本当は「昔話法廷桃太郎」みたいな結末にしたかのかもと妄想。やっぱり、私が好きなのは「ごちそうさん」だな。

俺の家の話
  コロナとマスク。コロナと能とプロレス。能の面は亡者。プロレスのマスクは何を隠すものだろう。何になるものだろう。コロナのマスクは感染から命を守るものだけど、その人が何分の一かになっているような気にさせる。芝居はマスクをしてはできない。でも、マスクをしない芝居は、マスクがないという点で、現実とは違う世界のものとなってしまう。劇場の人でもある宮藤官九郎。そして、西田敏行、江口のり子。高齢者が死んでいくという(希望的観測)(わたしのみたいものがたり)はするっと否定され、それがまた、この世だよね、と思わせる。日々の中で、私はいつも希望的観測で先を想像しながら生きているけど、現実はそれをするっと裏切る。終わってみれば、今期一番のドラマ。神聖喜劇。くどかんの傑作でしかなかった。

ここは今から倫理です
  紙に伝えられた哲学をドラマにするということ。言葉がお芝居になるという点が静かできよらかだった。4話でのたかやなには違和感があったけど、1-3.5話はたかやなであった。言葉を実働するということ。その無限と限界を考えた。

完走 その女ジルバ  書けない!    脱落 オーマイボス恋は別冊で ウチの娘は彼氏ができない

わたしをなづけよ / わたしをなづけるな  名づけなければ、ものを捉えることができず、名づければ名前に捉われる。
どちらも人にとって必要なことであり、人はその二律背反の中で生きているのだな
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わたくしに

2021年03月31日 | ことばを巡る色色
この先、ここを、書きながら考える、覚え書きの場とする。
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