うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

マンモスの眠るところ

2005年07月31日 | ことばを巡る色色
夜中に(と限ったことではないのだけれど)何かの言葉を検索をしていると、ずいぶん前から更新されていないサイトに出会ったりすることがある。なんだかフォントのドットも荒くて、全体に白黒な感じのところだ。
そういうサイトに行き着くと、随分遠くまで来てしまったなあ、と思う。歩いて、歩いて、ジャングルを過ぎ、草原を突っ切り、ちょっとだけ泉でのどを潤し、砂漠に足を取られ、砂山を登って、そうして下って、そのくぼみにマンモスの牙を見つけたような気になる。
賑やかなnet通りだが、ぺろりとひとつ覆いを取ると、そんな忘れられたサイトが宇宙の果てのような暗い所に浮いていて、ぷかぷか漂っているんだろうか。
この果てのないnetの銀河にいくつも振り返られなくなったサイトが彷徨っているんだろうか。
野生の動物は誰にも見つけられぬところに死にに行くというけれど、そんな、見てはいけない場所を見てしまったようで、少し怖くなる。世の中の果てはこういうところなのかなって思う。
誰かが、そっと拾いに来て、埋めてやってくれはしないだろうか。

みんなが行ってしまったら この世で最後の煙草を喫おう 一番最後でもいいからさ、世界の果てまでつれてって  (寺山修司 レミング)
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西から昇ったお日様が

2005年07月30日 | ことばを巡る色色
何度も申しますが、夏は忙しい。
今日はお休みなのだけれども、お仕事の準備をしなければいけない。しかも、この時期限定の内職もある。怒涛の仕事地獄である。こうやって、何年も同じように落ち着かない夏を送ってきた。
今日は花火大会で、パンパンと聞こえてくるんだけど、毎年それを聞きながら内職をしている。
だが、やらねばならないときほど、違うことがしたくなる。
定期テストの前は小説が読みたくなる。次の日早出のときは、部屋の掃除がしたくなる。
そんで、今日はこうやって書きたくなった。

TB企画にも参加くださった百蔵さんが、言葉の勘違いについて記事を書いてらした。
私も、これでどうして、言い間違いは多い。勘違いも多い。
過去によそさんのブログで書いたことなのだが、中学のとき、今考えても赤面の間違いをした。
そのころ、ヒーローもので、「コンドールマン」というのがあった。勘のよろしい方はもうお分かりであろうが、そのとおりの間違いをいたしました。「あのさ、昨日のコンドールマンってさぁ」と私は言うつもりで、クラスのたくさんの前で大声で叫んでしまった。「ル」ではないやつを。私は学級委員歴任の「クラスの良心」のような人だったので、その意外さに、みんなが息を呑むのがわかった。そうして、しばらくの静けさの後、そっと、違う話が始まったさ。

今思い出しても、私はかなりとろいお子さんだった。しかも、感情移入過多症なので、思い込むと一筋である。高校大学の頃はそこら辺りに気づく人が時々いて、よくだまされた。
「名古屋の地下鉄東山線が途中で地上に出るのは、日光消毒するためだ」
すごく感動した。さすが、大都市名古屋ともなると、綿密に交通機関は設計されているんだと思った。そうして、何人、何十人にも話した。聞いた何人がそれを信じたかはわからぬが、真剣に地元のみんなに触れて回った。10日ほど経ち、「うそだよーーん」と言われた時はもう、取り返しがつかなかった。ちなみにだました人は今、弁理士をしている。後から聞いたところによると、もう一人、私と同じようにだまされた人がいたが、その人は弁護士の妻をしている。日本は優秀な人材で支えられているということだ。はあ。

人の話を聞いているようで、ちっとも聞いていなかったりすることが多いので、話しながら潜在意識の中なら違う言葉がかぶってくることもある。
高校の頃は、2つ上の部活の先輩に、「ミトコンドリア・ミコトンドリア」攻撃を受けた。何度も繰り返し聞かされると、もうどっちがどっちかわからなくなる。そんで、生物は苦手だ。
つい昨日も、あきちゃんのブログで、うなぎの子のシラスをチリメンジャコと間違えて感動するという間違いをしたばかりである。
しかし、「ほんとうはとろい」というのもあながち悪いことばかりではない。学生時代、英会話教材の人に喫茶店に連れ込まれたが、学校のことや家のことやらの話をしているうちに
「世の中はだます人が多いから、気をつけなさい。勉強がんばるんだよ。こういうセールスに会っても話なんか聞いちゃだめだよ」と言われ、ご飯まで、ご馳走になった。百戦錬磨のセールスマンのおじさんにはちゃーんと私の内に秘めたとろさがわかったのだろう。
未だに心の中で「バカボン」を歌わないと、どっちから日が昇るかわからないけど、そんな私にも日は東から昇るのであった。
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夏の気がかり

2005年07月26日 | ことばを巡る色色
夏は仕事が忙しい。こうやって記事を書く時間はあるのだが、内容をしっかり考えるような気持ちの余裕がなくなってしまう。
だから、今日は、いま気になっていることを少しだけ。

気がかり、その1
「のうてんき」のことを「能天気」と書くが、「脳」のお天気がいいんだから、「脳天気」と書くほうがいいのではないか。

気がかり、その2
今年は退治をしそこなってしまい、軒と雨戸袋に3つ蜂の巣がある。しかも増殖中だ。

気がかり、その3
終わってしまった花フェスタで、「牧歌の里」特製のローズソープを買った。泡立ちもローズウッドのほのかな香りも心地よい。しかも最終日だったので、840円が420円だった。しかし、固形洗顔石鹸って私の使っていない分まで、(私とは違い)どんどん痩せていく。一体どこへ行ってしまうんだ。なくなったら、どこで買えばいいんだ。ひるがのまで、石鹸1こを買いにいかねばならぬのか。

気がかり、その4
わたしのgooIDを見て、昭和31年生まれだと思っている人がいる。私は、もちょっと(ちょっとだけよ、ごめんね!)若い。

気がかり、その5
先日、「花火」の句を作ったが、歳時記によっては、「秋」の季語と書いてあったり、「夏」の季語と書いてあったりする。一体どっちなんだ。もう、記事にしちゃったジャン!

気がかり、その6
私をけんちゃんと同じように「面白い人」だと思ってる人がいる。それは違う。とにかく、違う。

気がかり、その7
確かに3年前までは、夏が終わると、2サイズくらい痩せてた。だのに、いまや全く逆ベクトルだ。

気がかり、その8
こんな、とろい気がかりなんて書いてて、次にはちゃんとした記事がかけるんだろうか……

TB企画 「あなたの気がかり」へGO

お詫び-昨夜投稿する際に込み合っていたため、同じ記事を重ねて投稿してしまいました。即時削除いたしましたが、ご覧になった方にはお詫び申し上げます。
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全国選抜花火大会

2005年07月23日 | お出かけ
わたしの住む街の、それはそれは美しい清流で全国選抜花火大会が開かれる。子どもの頃は、さすがわが町、全国から花火やさんが大集結なんだと思っていた。どうも、どこの花火大会もこの名を冠するというのを知ったのは、本当に大人になってからだ。
この街では、7月の終わりと、8月のはじめの土曜との2回花火大会が催される。
初めて行ったのは、高校1年のとき。中学の同級生の女の子に誘われて2人で行った。
何着てこうか、いつどうやって行こうか、どうやって帰ろうかって、何度も何度も打ち合わせて、ちょっと大人になったような気分がした。

花火大会は、高校生にとって、恋人お披露目dayだった。花火の後に同級生に会うと、あの子とあの子は付き合ってるらしいという新情報が飛び交ったものだ。花火に誘われることはそれだけで、告白されたようなものだった。
だからこそ、花火が2回あるというのは悩ましいことだ。
1回はあの子のためにとっておく、さてもう1回は誰と行く、と考える子。
とりあえず、あの子とあの子と行くんだけど、友達に本命を聞かれたらどっちと答えようかと、迷ってる子。公認の仲になるためにひそかに作戦を練る子もいた。

高校3年と大学1年とは、間違いなく、先輩と一緒に花火を見た。中央線と東海道線を乗り継いで先輩が帰ってくる夏休みは、心の中で明るく光る遠い街のようだった。いつもの待ち合わせ場所だったあの駅の待合室で、何回も新興宗教の人に勧誘されたし、何冊も文庫本を読んだ。
先輩と行かないほうの花火は中学の同級生の男の子から誘われて、一緒に行ったりした。同級生と一緒に花火を見てるわたしを先輩が見つけてくれるといいのに、他の子と一緒にいるのをいやだなって思ってくれればいいのになって思っていた。
橋の上を市電が走っていた。照り疲れた夕暮れの陽を映して川面がさわさわ光っていた。堤防の草が風になびいていた。
あの頃を思い出すと、なにもかもをぎっしりと詰めた、きらきらと輝いている小箱をいだいているような気持ちになる。

                                           

追記   BLOG STATION:ブログ句会・5 に寄せて


花火咲く下で いま 手を つないでる

はぐるれば 二度と会えぬか 夏祭り


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捕まえ手-To suicide applicants

2005年07月18日 | ことばを巡る色色
サリンジャーの小説に「ライ麦畑で捕まえて」という有名すぎるのがあるが、原題は「catcher」つまり捕手(捕まえ手)である。
「捕まえて!!(Please would you catch me?)」でもなく、「捕まえて…(I caught it and~)」でもない。
「ライ麦畑の捕手」では野球小説みたい。そんな思惑がこの邦題をつけさせたのかもしれない。
本の中の、いまや有名すぎる主人公の少年は、ライ麦畑から落ちそうになる子供を捕まえる人になり、子供を助けたいと語る。
「わたしもcatcherになりたい!」と、そのくだりを読みながらわたしは思った。
世の中の役に立ちたいとか、困っている人を救いたいといった立派な考えからではない。
私自身が崖の端っこをふらふらと歩いている、捕まえていてもらわなけらばならない人だったからだ。自分が捕まえる役に回れば、少なくとも、自分から落ちようなんて考えないのではないかと思ったのだ。
落ちそうな人を監視する役をやっていれば、ライ麦畑の端っこで、何とかとどまっていられそうだ。落っこちてしまわぬために、落っこちることを考えてしまいそうな自分を押しやるために、わたしが「catcher」をやるのだ。

今、この瞬間に何人の子どもが、大人が、ライ麦畑から落ちてしまいたいと思っているだろうか。
暗い部屋の中で、どれだけがその方法を逡巡していることだろうか。

崖から落っこちてしまうことはその「field」を捨て去ることだ。
捨て去れば、もう2度と会えない。ただ、それだけだ。
自分が世の中から捨てられた者のように思ってのことかもしれないが、大きな間違いだ。
謝罪も、言い訳も、感謝も、苦言も、愛も、憎しみも、恨み言も、
すべてを拒み、切り捨て、
友達も、家族も、仲間も、恋人も
すべてを捨て去っていくことだ。
残された者は彼らに捨てられたのだ。
いくら辛さに耐えられないとはいえ、なんて冷たい行為だろう。

何をおいても、とにかく、この「field]に居なければならない。
それが目もくらむような崖の先っぽであっても。
たとえ捨てられようとも、自分から捨ててはいけない。
ただ息をするだけで精一杯のときであっても、ここに居続けるのだ。
息を凝らして生き続けるのだ。

だから、わたしは「catcher」になりたい。


  ФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФФ

季節柄、仕事が忙しくなりそうです。どれくらい記事が書けるか不安ですが、
できる限り投稿したいと思っています。暑さもこれからが本番ですが、
たまに、のぞきに来て下さい。        usato
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LOVE☆児玉清

2005年07月17日 | 語る!
また、今日もたわけた日曜を過ごしています。そうして、唐突ですが、児玉清です。
わたしは実は実は、かなりの隠れたエレクトラコンプレックスなんですが、どんな人が好きかというと、surviveするdadです。ただ、思春期を男性なしの家庭で過ごしたんで、どうも、大黒柱っぽい、筋肉系の方は苦手です。家庭の中に男の人がいるというのに慣れていないんですね。ではどのように「生き延びる」人かというと、その方法を具現しているのが児玉清なんですね、これが。
小学生のころ、彼は、若尾文子という近所の人妻に、妻の忘れ形見の子の面倒を見てもらうパイロットでした。若尾人妻は、実家の困窮を助けるために結婚した夫との辛い家庭の中で、児玉パイロットに会うのだけが安らぎでした。しかし、お互い大人で立場をわきまえているので、募る思いを胸に秘め、遠くでいとしい人の幸せを祈るのです。「よろめきドラマ」とか、呼ばれていました。同年齢の子達は遅い時間のテレビを見せてもらっていなかったので、多分知らないと思いますが、わたしは夜のお留守番中、ちゃーんと見ていて、ちゃーんと覚えています。紺のパイロットの制服はダンボールでできているんじゃないのってほど、パリッパリにプレスされており、そのころから、心の中で、LOVEです。
慇懃、丁寧で、整然とした身なりなのに、本当は不良。言葉をなくすほど嘘っぽい。昔々に、本当は見なくていいような冷たい暗いものを見てきたから、社会の評価とか倫理とか常識とか信じてはいない。だけど、ちゃんと社会人らしいこともしている。やってる仕事も「パネルクイズ」言ってるせりふも「アタァクゥ」
本心が見えるようで見えない。仕立てのいいスーツは老舗にオーダアーメイドなんだろうけど、大切なものを守るためなら、そのスーツを脱ぎ捨てて、殴りかかる敵にてらてらと殴られてやるだろう。何も見ていないようなあの瞳で。いくつでも殴られ続けるだろう。
今だって、誰も児玉清には勝てない。
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白やぎさんから

2005年07月14日 | ことばを巡る色色
ken
暑い日が続いていますが、お元気ですか。町のみんなも元気で過ごしていますか。
わたしは元気です。文化祭ももうすぐで、また、実行委員長になってしまいました。
スローガンやら、記念講演やら、掲示物やらやることだらけです。でも、これが終わったら受験勉強に専念(勇ましいでしょ?)です。だから、「叫ばぬは存在せぬに等しい」なんて大仰な看板をでっかく張り出して、呼びかけています。
この役をやってて一つ、いいことがありました。実行委員の後輩にとっても素敵な女の子がいて、先日はその子のうちで、残った展示物を作りました。学校が開いていない日で、他の委員はおさぼりだったのに、その子だけが「うちでやりませんか」と言ってくれたのです。その子のおうちは、古くから続くおしょうゆやさんです。味噌のような醤油のような香りが立ち込め、大きな樽がたくさんありました。展示物を作っているととその子のお父さんがお饅頭やら、ケーキやらを持ってきてくれました。帰りには試作のお醤油もくれました。父とは違い、まあるいお父さんでした。

わたしは転校した学校で、うちのことを誰にも話していません。わたしの高校には、あの町の子も2人来ています。会うとどきどきします。2人はわたしのことも父のことも知っているんだろうけど、知らない振りをしていてくれます。わたしはいつまで、嘘をつき続けるのかな、隠し続けるのかな。こうやってうちのことを書いているのも、Ken君があの時のことを知っているから、隠しようもないからです。あの町を出てからの数年間、日記以外でうちのことを書いたり、話したりすることはありませんでした。今日が初めてです。今もまだ言えないでいるということは、わたしが許していないということなのかもしれません。関係のないところで生きている振りをしていることこそが、許せていないことの証拠のような気がします。
後輩のところから帰り、うちで試作のお醤油の袋を開けてみると、後輩の手書きの河童(後輩は絵も上手です。なぜか河童の兄妹が卵を抱いている絵でした)がラベルに描いてあるビンが入っていました。「たまごかけごはんのたれ」なのだそうです。たまごかけごはん専用なんて面白いでしょ?後輩と、お父さんがニコニコしながら、「食べて感想聞かせてね」って、どこか似ている顔で、どこか似ている声でわたしにくれました。
幸せに育った子って本当に心根が優しいのねって思いました。心のどこかで許せていないわたしは、どうやっても太刀打ちできないなあって思いました。辛いことを乗り越えれば立派な大人になるなんてうそです。心の中のまっすぐなものが失われてしまいます。うちで卵ご飯を一人で食べながら、ぼろぼろぼろぼろ泣けました。
誰にも話せないので、ごめんね。Ken君にこうやって、手紙を書いてしまいました。
いつも、粗雑で、どんどんやってるわたしなので、ちょっとおかしいですよね。
投函するかどうかは明日の朝、決めます。だから、今日は、ちょっとだけ、ごめんね。   usato




TB        BLOG STATION 17歳の手紙
          今日もまた螺旋上昇世界に冠たる「たまごごはん」?

以上の記事を参考に創作させていただきました。kenさん、あきちゃん、ありがとうございました。         
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文系×理系

2005年07月13日 | ことばを巡る色色
私は文系で飯を食ってきた。言葉で考える、語り、書き、それを切り売りして糊口を凌いできた。
私の頭の中で、理系とは、3次元である。ゆえに、物理・地理といった、『理』のつくものが苦手だ。高校の物理では、落下データを捏造したし、(落下さえうまく実験できなかった悲しい過去さ)地理の時間はとにかく下敷きに思いつく映画の名前を書き連ねて眠気を覚ました。私にとって歴史も理系で、ヨーロッパとアジアの同時代が3次元すぎて苦手だった。入試のとき、『間違いを指摘し、正しく記述し直しなさい』という問題で、全然知らぬローマの王様が大群で押し寄せてきて、すっかり征服されてしまった。入試当日に名も知らぬ人が問題に出てくるなんて・・・因数分解は文字で考えられるので、私にとっては文系。ずばずば解けて楽しかった。化学も数式でいけるのでわたしにとっては文系の分野だ。しかし、ベクトルとかは当然まったくダメだった。いわゆる空間認識ができていないのかもしれない。

最近、自らを表現するのに、文系・理系という区分を用いる人が多いのに気づく。ちょっと前まではそのような自己紹介はされなかったように思う。それだけ、この区分がポピュラーになりつつあるのかもしれない。たとえ、高校・大学の専攻がどうであれ、気質の中にその特徴が随所に現われる。実はわたしにとって理系の人はstrangerであり、ちょっと緊張する。慣れるまで手探りの交友となる。そして、とても好きか、どうしても苦手かに分かれ、中庸ということがないのも不思議だ(この感じはB型の人と接するときの感じに似ている。血液型占いというのを信じてはいないが、なんとなくB型の人だけは雰囲気でわかり、やっぱりstrangerな感じを持つ)こういう感じは頭の中でなく、脊髄とかcellレベルのどこかで感じているのでうまくは、いえないのだけど、大雑把に区分するとこんな感じ。


  文系                 理系
村上龍            村上春樹
「宇宙戦争」    VS   「スターウォーズ」
蛍狩り            クワガタ捕り
独奏             大編成合唱(なぜか医学部は合唱団がお好き)
古民家            ログハウス
オールドノリタケ       マイセン
ウルトラQ           ウルトラマン
スーパー銭湯        BBQ
湯豆腐            冷奴
中国悠久の旅        バリリゾート有休消化旅
テンプレートそのまま    スタイルシート背景は薄い青・緑かレモンイエロー
休日農園           ガーデニング

どちらかに7つ以上○がつけば決定的かも。


(いくつかにおいて実在の人物を想起させる例になってしまったことを関係各位に深くお詫び申し上げます)
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平均律上のバッハ

2005年07月09日 | 語る!
私は、ただただ音楽を聴くだけの人でピアノお稽古もしたことはないし、初めてのクラシック体験は百科事典の付録のソノシートで聞いたシューベルトの「野ばら」だった。だから、バッハのこともよく知らない。
バッハという人はエピソードを語られない人だ。モーツアルトもベートーベンもシューベルトも大音楽家といわれる人を描いた映画は数あるが、バッハの人生を映画にしたというのを聞いたことがない。彼がどんな暮らしをし、どんな恋をし、どんな名誉を得、どんな失望を味わったかを、私は知らない。
しかし、時々バッハという人について考える。私にとってバッハとはそういう人だ。

わたしの想像の中でモーツァルトは口から音符を吹いている。ボッティチェリの絵に描かれた口から花を吹く春の女神のように、念仏とともに阿弥陀仏を吹く空也上人のように、モーツアルトは呼吸をするように音を紡ぐ。わたしたちは天才を愛する。モーツァルトは掛け値なしにその一人であり、人からも天上からも愛された才能だっただろう。それに比べ、バッハはどうだろうか。無口で付き合いにくい人だったかもしれない。部屋にこもりブツブツ呟きながら鍵盤に向かっているちょっと偏屈な人ではなかったかなっと考えたりする。創作中に近寄る子には、気難しく叱る人だったろうし、弟子や生徒には、音楽とは関係ない、生活の中の不良行為を指摘するような、いやな大人だったかもしれない。だからといって、モーツアルトがより神に近いと私は思わない。それはわたしがモーツァルトのように神に近い才能を持っていないからかもしれないが。

バッハは生きた時代もあり、彼の音楽の多くは宗教曲である。その意味で彼は『音楽の捧げ物』をしていたわけなのだが、彼は何に音楽を捧げていたのだろうか。バッハは音の数式を懸命に解いていたのではないか。口ずさみながら、書き込みながら。モーツァルトが「降りてくる音」ならば、バッハは「苦悶の中で解く音」である。人の技として音楽を律儀に不器用に解き続けたバッハを、わたしは素敵だと思う。数学者は数字の中に広大な宇宙を見るという。バッハを聴くと、彼が憧れ続けたものもそんな音の宇宙なのではなかったのかと思える。天上の音を、人である自分を自覚しながら追い求めていたのではないかと思う。万能、天才でないわが身を嘆きながらも少しでもあの場所に近づきたいというバッハの悲しみや喜びが聴こえる気がする。
もしかすると、バッハは教会の説く神など、ちっとも信じてなかったかもしれない。彼が信じた神は音楽という名の神で、探し求め、苦悩し、躓き、失望し、時に永遠の音と思えるものが遠くに垣間見える。モーツアルトは「神の歌」であり、バッハは「神を追い求める魂の歌」である。多くの著名な演奏家がバッハを好んで演奏する理由がそこにあるのではないか。バッハを聴くと、人が奏でうる最も高みの音の楽園が聴こえる。たとえ凡庸と思われる人だって、求め続けるとある日突然、天上は、その姿を見せてくれることもあるのだとバッハは思わせてくれる。





Special thanks for  モーツァルトとバッハ~教会音楽に関する考察  KenさんのBLOG STATION 
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イタリア(?)村

2005年07月07日 | お出かけ
昨日のお休みは前述のMDBちゃんのお誕生祝いに名港「イタリア(?)村」でデートをした。土日はすごい人出で、ウハウハなところである。以前MDBちゃんが日曜に来たときには、どっこにも入れない状態だったらしいんだけど、さすがに平日は何とか見て回れる。地下鉄の駅から歩いて数分。ちょっとチンケな塔が建っていて、イタリアらしい風情をアピールしていた。館内放送は「ボンジョルノ」で始まり「グラチェ」で終わるんだけど、なんとなく平仮名風なアナウンス。運河にはゴンドラが浮かんで、外国人の兄ちゃんが船頭(そうそう、何でもできるMDBちゃんはなんと船舶の免許も持ってることが判明した)をしている。本物のお馬が引く馬車も走っている。これもかわいい外国人のお姉さんが乗っている。テラスでお食事ができ、外国人のおじさんたちの生バンドが生演奏(ドナウ川の漣とか、ニューヨーク・ニューヨークという選曲は???だった)をしてくれる。
でも、やっぱり「イタリア(?)」なのであるなあ。
わたしは、イタリアに行ったことがある!!
フィレンチェ、ローマ4泊6日という、貧しい旅行だったけれど、生イタリアを知っている。
イタリアって、ああだっけ???
ゴンドラを浮かべたり、ムラノの工房のガラスを飾ってるくらいだから、ベネチアを模しているのかもしれないけど。何せ、ベネチアには行ったことがないのでわからない。
わたしはパルケエスパーニャのほうが、イタリアの路地とかには似てると思うんだけど。(あれは、スペイン村ですよね)
MDBちゃんはイタリアに行ったことがないので、「イタリアってこうなの?」と聞くけれど、わたしにもよくわからない不思議な「イタリア(?)村」だった。
でも、テラスで運河の風に当たり、生バンドを聞きながら、ワインを飲むのは本当に贅沢なひと時だった。外で食事をするには絶好の日で、さすが日ごろの心がけのいい2人が揃うと、天も味方するのねっと思った。こんな日にこんな風に生の演奏を聴きながらだったら、1日中ここでワインを飲んだくれたいもんだ。世の奥さんたちは、平日にこういうとこにお友達と来てお食事してんのかなあ、いいなあ・・・と思ったけど、きっとわたしたちもそうゆう優雅な人たちに見えたことでしょう。
とりあえず、名港にたくさんの?を撒き散らしながら、イタリア(?)村はたそがれ色に包まれていったのである。
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わたしのともだち

2005年07月05日 | 語る!
あと少しで、わたしのともだちMDBちゃんの誕生日だ。MDBちゃんとわたしは大学時代同じサークルに入っていた。大学を出て何年かの間ほとんど会うことはなかったし、彼女は遠くに住むことになり、音信も途絶えがちだった。しかし、数年前MDBちゃんは大学のある街に帰ってきた。久しぶりに会うことになり、二人でわたしたちがともに過ごした大学や周りの街を歩いてみた。「お帰りツアー」というわけだ。わたしも大学の中を歩くのは卒業以来初めてで、変わらない景色、新しく建設された学部棟などを二人で回った。そして、それまでのことをそれぞれに話した。なんだかよくわからないけれど、二人で泣きながら話した。「大学出てから、何やってきたんだろう、わたし。ばっかみたい」少なくともわたしはそう思えて、泣けた。MDBちゃんにとって、それまでの日々がどんなものだったかは彼女の話の中だけからしかわからないが、彼女もそんなに上手ではない生き方をしてきたみたいだ。MDBちゃんもわたしも一人っ子で、しっかりしたお子さんとして育ってきた。学校の係りも嫌がらず引き受けた。甘えず、頼らず、手を抜かずに誠実に努力することが大事だと信じてきた。周りからは危なげなくマイペースで、すいすいと世の中を渡っているように見えることだろう。実際MDBちゃんは資格をたくさん持つ「できる人」で、クールな上司だと思っている部下も少なからずいるだろう。東京まで出ていたら、全然違う人生が待っていたことだろう。そんなわたしたちが、「不器用な渡世をしている」と言っても人は取り合ってくれないだろうし、私自身、他人から「不器用な人ね」と言われたら、「あんたに言われたかないわ」と思うことだろう。でも、MDBちゃんといると、上手でない生き方をしていることを隠さなくってよくなる。「できる振り」も「できない振り」もしなくてよくなる。多分、どんなところでもMDBちゃんといるようにしているべきなんだろうけど、なかなかそれができなくって、いつも疲れ果ててしまう。
それ以来、仕事のついでがある折りごとに時々会っては二人でくだを巻いている。「ここまで生きてきてわかったことだけど、世の中の人は頼ったり、甘えたりしながら上手に折り合いをつけている。どうも、その方が、うまく生きていけるらしい。そんなことに気づかなかったわたしたちって、どうだろう。」って言いながら。MDBちゃんはわたしが会った人の中のベストに入るやさしい人だ。人を捨てることなく、人生を受け入れることのできる人だ。彼女に切り捨てられたと思う人がいるかもしれないが、それは違う。その人が彼女に捨てられる形を取らせているだけだと思う。でも、周りの人のどれだけがそれに気づいているんだろうか。

MDBちゃん、お誕生日おめでとう。また、一緒に飲もう。
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うさと ベスト・エントリー2005・上半期

2005年07月04日 | ことばを巡る色色
じゅん吉さんもすなるトラックバック企画「あなたのベスト・エントリー2005・上半期といふものをわれもしてみんとてするなり。


何年もの間、書くことから離れ、考えることも忘れていたような気がします。ブログを始めて、少しずつ書くことを取り戻そうとしています。そうして書くことに戻ってこられたことを今はうれしく思っています。


なかなか皆さんにコメントもらえなかった「川端康成ノコト」やら、最近の「パンチドランカード」や、はたまた、初ブログの「ゴールデン貧乏ロード」やら、選びたいものはあったんですが、母・父・友ということをKEYにして、これらを選びました。

はじめての雪
短いお話です。母の話です。1.2.3とありますので、順にお読みください。

蛍の里
これは死んでしまった父のお話。

empty warning(残量警告)
まっすぐに「書くこと」と向き合っていこうと決意したときの気持ちを書きました。温かいコメントをいただいき感謝しています。

いつかは「祈る」ようなものを「祈る」ように書くことができたらと思っています。
感想をお聞かせ願いたいと思います。
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漕げよ、マイケル

2005年07月02日 | 語る!
われらがじゅん吉さんのブログにお邪魔していたら、KENさんのトラックバック企画「あなたのベスト・エントリー2005・上半期」ブログエントリーの記事が載っていました。
じゅん吉さんがいつも力説している「ブログの大海原に飛び出そう」 (飛び込み→腹打ちになってしまいそうな私ですが) こういうことだったのかもしれないですね。

皆さんも、エントリーしてみませんか。
飛び込むときの道連れは、多ければ多いほうが心強い。
若輩者のうさとではありますが、エントリーしてみる!!と決めました。
エントリーを3つ選べるそうです。どれがいいのか、自分ではよくわからないもんですね。
「これがよい」「まだまだ10年早い」「私のこのコメントを消してから出ろ」
というようなご意見ありましたら、コメントしていただけませんか。
みんなで、大海に漕ぎ出でませんか。
コメント (7)
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