うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

郡上REFRAIN

2022年07月30日 | ことばを巡る色色
気もそぞろに夕ご飯を済ませ、車に乗ってさあ出発だ。
着いた頃には駐車場も少し空き帰り始めているからだ。
浴衣でもそうでなくても、げたでもそうでなくても構わない。
振りを覚えていてもそうでなくても構わない。
輪の中でも、離れていても構わない。勝手にすればよい。
櫓の老人の音頭はずっとリフレイン。
疲れたら、湧き水の水路で一休み、手も足も水につけてほてりを鎮める。
不思議なことに、日付が変わるころにいつも、通り雨が降る。
好き蓮の人々は着物を濡らして一層熱く踊る。浴衣がぬれ、湯気が出て。
音頭は止まらない。みんなみんなぐるぐる回って一緒のものになる。そうそう、異国のジャングルのお話にあったようにね。
踊り疲れて帰途に着くころ、薄白く朝が明ける。

繰り返しの熱狂は、
八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を
多摩川にさらす手作り さらさらに何そこの児のここだかなしき の昔から。

一度輪の中で踊ってしまったら、もう逃れられない。
次の年も次の年も、夏が近づくと心がはやる。それが徹夜踊りだ。
たのしくてたのしくておかしくなりそうだ。

昔の歌垣の、今様の、長唄の、流行り歌の、精進落としの音頭の、端々を聞きながら、さあ踊れ。
誉の名馬の、直訴の決意の、叶わぬ恋の別れの、隣村の噂の祭りの、かわいいあの子の、いとしい男の、思い出を聞きながら踊る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆の時代 誘

2022年07月29日 | ことばを巡る色色
昔のことを否応なく思い出した。

学校から駅に向かう長い下り坂で、ほこりっぽい学校掲示板の前で、バスターミナルで、あの頃は大きな駅にあった待合室で、私は宗教の勧誘にあった。学校を出てからは、訪問勧誘だったり、仕事の用で行ったのに結局宗教の話しかしてもらえなかったこともあったし、深夜のスーパーで話しかけられたこともあった。
たいてい「悩み事はないですか」と声をかけられるのだけど、生きていて、悩みごとのない人などいるはずもない。「神様の大切な言葉を伝えます」というものもあった。「拝ませてください」だの、「早起きして、気持ちのよい人生を送りませんか」だのというのもあった。「家庭円満は女が男を大切にすること」なんて余計なお世話だと思うようなものもあった。「家がうまくいかないのはあなたのせい」と言われても私の何を知っているのか。「終末には私だけが助かる。私は終末に助かる仲間を増やしたいのです」という人もいた。

皆、何を信じていたのだろうか。どんな世の中を望んでいたのだろうか。
日本は裕福になり、革命なんて起こるわけがないと知り、学生は醜く力尽き、どの思想も「私」のものではなく、その思想も手段になり果て。

勝共、原理研、統一教会。誘われても乗ってはいけない、と学年が上の人から言われていた。「ご飯を食べながら、みんなで話しませんか」たいていはカレーであったらしいが私は行ったことはない。学校帰りには駅までずっと横に付かれて教団の本を買ってくれと言われた。他の勧誘よりは擦れた感じの人が多かったように思う。なぜ、キリスト教が共産党に勝たねばならぬことにつながるのかさっぱりわからなかったが、彼らはだんだんと威勢がよくなり、学内を闊歩し、勧誘するようになった。それを見かねた社会系の教員と言い争いになり、彼らが講堂を一時占拠することもあった。
であるのに、そのころの私は、そしてこれまでの私は、勝共が北の共産主義に勝つことであり、統一が南北の統一であることに全く気付かなかった。新興宗教のようなもの、いわばカルト群雄割拠の時代。宗教も思想も政治も経済も一緒くたになり、何も信じられる確かなものはないと気付いているのに、信じられる何かを渇望した時代であった。その中で、私はあまりに無知であったのだ。

若い世代はいざ知らず、防衛大臣(63)議員(63)初代デジタル大臣(64)はこのような時代と、かの教団や団体が学内を勧誘に回っていたこと、それらが無理矢理な勧誘の中で多くの犠牲を出していたことを知っているはずではないのか。「正直言います 何が問題なのか 僕はよく分かんないです」(55)も、どうであろう。「危うきに近寄らず」の最も「危うき」カルトであることを知っているはずなのに、選挙のためならそんなことはお構いなしなのか。
どうぞ、あの時代を知るあなた達よ、思い出してほしい。そして、あの時代を知るにも関わらず、躊躇なく与して憚らぬ理由を教えてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆の時代 暗

2022年07月27日 | ことばを巡る色色
元総理(前回”前総理”としたが、元が正しいですね)が襲われ死亡した事件から、20日余りがたとうとしている。この事件について、「暗殺」「テロ」とする記事を目にすることがあるが、違和感が否めない。
暗殺やテロは政治的背景があり、対象者のイデオロギーに異を唱えるものである。今回の襲撃は果たして、そのような政治的なものであったかと言えば、否であるからだ。
暗殺やテロとする人は、たぶん、政治的対立による犠牲と考えたいのであろう。それ故に国葬も当然であると考えたいのであろう。しかし、明らかになっていたように、前総理が宗教団体の広告塔ともいえる行動をとってきたことへの抗議であり、「私憤」であった。それを、イデオロギーの犠牲になったということにしてしまってはいけない。前総理は個人としては愛すべきキャラクターであったのだろうが、それと美しくはない計算によりしてきたことをなかったことにはできないし、ましてや美しき犠牲者とするべきではないと思う。
前総理と拉致被害者家族の会、勝共、統一。私は今回の事件まで、何も気づかずにいたのだ。
報道を止める力が働いていたのかは知らないが、あの宗教について報道されなくなった日から何十年かたった。そして、私はずっとずっと気づかずにいたのだ。
初めてその団体名を聞いた日から7/8のあの日まで、勝共、統一という名のきちんと意味を考えずにいた。そして、この事件がなければ何も気づかず時は過ぎていったろう。
前総理に、勝共、統一に賛同するイデオロギーがあったのならば、「暗殺」と呼べるであろうが、そのような政治的背景もなく、あの宗教団体と懇ろにしていた。一国の総理経験者がである。だから、それを「暗殺」と呼んではいけない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆の時代

2022年07月15日 | ことばを巡る色色
これまで、「逆」はどちらかというとポジティブイメージで使われることが多かった気がする。「逆転」「逆襲」「逆玉」。耐えていたものが巻き返し挽回する、のような明るいもの。いくら逆境に有っても、その生き方次第では報われることがあると信じられていたのだろう。
さて、今はというと「逆切れ」「逆恨み」が横行する世になってしまった。本人にとっては正当な理由であろうが、なかなか理解しがたい思考の展開がみられる。

というのが、前総理が襲撃された事件を知り考えたことであり、ネガティブな「逆」の時代について考えてみようとしていた。
しかし、事件の顛末が明らかになるにつれ、彼の行動が「逆切れ」「逆恨み」でなく、理解しがたい思考の展開でなく、他人事でなく、誰もが陥っていたかもしれぬ問題や苦悩を含んでいるのではないかと思われてきた。

もう、過去のものだと思っていた、あの団体が絡んでいたのだ。ずいぶん前に世の中を騒がせていたあの団体を私はずっと忘れていた。私にとっては過去の亡霊のような団体が、見える形でまだ存在していたのだ。正直なところ、驚きで考えが整理できない。あの団体に対する恨みであると報道されたとき、学生時代の記憶が次々と湧き上がってきた。私は教義を聞きに行ったりということはなかったが、何度も何度も勧誘された。それは、あの団体に限ったことでなく、他の新旧の団体から勧誘を受けた。そんな時代だったのだ。私にとってそれは遠い過去であるが、それが現在である人がいるということに、衝撃を受けている。
多くの人が葬列に、涙し、「熱狂」していたが、事件は多くの顔を持つ。前総理にも、あの団体にも、そのほかの団体にも、政治家のふるまいにも、いろいろと考えることはあるが、それらも多くの顔を持つ。しかし、団体に入れあげる人、葬列に涙する人がいるというのも今日のこの国の顔であるのだ。そのどれもが、整理されず、今日の姿として迫ってくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする