うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

やっつけしごと

2006年10月30日 | お出かけ
急な内職が西からやってきた。おおこれはあそこ、例のとこ、なんて思っておもしろかった。たまにはよその地区のお仕事もいいもんだ。ただ、期限切れ間近なチケットが2枚あり、この日曜に行かねば使用不可になってしまう。お仕事をちゃんとやり終えてお出かけしようとしたけれど、ええい、ままよ、と出かけてしまった。まずはここ。

始めて志村ふくみさんの織物を見た。そうして多くの展示物の中でもなぜか、やたらと箱が気になる。なぜ?
常設を見ていたら、広い展示室に突然独りになってしまった。たくさんの須恵器が並ぶ部屋の中。お茶碗が襲ってくるわけではないのに、とにかく怖かったなあ。
そうして、ここ。

観覧者は、5人。みんなすぐ近くの新しいところに行ってしまったのでしょう。竹の植わった中庭でぼんやり甍を見る。先週はいろいろあった。本当は、怒りと徒労感の真っ只中だったんだ、あたし。でも、またこんな日は、ここに来ようと思った。見る人も疎らな資料館。まっすぐな甍に囲まれて、この中庭には結界ができている。護りたまへ、浄めたまへ、休ませたまえ、美濃の甍よ。

ついでなんで、近くの新しいとこにも行った。いい建物だ。悔しいけど(これは岐阜県民の血税だもんね)初めて来た時から、好きなんだ。ここ。

もう山の端しかわからぬほど日が暮れている。なあんて遊んでしまったので、帰ってから再開したお仕事は真夜中までかかってしまったけど。

あ、なんか画像がちゃんと貼り付けられない。何分やっつけ仕事なのですわ。
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今日は雨だし。

2006年10月23日 | ことばを巡る色色
ぱたんぱたんと、雨が本格的になってきました。
そうして私には、ふって湧いたような身辺のただならぬ出来事。本人と夜2時までお話をしたけれど、 どこか平行線。溺れている人の着物の端を私たちが飛び込んでつかみ、「さあ,陸に上がろう」と言うのに、水の底に沈んだ借り物の時計を取りにいきたがっている溺者。 だから、帰ってくるまでちゃんと着物の端を持っていてくれという。私たちは、「あきらめて陸に上がって持ち主に謝るべき」と思っている。もぐっていけば、ひょっとしたら取り戻せるかもしれない。でも、浮き上がってこられないかもしれないんじゃないの。そうしたら、着物の端をつかんでいる私たちも諸共沈んでしまうかもしれないんじゃないの?
わたしはどうすべきなんだ?

深夜、家に帰るとメッセージが届いていた(bubeさん、お知らせ下さりありがとう。)
YR君が死んでしまった。 陳腐だなあ、って思いながら、人は死んでしまったらどこに行くんだろうと考えた。YR君はたくさんいい仕事ができただろうに。彼の頭の中に詰まっていた仕事の先はどこに行ってしまうんだろう。天のお空でもいいんだ。見たかったなあ。

長い夜だった。

今日は雨で、ほんと、に、さ。久しぶりに、何もかもが厭になってしまった。
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中村遊郭ノチ舟越桂

2006年10月22日 | お出かけ
今回のお出かけ、まずは過日に下見をした、中村遊郭の跡。JR名古屋駅太閤通り側、ビックカメラをまっすぐ西に行くと、中村日赤ちょっと手前に、スーパー・ユニーがあり、住宅と商店とソープランドが混在し、その北奥は遊郭跡だ。もうもう朽ちかけてしまった格子、いくつか落ちてしまったタイル張りの壁。美人のガラス絵。歩いてみた。「大門」というアーチをくぐって。その昔遊郭の入り口は「大門-おおもん」と呼ばれた。そしてこのあたりは大門商店街という。記憶を消そうとしているのか懐に抱こうとしているのか。不思議だ。これほどおもしろい建物に溢れているのに、街は、普通の日曜日の少しだけ退屈なぼんやりとした顔をしている。日本中の公園や古い町並みに観光客は溢れているのに、この街を見に来る人はいない。たとえいても、それを隠して通りすがりのように歩かねばならない気に、この街はさせる。名残の建物はデイハウスや民家になっていて、こんなにも建物は往時のままであるのに、ね。ただ一つ料亭として使われている「稲本」さんで昼食をとった。中華趣味の紅殻の塀の中に入ると手すりのついた2階の窓の歪んだガラス、静かな中庭。「稲本」さんは中村遊郭の中でも大門から最も遠い位置にある。中村遊郭の中でも、特に格式の高い場所だったのだろう。通されたところは新しく改築してあり、月替わりの昼膳を頂いた。季節柄、土瓶蒸しも付いて2310円(消費税って半端で、値段にも風情がないですね)。ここでいただいているという気持ちを考えると決してお高くはないお昼でしたよ。
ここはほんの何十年か前は、なまなま、な場所だった。空気はじとりと甘く、発酵して、もしくは饐えて、重く漂っていたことだろう。なのに、今はこんなにもすべてが、乾いている。甘く饐えていて沈んでいた物も、時の流れの中で乾き、さらさらと、かすかな風にも宙を舞う。
生きているということは、なまなまなことだ。触るとべたりと指に纏わりつき、鼻の奥についた匂いはなかなか溶けない。湿った蛋白質は大気に充満し、むぎゅむぎゅと押し寄せてくる。しかし、時を経たものはみんな乾いて、そっとそこに所在無げに佇み、かわいらしい。色恋とか人情とか羨望とか嫉妬とか売名とかのすべての湿った欲望をなくして立っている。こう思う私は、本当は、もう、もう、そういうものが厭になってしまっているのかもしれない。恋も名前も意地も人生も、もうもう、いらないと思ってしまっている。乾いた風の中でさらさらになった物を見ていたいんだ。
ばばあのようでジジイのようでコラーゲンなんてゼロで、そういうのがいいよって、ね。だから、建物を見に行く。美術館に行く。ずっと物を集めることに夢中になった。しかし、集めたものは、「私の物」と名づけられたところから、なまなまな物になってしまう。「欲しい」と思った気持ちが物にべたりと張り付いてしまうからね。
建物は手に入らないところがいい。自分のものにならない物。それは清潔で美しい。私の欲望をはねつける物だから美しい。物を手に入れ、それを片付け、満足していることにも飽きちゃたんかもしれないけれど。

中村遊郭を後にし、小牧のメナード美術館へと行く。
メナードは今、名作展をやっている。ミレーを主題にしたゴッホ。桃色の頬の松園。そうして舟越。
舟越桂はここ何年来の好きな彫刻家だ。メナードを見に行くことには決めていたが、メナードのHPで、舟越の木彫を持っていて今回公開されていることを知り、少しわくわくしていた。舟越桂の木彫は名古屋市美術館、愛知県美術館にもあり、過去にそちらで見たことはある。ここの舟越は、バイオリンを弾いている。そのまま止まっている。音は凍っている。
木彫は木を念入りに乾かし作られる乾いた美である。油絵がぬめぬめしているのとは反対にね。乾いた楠、大理石の瞳。
ふと、ここは美の棺なのだと思った。そこに眠っている。「誰のもの」という柵を解かれ静かに横たわっている美よ。私は手を合わせ、あなたに帰依するためにやってきたのだ。「南無」と唱えるためにまた出かけていくのだ。

※近江2日目はまた機会があれば書きたいと思っております。画像は私の持ち物である舟越の版画「読み終わらない本」
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近江にいく-MIHO MUSEUM

2006年10月20日 | お出かけ
守山の佐川美術館を出て向かったのは、信楽のMIHO MUSEUM。「青山二郎の眼」展を見に行くためだ。途中、栗東の道の駅でサービスランチをいただき、付いてきたお豆腐がとてもおいしいので、2丁買い求めた。「まるっぽ豆腐」というそうな。
道の駅の元気なおばちゃんに教えられたとおりの道を行くと、とにかく山の中。「山道だけれど、車はすれ違えるから大丈夫」とおばちゃんは言ってたけれど、前からはとにかくどんどんどんどん観光バスがやってくる。こんな山中の美術館になにゆえ大量の観光バス?ひょうっとして、私はいけない日を選んできてしまったのか?この美術館はとある宗教法人の持ち物。あらかじめ見ておいた美術館のサイトに宗教色はまったくないけれど、自然食品を推奨していてレストランでも饗せられているらしい。とにかく、山の中なのだ。どれだけ行っても人家がない。信号もない。人口密度ゼロ地帯。と、開けたところに出ると、はるか丘の先にお社のような現代建築と鐘楼のようなモニュメント。そうして何台も停車中の観光バス。しかし、美術館はまだまだ先のようだ。やっとのことで辿り着いてみても、駐車場には観光バス。やはり、「いけない日」だったようだ。駐車係のおにいさんは丁寧に美術館への道を教えてくれる。昨今には珍しく、心のこもったご案内振り。「随分混んでいますね。今日は何かの日ですか?」「はい、友の会の方々の団体さんがいらっしゃる日なんですよ」・・・「友の会」なんですね・・・
美術館のエントランスと思っていったところは、実は入り口にあるレストランでしかなく、そこから電気自動車に乗り込んで美術館本館へと行く。
・・・橋だ・・・トンネルだ・・・これ、美術館のためだけの橋で,トンネルで、だよね。いったいいくらかけて作ったのだろう、この、山の中の橋あり、トンネルありの美術館。大体、これだけの土地を持っていれば、わざわざ橋架けたり、トンネル掘ったりしなくても建物は建つはず。とにかく?なところ。
数分の乗車の後についた美術館は社寺をかたどった巨大なガラス張りの建物。エントランスを入り、中階段を上ると、山々が見渡せる大きな窓に出る。そうしてさっき見た、お社と鐘楼のモニュメントが山の中にマチュピチュのように浮かんでいる。この景色を作るための橋であり,トンネルであったのだろう・・・とにかく言葉を失った。
「青山二郎の眼」 白洲や小林秀雄と茶碗を集めた天才遊び人。ただ「美」を見ることだけをした彼。
そうして、常設展。世界のあらゆる古代文明の逸品が並べられている。完品ですごい物ばかりなので、かえって「ニセモノ?」と思えてしまう不思議。美術館の中は「友の会」の人々で溢れ、関西言葉の和装のご婦人や、スーツの「ですたい」と語る人や、若くして杖をついた何人もの足のご不自由な方が観覧をされており、なんだか「見に来てしまって申し訳ありません」という気になる
どうやら、この美術館、建物500億、蒐集品500億であるらしい。
えっと、10,000,000,000えん、なのだ。 

とにかくすたこらさっと山を降り(いやぁ、美術館としてはステキでしたよ、はい、ホントに)宿泊先八日市へ。今回はビジネスホテルに泊まったのだけれど、内職を前日までに片付けられず、ホテルでビジネスする羽目になってしまったけど。

佐川は企業的美術館、MIHO MUSEUMは宗教的美術館。作った者の思惑はどうであろうと,そこに収まっているものたちは、そこを安住の地とし、ニュートラルに美しい。「物」は、それ自体でその「物」であるのだ。美術館に置かれた、屹立するもの。持ち主の名は書かれておらず、自らの美しさのみで、それは立っている。私は、それを見に行く。
ということで、次回は、近江2日目のお話。
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近江にいく-佐川美術館

2006年10月18日 | お出かけ
日曜は、近江方面にお出かけでした。早朝に岐阜を出、まず向かったのは守山市にある佐川美術館。佐川急便さんが作った現代建築も美しい美術館です。2棟からなる美術館は水の中に浮かび、水面に反射した陽の光が、ゆらゆらと軒に映っている。水の向こうの木立では、はらはらと黄色い葉が音もなく落ちている。
恐るべし!佐川急便!最近のお大尽は、個人ではなく企業になってしまったために、「数寄」に巨額を投じるということはなくなってしまった。こちらの美術館も、きっと経営とか税金とか社会貢献とか企業的ないろいろの事情があって建設されたのだろう。常設を見る限り、経営者が蒐集家というわけではなく、まず美術館建設の計画があり、コレクションをしたという感じ。しかし、こういうお金のかけ方をしていただけるのは大賛成だ。佐川さん、どんどんお仕事をして、沢山荷物を運んで、美術館充実させてくださいね。
ここは常設として、平山郁夫の絵、佐藤忠良の彫刻を持っているのだけれど、今回のお目当ては、有元利夫展です。有元は本当に買いたいと思った初めての画家。30代の若さで逝去してしまったけれど、その静かな世界は絵の中に止まったまま存在している。久しぶりだね、有元。確か7.8年前に回顧展があり、岡崎に見に行ったっけ。そのときほどの数はなかったけれど、その時にあまり好きでなかった作品も、今回見てみるとやはり、とてもいい。彼の作品は時間の流れが浄化であることを語る。私は彼のリトグラフを2枚、ポスターを1枚持っているのだけれど、さすがに、本画には手が出ない。欲しいなあ、有元。

佐川美術館をお昼下がりに後にした。まだまだ、近江の旅は続くよ。
さて、次はどこでしょう?
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Re: 秋歌

2006年10月08日 | お出かけ
>枯れた葉を くるりくるり うらおもて どちらかこたえよ ほんとうのうそ

うらになり おもてになりて 散るひと葉 信じてみたまえ きみはきみなり
 
>枯れるとは 死の意とフランスの 辞書は言い 死を踏み歩く 木枯らしの道
       
 われをよび われを束ねる 手のありて 引かれるもよし 引かれぬもまたよし

>死にいくと 死に後れると ねえ君よ どっちが怖い? どっちを選ぶ?

 楼閣の 高き櫓に われ一人 こころえて見よ 強かぜ吹くとも 

昼間に沢山眠ってしまったので、いつになっても眠くならない。だから私は「検索」を繰り返し、真夜中に福澤桃介と川上貞奴と福澤房子とをぐるぐると巡り、中電と大同と慶応と川上絹布と名鉄ととをぐるぐる廻り、と森村市右衛門の森村組のノリタケの大倉がヒットして。ただ、私は最近公開された川上別荘を見たいなって思っていただけなのに。新聞を取りに外に出ると、仲秋の名月はとっくに消えて、ひんがしはみかん色の朝焼け、西は夜中の星。きらめく星。また昼がやってきて、私はぼんやりとした頭を振りながら、友と貞照寺にいった。今、川上貞奴の別荘は結婚式場になっている。その横にあるという「晩松園」は木立に隠れて見えない。まだ日本のほとんどが世界の形を知らない時に西洋に出かけていった燦然たる彼女さえ、私財を投じても祈りたいことがあるんだね。対岸から見る川上別荘。新しい塗料に埋もれている。いつか私をその中に招き入れてください。ここは大正から「日本ライン」と名づけられている。彼女の別荘はローレライのそのあたり。
犬山城はその川下にある。天守閣から北を望むと、河風がぴゅーんと体を揺らす。
思いを込めて建てた人も、其の柱を建てた手も、今はこの世にない。その「家」を愛した人も、持てる技の全てを傾けた人も今はいない。残っているのはただ、「もの」だけなのだなあ。何かに執着するということはなんだろうと思う。それは執着していることに執着することなのかもしれない。ルーブル展のヴィーナスを見たときに思ったことだ。作家も、注文手もモデルも、戦場でそれを奪取して手柄を立てた兵士も、寝所に異国の像を飾り己の栄華に酔った英雄も、誰も誰も今はいない。残っているのは像だけだ。像だけが心を伝える。作家の、注文手の、兵士の、英雄の。執着するということは執着した心を物に託すということなのかもしれない。そういう形でしか私たちは残れないのかもしれない。
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遠足せんとて生まれけり

2006年10月06日 | お出かけ
なんだか心の中で嵐が吹き荒れている。毎週毎週、日曜の心は「遠足」なのだ。
今年度は仕事で脳内が充満しているような状態が夏の終わりまで続いた。反動のように、私は思った。「やってられん。絶対温泉に行ってやる」・・・「行ってやる」といっても、止める人も裾に取りすがる人も私にはないんだけれど、そんな決意を持って私は晩夏の休暇を迎えた。そう、内職の締め切りは日曜だった。金曜までは本職がぴっちり詰まっていた。意識も朦朧となりながら内職を終え、近所のセブンイレブンの宅配締切時間が夕方だったのに感謝して、土曜の昼に長かった夏の最後の仕事を宅配に託したのだ。そうして、日曜は、せせらぎ街道沿いのある古民家をモダンに移築した別荘でくつろがせていただき、翌日は「直前予約」とやらで下呂に宿を取り、久しぶりの温泉へと出かけた。日本でも一番多いといわれる岐阜の「道の駅」の全てに立ち寄り、下呂一だといわれる源泉と、提携館のお湯に入っては出、移動しては入りし、帰りは、後円融天皇勅願の禅昌寺で雪舟のだるま絵を見、寺の甍近くに輝く菊の御紋を見、その奥の金森宗和の庭には蜻蛉、本堂の横には樹齢千何百年という大木。平日のお寺は拝観者も疎らで、わずかに納めた拝観料では申し訳ないような良いお寺だった。帰路では国道に車を止めて、(あんなに観光案内に載ってるのに、降り口がわからないってどういうこと)と思いながらも、道なき崖を下って「中山七里」を見たり、またまた道の駅によって、名産の手作りハムの串カツ定食(これはお奨め、間違ってもエビフライ定食とかは頼まないで、これをオーダーしましょう)をいただいたり、もう夏も終わりなのに、「そうめん瓜」を見つけて買って帰ったり。そうそう、そうめん瓜をご存知か?薄黄色の瓜とも南瓜ともつかぬ形のものなのだけれど、輪切りにしてうでる(この場合、やはり 茹でるではなく’うでる’)と、瓜の繊維がそうめんのようにほろほろとほぐれ、それを付け汁にていただく。私は、葱生姜ポン酢が好み。
そんな夏の終わりの遠足をしてからというもの、私のスイッチはかちゃりと入ってしまったんだよ。

9月に入って
古川美術館-鑑賞の楽しみ (名古屋 池下) 
古川為三郎美術館-Glass Art 展 (同上)
中村遊郭跡-日本料理 稲本 など (名古屋 中村区日吉町)
京都市美術館-ルーブル展 (京都 岡崎公園)
細見美術館-江戸琳派展 (京都 最勝寺町)
角屋・揚屋・嶋原大門 (京都 嶋原)
徳川美術館-殿様の写真 (名古屋 徳川町)  もうもう、遠足三昧なのである。

この秋の予定に入れているのは、近江と美濃。4つの美術館のチケットは入手済みだ。もちろん、ご紹介いただいた今月半ばからの西諸戸邸公開も、六華苑(桑名)も行ってみよう。

今、熱烈に見たいのは、旧朝香宮邸である東京都庭園美術館 のアール・デコ・ジュエリー-宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと 輝ける時代展。庭園美術館はかねてから惹かれていたところであり、そこでアールデコ、気が遠くなりそうだ。ああ、東京は遠い。募る思いに正気を失い、夜行バスに乗ってしまいそうだ。
そうして、私邸であるので見るのは難しかろうと思われる赤坂(大垣)の矢橋邸。色とりどりの大理石とステンドグラスの美しい洋館であるそうだ。簡単には見られないだけに、熱は高まる。

どうも、私は近代建築の壷を満たそうとしているようなのだ。そうして建物についてのお話はまたいずれ。
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対決のツボ

2006年10月04日 | コレクション
自分でも思う、どうして私っていつまでたってもこう、大人気なくって、負けず嫌いなんだろう、って。
「続く・・・」のままになっている前の記事にも書いたのだけれど、私は子どものときから、「根性ワル」で「負けず嫌い」なのだ。大人になってから、ふふふ~んと澄まして、「負けたっていいわ、ムキにはならないわ」、という・・・「振り」をしてきた。そう、そうなのだ、それは「振り」でしかなく、私の心の底にはいつもいつでもどんなときでも、闘争心がめらめらと燃えているのだ。世のお方は、私を「クールで、達観しているわ、ピリリとしたオーラさえ感じるわ」と噂してくださる。そのオーラゆえか、大路を歩いても知らぬうちに道をあけて私を通してくださる。しかし、みんなみんな全部「振り」なのです。私は昔ッから寸分たがわず、負けず嫌いなのです。例えばマヨネーズひとつにしたって、他人が自分より一円でも安く買えば、おらーッなのです。駐車場に止める時だって、とにかく人よりお店に近い位置に止めないとイヤなのです。私の毎日は闘争の毎日とも言えるでしょう。
しかし、こんなにも大人の私はそれを上手に上手に隠してまいりました。
だのに、今回、私は大人気なくも、さるお方がオールドノリタケコレクションをアップしていらっしゃるのを見て、はぁっっとデジカメを手にとっておりました。押入れにしまったままのお茶碗はどれがどれかよくわかんなかったけれど、これまた憑き物が降りてきたように、パカパカ撮ってしまいました。
私だってさ、持ってるもん、ジュール。どうだ!



本と、大人気ない所業でございます。深く反省いたします。反省ついでに、もう1つ。



まだまだ、解脱の境地には遠く及ばぬようです。
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憑かれてみよ

2006年10月02日 | ことばを巡る色色
心の中に幾つか「壷」があり、私は毎日それをいっぱいにすることに腐心している。私は今注いでいる壷にしか目がいかない。その壷の底がどこにあるのか、注いでいる私自身にもわからない。いっぱいになったときに、「ああ、これで得心した」と思うだけなのだ。これはきっと、幼い頃からの私の性分である。次の壷にどんなラベルが付いているのか、私は知らない。いつの頃からか、その名前にぼんやりと明かりが灯り、私はただただ注ぎ続ける。たぷたぷとそれが面を揺らし、とくとくと溢れ出てしまうまで。いっぱいになってしまった壷は、「OK」と書いた封がされ、時に忘れ去られたり、時に思い出されたりしながら心の中でゆっくりと発酵するのだ。きっと空腹なのだろう、私は。おなか一杯になるまで調べつくし、知り尽くし、自分のものとしなければ我慢がならないのだ。
そんなこんなで、熱中したものが幾つかある。作家であれば全ての著作を読み、経歴を知り、好みのものを自分も手にしてみなければ気がすまなかった。物であるのなら、入手方法を調べつくし、もっとも格安で良質のものを手に入れることが、「勝ち」であると思えてしまう。
「憑き物」という言葉があるが、それに近いのかもしれない。そうして憑かれているとき、私は幸福だ。寝食を忘れわが身を捧げつくす。「かりうど」なのだ。獲物を追い詰め追い詰めぐうの音も出ないほどに仕留めてしまわなければイヤなのだ。「こども」なのであろう。仏教者に「餓鬼」と呼ばれるものかもしれない。それへの飢餓、飢えて、喰らい尽くそうとしているのだ。他には何も見えなくなってしまう。そうして、身がそれで埋め尽くされると、そうだ、「憑き物」が落ちたように、何の執着も無くなり、その壷は冷暗所に移動され、わたしは次の壷へと取り掛かるのだ。その熱中ゆえに私は幾つかのいささかのオーソリティでもあるのだが、実は、「オールドノリタケ」はただいま冷暗所にて、緩く発酵中である。
そうして今はといえば、「オークションで入場券を落札して美術館に行くぞ!」にaddict。見たいものは、広く時代を経た庭と建物。美術館はこの条件を満たしているところが多い。新進建築家の建物もおもしろいのだけれど、昔のお大尽が膨大なエネルギーを費やして集めたコレクションと邸宅と庭は、魅惑的だ。高い天井からつるされた巨大な鉄の電燈。西洋建築を模しているのにはめ込まれた欄間。大理石と格子戸と漆喰。混沌とした和洋の奇妙な調和。そうだ、みんな美術館に行こうぜ、古き建物を見に行こうぞ。
さて、この休日の美術館めぐりは、尾張徳川家の「徳川美術館」。殿様の邸宅に「源氏物語絵巻」「初音の調度」を持ち、「徳川園」という庭園を有する名古屋屈指の美術館です。記憶ではここを訪れるのはこれで3度目。4度目だったかもしれない。昔ここを訪れたときは、市民公園のように近所のおばさんやらおじいさんやら子どもやら外交場所だったのだけれど、随分整備されて威風堂々となっていた(私はあの頃の雑然とした感じも好きだったけどね)。館内も私の記憶とは異なっていた。もっと薄暗く、埃っぽかったような気がするのだけれど、真っ白に整えられていた。どうも、「愛・地球博」を期に改修されたようなんだ。刀、調度、茶道具、能衣装、その上、御伽草子に殿様の写した明治の写真。たっぷりの展示品でございました。やはり今回も、往時そのままに残されているという邸宅の玄関に心ひかれた。大理石に象嵌された、西洋建築とも和風ともいえぬ不思議な佇まい。御見それいたしました。
ぼんやりと重い雨が降っていて美術館巡り日和ではあったのだけれど、池や滝を持つ庭園「徳川園」は後ろ髪を引かれつつあきらめ、その入り口にある、昭和の迎賓館を移築したという「蘇山荘」でお茶をいただく。お庭には雨が降り続き、私は昭和初期の紳士淑女の集ったおうちの深いソファで珈琲を飲む。
だからもう一度言おう。みんな美術館に行こうぜ、古き建物を見に行こうぞ。



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