うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

観世音

2011年08月30日 | ことばを巡る色色
そういえば、5月にこんなものを書きかけて、投稿し忘れていた。
季節はずいぶんずれていて、申し訳ない。
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ゴールデンウィーク後半初日早朝
国道8号を抜け、石山寺から月ヶ瀬を通り、京都奈良の県境に向かう。
途中、西国札所の岩間寺。黄砂に煙った新緑の山が連なる。
この先6キロ醍醐寺 とあるが、また後日伺いましょう。
西国三十三カ所は観音巡礼。観世音菩薩は水の恵み。水の浄めである。
くねった山道を通り、円成寺へ行く。
庭園の池から望む高い楼門は浄土の入口であるかのように聳える。
山間で春の水はそこかしこで音を立てて豊かに流れる。
初来の本尊が十一面観音であったのもその所以であろうか。
そして、それ故の春日社と白山社。厳に素に坐しておられる。
運慶の大日如来座像。若い春の水のように印を結ぶ。
運慶の作ったあるべき姿としての完全なる形。そこに彼の天才と世界の完全を見る、
また、峠を越えて海住山寺へ。
十一面観音様は奈良博にお出かけであったが、見事な枝垂れ桜の揺れる道を登り、五重塔を拝す。
山を下り、京田辺、観音寺。十一面観音立像を、触れんばかりに拝す。
お利口な十一面観音さんは、確かに春に拝すにふさわしいかもしれない。
プリマベーラ であろう。
妖しく見透かされているような渡岸寺のお方。厳しく問い糺されているような聖林寺のお方。
仏像はその足元に跪き、額づいて拝すものであり、
見透かされ、問い糺されるために拝す。半眼の眼差しはそれ故にあのように、
額づき見上げた わたくし を見据えるのであろう。
コメント
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