うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

下呂検定

2008年02月24日 | ことばを巡る色色
下呂 日本三名泉の一つにして、六十余りの旅館を有し、年間110万以上の観光客が訪れる岐阜有数の観光地。いわゆる「平成の大合併」により、金山町馬瀬村下呂町萩原町小坂町の4町1村により、平成16年下呂市となる。
お正月の頃だったろうか、運転中のラジオで聞いた「下呂検定合宿」の募集を聞いて、うはうはと応募してみた。検定合宿は下呂の温泉旅館で一泊二日で種種の講座が催され、その後「下呂検定」を受けるというもの。ご飯が出て、温泉に入って、講座を聞いて、検定が受けられるなんて、どう考えても「おいしすぎる話」でしょ。
何とか募集定員内に入ったようで、下呂市役所からは、日程表とテキストが送られてきましたよ。
おお! 夕御飯 朝御飯 お昼弁当がついている!
おお! 夕御飯は宴会で、しかも、芸妓さんとお座敷遊び!
おお! 旅館は望川館(なんとか研修所 みたいなとこだったらどうしようって思ってたけど、ちゃんとした旅館さんだ)
ああ! 地理ダメなわたしは、小坂 とか 萩原とかの町の位置が全くわからない。濃尾平野在住の私にとって、北の方は全部 真緑の山です。地理がわからないと、特徴を覚えようにも、文字の羅列を覚えるようで、全く頭に入らない。
遠くの人は「岐阜」と言うと山深く雪深いのでしょ、って思ってるんだろうけれど、うちの辺りは随分違う。言葉だって、美濃と飛騨では随分違うのだ。同様に、生活だとか、DNAとかも違っている(と思う) うーん。これは前途多難ですよ、って間に検定当日となりました。
参加料8000円(一泊三食、検定料込み 学生5000円)であるのに、講座は下呂の町歩き、講座もしっかり、泊めて頂いたお部屋はこんな。
   
メディアの取材もいっぱいで、平均年齢は60才だったそうだけれど、合宿仲間とのお話も楽しいぞ。
一日目の講座を終え、温泉に入った後は、楽しい宴会懇親会。お夕食も飛騨牛やら季節の物やらを満喫。
    
芸妓のお姐さん。お座敷遊びというのは初めてだったけれど、日本の宴会はやはりこうでなければと思う。最近の宴会はどんどんお食事が出てきてどんどん飲んで、早く帰ってねってかんじじゃないですか。でも、芸妓さんが踊ったり、ちょっとだけ襦袢が見える、思わせぶりな遊びをしたり、ハンカチにお冷を載せて持ってきてくれたり。ハンカチにコップを載せるってこんなに艶っぽい動作でしたっけっておもっちゃいましたよ。そういえば、最近はハンカチを使う人も減っちゃてるけど、ハンカチもいいもんだ。スローな宴会もいいもんだ。スローフードというのがあるけれど、「スロー宴会推奨協会」なんて運動もすべきじゃなかろうか。
いくよ姐さんの踊りも味わいぶかい。
   

二日めも講座があり、その後に出たのが、南飛騨の健康弁当
   

検定は。
惨敗です。  とほほ。

帰りには、憧れの湯之島館さんでお茶を飲んでくるつもりだったんだけれど、余りの惨敗ぶりに胃が痛くなり、雪も振り出したんで、今回は断念しました。写真だけは1日目に撮ってきたけどね。
     

こんなに贅沢なお話し、本当に世の中の参加されなかった皆様に申し訳ない、うひひ!
こんなにしていただいていいのだろうかという、夢のような合宿でした。
下呂の観光協会の方。下呂市役所の方。本当にありがとうございました。
ただ、こんなイベントは、もっとネットのようなメディアを使って広報したほうがよかったんじゃなかろうか。合宿前に検索してみたんだけれど、公式サイトのようなものしかヒットしない。せっかくのイベント、偶然ラジオを聴いたとか、新聞を見た人以外にも、広げていき、盛り上げていく方法はあると思う。と、書いたこのブログが、下呂市関係の方の目に留まっているかどうかも少し疑問だけれど。大型社員旅行のような観光形態が衰退していく中、まだ余力のあるうちに打つべき手は何かを考え、照準を絞った方策を打つことは大切だと思う。どうか、下呂関係の方が、検定終了後「下呂検定」ってネット検索をし、事後調査をしていくような方向性を持っていてくださいますように。そう願い、苦言を呈することで、とてもいい目を見せていただいた私の、せめてものお礼とさせてください。


2009年下呂検定
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モトム

2008年02月17日 | ことばを巡る色色
求む わくわくすること
求む 私を驚かせてくれるもの
求む 心が爆弾のようなものでいっぱいになること

春が少しずつ近づいていて、近所の梅も色をつける。
ただ、凍るような冬日が少なかったので、花咲く時を待つ気持ちが高まっていない。解き放たれる春を満喫するには、辛い寒い日が必要だということだ。生温い日々からは ちょびっとの喜びしかやってこない。そんなことを、やっと知る。

体も心も随分なまっています。今日は久しぶりに明治村に行くぞ! っと思ったのに、ちらつく雪に負けてしまいました。本当は近江八幡の五個荘に行って、近江商人屋敷に雛飾りを見たかったんだけれど、これも米原辺り大雪という報に断念。
ネットニュースで見た、大阪阿倍野の「美章園温泉」2/16より取り壊し。これは見たい! アールデコの大きなプランターみたいな銭湯らしい。先週は名古屋ボストンの「浮世絵展」に出かけましたよ。その朝「日曜美術館」で見た故か、国芳がポップで面白かった。最近、めきめき人気の鳥居清長の『江戸のプリマヴェーラ』も華やかに。お江戸はさぞや、色とりどりのお衣装に溢れていたろうなあってね。

どうぞ皆様 私に面白いものを教えてくださいませ。
立っていられないほどな、絵とか、おうちとか、建物とか、画とか。
もちろん、花でも食べ物でも。
こっそりお教えくださいませ。伏してお願い申し上げます。
私はいつだって、驚くために生きているので。
コメント (8)
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茶色

2008年02月05日 | ことばを巡る色色
子どもの頃の私といえば、色鮮やかが大好きだった。と言っても、着る物・持ち物というわけではない。着ている物は、鼠色やら象牙色やらで、母が当人には適わぬ私の虚像に向かって買ってくる、リボンやら蜜柑色やら薔薇色やらは恥ずかしくて着られなかった。ではどんな鮮やかが好きだったかと言えば、例えばお引きずりの着物やらクラシックレースのドレスやらを思い描くことで。そのイメージの中でそれを纏っているのはわたしではない。鮮やかなものはやはり、「見るもの」であり、withのものではなかった。故に、好きな時代も元禄とか、安土桃山とか、きんきらで多色の時代だった。古墳とか、弥生とか、縄文とか、どれもこれも出土品は茶色くって、お城とかお寺とかもモノトーンだし、武士とかって色と言えば「血」の赤だけだし、一体何がそんなに面白いのか、興味をそそるのか、いっこもわからへんし! だった。茶色の時代が好きな人って、一体何が思白くって生きてるんでしょ、ってね。
ところが、最近、それが面白くなってきちゃった。
うーーーん。
寺巡り、古墳廻り 古道歩き これは「年寄り」的趣味 だよね。
ひょっとして、年をとったから私はこういうものが面白いと思ってきちゃっているんだろうか。
いやいや、そんなことはない! ちょいと視野が広がっただけだし。年寄りがみんな古墳や寺が好きなわけではないし。そもそも、なんで、 老人=寺めぐり=ご利益大好き って固定観念があるんだろう。老人の何パーセントが寺好きなんだろう。老人になったことによって寺好きになった人はどれくらいなんだろう。

とムキになって否定しようとするのもいささかみっともないけど。
ただ、知るということは「意味」をつけるものだなあ、と思う。「風景」を名づけていき、パノラマ写真様であった「物」を頭の中の箱に分別していくことだなあと思う。
新しき「茶色」の時代が私の中で始まった様でございます。
コメント (14)
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