うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

怒る、憤る、界隈

2024年05月10日 | ことばを巡る色色
思えばこんなに遠くまで、怒りながら、憤りながら来てしまった。そのために私は私を蝕んだと書いたが、怒りながら、憤りながらしていなかったら、私はここまで来られもしなかったかもしれない。不公平、不条理、不潔、不道理、ふにゃふにゃなことに、憤り続けてきた。マイナス要因をいっぱい投げつけてくる運命にも怒れてきたし、そんなものに屈することも嫌だったし、やったことは何らかの形で報われるべきと思っていたし、逃げればそれだけのものしか手に入れられないと思ったし、何処にも何らかの光はあるはずだと信じたし、その光を信じる気持ちを誰もが持っていいと思ってきたし、誰もに持って欲しいと動いてきたし。
だから、怒りながら、憤りながら私はそこそこなものを獲得した。他人から見れば価値はないかもしれないが、私は私に必要なものを憤りながら手にしたのだ。きゃんきゃんせずに、狙い澄まして手にしてきたのだ。
そんな中で、怒ることが私を蝕んだというのは、何故であったのか。憤り方の何に問題があったのか。
いや、怒ったり憤ったりすることに罪はないはずだ。
対象の問題なのだろうか。怒りや憤りは出来事に向けるべきである。ということなのだな。どこかに、私のどこかに、やはり人を許せぬ気持ちがあったことが問題であったのかな。
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