うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

一人でお茶を

2007年01月17日 | 最後の晩餐
人生の中で、何度お店でお茶を飲んだだろう。多分、他の人よりは多いんだろうな。
どこかに出かけると、その辺りの店にぷらっと入ってしまう。お出かけは茶店の休憩を必ず伴っている。出かけた先でパンフレットやらチラシやらを貰い、お茶が出てくるのを待ちながらそれらを広げるのは、外出の楽しみの一部だ。何もないときはかばんに入れてある文庫本を読む。それもまた楽しい。
大学のときはよく2番館に行った。映画2本立てとか3本立てという映画館。たいてい一人で出かけた。見終わり、ぐったり疲れて映画館を出る。長い塀の寺を過ぎ少し行くといつもの喫茶店がある。古い振り子時計がいくつかかかり、木の床で、段差が作ってあった。寒い日もそこのガラスは湯気で曇っていた。年配のご夫婦の店だ。そのコーヒーの味は忘れてしまったけれど、「自由」という言葉を聞くと、あの喫茶店を思い出す。今もあるのだろうか。あの辺りはどんどん開けてしまい、繁華街の一部になってしまったけど。

私はシケタ喫茶店が好きだ。人も疎ら、マスターも知らぬ間にバックヤードに姿を消し、コンロにかけられた湯の沸く音だけが静かに鳴っている。そんな場所だ。

とっておきのお茶の場所。
ちょっと遠いけれど、ウフィツィのテラス。朝から美術館に入り、ゆっくりゆっくり、一枚一枚絵を見る。それから2階奥のテラスに行く。昔のオフィスの屋上は街が一望できる場所だ。近くの家のかわいいプランターが見える。街を囲む低い山も見える。ドゥオモも見える。花の教会も見える。日曜には山々の教会が一斉に鐘を鳴らし、それがまた、山で反響し、街を祝福と祈りで満たす。

一人がすき、なのかな。       画像:加納街角
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眺めのいいお茶

2007年01月10日 | 最後の晩餐
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最後の晩餐・お茶編

2005年06月06日 | 最後の晩餐
その1   紅茶
私は高校生の時紅茶フリークだった。結構飲み歩いた。しかし、正当な紅茶飲みではないので、アールグレイか、ロイヤルミルクティーを飲む。ベルガモットなどのフレーバー系の紅茶が好きだ。ここも正当な紅茶飲みでないとこだが、フォションなどの由緒正しい会社のものより、トワイニング(ごめんなさいトワイニング)の方が好ましい。発酵の具合が違うのだろうけど、ごっくごく飲みたい私はやっぱりトワイニング。他のところは一言で言えば、漢方っぽい味な気がする。トワイニングはレディグレイもなかなかよい。無印のフラワーフレーバーティもいいかな。
紅茶ではないが、ジャスミンティーも好き。神戸などの中華街で、B4サイズくらいのでっかいジャスミンティーを買い(中華街だと、千円くらいで買えちゃう)、夏場は麦茶を飲むように冷やして飲む。汗でどろどろの体が、内臓からさっぱりする。もちろん熱いのもおいしい。

その2   お茶
台湾の凍頂ウーロン茶はうまい。日本でウーロン茶というと茶色で渋いのって感じだけど、凍頂ウーロン茶はほとんど緑茶のような味。しかも甘くて深い。ただ、それなりに高価。100g千円くらいは出したい。高いのは際限なく高いので、千円位のがちょうどいいかも。しかし、何度も飲める。因みにアールグレイも何度も飲む。二番煎じ、三番煎じも、味が熟れておいしく飲める。

その3    水
ぎふてぃ情報によれば、「のあな」の水がおいしいらしい。あきちゃん情報によるものだが、みのるさんによるとどうやら、味つきらしい。試さねば。
売ってる水なら、やはり、スパークリングのミネラルウォーターがいい。不思議で楽しい。
都会の水はまずい、田舎の水もO-157騒動の後、ずいぶんカルキ臭くなってしまった。私が忘れられない水は、徹明小学校の外の水飲み場の水。高校のころ、この小学校の隣の公民館をお借りして練習やら、発表やらをしていた。小学校の水は冷たくて、甘かった。締め切った公民館で、蒸れたからだがすぅーと冷えていった。おいしくておいしくてごくごく飲んだ。ここだけが、井戸水だったんだろうか。ミネラルの味と言うものだったんだろうか。「美濃」の味がした。その後飲んだことはないのだが。
あの頃、あのあたりには、夜のおばさんが立っていたっけ。猥雑な時代に、食べ物飲み物は清らかだった。今とは逆だ。
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最後の晩餐・ケーキとコーヒー編

2005年06月02日 | 最後の晩餐
以前、「最後の晩餐」というテレビ番組があった。あなたは最後の晩餐に何を食べますかというものである。はてさて私は何を選ぶだろう。考えてみると浮かぶのは、旅先のものが多い。やはり旅というのは、「食べてやろうじゃないか」という意気込みがあるからだろう。ここでは「食べてから死にたいぞ」というものを書いてみようと思います。(昨日は本について書くぞ、って思ってましたが、あきちゃんの読んでおいしいものについて書きたくなってしまいました。本、おいしいもの、テレコでちょっとずつ書いていこうと思います。)


その1  ケーキ
あきちゃんのとこでも少し言ったが、私の好きなケーキは、フランセヤノのもの。ここのはちゃんと洋酒も入っている。最近のケーキは甘くて柔らかければよいというのが多いが、そんなケーキは人でなくても焼けるんじゃないだろうか。スポンジのキメの細かさに反って私は嘘っぽさを感じてしまう。体を洗う「スポンジ」を食べているような気になる。味も甘いだけで単調だし、使ってある生クリームも乳脂肪分の少ない嘘っぽいものだし、工場で流れ作業で作ったようなものが多いのは残念だ。いくつでも食べられますよっていうケーキ屋の陰謀だろうか。ケーキは濃くて甘くてほろ苦くなければ。

その2   (ケーキとくれば)コーヒー
コーヒーがおいしいのは、田神のハローワークから1本北にあるカルチャーという喫茶店。ビルの一階にある。ここも本当っぽい味がする。味・香り・苦味・甘みがそろった喫茶店ってなかなかないけれど、ここはおいしい。世の中で(おいしい店)として紹介されているのは、(雰囲気のいいお店)であって、それがおいしいコーヒーとイコールではないと思う。正直なところ、(おいしい店)と聞いて入った店は、ほとんどが、(雰囲気のいい店)だった。みんな本当においしいと思って飲んでいるんだろうか。(おいしい気がする店)だっただけじゃないんだろうか。それとも私がわかんないだけなんだろうか。


その3   カフェオレ
お子ちゃまな話なのだが、高校まで、コーヒーが飲めなかった。(紅茶も中学になって飲めるようになったもの。進歩の過程が見えます。)部活の朝練の時、友達が買ったミスタードーナツの薄いコーヒーを貰い飲みして、やっとコーヒーが飲めるようになった。だから今でも、砂糖とミルクの入ったコーヒーが飲めない。なんだか気持ち悪くなってしまうのだ。コーヒー牛乳も後味が悪い。でも、イタリア、フィレンチェ郊外のホテルのカフェオレはすーーーごくおいしかった。コーヒーのポットとミルクのポットがテーブルにおいてあり、自分で勝手な分量で注いでよしというもの。イタリアはステーキもおいしかったので、多分、牛乳(牛)が違うんだろう。もう一度飲みたい
コメント (6)
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