うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

負けの日

2021年07月31日 | ことばを巡る色色
オリンピックは勝つ人がいれば、当然負ける人もいる。
国を背負った人、声援を受けた人、期待をされた人、自分だけ負けだった人、
負けた人は今日、どんな一日を過ごすのだろう。

最近、私は仕事を減らされた。
負けだ。
私の仕事は請負のようなものなので、出来次第で仕事が増減する。減らされるということは、発注先のお気に召さぬことがあったということである。認められなかった、承認されなかったということだ。今までも、そんな評価にさらされながら仕事をしてきた。幸運なことに、仕事が減ってすぐさま生活に困ることはないが、自分に「×」がつけられたような気がしてしまう。「敗戦」である。仕事の量で私が何者かが変わるわけではないが、それでも、自分の価値がないような気がしてしまう。役に立つ人材であるということが自分の評価であると思ってしまう。なかなかその価値観から抜けられぬために、必要以上に仕事することを求めてしまう。たくさん仕事をすれば、価値のある人間で居続けられるように思っているのだ。仕事がある状態であることで、安心しているのだろう。
問題は、私が自分の価値を仕事の量で確認しようとしていること。
仕事を多くすれば、社会から承認され、許されていると思おうとしていること。
選ばれない自分は、社会から捨てられている気になること。
有能でなければ、社会に居辛いとおもっていること。
自分の価値のようなものをはっきりした数値で確かめずにはいられないこと。
数値で確かめることはわかりやすく、簡単であり、それが明確で安易であること。
それが、ある場面では「やりがいの搾取」という社会構造を生みかねないこと。

「負け」は気分が重い。「負け」の理由を誰かに聞きたくなる。やはり私は「負けなのか」を誰かに聞きたくなる。
こう書いても、「負け」はつらい。
なかなか  花を買ひ来て妻としたしむ  という気持ちになれぬ日よ。
勝ちがあれば、負けがあるのは当然だとわかっているのに。
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うつろの器

2021年07月23日 | ことばを巡る色色
美しい花火 
美しいドローンの市松と地球
美しい木遣 島唄
戦争だけでなく平和の祭りもメディアで見る時代となり
もはや最先端
やあやあ我こそは、と名乗る人はいない、無観客ってことです
空(うつろ)の器に祭りは進む 
世界の皆さん
日本人の私はオリンピックが来るのを拒んでいるわけではない
日本人の私は日本人やらでいっぱいの会場のオリンピックを見たかったよ。
そうそう、こどもだってみられる時間のやつをね
祭りに怒っているのではなく、
私たちのものと思えない祭りを悲しんでいるのだ
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上級と貴族と利権と腐敗と格差と分断と

2021年07月20日 | ことばを巡る色色
上級と貴族と利権と腐敗と格差と分断と
既得権益とか おともだちとか 
電通とか慶應義塾とかテレビ局とか
閨閥とか学閥とか二世とか
ネトウヨとかリベラルとか
大衆なんてこんなもんとなめられるとか
持たざる者の繰り言と見下されるとか
黙ってればわからぬだろうと誤魔化されるとか
じゃあ、クビにしますよと脅されるとか
死にたくなければ打ちなさいと強いられるとか
死んでもいいなら打てばいいじゃんと嘲笑われるとか
弱いやつが負けるのは弱いせいと決めつけられるとか
そんなの綺麗事と分かったような口振りされるとか
ほら、もっと感動しろよ、安いお涙頂戴を見せられるとか
貧しいバカは子々孫々どこまていっても貧しいバカとか
あいつらにはどうせわからないってことよ、とか

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