うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

花ぐるい

2007年03月09日 | ことばを巡る色色
こなた様に、そなた様に、あなた様に、どなた様にも顔向けできないほどのお休みしてしまい、恐ろしくてアクセス数も確認せぬ今日この頃。今さっき、そっと指の間からのぞいてみると、にもかかわらず、毎日少なからぬ方々がおいでくださっている。ありがとうございます。ありがとうございます。
類を見ないあたたかき冬に、豆を撒くも忘れ、雛を飾るも日を逸し、風に舞うは梅花の優し白き色。庭のさんしゅは黄色い小さな塊をつけている。時期を見失った春の花が、次から次から咲いていく。冬から春への順繰りを、一日の中に詰め込んで、後から後から、花が咲く。花が散る。番狂わせの百花繚乱の春でございますなあ。
わたしはと言えば、少しだけ膝を抱えて毎日を過ごしていますよ。
ちょっとさびしくもあり、ちょっと そうだな、ちょっと 冷たい空気を吸ってみる。
身辺はなかなか落ち着かぬけれど、時間ができるとネットオークションの「和服」カテゴリーを見ている。古い物新しい物、色とりどりの花が、どろんとした絹の上に咲いている。世の中のありとあらゆる花が、ありとあらゆる色で、咲いている。目が眩むほどの、春と夏と秋との花々が濃く薄く咲いている。金の糸銀の糸。そうして様々な文様。波、千鳥、兎、月、雪。見覚えのある形。今まで、どれだけの花がこうやって描かれてきたのだろう。この国のそこいら中の、箪笥の中蔵の中で、どれだけの花が咲いているのだろう。
天然の世界ではあるはずもない赤地に咲く花、黒地に咲く花、青地に咲く花。紫地に咲く花。
高松塚の女人の着た花、十二単の一枚一枚に描かれた花、元禄袖の花、内掛けの花。ずっとずっと、幾万幾億の花が、ぬっとりとした絹の上に描かれて来たのだと考えてみる。そう想像するだけでわたしは隅々まで花で埋め尽くされ、シナプスからも花が飛ぶ。物狂おしいのは、暖かすぎる3月のせいだろう。

オンリーワンの花だなどと歌われて、安らぐことはすまい。過剰なほどのたくさんの花を自分に描きつけよう。

一年前の今頃に、西行のことを書いた。思い出したので、ちょいと補足。「その如月の望月のころ」と彼は詠んだけれど、それは「如月の望月のころ」が、釈迦入滅の日であったからであるそうだ。それは旧暦2月15日。今年は4月2日がその日に当たる。月齢は14。満月は4月3日だそうだ。
コメント (8)
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