うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

昭和・覚書き

2005年09月04日 | ことばを巡る色色
一昨日、スポーツ新聞の片隅に、おくやみの記事を見た。一人の作曲家が亡くなったという。その人の名、その人のペンネームに記憶はなかったが、彼が作曲したものには、目を引かれた。今まで、それらが私の中でひとつに結びつくことはなかったが、それぞれが違った色合いを持ちながら、心の中にひっそりと沈んでいる「唄」だった。これらを一人の人が作っていたということに、驚いた。

グッドナイト・ベイビー
八月の濡れた砂
昭和枯れすすき
どしゃぶりの雨の中で

昭和歌謡というジャンルがあるとすれば、裏昭和歌謡ともいえるのかもしれない。
これらの曲が流行っていた時、私はまだ大人とは言えない頃だった。街には、いろいろなにおいがあふれていた。場末の横丁があった。子どもが出入りしてはいけない路地裏があった。世を捨てた男女が立つ辻があった。
今は、アジアの国の細い横丁に入らねば見ることができないが、雑多な、悲しい惨めなものがあふれている裏道があった。ぼんやりとともるネオンや、酒場や水はけの悪い下水のにおいや。
後ろめたさ、恨み、惨めさ
世の中は、捨てるか、捨てられる場所だった。
今の街は、清潔で、衛生的だ。
世の中に捨てられたり、世の中を恨んだりするような話はもう聞かない。捨てられないかわりに、「切り捨てられる」ということになったようだし、恨むかわりに「逆恨む」のかもしれない。
どちらが、嘘っぱちの世の中なのだろう。
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8 コメント

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操り人形(ザ・キングトーンズ) (けんちゃん)
2005-09-04 13:36:11
今に決まっている。「会えない時間が愛育てるのさ」の様に忍耐して掘り下げていた時代の方が、人間味を増すって言う意味で。



子どもが出入りしてはいけない路地裏。好奇心旺盛な私は好んでスリルを味わいに行った。危ないことはない。住む世界を明確に分離していた時代だった。



善は悪。悪は善。自分の中に両立し、うごめいている。昔の自分は悪いのは全て自分のせいにしていた。



藤圭子(夢は夜開く)、あがたもりお(赤色エレジー)、日吉ミミ(男と女のお話 )自己責任が確立していた時代、「恨み」は持ちつつも表面には出さなかった。暗さ・半音が好きなのはこの時代に多感期を過ごしたからだろうか。



今は抱え込むな出せばいい!の時代。

今の自分は中立の状態と判断している。



人を責めることが苦手。「自分が100%正しいことを証明するには、あらゆる角度から考察しなければならない」のが面倒臭いだけのことかな!?
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開かれた閉塞感 (うさと)
2005-09-04 18:41:19
けんちゃん

昔が全て良いとは思わない。きっとけんちゃんもそうだと思う。今の時代、表立った不公平はないし、押し付けもない。そして、昔の歌が良いというわけでもない。懐かしいといって、「昔の耳」で聞くわけでもない。ただ、なんだろう。実感なく、いろいろなものが通り過ぎていく。極端に怒ったり、極端に無関心だったり。時代のせいなのか、それとも私が大人になったせいなのか、誰か教えてほしい。

>人を責めることが苦手。「自分が100%正しいことを証明するには、あらゆる角度から考察しなければならない」のが面倒臭いだけのことかな!?

って、どのこと?
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ですね。でも好きは好き (けんちゃん)
2005-09-04 19:03:04
全てと言い切ることは出来ない。

でも、冬ソナじゃないけど、好きの理由が言える物象と、理屈じゃない、好きなんだから好き!ってことあるじゃん。



ただ言えるのは情報量が増え、スピードが速くなったってこと。処理しきれない苛立ちはあると思う。無関心、見ないでいよっとと思ってもどんどん目や耳に飛び込んでくる。



>自分のこと。またも分かり難い文章書いてしまった。反省。
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過多な (うさと)
2005-09-04 19:43:14
けんちゃん。

多すぎる情報の中で、過剰に反応したり、スルーしたり。でも目には入ってくる。それはそれで、つらいね。

反省なんて、きみらしくないぜ。
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楽しい追っかけ (けんちゃん)
2005-09-04 19:49:43
他ブログの貴コメント読み漁るからわかる内容ってあるね。それを想像するのが楽しい。刀君。パンツ一丁だからさ。脱いでるレベル???
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あ・・・・ (家主うさと)
2005-09-04 21:57:19
家に帰り、電気をつけた途端に、電話が鳴り、「お帰り」と受話器から聞こえた気分・・・あたし・・・

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趣旨とは違うかも知れませんが、 (猫わん)
2005-09-06 23:15:16
昭和歌謡の良かったところは、歌手の後ろにビッグバンドがいたってことでしょうか。8時だよ全員集合を思い出すと分かりやすいです。コントが終わって舞台が回ると、グレンミラーオーケストラみたいなビッグバンドが指揮者と共に回ってきたもんです。

これは何を意味するかっていうと、演奏家の働く場があったということね。楽器を演奏して生活してる人は、今より圧倒的に多かったと思うんですよ。

柳ヶ瀬にもキャバレーがあって、夜毎、オーケストラの演奏があったと伝え聞きます。柳ヶ瀬に限らず、全国各地の繁華街には、楽士の働く場がたくさんあったということです。

人口が多いってことは底辺も広いということで、自ずと、その頂点の水準は高くなります。

今はどうかと言いますと、、、。

これより先、長文を書いたけど消しました。読み返したら、単なる年寄りの愚痴だったから。。。

短く吐くなら、、、

シーケンサー、MIDI、デジタル音源、など、コンピュータを駆使したオケが氾濫して、音楽の量が増えたってことですね。これくらいにしときます。
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ビッグバンド (家主うさと)
2005-09-07 04:01:03
よく聞いてた頃がありますよ、ビッグバンド。

バンマス、とか、ボーヤとか。

はまりますよ。

「年寄りの愚痴」

私も、そーなりそうになるのを制御しつつ書いてます。でも、若者の愚痴ってのもあるわけなんで、考え出したらきりがないですって。

それから、作詞家とか作曲家っておんなじ様に減ってませんか。○○さんの歌、ってのはあるけど、組み合わせの妙ってのは減りました。

量と種類は増えたけど、それが質を上げたとは限りませんよね。

今日のBGMは、クレイジーケンバンドの

タイガー&ドラゴン、すっごく好きです。

5分だけでいいから、聞いて欲しいものです。

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