一昨日、スポーツ新聞の片隅に、おくやみの記事を見た。一人の作曲家が亡くなったという。その人の名、その人のペンネームに記憶はなかったが、彼が作曲したものには、目を引かれた。今まで、それらが私の中でひとつに結びつくことはなかったが、それぞれが違った色合いを持ちながら、心の中にひっそりと沈んでいる「唄」だった。これらを一人の人が作っていたということに、驚いた。
グッドナイト・ベイビー
八月の濡れた砂
昭和枯れすすき
どしゃぶりの雨の中で
昭和歌謡というジャンルがあるとすれば、裏昭和歌謡ともいえるのかもしれない。
これらの曲が流行っていた時、私はまだ大人とは言えない頃だった。街には、いろいろなにおいがあふれていた。場末の横丁があった。子どもが出入りしてはいけない路地裏があった。世を捨てた男女が立つ辻があった。
今は、アジアの国の細い横丁に入らねば見ることができないが、雑多な、悲しい惨めなものがあふれている裏道があった。ぼんやりとともるネオンや、酒場や水はけの悪い下水のにおいや。
後ろめたさ、恨み、惨めさ
世の中は、捨てるか、捨てられる場所だった。
今の街は、清潔で、衛生的だ。
世の中に捨てられたり、世の中を恨んだりするような話はもう聞かない。捨てられないかわりに、「切り捨てられる」ということになったようだし、恨むかわりに「逆恨む」のかもしれない。
どちらが、嘘っぱちの世の中なのだろう。
グッドナイト・ベイビー
八月の濡れた砂
昭和枯れすすき
どしゃぶりの雨の中で
昭和歌謡というジャンルがあるとすれば、裏昭和歌謡ともいえるのかもしれない。
これらの曲が流行っていた時、私はまだ大人とは言えない頃だった。街には、いろいろなにおいがあふれていた。場末の横丁があった。子どもが出入りしてはいけない路地裏があった。世を捨てた男女が立つ辻があった。
今は、アジアの国の細い横丁に入らねば見ることができないが、雑多な、悲しい惨めなものがあふれている裏道があった。ぼんやりとともるネオンや、酒場や水はけの悪い下水のにおいや。
後ろめたさ、恨み、惨めさ
世の中は、捨てるか、捨てられる場所だった。
今の街は、清潔で、衛生的だ。
世の中に捨てられたり、世の中を恨んだりするような話はもう聞かない。捨てられないかわりに、「切り捨てられる」ということになったようだし、恨むかわりに「逆恨む」のかもしれない。
どちらが、嘘っぱちの世の中なのだろう。
子どもが出入りしてはいけない路地裏。好奇心旺盛な私は好んでスリルを味わいに行った。危ないことはない。住む世界を明確に分離していた時代だった。
善は悪。悪は善。自分の中に両立し、うごめいている。昔の自分は悪いのは全て自分のせいにしていた。
藤圭子(夢は夜開く)、あがたもりお(赤色エレジー)、日吉ミミ(男と女のお話 )自己責任が確立していた時代、「恨み」は持ちつつも表面には出さなかった。暗さ・半音が好きなのはこの時代に多感期を過ごしたからだろうか。
今は抱え込むな出せばいい!の時代。
今の自分は中立の状態と判断している。
人を責めることが苦手。「自分が100%正しいことを証明するには、あらゆる角度から考察しなければならない」のが面倒臭いだけのことかな!?
昔が全て良いとは思わない。きっとけんちゃんもそうだと思う。今の時代、表立った不公平はないし、押し付けもない。そして、昔の歌が良いというわけでもない。懐かしいといって、「昔の耳」で聞くわけでもない。ただ、なんだろう。実感なく、いろいろなものが通り過ぎていく。極端に怒ったり、極端に無関心だったり。時代のせいなのか、それとも私が大人になったせいなのか、誰か教えてほしい。
>人を責めることが苦手。「自分が100%正しいことを証明するには、あらゆる角度から考察しなければならない」のが面倒臭いだけのことかな!?
って、どのこと?
でも、冬ソナじゃないけど、好きの理由が言える物象と、理屈じゃない、好きなんだから好き!ってことあるじゃん。
ただ言えるのは情報量が増え、スピードが速くなったってこと。処理しきれない苛立ちはあると思う。無関心、見ないでいよっとと思ってもどんどん目や耳に飛び込んでくる。
>自分のこと。またも分かり難い文章書いてしまった。反省。
多すぎる情報の中で、過剰に反応したり、スルーしたり。でも目には入ってくる。それはそれで、つらいね。
反省なんて、きみらしくないぜ。
これは何を意味するかっていうと、演奏家の働く場があったということね。楽器を演奏して生活してる人は、今より圧倒的に多かったと思うんですよ。
柳ヶ瀬にもキャバレーがあって、夜毎、オーケストラの演奏があったと伝え聞きます。柳ヶ瀬に限らず、全国各地の繁華街には、楽士の働く場がたくさんあったということです。
人口が多いってことは底辺も広いということで、自ずと、その頂点の水準は高くなります。
今はどうかと言いますと、、、。
これより先、長文を書いたけど消しました。読み返したら、単なる年寄りの愚痴だったから。。。
短く吐くなら、、、
シーケンサー、MIDI、デジタル音源、など、コンピュータを駆使したオケが氾濫して、音楽の量が増えたってことですね。これくらいにしときます。
バンマス、とか、ボーヤとか。
はまりますよ。
「年寄りの愚痴」
私も、そーなりそうになるのを制御しつつ書いてます。でも、若者の愚痴ってのもあるわけなんで、考え出したらきりがないですって。
それから、作詞家とか作曲家っておんなじ様に減ってませんか。○○さんの歌、ってのはあるけど、組み合わせの妙ってのは減りました。
量と種類は増えたけど、それが質を上げたとは限りませんよね。
今日のBGMは、クレイジーケンバンドの
タイガー&ドラゴン、すっごく好きです。
5分だけでいいから、聞いて欲しいものです。