うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

I have

2007年01月04日 | コレクション
持っているのに持っていない。
永遠にそれを持つことは出来ない。
物は生き続け、
人はその前に無力だ。
物は問う。人よ、私はあなたの物なのか。
否。
物よ、あなたは自由だ。
私ごときが所有できるものではない。
私はあなたの永遠を瞬時でも感じたくて、
あなたを腕に囲っているだけだ。
持っている錯覚にしばし満たされているだけだ。
だから、あなたは限りなく自由だ。

(画像:瓢池園。ノリタケがnoritakeとなる前のノリタケ。その美しさは大倉へと受け継がれたか。)あんまり別嬪に撮れておりません。上手に撮れたら差し替え予定です。
余談。今日よりお仕事。「I have」の雑感はいつかまた。 
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対決のツボ

2006年10月04日 | コレクション
自分でも思う、どうして私っていつまでたってもこう、大人気なくって、負けず嫌いなんだろう、って。
「続く・・・」のままになっている前の記事にも書いたのだけれど、私は子どものときから、「根性ワル」で「負けず嫌い」なのだ。大人になってから、ふふふ~んと澄まして、「負けたっていいわ、ムキにはならないわ」、という・・・「振り」をしてきた。そう、そうなのだ、それは「振り」でしかなく、私の心の底にはいつもいつでもどんなときでも、闘争心がめらめらと燃えているのだ。世のお方は、私を「クールで、達観しているわ、ピリリとしたオーラさえ感じるわ」と噂してくださる。そのオーラゆえか、大路を歩いても知らぬうちに道をあけて私を通してくださる。しかし、みんなみんな全部「振り」なのです。私は昔ッから寸分たがわず、負けず嫌いなのです。例えばマヨネーズひとつにしたって、他人が自分より一円でも安く買えば、おらーッなのです。駐車場に止める時だって、とにかく人よりお店に近い位置に止めないとイヤなのです。私の毎日は闘争の毎日とも言えるでしょう。
しかし、こんなにも大人の私はそれを上手に上手に隠してまいりました。
だのに、今回、私は大人気なくも、さるお方がオールドノリタケコレクションをアップしていらっしゃるのを見て、はぁっっとデジカメを手にとっておりました。押入れにしまったままのお茶碗はどれがどれかよくわかんなかったけれど、これまた憑き物が降りてきたように、パカパカ撮ってしまいました。
私だってさ、持ってるもん、ジュール。どうだ!



本と、大人気ない所業でございます。深く反省いたします。反省ついでに、もう1つ。



まだまだ、解脱の境地には遠く及ばぬようです。
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解剖学的ジェーン・フォンダ

2006年07月08日 | コレクション
「バーバレラのジェーン・フォンダ」先回の記事のシルクスクリーン全体像です。詳しくはRICHARD DUARDO の、「Anatomical Jane(解剖学的ジェーン)」
数年前、内職の受け渡しの帰りの私は、地元のJR 駅ビルを歩いていた。そのラボの1つでアメリカ人画家が、せっせとシルクスクリーンの色打ちをしていた。そのシルクスクリーンは、スモウレスラーがポケモンテイストで描かれたものだったんだけれど、壁にはでかいでかい「ジェーン・フォンダ」が、それこそ、「なんだバカヤロー!」「しけたツラしてんじゃねーよ!」と私を見ていたのだ。
「買う!」と私は思ってしまったんだよね。値段を聞くと、さっき貰ってきたばかりの内職の報酬(まだ手をつけてもいなくて報酬振込みは2ヵ月後なのに、もう貰っちゃった気になってるだけなんだけど)とほぼ同額。しかも、帰りにお役所に行くつもりで持っていた金額とも近い。-きっとこれは運命なのだわ。ジェーンは私が内職持って、いくばくかの現金を持ってここにやってくるのを待っていたのだわ。「これだけ大きいと普通のおうちでは架けられませんよ」というラボのおねーさんの言葉もものともせず、バス代を除いた額までプライスダウンしてもらい、くるくると巻いてもらい、バス代の小銭だけを手に、このでっかい、ほぼ等身大のジェーンを私は家に連れ帰ったのだ。RICHARD DUARDOオジサンは優しい人で、スモウレスラーのシルクスクリーンにサインをしておまけにくれたし、数日後、彼のアメリカの工房から、ジェーンのID(エディションNOと私の名前を入れてくれて)も送られてきた。
さすがの「しけたツラしてんじゃねーよ!」のジェーン。額装を見積もったら、10万してしまう。何とかつてを探して安く額装し、この畳一畳分よりでっかいジェーンは今もうちの客間でガン飛ばしながら掛かっている。

バブルの浮かれた気分の時から、何枚か絵(リトグラフ、シルクスクリーン、油絵、など)を買った。最初に買ったのは、カシニョールだったけど、今はもううちには無い。たいていはブランドバッグ一個くらいの値段だ。わが身を飾るより、「見る」ことを私は選んだということだ。それは、より享楽的で、わがままなことだ。他人が自分を何らかのもの(美しいとか、金持ちとか、センスがいいとか)と思い見てくれることより、私は、「私が見る悦楽」を選んだということだからだ。わたしにとって、「わたし」は、「見られる私」ではなく、「見る私」なのだ。その意味で、私の宇宙は、私の眼から始まっている。私の宇宙は全て「私が見る」ものとして意味づけられ、私は宇宙の中心で、「見る」のだ。それはワガママでステキでしょ?
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春のまつりに

2006年04月13日 | コレクション
春がやってきたのに、身の回りが落ち着かず、随分と記事が書けない日が続いてしまった。ピアノのお稽古のように、文を書くと言うのも、しばらく間が空いてしまうと、なかなかチャンネルが合わないものである。という言い訳をしながら、今日は腕慣らしということで散漫な内容になってしまうかもしれないけれど、ご容赦を願いたい。
パソコントラブルだけでなく、他にも降ってわいた処理事項や、たまりに溜まった事務仕事があるんだけれど、その間に、ちゃっかり美濃仁輪加と多治見の陶祖祭りに出かけたことは、前にも書いたとおりである。
美濃仁輪加は、美濃祭りの宵に、町の若衆が神楽やお囃子を奏でながら廻り、辻でコントのような落ち話を角付けするものである。昨今ではほとんど聞かなくなった美濃弁で、社会風刺がなされる。
青年の年頃にこのような、地域での伝承を続けていくということは、美濃の人、一人一人のその後の人生に大きく影響を及ぼすんだろうなあと、強く思った。それを経験したこととしないことでは、人生はまったく違うさ。外には明らかにならなくとも、絶対的な違いだ。間が抜けているのか、絶妙なのか、微妙なはざ間でなされる掛け合いは、若い人たちの間に飄々と刻まれるんだろうなあと思う。
鼓、太鼓、横笛でお囃子とともに若衆はやってくる。辻の陰からひゅるひゅるとやってくる。ぼんやり灯った提灯の車を引いてやってくる。ひと時の笑いをもたらして、また次の辻に流れていく。

春祭りの季節だ。
夏の祭りには、気だるい、惜別のうら寂しさがあるが、春祭りは、新しき清浄なる物を迎える祭りだ。
冬の間に積もった古いもの、死んだものを、
火で焼き清め、若水で洗い清める。
もう一度生き返るためにである。
昔々の、私の血の中に流れる血を、同じように持っていた人は、春の祭りをしたのではなかろうか。
誰かに聞いたとか、何かで読んだとか、そんな記憶はないのだけれど、
春の祭りを思うとき、
不浄なものを全て、ま白な灰にして、清め清めて、新しきものとしていこうとした
そんな太古から現在までの、この国人の像が心のどこかから、沸いてくる。
それを心の中で結んでいるということが、、私がこの国に生まれてきた「意味」であろう。
あなたもそんな「像」を、春に結ぶことはないのだろうか。
この国に暮らすということは、不浄なるものを浄めながら、生きていくということではないのだろうか。
それは、焼き尽くせば、洗い流せば、全てが許されるという楽観的なものではなかったはずだ。
いつもわが身の不浄を振り返ろうとする気持ちを持ち続けているということだ。
それがこの国の良心であり、品格ではなかったのだろうか。原罪(Sin)とは異なっているだろうが、私たちは(浄める民)として、私たちを考えていくべきではないのかと思った春の宵だった。
春は、早蕨、若水、早乙女、早苗。すべて全てが新しいね。

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オールドノリタケ!!その2

2005年06月12日 | コレクション
前回に引き続き、オールドノリタケです。オールドノリタケはC&S,トレイ、タバコアイテム、ドレッサーセット、卓上(コンディメント)セット、チャイルドセット、どれも見ているだけで、楽しい。完成度の高いヨーロッパの窯。失敗したらお手打ちにされてしまいそうな茶碗って、どうでしょう。私はそれに破綻を許さない冷たさを感じてしまいます。すかしてんじゃないよって思ってしまいます。どこかcheapなところもある、オールドノリタケの懐は深い。



風景柄いわゆるcountry scene、tree in meadowと呼ばれるものですが、それらのほとんどは秋の景色で、このように冬景色はめったにありません。冬は冬で味わい深いです。



デコレディ、ジェントルマンのナプキンリング。デコレディはノリタケ・アールデコの中でも、もちろんトップアイテム。垂涎のアイテムです。当時のアメリカではファンシーショップで売ってたのかな?お誕生日とか、クリスマスとかにプレゼントしたのかな。



青ラスター、バラと蝶のカップ&ソーサーです。これはトリオでもっています。虹色に光るラスター。ラスターの多くはこの青と、オレンジです。



白鳥のスナックセット。スナックセットは横にお菓子やパンを置けるようになっています。テニスセットとか、ランチセットとか呼ばれることもあります。白鳥もよく使われるモチーフ。このセットは光琳ばりの梅のような花がついています。ジャポニズムですね。



アールデコ全開のトリンケット・ディッシュ。黒と金のジオメトリックな帯、図案化された花、どれをとっても惚れ惚れしてしまいます。このモチーフのトリンケットボックスも所有しています。また、機会を見てアップしたいと思います。

私の今の関心は、アールデコです。いわゆるM-JAPANの裏印を持つ戦前までのもの。1930年前後の10年間程度アメリカに輸出されました。それまでのアールヌーボーとは違い、軽やかで、カラフルで楽しい。最近のレトロ、ヴィンテージを見直す傾向とあいまって、大いに注目が集まっているのも頷けます。アメリカの趣向に合わせて作られてはいますが、本当は、日本人にこそ、オールドノリタケアールデコの良さがわかるんではないかと、私は思っています。どの図案もすぐに着物の柄にできそうですし、織部を生んだアヴァンギャルドな美的感覚が日本人には流れていると思うからです。西洋の窯を見ても織部のように自由でありながら優雅なものはないのではないでしょうか。その織部に通ずる、破綻と調和の絶妙な均衡。洗練と野暮の共存。繊細でありながら大胆。それらが、オールドノリタケが、多くの人をひきつける理由ではないかと思います。

当方、何分にも泡沫コレクターです。説明に間違いがありましたら、ご指摘いただけると幸いです。
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オールドノリタケ!!

2005年06月09日 | コレクション
休題閑話
本ブログも佳境(?)にはいってきたので、ご要望(←誰の?)に応え、今まで載せたオールドノリタケのおさらいをしたいと思います。ゆっくりお楽しみください。



アールデコ期のフィギュアと呼ばれる中国人を模したものです。フィギュアとは女性、ピエロ、植物、動物などの形をしたもので、他の西洋磁器にも見られるものです。オールドノリタケでは、特にアールデコ期に多く作られました。ノリタケ・アールデコファンの中でも一番の人気を誇るものです。たいていは、化粧セット、タバコセットなどに見られます。なんだか、ちょっと寂しげでノスタルジックです。


このトレイはオーストラリア輸出向けのもので、裏印もオーストラリア向けのものが記されています。カラフルなアールデコとは少し趣が違い、茜、レモン色でぼかしてあるのもオーストラリア向けの特徴かもしれません。カンガルーも、「らしい」です。



NIPPONの裏印を持つC&Sです。白い盛り上げがぐるりに施されています。この頃の手技は、気の遠くなるような細かさを持っています。大正ロマンの西洋館に似合いそうです。




アールデコ期の灰皿、もしくはソルトディッシュ。トランプ柄もよく用いられたモチーフです。ほかにマージャン柄のアイテムもあります。jazzageの雰囲気ですよね。


チャイルドセットです。ままごと用でサイズは小さいのですが、細部は普通のセット同様の仕上げです。こんなのをクリスマスにもらったアメリカのお嬢ちゃんは幸せものですね。森村ブラザーズはこのようなチャイルドものも多く輸出しています。

オールドノリタケは大きく分けてnippon期(アールヌーボー期)とアールデコ期に分かれます。第2次世界大戦までの日本の輸出産業を支えていたのがノリタケです。その工場は名古屋の則武地区にあり、戦後の輸出をトヨタが支えていることとリンクして、東海地方の職人気質が世界に広がることの意味を考えさせます。大量生産ではあってもその中に作り手の心意気を感じさせるものであるものであるということかもしれません。それは、失くしてはいけない日本人の気質であるのかもしれません。残りのいくつかについては、「オールドノリタケその2」でご紹介します。
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MOTHER

2005年05月08日 | コレクション
今日は母の日。mother's day ですね。
このブログのタイトル、mother-pearl、これについて少しお話をします。
正確な英語は mother of pearl。貝の内側の光った部分を英語ではこういいます。多分、真珠貝だけでなく、すべての貝の真珠層をこう呼ぶんだと思います。
そうして、お茶碗のラスター彩もmother of pearlと呼ばれています。
ラスター彩が多く用いられたのは、最近ではart deco 期の食器です。
1920年から1940年の間、森村brothers(日本陶器会社、いまのnoritakeです)は、多くのart decoの食器を、欧米に輸出していました。開戦になるまで、名古屋のおばちゃんや、お姉ちゃんが絵付けしたカラフルなキラキラの食器が海を渡ったのです。
貧しい国であった日本には売られず、豊かな欧米の食卓を飾ったのが、オールドノリタケです。
欧米から日本に帰って来たこれらの茶碗を「里帰り」と呼んでいます。意匠は、欧米風ですが、その中に日本のテイストが隠れています。
同じスタイルのマイセンなどと比べてみると、「里帰り」は日本が確かに職人の国であり、花鳥風月の国であったことを示しています。

上のC&Sは、artdecoへの過渡期のもの。アメリカではnipponと呼ばれているM-nipponのbackstampを持つノリタケです。ラスターは使われていませんが、盛り上げがされています。ちょっと大正ロマンっぽいですね。

私は泡沫コレクターですが、上戸でおなじみの会社の創業者もコレクターのようで、彼がオーナーのジュール(名古屋市内)という高級サロンのようなレストランにたくさん飾ってあります。オールドノリタケを見ながら、オールドノリタケのカップでコーヒーがいただけます。
でも、もしオールドノリタケでお茶が飲みたいって方!一声かけてくだされば、私がノリタケのカップ持って伺いますよ。

コメント (7)
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