うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

雲水

2008年01月19日 | ことばを巡る色色
2ヶ月も、外にいた。ずっと、宿題を抱えた子の様な気持ちでいたのだけれど、冷たい川にさらしたら、描いたはずの模様が消えて白反物になってしまったように体の中から言葉が流れてしまっていて。絵の具が流線なまだらになって、もう掬えぬところに離れていくのを眺めていたのです。
はて、私には本当に語る言葉など、あったのだろうか。語る思いなどあったのだろうか。見たものやら、食べたものやら行ったところやら、書こうとすることが陳腐に陳腐に思えてしまっていたのです。自分の書こうとするものに飽いてしまったのです。今もその思いはわたしを戸惑わせています。いつの間にか、行動報告のようになってしまっているじゃないの、とね。
そうして、そもそも、私の体の中に、お聞かせするような、せめて誰かに届くような言葉はあったのだろうかと。
休み明けに提出しなければならない宿題の、解法が全くわかっていないのに、それを仕上げなければならないような。適当なところで、参考書でも写していけばいいのだけれど、それでは何にもわかってないってことは自分がいちばんよくわかっているというような。
私には多分、夢も目標もなく。宿題提出までにちゃんと解法を探っていこうとするのは、辛いことで、私は、答えを写して行っちゃおうかと、迷っているのです。そんなこと、全く満足できないってわかっているのにね。

とまあ、新年早々、辛気臭い。

12月には大コウフンの「大ナポレオン展」を観たりしました。お正月は、優しい友達に誘われて、近所の神社に行きお神酒を頂いたり、左義長には鏡割りのおぜんざいを頂いたり、「生物と無生物のあいだ」を読んだり、江川達也の「源氏物語」を読んだりしました。それらを書こうと思ったけれど、なんだかそれでは駄目なような、ね。怖くなってしまったんだ。

キリキリと、ねじを巻きなおしております。ちゃんと動くか不安は残るけど。
傲慢ではなく、はしゃぎすぎることなく、気づかれることなく、でも怒る私。雲が雨となり川を流れても水であり続けるように、いたいと思う。
コメント (16)
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