うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

夏椿

2006年06月26日 | お出かけ
この日曜に出かけたのは、「三法荘」。沙羅双樹(夏椿)の美術館です。ここは織物会社オーナーの収集した絵画骨董が展示されており、大座敷からは沙羅双樹の咲く庭と岐阜城が一望できます。数年前に来たときは、絵画が所狭しと並べられていて、おなかいっぱいだったんですが、今回の展示は、品よくルノワール、コロー、香月泰男などが並べられていました。入場料1200円を支払うと、珈琲・お抹茶などを館内でいただくことが出来ます。
昔のお大尽は、絵を買い、茶碗を買い、家を買う、庭を造る。それゆえ家業を傾かせたりすることもあるが、絵と茶碗は残り、庭木は育ち、後世の人の目を楽しませる。
今のお大尽は何を残すんだろう。高い場所に住み、株を買い、会社を買い。現代のお大尽にとっての放蕩が、民に益するものでないのは、残念なことだ。いい物を買い、年に数度それを一般公開すれば、どんなにかステキだろうね。

私はお大尽ではないけれど(今年目標の一億円ははるか遠いし)ほんのちょっとだけ、絵や茶碗を買っている。今お気に入りの絵師は天明屋尚
数年前に知り、7枚組みのサイン入りの版画を廉価で買った。絵師本人から丁寧なメールをいただき恐縮した。彼が、2006FIFAの公式ポスターの書き手十数人のひとりとなり、サイン入りポスターも高価になってしまった。うれしいような、寂しいような気分である。
夏休みになる前に、天明屋も出品している「ガンダム展」を見に、高浜にでも行ってみるかな。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盛者必衰の理

2006年06月22日 | ことばを巡る色色
先日車を走らせていたら、堅く青い実をつけた樹に目が止まった。よくよく見ると、それらの幾つかは、三分ほど、白くほころんでいる。そうか、沙羅双樹だ。
変な中学生だった私は、幾つか古典を一部を暗記していた。「枕草子」「源氏物語」「徒然草」「平家物語」そうして「一握の砂」「万葉集」、八木重吉・啄木・中也・白秋の詩。
「暗誦」なんて効率的でない方法は、もう随分クラシカルなものになってしまって、いまや、そんな「徒労」をする人はめっきり減ってしまったが、私の中では、それぞれの文言が深く深く埋まっている。
沙羅双樹は真っ白な花だ。釈迦が入滅したときに傍らにあったとされている。しかし、日本で「沙羅双樹」とされている白い花は「夏椿」であるらしい。沙羅双樹(夏椿)は、今の時期に咲く。花時は短く、今頃が盛りであろうと駆けつけても、見ることが出来るのは、地面から咲いている様に落ちている花首であったりする。
夏に向かう時に咲く花なのに、そのたたずまいは寂しい。ぽっかりと咲いて、時を待たず、ぽとりと花ごと落ちてしまうからであろうか。それとも、その花に寄せられた「盛者必衰の理」からであろうか。
諸行は無常であり、奢れる人も久しくはない。
先週訪れた京都で、「平家物語」覚一本を見た。「平家物語」は語られる文学であるので、流派によって写本も異なる。私の頭の中では、伝えられた流麗な「祇園精舎の鐘」の文字と琵琶法師の声が、西域の仏陀請願絵の上を白い花とともに流れていく。その請願図は、北と南、西と東、西欧と亜細亜と中東と、幾つかの幾つかの戦いの中で、ほんの断片しか残されていない。
「金で買えないものなんてないじゃないですか」と言った青年は、その全盛のときに「諸行無常」とも語っていたと言うことである。青年が間違ったのは、彼が人の想像を裏切って、文学的であったからかもしれない。
「平家物語」の中の人々は、実盛は、宗盛りは、その没落の日に、自らを何者と悟ったのだろうか。西域の王は、前世の仏陀の請願に、自らの何を戒めたのだろうか。ベルリンの美術館の奥で爆撃に砕ける西域の壁画は、その故郷の黄砂を思い出したろうか。流れ来た盲の法師の歌に、室町の人々が流した涙は何に捧げられるためのものだったのか。
ささやかな、そうして悪辣な戦いの中で、全てが流れ流れていく。形あるものは形を変え、心あるものは心を変え流れていく。
今年こそは、枝から離れる前の、樹に咲く沙羅双樹を見に行こうと思う。

そう三法荘で?
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

るんるん

2006年06月14日 | ことばを巡る色色
ブログの記事をかけません。
取り立てて忙しいわけではありません。
病気、というわけでもありません。
よそ様のところにお邪魔していないというわけでもありません。
コメントもなかなかかけません。

たぶん、頭の中で、いろいろなものが渦巻いていて、
まとまりもなく渦巻いているので、
言葉が出なくなっています。

でも、私は元気ですよ。
よその方の書いたものを、じっと息を凝らして読んでいます。
それはそれでたのし。
だから、私は、ロムっ子で
そうして、それはそれで るんるん
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えうなきもの

2006年06月03日 | ことばを巡る色色
いいんだもん。一人でいるのは慣れてるもん、って思っていて、それでも、寂しいと思う夜はない?
ほんの何十年か生きていく。それは何のためだろう。私は何を為すために送られてきたのだろう。それがわからなくなり、ああ、ここに一人ぼっちだと思うことはない?
何か、私にしなければならない使命があって、それだけを見つめて生きていけるなら、どんなにか安心だろう。でも、私にはそれがわからない。

うちに犬がいて、そいつは3年前に死んでしまった。ちょうど今頃だった。弱ってきたそいつは、柵をした庭で私に寄りかかって、ほんのり温かくって。
本当にばかな犬で、いつも私を見ると大きく伸びをして、大きくあくびをして、ほらよって感じでしっぽを振ってたやつだった。私が飼った初めての犬。知らない人がやってきても、うちのばか犬は、ほらよってしっぽを振ってしまっていた。猫派と犬派で分けるなら、私は犬派だなあ。それも、おばかさんな犬がいい。ばかな犬ほどかわいい。

何をすればいいかわからなくなり、わが身が「えうなきもの」と思えてしまう。そんな時は、おばかな犬にそっと擦り寄ってきてほしい。
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする