うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

Priusなひとびと

2009年03月10日 | 語る!
ホンダからインサイトっていうハイブリット車が売り出された。販売店の前を通るたびに、試乗したくてたまらない。ちらりと見ただけだけど、ハイブリットカーってのは、ああいう形じゃないといろんなもんがおさまらないのか、プリウスそっくりのフォルム。試乗したいといっても、プリウスに乗ったことないので、比べようもないけれど、運転してみたいよー。
私は今、ノートってのに乗っていて、コンパクトカーの範疇に入る車を選択したのだけれど、決めるときはプリウスもちょっと考えてみた。ちょうどそのときは、ガソリン1リッター180円台って時だったからだ。
確かにリッター30キロ超の燃費は魅力的だった。しかし、このプリウスは250万程度は出さねばならぬ車だ。コンパクトカーに比べたら、100万も高額であり、3ナンバーゆえ、諸税も高い(不勉強なので、エコ減税やらがどれくらいあるのかは知らないので、ごめんなさい)100万のプラス諸税という差額を、10年ほどで回収するには一体1年間にどれだけ走らなければならないのか、1万5千キロではきかないだろう。仮にガソリン1リッター100円、燃費をエコカー15キロ:プリウス30キロとしてY÷15×100-1000000=Y÷30×100 年間3万キロ走らねばならぬ計算か?ガソリンが200円近くになって1.5万キロ10年でもとが取れるという計算になるのか?プリウス保有者の方々は本当にそのような計算をされたのだろうか。それとも、純粋に地球のために地下資源をなるべく使わない、CO2 を出さぬという高邁な思想の持ち主か。なんとご立派なことだろう。しかし、年金生活者の大部分には贅沢な車だ。加減乗除を知ってしている人にとっても?な車ではないのかな。
簡単な計算をしてプリウスを買わないことにした。エコには賛同するが、エコノミー的にはあまりに合わないと思ったからだ。
私は毎日運転をするが、最近は本当に多くのプリウスを見るようになった。
そして、その運転がどうも、うーん、である。
年配の男性の方が運転している。助手席には妻らしき方が同乗されている。上場企業の中間管理職をリタイア、この不況下にあっても、奮発したら世界一周船の旅なんてのに出かける余裕はある、今までクラウンとかワーゲンとか乗ってたけれどガソリンも上がったしね、なんて層を勝手に想像してしまう。
なんだか、私はこの人々が不愉快だ。
エコをするなら、ちゃんと計算をして欲しい。余裕があるのかないのかわかんないところで、節約をどんぶりでしてしまう感覚が嫌だ。安いものが欲しいといって、ジャパネットで買い物をしてしまうようなものだ。それならば、幾つか大型電気店で価格調査をするなりネットで調べるなりしてからにして欲しいものだ。こういう大雑把な無理矢理感がこの層の人たちに多いように思う。故に(?)この層のプリウスの運転がゴーマンでたるい。追い越し車線でトロトロ走ったり、ウインカー出さずに車線変更したり。
うん、確かに他人の買い物であるのだから、大きなお世話であるのだけれど、許せないのだ、私は。そういう層を当て込んで売ってきたトヨタももっと考えるべきだよね、と思う。エコロジーはゆとりある層でなければできないってのは間違ったあり方だ。だから、インサイトはもう、200万以下というところで、立派だ。エコカーも庶民の物にしてくれようとしている。
エコロジーだってエコノミーだって、簡単な計算の中でも無理が出てしまえば、お題目のようなものになってしまう。だから、ホンダ、よくやってくれた、と思っちゃう。
この不況下、安いものばかりを求めていれば、経済活動を促進しないとは思うし、そこのところのジレンマは近代以降の自由経済にとって大きな問題だとは思う。でも、私は竹中平蔵氏が、小泉氏と同じくらい大っ嫌いなので、持てる者のみが持ち続ける世の中はよくないよって思う。それは格差の継承であり、停滞だもんね。


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ゴスロりの巫女

2008年05月06日 | 語る!
祭日は各々の意味を持つ。5月3日は憲法記念日。9条を守る会の催しがあり、私も出かけた。しかし、私にそのイデオロギーが在るわけでなく、門外の徒である。脳はたまにかき混ぜてやらぬとならぬ。日常でないものを見たり聴いたりしないと、固まってしまう。なんて、理由付けもできなくはないのだけれど、本当は、雨宮処凛という人の話を聴いてみたかったのだ。白黒のゴスロリでやってきたその人は、しごく至極、真っ当な考えを持つ人だと私には思えた。彼女はゴスロリを「戦闘」服のようなものだと表現したけれど、それで身を固めることにより、彼女は、インディーズ系デモの巫女となるのだろう。「時給を上げろ」「マック難民を追い出すな」「マックに住まわせろ」というアジテーションは、祝祭の巫女のようだと、思えた。人には祝祭が必要で、祝祭には巫女が不可欠ということだ。巫女が居ることにより、依代がそこに立つ。絶対の神ではないかもしれないけれど、どこかに宿る誰かの神が、彼女を柱とするのだ。彼女がイデオロギーを持っているか、それが絶対に正しいかどうかは、むしろ問題ではない。そのような神が必要とされ、人がその言葉を聞きたがっていることが問題なのだ。その祝祭に参加したいと思っていることが問題なのだ。祭のための祭である。プレカリアート、フリーター、非正規雇用、なんと名づけてもよい。閉塞の冬を啓くのは、岩戸前の祭であり、それが猥雑であろうとなんであろうと、まずは踊ってみなければならぬのであろう。グローバルな経済社会で働き生きていくという現実の中にいるのだから。日本人の10分の1の収入の国の人々が競合他社である世の中で、閉塞にうなだれるだけでは駄目なのだ。
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神の眼

2006年05月15日 | 語る!
神を信じる意味というのは、神様の眼で自分を見てみるという練習なのだろう。神がいるとかいないとかは問題ではないと思う。
自分はいつも直線でしか自分や周りを見ることが出来ない。Iがamであり、Youがareであり、それ以外の他者は、isでありという自分の視線。私は(am)で、特別なあなたは(are)だけれど、それ以外は一緒くたの(is)。たくさんいれば(are)であるという視線である。(I)である私は、いつも(you)を自分の輪の中に入れ、一直線の視線を結ぶ。そうして他の(is)の人を輪の外に置く。いつも私はあなたへと向かってしまう。輪の中にいるあなたが私を見てくれていなければ、この輪は意味のないものになり、(I)も意味を見失う。それを、神が見たらどう見えるだろうと考えてみようとするところに意味がある。高い高いところにある神の眼で見れば、すべては(is)である。そう考えて、神の眼で自分を見れば、随分、楽になるところがある。自分をも含めて俯瞰したら、自分が誰かのためとか思ってしていることも、結局は「自分がしたいと思ったこと」であり、その意味で、「自分のためにしている」ことであるということが分かる筈だ。「自分のためにしていること」なのであるのだから、その思いが伝わろうが、届かざろうが、それは「私の悲しみ」にはなっても、「相手の責」ではないのだ。輪はいつでも、違う場所で結べるのだ。
折に触れ、神のいない時代というものを考えることがある。神が見えない時代といってもいいだろう。長い間、人間は神を心に持っていた。それは、神が存在するとかしないとかということではなく、そう思って生きていくのが生き易かったからだろう。神のようなものを考えずとも、きちんと生きていける人はそう多くはない。しかし、今の世の中で神を信じることは難しい。神の眼で見るという練習の場を失った私たちは、[I〕と〔you]に縛られ、そのくせ迷子のようだ。深夜の店に人は溢れ、部屋は散らかされたままになり、職を持たず、今日の享楽のみを求める。報われぬ好意は報復と変わる。
私たちは俯瞰の眼を持てなくなっている。「罰が当たる」とか、「お天道様に申し訳ない」とか、そんな言葉はかび臭くなってしまっている。知恵なき貧しき人という生き物が、この世に生きながらえる杖であったはずの「信仰」が見えなくなっている今という時代。私たちが持つべきものは何なのか。聞きなれた「神」が見えないならば、何を「神」とすればよいのか。
知恵のない人、杖のない人が救われぬ流れが加速していると、私には感じられてならない。そうして、知恵や杖を持った人の一部が、持たざる人を利用し「持たぬことが悪い」といって憚らぬ流れが渦巻いている。
楔を打ち、土嚢を積まねば、堰は切れかけている。それはあまりに悲観的な考えに過ぎるのだろうか。
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もどってきた

2006年04月10日 | 語る!
パソコンが戻ってきた!
電源部分が故障していたようで、結構かかってしまったけれど、とにかくすべてそのまま帰ってきたのが、何よりほっとしました。

春休みに温泉に行くべくネット検索(なぜか、再来週の京都のホテルが、びっくり安値なのを発見し、ツイン2部屋、トリプル1部屋をとりあえず予約してみた。)

下呂あたりの温泉を探してる途中にぱたりとパソコンがダウン。とにかく電源が入らない。

パソコンダウン2日目しばらく様子を見ようとしたが、パソコンは無反応。ネットカフェで温泉を探したけど、見つけたところは満室であきらめた。

パソコンダウン3日目 メーカーに電話。修理に出すことにする。宅配は翌日朝に取りに来てくれるということで、この日の温泉お泊りは無理というのが決定。春休みなのに・・・温泉が遠のいていった。

4日目。宅配のおじさんが梱包して持ってってくれる。電気屋に行き、PCカードを買ってくる。98のノートをネットにつなげてみる。当然ADSLに対応しておらず、設定に手こずる。やっと繋がって、とりあえず、ウィンドウズのアップデートをしてみた途端に、ウィンドウズが起動せず、泣く泣くリカバリー。またまた、ネットの設定やら何やら、とにかくいっぱい設定。

繋がったけど、メール設定やら何やらを、主パソコンが戻ってきたときのためにしているうちに日が暮れる。疲れ果てました。一日モニター見てて、目はしばしばするし、修理に出したパソコンのデータも心配だし、泣きながら寝ました。


パソコンが戻ってきたときは、春休みは終わっていました。とほほ。しかも、パソコンがいなかった間に溜まった新年度用のパソコン仕事が山積みでございます。今も格闘中でございまする(と言いながら、美濃仁輪加と、多治見陶祖祭りは、お出かけしたけどね)

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正体見たり

2006年03月15日 | 語る!
それは今日のように、3月にしては肌寒い朝だった。私は10時からの会合に出るために外出の支度をしていた。ついていたテレビが急に変わり、そこには、地下鉄の入り口に横たえられた人と、ハンカチで顔を抑えてうずくまり嘔吐する人と、叫ぶレポーターと、銀色の救急隊員と、回り続ける赤色灯が映し出されていた。「これは日本か?」
出かけた会合では、本題よりも地下鉄のあの事件の話でもちきりになってしまった。週刊誌で「松本」の事件について読んでいた私は、あれはオウムよ、と話した記憶がある。
1995年はひどい年だった。1月には成人の日を含む連休翌日の明け方に神戸で大震災が起きていた。まだ暗い時間、家でも少なからず揺れを感じ、居間に下りていってテレビをつけた。大きく倒れた高速道路、火の手の上がった街をテレビが映せたのは、もう朝も明けきった頃だった。「これは日本?」
11年がたった。教祖は拘禁による精神障害と伝えられ、教団は名前を変えた。そうして、日本はどう変わったのだろう。すべてが過去になったのだろうか。いろいろな事件が引きもきらず起き、株価が上がり下がり、円が高くなり安くなり、選挙があり政権が変わり。街角でクスリは売られ、こっそりと談合は続き、コンビニは増え、富める者は富み、貧しきものは貪し。
もちろん、被害者にとって、あの事件に続く日としての今日しかありえないのだが。

事件は当事者でない限り、通り過ぎていく。忘れてしまっても、毎日の生活に支障はない。いや、考えぬほうが毎日は過ごしやすいだろう。そのために人には忘却という能力が与えられている。私も、あれほどの事件だったのに、あの寒い朝の冷たい空気を覚えているに過ぎない。何もかも、政治だって経済だって、知らなくとも今日の夕餉は食べられる。そんなこと知って、考えて、なんの役に立つの?疲れるだけジャン。
だが、である。思い出せば記憶は更新されるのだ。上書き保存されるのだ。思い出せばしばらくは覚えていられるのだ。

思い出してみよう。あの後は毎日が大騒ぎだった。なんとかヤーナというような人たちがたくさん出てきて、教団での生活を語った。女性信者はどの人も奇妙に清らかな美しい顔をしていた。富士山の麓。ヘッドギア。パソコンショップ。枯れた樹木。トカレフ。拉致。複雑に曲がったパイプの絡まる教団工場。多くの高学歴信者たち。宗教を持たず、俗事だけに振り回されている自分を振り返ったのも事実だ。

あれは特殊な出来事だった。そう思うのは簡単で気楽だ。終わったことだ。そう思ってしまったほうが気楽だ。しかし、多くの高い偏差値を持つ「日本」の若者があれに傾倒した。メディアがこぞってその正体を探ろうとした。何を目指していたのだろう。それは成就されたのだろうか。彼らが「日本」に立ち向かい実現しようとしたもの、多くの命を犠牲にしても実現しなければならないと考えたものは何だったのか。「日本」の何が彼らにそのような考えを抱かせたのか。本当はそれらは何一つ明らかになっていないのではないのか。

私は、末端のブロガーに過ぎない。わずかな人に読んでもらっているだけのブロガーだ。そんな私が何を言えるのだろうとも思う。誰にこの声が届くのだろうと思う。ただ、松永英明氏は、その才で、あのことを語る義務を少なからず有しているのではないだろうかと思う。
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あの御家系のこと

2006年03月07日 | 語る!
メールのことやら、おめでたい知らせやらで、日本で最も由緒正しき御家系についての論議も沈静化しているようだ。そう、「日本国・日本国民統合」の象徴として生きておられるあのご一家の家系存続についてである。
先日、ふと、人間宣言をされた方が、「国」「統合」の象徴というのは私の記憶違いかなっと、つまり、「日本国民」の象徴ではなかったかと、憲法を確認をしたのだが、やはり、「国」の象徴であった。「人」が「国」を象徴するというのはわかるようで、わからない。「国民」の象徴ならば、「日本国民」としての規範を体現される方、とでも理解できるのだが、「国」の象徴とはどういうことだろう。「鳩は平和の象徴です」というのは、「イメージ」の共通性を指そうとしているのだろう。生きておられる方が「国」という巨大な集団のイメージとして生きていかなければならない途方もなさに、素直に、「お気の毒に」という同情の念を禁じえない。
あの、小泉さんは、何が何でも、女系天皇への流れを作りたいようだが、彼の狙い、メリットがなになのかわからない。単に歴史に名を残したいというだけとは思えないところが、不可解な点である。(彼については、靖国、郵政など、強固な姿勢に疑問が沸くものは多い。彼の意思は、特攻隊員への感動など、きわめて個人的理由としてしか語られておらず、『本とは何か利害関係があるんじゃないのお?』という気持ちになる。)
それにしても、その御家系の一員となられた雅子さんはさぞかし大変だったことだろう。イギリスの街をトレンチコートのすそを翻し闊歩していた姿は強く私の心に残っている。確固たる夢を持ち、努力を重ね、その努力により可能になることがあることを体験していらしたことだろう。人はまっすぐ前を向き、目的のために進むものであり、その結果は努力に比例しているという、人として真っ当な心がけを人一倍お持ちになっていたことだろう。その前に男女差などはほとんどなかったはずだ。その人に「国」は、男子を産むことを一番に期待しているという悲劇。しかし、それは世の多くの女性にも同じように課せられているとも言える。結婚をした途端、努力などとは別レベルでの期待がされ、「主婦」として生きることとなる。求められるのは、キレイ好きで、料理上手で、優しい母で、言い換えればそれは、「人格否定」でもある。努力は報われるという中でキャリアを積んだ「彼女たち」のアイデンティティは「子を産み育てる性」としてしか語られぬ中で、崩壊する。なんてお気の毒な雅子ちゃん!男の人や、高齢の女性に彼女を非難する人が多いように思うが、それらは、世の主婦に対する非難と同じところから出ているのような気がしてならない。
さて、今回の議論であるが、古来から続いたしきたりを変えるということについて、さまざまな立場の人がさまざまな意見を表明されている。それを読んでも私には男系でなければならない理由がもう一つ納得できない。xy遺伝子のこととか、長年続いた伝統だからというものはまあアリキタリナ理由として当然出されているが、もし、女性天皇となったら結婚相手に、得体の知れぬ人がなってしまうのがマズイというようなものがある。どうも、女性天皇の場合、結婚相手への懸念が大きいようなのだ。それは男性天皇の結婚相手であっても同様である。なぜ、夫の素性だけが取り立てて危惧されなければならないのか、不可解である。昨今のように、子どもは2人というのが一般的になった世の中では、「家を継ぐ」のが、男系だけではなくなっているのは当然のことであるし、私たち国民はそれでやってきている。男女を重視するよりむしろ、「象徴」という特殊な立場にならねばならないことを幼いころから教育され、「腹をくくって」下さっていることのほうが大切なように、私には思われる。大工の子が優れた大工になる可能性が高いように、幼いときから、その空気を吸って育つことが大切だと思う。しかし、このしきたりを守り、男系天皇を継続させたいと考える人は多く、声高である。なにかあるんだろうか?どうしても男系でなければならない理由があるんだろうか?
宮中の儀式は秘儀である。天皇は日本民族を代表し神に触れる人である。自然の恵みと国の安寧を神に願う存在である。その儀式の作法は私たちには分からない。もし、エジプトやフランスやロシアのように王家が崩壊していたならばその秘儀も、民族的研究のカテゴリーに入っていたろうが、わが国はそれを研究対象でなく、天皇の日常の中に託している。・・・ひょっとして、その秘儀は、女性ではできぬものだったりするんだろうか。男性という「 Gender(ジェンダー、この場合後天的性差のみならず先天的性差も含む)」による儀式であるならば、私も考え方を変えなければならないのだが・・・
男系天皇を主張する世の名だたる博士たちよ、私が納得する理由をどうぞ、提示してください。
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損なわれないもの

2006年01月08日 | 語る!
ここ数年で見た映画の中で、とても好きなのが「バガー・ヴァンスの伝説」という映画だ。ロバート・’ギャツビー’・レッドフォード監督の、巷では凡作といわれているものであるが。

映画の中の天才ゴルファーは戦から帰り、傷ついた心を抱えて自堕落な生活を送っている。彼の帰りを待っていたゴルフ場主の娘である婚約者は、恐慌の中で立ち行かなくなったゴルフ場建設と、父の自死という現実の中にいる。彼女はくじけなかった。美しい彼女は美しいアールデコのドレスを着て、ゴルフ場建設に奔走するのだ。そこに、不思議なウィルスミスがやって来て、だめになった天才ゴルファーに禅問答のようなアドバイスをするというお話だ。彼がいかに、「この世」に生還し、ゴルフを始めるかというお話だ。

サリンジャーの短編の中に戦場に行く男性に女が手紙を送るというものがある。「あなたの中のものを何一つ損なわずにお帰りになりますように」と。
戦の中で、人は何も損なわずに帰ってこられるものだろうか。
腕、足、指、目、耳、鼻、
信じる心、憧れる心、明日を考える心、守るべきものを守ろうとする心。

毎日を生きていくということは、やはり「戦」のようなものだ。だからといって、隣にいる人、横に立っている人が「敵」だというわけではない。ただ、生きていくというそのことが「戦」のようなものなのだ。
世の中で、私の言葉の届かぬ人の前で、私の私を知らぬ人の前で、私は私でないかのように扱われ、手垢を付けられる。輝くばかりの才能をもつ人の前で、私は嫉妬し、羨み、妬み、私の脆弱な自己愛は疲れ果てる。いろいろなにおいのする風に吹かれ、私はさらされ、私は私に試され、私は世の中の流れの中で、渦巻かれる。
そんな毎日の中から、私は「損なわず」に生還しなければならない。そうでなければ私が私でなくなってしまう。私はそれが怖くて怖くてたまらないから。ただ、「帰っていける」と信じ、そうして、帰っていかなければならない。

人は、損なわずに戦から帰ってくることができる。
きっとできる。
そう、信じているわけではないけれど、私はそう信じていたい。いつだって、信じていたい。損なわずに帰ってきたいと思えば、きっときっと、大切なものを損なわずに生きて帰ってこられると。
あなたはどうだろう。そう信じているだろうか。世の中に生きることで、自分の何かがもぎ取られてしまったと考えてはいないだろうか。
そうかもしれない。
世の中で生きていくことは、もぎ取られてしまうことかもしれない。
でも、信じてみようよ。きっと、君は君の失くしたくないものを、ちゃんと持ったまま生きていけるって。そう信じていれば、きっとできるって。

皆様へ、
年頭に申しましたように、「傲慢と思われることを恐れず」書いていく所存でございます。あなたが、ほんのひと時でもここに来てよかったと思ってくださるようなものを書くことが、私の真の目標です。本年もよろしくお願いいたします。
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諸師こぞりて走りませり

2005年12月20日 | 語る!
もうすぐ、クリスマス。
私の中でクリスマスは、父がパチンコの景品のチョコレートを枕元に置いてくれる日でしかなく、ホテルでディナーとか、ヒカリ物とか、はたまた、煙突からくるサンタさんに靴下をつるすとかの日ではない。ずいぶん、日陰を歩いてきたものである。できれば私も、そんなかわいらしい、メリークリスマス なんてのも憧れではあるが、まあ、それは向き不向きというのもあり、仕方あるまい。
欧米ではクリスマスツリーを飾り付け、贈り物を交換する。また、家や並木に明かりをつける。最近は、我が家の回りでも、イルミネーションの家が増えてきた。
そんな賑々しい家の飾りを見ながら、ふと考えた。
欧米って、「祭り」を飾り立てる、「プラス」の文化なのかなっと。
私は、個人的に、大晦日とか、元旦とかが好きだ。
町中の人が、窓を拭き、障子を張り替え、水周りを磨き、家を掃き清める。
我くにびとは、余分なものを削り、要らぬものを捨てる、「マイナス」によって、新年を「祭る」
新しき年を迎えるという「祭り」は、神聖で、清めることによりなされる。
元日の朝は、すべての玄関が新しいとしにふさわしく、清められている。町中が、冷たい風の中で、過剰な飾りをつけることなく、新しく立っている。ここから、もう一度始めてよいのだという気持ちになれる。
だから、私はちょっと、クリスマスが苦手だ。
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さらす手作りさらさらに

2005年12月07日 | 語る!
夕べの寝不足がたたり、頭の中が、しびれたようにぼおっとしています。
外は冷たい雨が降っています。
さすがの私も元気の出ない一人の夜はあるなあ。

新しくスタッドレスタイヤを買いに行った。
激安タイヤ屋は、廃タイヤに埋もれていた。
タイヤ屋の兄ちゃんは、あれやこれや誠実に私のタイヤを選んでくれた。
ひっきりになしに客の来る中、ケージの中には、生後10日の柴が4匹くうくうと眠っており、
大きな水槽では、ぷくぷくに太った金魚がたくさん、澄んだ水の中で泳いでいた。
私が、手に入れたものなんて、無価値だ。
笑って電卓をたたいてくれるタイヤ屋の兄ちゃんに比べたら。
私が、信じている風にしていたものなんて、まったく、まったく、無価値だ。

日曜の夜、NHKのドキュメンタリーを見た。昨夜の再放送も、やはり見た。
脳梗塞で半身麻痺になった多田富雄という免疫学者のドキュメンタリーだ。私は、こういう「人格」に深く感動する。しかし、私が彼を知らなければ、私は、町の中で彼を、体の自由のきかない老人としてしか見なかったろう。だから、私の信じていたものは無価値だ。
不自由な半身と、明晰鋭利な思考を持つ彼は、また、唾液をたらしながら物を食べる姿をも、カメラの前で晒す。その不自由な姿は限りなく美しい。
人生に美意識を持って臨んでいた彼にとって、話せぬこと、唾液をたらして生きていくことは、許せないことだったろうに、その姿を晒して、その姿を持って語る彼は美しい。
人の尊厳とはなんだろう。きっと、尊厳が保たれていることではなく、尊厳を持って生きようとすること自体が、尊厳ある生なのだ。
タイヤ屋の兄ちゃんの尊厳は、タイヤ屋であることである。そうして、私は同じように、それを美しいと思った。
許すこと、晒すことの中で生きることは美しい。

ごみのような生き方をやめよう。こんなにも、人は美しく生きられるではないか。
ごみのような生き方は、ぽいとゴミ箱に捨ててしまおう。
しかし、だからこそ、ごみのような生き方をしている人も、美しく生きる日が来るかもしれぬことを忘れてはならない。その日を信じることをあきらめてはならない。
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後宮女官物語

2005年11月14日 | 語る!
久しぶりに、連続ドラマを見ている。「チャングムの誓い」である。ご存知の方も多いだろうが、韓国後宮女官立身物語なのである。
わが町は韓国春川市と姉妹都市で、冬ソナストリート並木道があり、先ほど行われた韓国ウィークには、微笑む方に恋する淑女たちがたくさんお出でになった。経済効果抜群であったらしい(その並木も、そろそろ紅葉です。今が本当にいい時期です。淑女の皆さん、どうぞまた、お出でください)
ではあるが、私は微笑みの方にはあまり興味がなく、ドラマも見ていないし、「様」で呼ばれる方をテレビで見るたびに、「おお、微笑む、微笑む」と傍観している、冷めた態度であった。
しかし、チャングムは、今や週の終わりのお楽しみになっている。
この前の土曜に、チャングムは追っ手に傷つけられた男性の介護をしていたのだが、それがとても、丁寧で手際がよく、美しかった。
チャングムは後宮料理所の見習いで、お話の多くの時間が、お食事の用意を映す。それも、気持ちよい。ちゃっちゃと、調味料を混ぜ、素材を刻み、煮込み、蒸し、炒め、盛り付け、供す。
後宮の人々は、男性役人も、女官と女官のする仕事に敬意を払い、女性だからと軽んじることはない。王は家族を重んじ、皇女を愛し、皇女の具合が悪く食が進まぬときは自らも食を断とうとしてしまう。近くの人に愛を持ち、心を砕き、遠くの人の温情には、できる限りの礼を尽くそうとしている。毎日を「整えて暮らす」人々である。後宮の人の着ている服も美しい。王家の人々も、役人も女官も。
築かれ、整えられ、伝えられ、磨き上げられた生活。
以前韓国に旅行をしたときに、王宮を見に行った。偶然、ドラマの録画をしていた。それがチャングムであったかどうか、確かめるすべはないけれど、王宮は清らかな場所で、韓国人のガイドの方の言葉の中にも王宮を侵すべからざる場所であると考えていることがあらわれていた。
中国の思想の影響を受け、韓国・日本の後宮の作り方は似ている。周りをぐるりと塀が囲み、いくつかの、暗喩を持つ門が設けられている(架空の中国風後宮を舞台にした酒見賢一「後宮小説」という小説と照らし合わせながら王宮を見ると、とても興味深いのでお勧めである)王宮は、春夏秋冬と人の一生を暗示しながら営まれる。つまり、中国・韓国・日本の3国は、同じような王の居所を持っているわけだ。後宮はその民族や伝来文化の融合の中で作られ、果てしなくイマジネーションを見るものの中に喚起する。
私たちの国は、この美しい慣習を持つ国を属国にしようとしたんだなあと思う。
この美しい伝統の衣装、食事、道徳、王宮、習慣、言葉、名前を、全部、ぺろりと塗り替えようという、暴挙をしようとしたんだなあと思う。それって、美しく育った少女をさらっていって、自室に閉じ込め、自分だけのものにしようとすることのように、ひどいことだなあって思う。
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TOYOTA様のお膝元

2005年11月12日 | 語る!
東海地方に住んでいる私は、このごろ思う。ここ一年くらいの間に、景気は急上昇回復してるんじゃないかと。新聞に折り込まれている求人チラシがどんどん増えている。前は、三分の一くらいがチラシ会社の広告だったのに、ぎっしり詰まった物になり、折り込まれる数も増えた。当地から名古屋に行く国道は、前より、通行量が増え、名古屋までの所要時間が十数分長くかかるようになった。いつもは時々しか車が走ってなかった堤防道路も、ひっきりなしに車が続いている。新聞に高卒就職内定率というのがついていたが、上位はすべて中部地方で占められている。つまり、中部は景気が回復しているということなのだ。そうして、車も人も、就職も仕事も、愛知に向かっている。それは、トヨタ様に向かっているということなのだろう。大大名トヨタ様のお膝元である東海地方は、殿の発注で潤い、理系の人手不足に「うれしい悲鳴」をあげている。殿は遊園地と男子限定の学問所を作り、大博覧会を催し成功させ、尾張北部にあった国際線を常滑に移転させ、尾張と三河、三河と世界の街道を強化し、貴階級向け超高級店舗を展開し、日々是「カイゼン」なのである。
ちなみに、私の住む地は、東海圏の中で三河の対極の地にあり、最も遠い場所である。殿の恩恵を受け、この地も好況のオコボレをいただいているが、地場産業は斜陽の繊維であるという、外様大名レベルである。飛行場は遠くなっちゃったし、電車の路線はどんどん廃止されていくし、人は愛知に流れ出ていくし、逆に産廃は流れ込んでくるし。
もちろん私は、大殿に歯向かおうなんて思ってません。殿の施政は、とびっきり正しい。美しいまでに正しい御商売です。ただ、端っこなので、ちょっとすねてみただけなんですよ。

でも、そういう鄙びたここが私は好きだったりするので。特に、今日みたいに秋の乾いた空気で山の木の一本一本がはっきり見える日は、ここがとても好きだったりするので。
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今日は祭日

2005年11月03日 | 語る!
ねえ、きみ
今日もとっても忙しそうだね。
片付けなければいけない仕事はたくさんあるし、
あっちの紅葉も、こっちの紅葉も見たいし、
あのブログの更新をチェックしたいし、これとそれと後いくつか、コメントも付けときたいし、ニュースも読まなきゃならないし、
ヒュンヒュンビュンビュン くるくる回って 走っても 気持ちは急くし。

ねえ、きみ
まあ、ここに座って。私の向かいの席に座って。
さあ、何を飲もうか。 コーヒー?紅茶?カフェラテ?煎茶?ほうじ茶?
なんか、食べるのもいいね。 ケーキとかマフィンとか生麩饅頭とか
話をしよ。
ゆっくり、ここに座って話をしよう。
何の話がいい?
何でもいいよ、話をしよう。君が話すのを見ていたい。
私は、笑って、返事をするよ。
ゆっくり、ここで、向かい合って、話をしよう。

あのね、わたしはね
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たたかう花ー中川幸夫

2005年09月21日 | 語る!
私は、闘う人が好きだ。真っ直ぐに求め、求めることと闘う人が好きだ。
中川幸夫。彼を知ったのは、ずいぶん前の早坂暁の本の中だった。
四国の遍路道の近くにある百貨店の家族を描いた「花へんろ」というドラマを書いた早坂暁という脚本家が好きで、小説も含め、彼の著書の多くを読んでいた時期があった。
「花へんろ」は今思い出しても名作だ。桃井かおり、森本レオなど、豪華な顔ぶれのドラマだった。早坂氏のドラマでは、「夢千代日記」が有名だが、私は「花へんろ」が好きだ。早坂氏は、多くの秀作といえる小説を書いており、そちらも紹介したいのだが、中川氏を知ったのは、「華日記」という、華道界を書いたノンフィクションでだった。
中川氏は、家元制に疑問を抱き流派から離れ、会派に属さず、花をいけ続けた人だ。脊椎カリエスにより不自由な体を押して、生ける花は、生と死が、美と醜が、せめぎ合いながら、闘いながら、手を取り合いながら共存している。
爛熟した幾千幾万の花びらから流れる血の花汁。噎せ返る花の命。または、床の間に一輪だけ取り残された清冽な侘び助。上半身だけで踊る高齢の舞踏家に天上から降り注ぐ何十万という花。潔く、匂いたち、生きながら死に、動かぬものの内の鼓動を挿し。花と闘い、美と闘い、花と戯れ、美にひれ伏し、すっくりと花と向かい合い、美を指でたどり。

数年前、岐阜県が主催する「織部賞」の授賞式で、私は中川幸夫氏に会った。彼に会うために私は授賞式に行った。彼はサインを求める私に、はにかんでいた。隣に座っていたカメラマンのアラーキー氏が「先生、人気者ですね、して差し上げなさいよ」と言ってくれて、ゆっくりと「花」と書いてくださった。花のように見ても見ても飽きぬ字だった。だれが教えるわけでもないのに、時がくれば咲いていく花のように、揺るぎのない美しい字だった。人知れずとも咲く野辺の花のように、強く、やさしい目を持つ人だ。
たたかう心の、その先に生まれる、きっぱりと美しい花。この世の全てがそこにあり、この世ならぬ花がそこに咲いている。

中川幸夫事務所
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小泉フェロモン

2005年09月17日 | 語る!
多くの国民と、何人かのくのいち刺客を魅了してやまない、小泉純一郎。
この選挙の間、彼は多くのメディアに登場した。選挙カーの上で手を大きく振りながら、叫ぶ姿。それらに熱狂した人も少なくないだろう。まずいまずいと思いながら、私も、その姿に、ちょっとそそられてしまった。なびくグレーの髪、クールビズの色シャツ腕まくり、ほかの政治家とは違って体脂肪の低そうな血管の浮く手の甲から腕のライン。この存分に発せられたフェロモンは一体なんだろう。人は(特に女性、おばさんは)、振り向いてくれないのに、その道を行く人が好きだ。「なんとか私がしてあげたいぃぃ」と思ってしまうものだ。彼を見るとき、「たらし」という言葉を思い出す。「魅力的」と「たらし」の違いは、「たらし」がほんとうは、自分しか愛していないことだ。無意識のうちに愛されるすべを知っていて、愛される自分を愛していることだ。それは彼が女系の姉妹の中に育ったこととも無関係とは言えまい。また、長い間独身でいることもその証だろう。彼にとってのファミリーは、彼を愛し、世話する人なのではないか。彼の中に、他者を愛するとか世話をするという形はないのではないか。残念ながら、人は(特に女性とかおばさんとかは)そういう人に惹かれてしまう。報われなくても、この人が立派になるのならと思ってしまう。国民総赤サギである。彼は涙する。オペラに。薬害に。X-JAPANに。拉致に。少年特攻兵に。相撲の大一番に。彼の価値観は自らの涙の行方だ。彼は決める、涙の量で。この国の行方を。そうして、法律さえも変えることができる数を、彼は手にした。
この人のそういうあり方に気づかないうちはいいのだが、気づいてしまうと、誰かのように切り捨てられてしまう。代わりはたくさんある。これからも愛してくれる人は出てくる。いや、出てこない日が来ても構わない。「美学」という美名の下に去っていく自分も、また、彼の愛する自分であるからだ。
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小声で叫ぶ判断基準

2005年09月04日 | 語る!
今日、2つ目の記事。1日に記事2つ!!ぱちぱち(自分賞賛)

この人はどんな人でしょ、って考えるとき、今までの世間の基準って、全然役に立たない。
これまでの世の中は、年齢・収入・肩書き・持ち家・車のグレード・結婚・子ども・学歴なんかで、相手がある程度はわかったんだから、簡単なものだった。
でも、この頃は、ブログを読めばわかるように、そんなものでは、その人のなーんにもわかんないよって、どんどん突きつけられている。
だから私はこういう基準で相手を判断している。
(いろいろ差しさわりがあるので、どのように判断しているかは書かないです。ご容赦ください。また、○×という判断でもないです。悪意もないです。非難議論にもよわいです。逃げ腰です。)
あいのり
NANA
家犬
やまちゃん(NCの)

ジャニ
林真理子
ラッセン画
めちゃイケ
錠剤
韓流(定番でした)
B’s (これも定番か)
鶴太郎絵
大人塾
tsunami
超訳
生・爆



うれしくなったり、残念になったりする。
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