うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

数学→すいか

2005年06月29日 | 語る!
最近、某教育関連のテレビCMで、「数学終わったら、スイカ」というのをやっている。
目の前ににんじんをぶら下げて、受験勉強を乗り切ろうねというものである。
あーーーーーーんなに勉強に青春を捧げた私も、受験勉強ではつらい思いをした。夏休み、体力をつけるために高校の自主勉強室に40分かけて自転車で通ったが、ほとんど熱中症となり、かえって体力を消耗したなんてこともあった。

さて、天王山(この言葉も使われなくなりましたね。さびしいことです)の夏休みを目前にし、世の受験生諸子ならびにご家族の健闘を祈り、私の考えた『受験を乗り切る仕掛け』をここに書かせていただこうと思う。

(1)参考書、問題集を買う。このとき、(どんな問題があるでしょう)なんて考えて、中身を見る必要はない。手にとり、開いてみて、触ってみて、ちょっと離して眺めてみて、「いいかんじ」「相性よさそう」というインスピレーションを大事にする。このとき特に大事なのは、紙質、フォント。しっくりこないものとは長く付き合えない。内容はたいてい大差がないので、気にしない。

(2)うちに帰って、問題集を開く
用意するもの--ペン(何色か、特に好きな色がよい)、メッセージカード。好きな子の写真。
アトランダムに問題集を開き、そのページに「よくここまでやった」だの、「君の努力は天が見ている」だの、「がんばる君は輝いている」だのという励ましの言葉を余白に書き込む。メッセージカードにも、イラスト、お言葉などを書いて挟み込む。スペシャルサプライズとして、好きな子の写真に「やっと来てくれたのね。待っていたのよ」と書いて、これも挟む。そうして、どこに何を書いたか、何を挟んだかをすっかり忘れる。

(3)とにかく何も考えずに、解く。この方法で成果が出るのかとか、この先自分はどうなるんだろうかとかいう、とろくさいことは考えず、ただただ、ひたすらに解く。解いて、解いて、解きまくる。そうすれば、この本のどこかで、何かが君を待っていて、辿り着いたときにそっと微笑んでくれる。

私は、受験期に本当にこれをやっていました。方法としては無敵です。
ただ、合格後、後輩・兄弟にお下がりするときは十分に気をつけましょうね。
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musical baton

2005年06月28日 | 語る!
レトロ・コレクターズのsion37さんから、「musical baton」を渡して頂きました。
今は、(音楽聴く期)ではなく、ちょっと音楽から遠ざかっています。しっかり書けませんが、お許しを。

(1) Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
自分のがどれか、どれだけあるのか、判然としません。ごめんなさい。

(2)Song playing right now (今聞いている曲)
最近は自己意志で選んで聴くことがほとんどありません。夏は何故かエゴラッピンの「くちばしにチェリー」を聴きたくなります。

(3)The last CD I bought (最後に買ったCD)
ほとんど買いません。最後に買ったのは、デスティニーズ・チャイルドのサバイバーです。(どうとでも思ってください)

(4)Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
「チューリップのアップリケ」岡林信康 中学の文化祭で歌った。
「サマータイム」ジャニス・ジョプリン ララバイが好きです。つらいときは歌います。
「スカボロ・フェア」S&G 自分の戦いが(理由も忘れたもの)であるのかどうかを問い続けたい。
「枯葉」多くの人が歌っていますが、誰のを聴いても名曲です。最近のでは、椎名林檎のがなかなかです。
「モーツアルトのレクイエム」死んだらかけて欲しいです。

バッハもグレゴリア聖歌もパブロ・カザルスの「鳥の歌」もジプシーキングもイエローモンキーもYOUR SONGも入れられませんでした。
なかなかすぐには難しい。冷や汗でした。ふう。

(5)Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
★☆★じゅん吉ブログ!!★☆★じゅん吉さん
今日もまた螺旋上昇あきちゃん
猫わんログ猫わんさん
グルメのけんちゃんけんちゃん
M78星雲バルタンさん
バラエティに富んだ選曲をしていただけると思い、バトンを渡します。
ご都合がつかないときはスルーしてください。
では、お願いいたします。
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パンチ・ドランカード

2005年06月27日 | 語る!
昨日の日曜、テレビでボクシングを見た。
私は理系でも運動系でもない文系の人なので、ほとんどスポーツ観戦はしない。テレビで見るといえば、スケート、短距離、高飛び込み。およそ盛り上がりとはかけ離れたスポーツを見るのが好きだ。これらはたいてい予選から見る。高飛び込みはあまりメジャーな競技ではないが、それはそれは美しい。観客と一緒に「ほおぉ」とため息をつき、オリンピックの頃は寝不足になる。
そうして、観客の熱狂を伴いながら、息を詰めて見るなら、やっぱりボクシング。

ボクシングはストレートなスポーツだ。
それは単純な要素でできている。

叩く / 叩かれる / 叩く / 叩かれる / 叩く / 叩かれる

しかし、
叩く / 叩く / 叩く / 叩く / 叩く / 叩く / 叩く     となることもあるし、

叩かれる / 叩かれる / 叩かれる / 叩かれる / 叩かれる     というものになってしまうこともある。

叩いたものが叩かれるわけでも、叩かれたものが叩けるわけでもない。

リングは仮想の今生だ。現実の社会では許されない闘争や、巧妙に包み隠されているストレートな「この世」を見せてくれる。
血みどろになり目を腫らせ、叩く・叩かれる。勝った者の名だけが刻まれる。
揺らされた脳が見るこの世はどんなものだろう。ラメ色に輝いているだろうか。
それもしあわせ、かな。




ЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮ



また、コメントしづらいものを書いてしまいました。
「ファイトクラブ」という不思議な映画は面白かったです。

コメント (10)
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empty warning(残量警告)

2005年06月24日 | 語る!
ブログをはじめて50日が経とうとしている。
私は世の中に向かって叫びたいことが取り立ててあるわけではなく、一人の大人と話すことなく過ごす日があるような、「引きこもり」的生活を送っている「普通の人」だ。
ふとしたきっかけでブログをはじめることになったわけだが、それもリハビリのようなものかも知れない。
大人になるまでの私は「普通の子」ではなかった。人生を+-の座標で表すとしたら、私の10代までは随分と(-)の方に寄っていた。だから、ゼロ地点に立てるよう学校の勉強をした。そうして、色々なものを手に入れた。目に見えるもの、見えないもの。とにかく、人並みに見えるようにはなった。何も知らない人から見れば、私は多くのものを持っているように見えるかもしれない。どんなことも、事も無げにやっているといわれたこともある。しかし、私にとってそれはゼロに戻れただけのことでしかない。世の中が平等になったといっても、自分の意思にかかわらずマイナスから人生を始めなければいけない人たちはいるものだ。世に言われるカテゴリー以外にも、いろいろな意味での「マイノリティー」は、「普通の人」の対極に存在する。
そうして、自分の「少数具合」をそれらの人は語りもしないだろう。「普通の人」に成れることは「普通の人」が考える以上に難しいことだ。

そうやって、世の中を渡ってきたが、emptyのランプが点滅し始めた。
「普通の人」として世の中を騙していけることに慢心して、マイナスからゼロの間に埋めたものがスカスカになってきたみたいだ。
10代に手に入れたものはまだ幾分、有効のようだが、それらが過去の蓄財でしかないことは自分が一番よくわかる。

10代の頃、十数年日記を書いていた。それと同じように、身を削って文章を書きたいと思っている。だから、この場を借りて、リハビリをしている。

ここを訪れてくださる方には、本当に感謝をしている。もし、お願いできるなら、ABCでも○△×でも12345でも甲乙丙でも優良可不可でも100点満点でも結構なので、その日の記事に採点だけでもしていただけると、うれしい。勝手なお願いだけど。
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となりの女優

2005年06月21日 | 食う・着る・住む
空梅雨気味の昼下がり、さわやかな風に吹かれボーっとしていたら、テレビのCMに、松坂慶子様が出ていた。「青春の門」も「蒲田行進曲」もよかったよね。なんかあの腹のくくり具合がいい。私は男優さんより、女優さんの方が贔屓の人が多いのだ。
そしてぼんやりついでにふと考えた。
お気に入りの女優が近所に住んでたら、どうでしょう、ってね。それって、厄介かも。

松坂慶子さん。
いつもはぼんやりニコニコのきれいな奥さんで、たくさん焼いたからとパンを3斤いっぺんにくれちゃう。なのに、寄り合いの時は突然、薄物の衣服を身にまとい、カラオケで歌い踊る。町の爺さんからやんやの喝采。

大竹しのぶさん。
PTAの役を頼んでも、「わかんないし・・・」と当惑気味、でも学校に暴走族が入り込もうとしたときは、「出てきな!!」と啖呵をきってくれたし、変な業者が近くの空き地に残土を廃棄しようとしたときは、「私のお花さんたちが死んでしまうわ」といって、さめざめと泣き、追い払った。業者が帰るなり、けろりとした顔で、「困った人たちよね」と言って去っていった。

吉田日出子さん。
町会費を集めに来ても、いくら出せばいいのかわかるまで10分もかかってしまった。でも、彼女はしあわせそうでした。

菅野美穂さん
鏡を見るとイグアナになってしまう・・・  

ちょっとネタ切れになってきました。思いついたら書いてみてくださいませ。私も、新しいの考えたら、書きますから。
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蛍の里

2005年06月19日 | お出かけ
6月も半ば、蛍の季節である。今日の日曜はきっといろいろな蛍飛ぶ所が人で賑わうんだろうな。
私も人波避けて明日あたり、蛍を見に行こうと思う。
私の住む町の東端に蛍の里がある。ここに毎年通うようになってそろそろ7年。この場所は昔から知っていたのだが、7年前に初めて行った時は、思わず立ち尽くしてしまった。地元の人が保護する、街ではだれでも知っている場所であるが、隠れ里のような場所だ。川の下のほうに車を止め、坂を上っていくと、そこは小山に囲まれた田圃である。町の明かりはほとんど届いてこない。夜の中、かすかな月明かりとほのかな蛍の光だけが、田や周りの山や小川や畦を照らしている。
ここに帰ってこられてよかった、と思えた。初めてきた場所なのにそう思えた。そうして少し泣いてしまった。今の日本では「となりのトトロ」くらいにしか残っていない里山の風景だった。
蛍の名所はいくつかあるだろうが、すぐそばの道から車のライトが見えたり、住宅街の明かりが見えたりするものだ。ここは違う。人工の明かりが全くない中で蛍たちが飛ぶ。
ずっとずっと変わらぬ風景なのだろう。私の父母や祖父母やその前の人々が生まれる前からここでは蛍が飛び、私が怒ろうが、泣こうが、死のうが、この里で蛍は飛び続けるんだろう。
何かに祈りたくなる場所だ。

実は、この場所を2年前に市は整備してしまった。蛍を見に来る人のために橋がかけられ、歩道が作られ、ちょっとつまらない場所になってしまった。悲しい、ことだった。

こどものころ、起きると枕もとのコップが逆さに伏せられ、中に蛍がいたことがあった。夜、カブで出かけた父が私のためにとってきてくれた蛍だった。薄い光を少しだけ放って、すぐ死んでしまった。早くに死に別れた父が私にしてくれた、それほど多くはないことのうちの悲しい思い出である。
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あきちゃんの卵かけご飯

2005年06月18日 | 食う・着る・住む
私がお世話になっている岐阜のパソコンお勉強グループぎふてぃの溜りやさんあきちゃんから、卵かけごはんの素のモニターを仰せつかった。モニター用のお醤油はかわいい小瓶に入っていて、ちゃんとうさとと名入りである。あきちゃんはこういう律儀で研究熱心な人。こういうとこにお人柄というのは表れる。肝に銘じよう。
さてさて卵かけごはん。私は通常、茶碗に卵を溶き、醤油をかけ(昔は味の素を入れていた。うまみ成分が醤油の辛さを緩和してくれておいしかったのだが、味の素自体を買わなくなったので、最近はだし醤油を少し混ぜたりしている)ご飯をつける。これってどうなんだろう。ごはんに卵を割ってお醤油かける人も結構いるみたいだけど、どっちが卵かけごはんとして正統なんだろう。

今回は、私のやり方で、割った卵にあきちゃんのお醤油をかけそこにご飯をよそってみた。
うん、一言で言えば、まろやか。卵の味を損なわず、甘すぎず、醤油っぽすぎず。
あきちゃんの人柄が出ている。卵かけご飯って、こんなにやさしいものだったっけ、って気になる。醤油の加減もうまみの入り具合もちょうどよい。
温泉の朝ごはんにこんな卵ごはんを食べたら、「湯治をした」って気に十分なるよなって味。さすがあきちゃんです。
モニターなんで、褒めてばかりいてはきっと駄目だろうから、問題点も提示してみたりしよう。
問題点1 ここがおいしいとこでもあるんだけど、問題点はおいしすぎるとこ。卵ごはんをwildなものとして食べてる人(どんな人だぁ?)にとっては、やさしすぎる味ってとこかな。上品過ぎるってとこかな。それぞれの人が求める「卵かけごはん」のスタンスにもよるんだろうけど。
「今日は卵かけごはんでもかっ食らって、ガツンガツン1日をやっつけるぞぉ」と思ってる人には
「まあ、ここでゆっくり食べてきなはれ」のように感じるかも。もっと醤油っぽい感じのほうがそういう人には求められるかもしれない。
こういうシンプルな料理(卵かけごはんって料理?)って、それぞれの思い入れって意外に強かったりするもんね。
いわゆるニッチなものって、たぶん癖になるものだと思うんだけど、そういうのって味にも「癖」があるものかもしれないなって考えたりしました。
「卵かけごはん、ハードな一日用」なんてバージョンがあってもよかったりして。

しかし、用途は多そうな感じ。焼餅のたれ、ビネガーを混ぜて和風ドレッシング、なんておいしそうだよ。活用実践。またレポートしますね。あきちゃん、ご馳走様でした。
モニターがうらやましいと思ってる方!あきちゃんとこにgo!
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川端康成ノコト

2005年06月16日 | ことばを巡る色色
それほど好きな本ではなくっても、時々、何度も何度も思い出してしまうことがある。
川端康成という、陰気くさいおじいさんが、私はあんまり好きではない。ノーベル賞までもらっている巨匠ではあるが、その半面スキャンダラスでもある。彼が自死したのはホテルの一室だったように記憶している。子どもの私にとっても、なんだか、隠しておくべき事のような気がしたものだ。某有名女優のひざ小僧をなめさせてくれと言っただの、男色だっただの、その名声とは裏腹なじめじめした部分が彼には付きまとう。こんな時代になって、川端康成を読む人は多くはないのではないか。昭和の文豪は、いつか文学史のものになりつつある。
中学高校といくつか、彼の小説を読んだ。彼の湿った部分が、私の湿った部分をじくじくと刺すようで、とても読み続けられなかった。
ある小説の中の主人公の男は、ある少女を好きになる。男は孤児で、気難しいやつだ。孤児で老人に育てられた川端その人であるといってもいい。男は幸せな家庭に育った少女に強くひかれながらも、結局は別離する。その理由を(孤独な私は明るい温かい人に憧れながらも、結局は自分の孤独と同じような境遇にある人としか生きていけないのです)と、言わせている。
ずーっと忘れているのだが、心のどこかから、この言葉が浮かび上がってくる。それは大抵、まったくかかわりのない状況でだ。
この小説を読んだとき、「私はけして男のようには考えない。自分の境遇と同じでない人を愛する!!」と強く思った。その頃の私は、孤児の川端同様、幸せでない境遇にいた。そこから抜け出したいと思っていた。そうして、川端を嫌いになった。でも、この言葉はふと後ろを振り返るとひっそりついてくる。その意味で川端は凄い小説家なのかもしれない。
こんな湿っぽい小説は最近はもう皆読まない。それはいいことなのか、よくないことなのか。

今日のオールドノリタケ。ピエロのフィギュア、ソルトアンドペッパーです。そこにはコルクを詰める穴、頭には調味料の出る穴があります。マークはjapanとしか入っていません。old-noritakeのセット物はどれかにだけnoritakeのマークが押され、残りはjapanのみのものも少なくありません。このような調味料セットの場合、大抵トレイにM-japan noritakeがついています。
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私の赤いかわいい子

2005年06月15日 | 食う・着る・住む
明日、やっと私のかわいい子が帰ってくる。もう、1週間も離れたままだった。君がいない日々は長かったよ。真っ赤なかわいい、私のエクストレイル。やっと修理が終わったと、ディーラーから電話があった。
それは先週のこと、火曜の午前中に車で出かけた。我が家の東はずーーーーーっと田圃。今は田植えの真っ盛りである。いつもはほとんど人影のない道も軽トラがたくさん止まっていて、とっても賑やか。この辺りはすっごく見通しがよい。我が家は台風の季節になると東風の直撃を受け、瓦が巻き上げられてしまうほど(一度などは2階の屋根の高さまである泰山木が倒れてしまったほど)、なーーーーーんにもないところだ。ところが事故はとっても多い。田んぼにハマッテいる姿は哀れであるが、見慣れたもので、1ヶ月に1度程度見かける。あまりの見通しのよさに皆注意力がテレテレになってしまうんだろう。10年ほど前、私もトラックにこの見通しのいい道でぶつけられ、杭にバウンドして、廃車にしたことがある。さて、今回の事故である。わたしは気分よく走っていた。道の左側には普通車と軽トラが止まっていた。田植え用の苗も右側にはあった。当然、通れる幅は広くない。その時!軽トラのドアが開きました・・・・たいてい軽トラのドアってむやみといっぱい開いてしまうのです。そんで、強化プラスチックのフロントは穴が開き、フロントドア、リアドアまでザザーッと。私だって避けましたよ。しかし、それにも限度があるよね。腰が砕けました。怪我がなくってよかったねというのは、確かですが・・・
代車はキューブでした。私はどちらかというと、こういう系の車が嫌いで、エクストレイルの前はラルゴ、その前はプレーリーに乗ってました。しかし、1週間乗ってみると、小回りが聞いて楽チン。ちょっと日和ってしまいそうな自分が情けない。
うーん、そろそろでかい車でもないのかもしれない。(でも、セダンに乗るならジャガーがいいと思ってる、身の程知らずな自分もいたりして)

今日のオールドノリタケ。影絵風デコレディのアッシュトレイ。灰皿です。デコレディ物はとにかく高価で、人気高です。でも、それも肯けます。old noritakeファンなら、どうしても欲しくなるよね。
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オールドノリタケ!!その2

2005年06月12日 | コレクション
前回に引き続き、オールドノリタケです。オールドノリタケはC&S,トレイ、タバコアイテム、ドレッサーセット、卓上(コンディメント)セット、チャイルドセット、どれも見ているだけで、楽しい。完成度の高いヨーロッパの窯。失敗したらお手打ちにされてしまいそうな茶碗って、どうでしょう。私はそれに破綻を許さない冷たさを感じてしまいます。すかしてんじゃないよって思ってしまいます。どこかcheapなところもある、オールドノリタケの懐は深い。



風景柄いわゆるcountry scene、tree in meadowと呼ばれるものですが、それらのほとんどは秋の景色で、このように冬景色はめったにありません。冬は冬で味わい深いです。



デコレディ、ジェントルマンのナプキンリング。デコレディはノリタケ・アールデコの中でも、もちろんトップアイテム。垂涎のアイテムです。当時のアメリカではファンシーショップで売ってたのかな?お誕生日とか、クリスマスとかにプレゼントしたのかな。



青ラスター、バラと蝶のカップ&ソーサーです。これはトリオでもっています。虹色に光るラスター。ラスターの多くはこの青と、オレンジです。



白鳥のスナックセット。スナックセットは横にお菓子やパンを置けるようになっています。テニスセットとか、ランチセットとか呼ばれることもあります。白鳥もよく使われるモチーフ。このセットは光琳ばりの梅のような花がついています。ジャポニズムですね。



アールデコ全開のトリンケット・ディッシュ。黒と金のジオメトリックな帯、図案化された花、どれをとっても惚れ惚れしてしまいます。このモチーフのトリンケットボックスも所有しています。また、機会を見てアップしたいと思います。

私の今の関心は、アールデコです。いわゆるM-JAPANの裏印を持つ戦前までのもの。1930年前後の10年間程度アメリカに輸出されました。それまでのアールヌーボーとは違い、軽やかで、カラフルで楽しい。最近のレトロ、ヴィンテージを見直す傾向とあいまって、大いに注目が集まっているのも頷けます。アメリカの趣向に合わせて作られてはいますが、本当は、日本人にこそ、オールドノリタケアールデコの良さがわかるんではないかと、私は思っています。どの図案もすぐに着物の柄にできそうですし、織部を生んだアヴァンギャルドな美的感覚が日本人には流れていると思うからです。西洋の窯を見ても織部のように自由でありながら優雅なものはないのではないでしょうか。その織部に通ずる、破綻と調和の絶妙な均衡。洗練と野暮の共存。繊細でありながら大胆。それらが、オールドノリタケが、多くの人をひきつける理由ではないかと思います。

当方、何分にも泡沫コレクターです。説明に間違いがありましたら、ご指摘いただけると幸いです。
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オールドノリタケ!!

2005年06月09日 | コレクション
休題閑話
本ブログも佳境(?)にはいってきたので、ご要望(←誰の?)に応え、今まで載せたオールドノリタケのおさらいをしたいと思います。ゆっくりお楽しみください。



アールデコ期のフィギュアと呼ばれる中国人を模したものです。フィギュアとは女性、ピエロ、植物、動物などの形をしたもので、他の西洋磁器にも見られるものです。オールドノリタケでは、特にアールデコ期に多く作られました。ノリタケ・アールデコファンの中でも一番の人気を誇るものです。たいていは、化粧セット、タバコセットなどに見られます。なんだか、ちょっと寂しげでノスタルジックです。


このトレイはオーストラリア輸出向けのもので、裏印もオーストラリア向けのものが記されています。カラフルなアールデコとは少し趣が違い、茜、レモン色でぼかしてあるのもオーストラリア向けの特徴かもしれません。カンガルーも、「らしい」です。



NIPPONの裏印を持つC&Sです。白い盛り上げがぐるりに施されています。この頃の手技は、気の遠くなるような細かさを持っています。大正ロマンの西洋館に似合いそうです。




アールデコ期の灰皿、もしくはソルトディッシュ。トランプ柄もよく用いられたモチーフです。ほかにマージャン柄のアイテムもあります。jazzageの雰囲気ですよね。


チャイルドセットです。ままごと用でサイズは小さいのですが、細部は普通のセット同様の仕上げです。こんなのをクリスマスにもらったアメリカのお嬢ちゃんは幸せものですね。森村ブラザーズはこのようなチャイルドものも多く輸出しています。

オールドノリタケは大きく分けてnippon期(アールヌーボー期)とアールデコ期に分かれます。第2次世界大戦までの日本の輸出産業を支えていたのがノリタケです。その工場は名古屋の則武地区にあり、戦後の輸出をトヨタが支えていることとリンクして、東海地方の職人気質が世界に広がることの意味を考えさせます。大量生産ではあってもその中に作り手の心意気を感じさせるものであるものであるということかもしれません。それは、失くしてはいけない日本人の気質であるのかもしれません。残りのいくつかについては、「オールドノリタケその2」でご紹介します。
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最後の晩餐・お茶編

2005年06月06日 | 最後の晩餐
その1   紅茶
私は高校生の時紅茶フリークだった。結構飲み歩いた。しかし、正当な紅茶飲みではないので、アールグレイか、ロイヤルミルクティーを飲む。ベルガモットなどのフレーバー系の紅茶が好きだ。ここも正当な紅茶飲みでないとこだが、フォションなどの由緒正しい会社のものより、トワイニング(ごめんなさいトワイニング)の方が好ましい。発酵の具合が違うのだろうけど、ごっくごく飲みたい私はやっぱりトワイニング。他のところは一言で言えば、漢方っぽい味な気がする。トワイニングはレディグレイもなかなかよい。無印のフラワーフレーバーティもいいかな。
紅茶ではないが、ジャスミンティーも好き。神戸などの中華街で、B4サイズくらいのでっかいジャスミンティーを買い(中華街だと、千円くらいで買えちゃう)、夏場は麦茶を飲むように冷やして飲む。汗でどろどろの体が、内臓からさっぱりする。もちろん熱いのもおいしい。

その2   お茶
台湾の凍頂ウーロン茶はうまい。日本でウーロン茶というと茶色で渋いのって感じだけど、凍頂ウーロン茶はほとんど緑茶のような味。しかも甘くて深い。ただ、それなりに高価。100g千円くらいは出したい。高いのは際限なく高いので、千円位のがちょうどいいかも。しかし、何度も飲める。因みにアールグレイも何度も飲む。二番煎じ、三番煎じも、味が熟れておいしく飲める。

その3    水
ぎふてぃ情報によれば、「のあな」の水がおいしいらしい。あきちゃん情報によるものだが、みのるさんによるとどうやら、味つきらしい。試さねば。
売ってる水なら、やはり、スパークリングのミネラルウォーターがいい。不思議で楽しい。
都会の水はまずい、田舎の水もO-157騒動の後、ずいぶんカルキ臭くなってしまった。私が忘れられない水は、徹明小学校の外の水飲み場の水。高校のころ、この小学校の隣の公民館をお借りして練習やら、発表やらをしていた。小学校の水は冷たくて、甘かった。締め切った公民館で、蒸れたからだがすぅーと冷えていった。おいしくておいしくてごくごく飲んだ。ここだけが、井戸水だったんだろうか。ミネラルの味と言うものだったんだろうか。「美濃」の味がした。その後飲んだことはないのだが。
あの頃、あのあたりには、夜のおばさんが立っていたっけ。猥雑な時代に、食べ物飲み物は清らかだった。今とは逆だ。
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ことばの海・物心期

2005年06月04日 | ことばを巡る色色
ことばは海のようだ、人を造り、育む。「はじめにことばありき」という神話を持つ人々もいる。何故その(たみびと)がそのように信じたのか諸説はあるが、私はその海の中に溺れ、漂い、泳いでいく。その先にある岸は何の国だろう。

「白鳥の王子」
幼いころ持っていた数少ない本のひとつがこれである。何度も何度も読んだ。その頃は国中がまだ貧しかったので、どんな本も際限なく買ってもらえることなどあり得ないことだった。「さあ、本を買ってやろう」と言われて何日も本屋に通っては迷ったものだ。町の商店街でただ一つの本屋で買ってもらったのだが、何故これを選んだのかは覚えていない。魔法で鳥にかえられてしまった7人の兄を人に戻すために、妹姫が衣を編む。それは、夜中に墓場の茨で編まなければならないというお話だった。当然ハッピーエンドなのだが、墓場・夜中・茨しか私の記憶に残っていない。
どんなにか姫は心細く怖かったことだろう。世の中で守ってくれる人は誰もいない。兄たちは夜中しか妹をはげますことができない。それも「ぐえっぐえっ」という鳥の声でしか。この領地の将来と兄たちの人生のすべてが、茨で荒れ、血だらけになった彼女の細い指にかかっているのだ。兄たちは人はよい(鳥はよい?)のだが、彼女の仕事の役には立たない。
なんという不条理!
最後に兄たちは人に戻り、彼女も姫に戻ってめでたしめでたしなのだが、結末部での彼女の印象は薄い。ひたすらに身を捧げることの似合う子なのだ。この手のお話では、男の子は「お馬鹿りん」が多い。人はいいのだが魔法をかけられてしまい(蛙さんにされてしまった要領の悪い奴もいる)、たいてい女の子が助けるということになってしまっている。女の子は助けるために夜のお仕事を余儀なくされる。なんか、今時の女子にもちょっと似通ってたりして。
しっかりしろ、兄たち、男たち。君たちに克服策はないのか!

この頃から、貴種流離譚っぽいものをよく読んだ。「日常は、貴種が正しく明かされ世に認められるための試練である」という発想が私の中でどんどん育っていってしまった。今考えるとこれは結構な危険思想なのだが、素直な子の私は一直線にその考えに進んでいった。「黄門様の印籠」「金さんの桜吹雪」「王家の紋章」がなければならぬ!と思ったわけだ。残念ながら私の家計も経済状況もそんな「印籠」とは縁のないところにあった。先祖も親の職業もフツーだったので、私は勉強をすることにした。幼い私にとって、それが「貴種」となる一番の早道に思えたからだ。

「幸福の王子」
アンデルセンのお話。これを読んだ時私は、ばっかじゃない!と思った。宝石を身に着けるような王子なら、まずそれを一つ売って、それで多くの困った人やら動物やらに分配すればいいのに。みんなが要るだけ分けてもらえば、オールハッピーだったはずなのに。王子は算数ができなかったんだろうか。いや、ヤンゴトナキ身の人はそんな細かい算数をしないものかもしれない。こう考えるのは貧乏人の発想かもしれない。そうやって王国は衰退していくのかもしれない。
お話自体も王子の親切を諸手をあげて賞賛していない気がする。アンデルセンも貧乏な子だったのかもね。

貴種を巡る別のお話。最近「一寸法師」を古文で読んだ(多分いろいろ写本があるのだろうが)。年老いた夫婦は神様に頼んで子を授かったが、いつまでたっても大きくならない。そこで疎ましく思った二人は夜中に「あの子は私たちへの神様からの災いなのか、あんな大きくならない子はいなくなってしまえばいいのに」と話をする。それを察した一寸法師が、居づらくなり都に出るというものだった。なんてかわいそうな一寸法師、一寸の身で頼れるのは老夫婦だけだったろうに。昔の人はなんとストレートで残酷なことでしょう。
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最後の晩餐・ケーキとコーヒー編

2005年06月02日 | 最後の晩餐
以前、「最後の晩餐」というテレビ番組があった。あなたは最後の晩餐に何を食べますかというものである。はてさて私は何を選ぶだろう。考えてみると浮かぶのは、旅先のものが多い。やはり旅というのは、「食べてやろうじゃないか」という意気込みがあるからだろう。ここでは「食べてから死にたいぞ」というものを書いてみようと思います。(昨日は本について書くぞ、って思ってましたが、あきちゃんの読んでおいしいものについて書きたくなってしまいました。本、おいしいもの、テレコでちょっとずつ書いていこうと思います。)


その1  ケーキ
あきちゃんのとこでも少し言ったが、私の好きなケーキは、フランセヤノのもの。ここのはちゃんと洋酒も入っている。最近のケーキは甘くて柔らかければよいというのが多いが、そんなケーキは人でなくても焼けるんじゃないだろうか。スポンジのキメの細かさに反って私は嘘っぽさを感じてしまう。体を洗う「スポンジ」を食べているような気になる。味も甘いだけで単調だし、使ってある生クリームも乳脂肪分の少ない嘘っぽいものだし、工場で流れ作業で作ったようなものが多いのは残念だ。いくつでも食べられますよっていうケーキ屋の陰謀だろうか。ケーキは濃くて甘くてほろ苦くなければ。

その2   (ケーキとくれば)コーヒー
コーヒーがおいしいのは、田神のハローワークから1本北にあるカルチャーという喫茶店。ビルの一階にある。ここも本当っぽい味がする。味・香り・苦味・甘みがそろった喫茶店ってなかなかないけれど、ここはおいしい。世の中で(おいしい店)として紹介されているのは、(雰囲気のいいお店)であって、それがおいしいコーヒーとイコールではないと思う。正直なところ、(おいしい店)と聞いて入った店は、ほとんどが、(雰囲気のいい店)だった。みんな本当においしいと思って飲んでいるんだろうか。(おいしい気がする店)だっただけじゃないんだろうか。それとも私がわかんないだけなんだろうか。


その3   カフェオレ
お子ちゃまな話なのだが、高校まで、コーヒーが飲めなかった。(紅茶も中学になって飲めるようになったもの。進歩の過程が見えます。)部活の朝練の時、友達が買ったミスタードーナツの薄いコーヒーを貰い飲みして、やっとコーヒーが飲めるようになった。だから今でも、砂糖とミルクの入ったコーヒーが飲めない。なんだか気持ち悪くなってしまうのだ。コーヒー牛乳も後味が悪い。でも、イタリア、フィレンチェ郊外のホテルのカフェオレはすーーーごくおいしかった。コーヒーのポットとミルクのポットがテーブルにおいてあり、自分で勝手な分量で注いでよしというもの。イタリアはステーキもおいしかったので、多分、牛乳(牛)が違うんだろう。もう一度飲みたい
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ことばの海・黎明期

2005年06月01日 | ことばを巡る色色
実は私、国語国文学科卒です!!と言ってもあんまり「実は」の意味はないのですが...
中学の頃、教科として得意だったのはむしろ数学だったかもしれません。しかし、その頃から国語学をやるぞという意気込みだけはあった!!それは「ことば」が私にとって、魅惑的なものだったからだと思う。人前ですってんころりんと転ぶより、間違ったことばを使ってしまうことの方が私にとっては恥ずかしいことだったし、今もそうかも知れない。今日はそんな私の読書歴をひとくだり。

黎明期

「いなばのしろうさぎ」  年代が知れますが、私のこどもの頃は昔話や神話に題材をとったものが多かったように思います。「皮を剥くってどうよ、塩水がしみるし」と妙に生々しく刷り込まれています。同様に「かちかち山」も痛そうで怖かったし不条理だし、「ウサギとかめ」も「ウサギが本気を出せば絶対勝てることをどう説明するんだ」とこどもながらに心配したものです。まだ、「~レンジャー」みたいのほうが、教育上いいような気がするけど、あの頃の大人は「罪と罰」が倫理だったんでしょうか、とにかく怖いのが多かった。
しかし、その中にあることばのリズムというのは面白いものだった。大人になって松谷みよ子の民話集を読みましたが、それも、すっごく面白かった。「ほいこらどっこいどっこいしょ」みたいな掛け声があり、ことばにとっての「調子」というものが、お話の内容と同じくらいに大切なもんだと実感しました。「掛け声」が、読んでいてトランス状態に連れて行ってくれる。当然、声に出せばもっと効果は大。「読む」ということはやはり、音としてのことばとは切っても切れぬものだと思います。最近は「声に出して読む~」が注目されていますが、「字」のみで考えられることばはやはり、完全な「ことば」ではないと思います。こどもにとっても、音読は大切なことだと思います。学校でももっともっと注目されるべきだと思う。そういえば、教科書を音読するのも好きでした。ほとんど暗誦してました。
私はこの頃、足が悪く外で遊ぶことを禁止されていました。幼稚園も母の自転車に乗せられてかよい、半年は休園し、ギブスを見られるのがイヤでほとんどを家の中ですごしました。何もすることがなかったので、教育テレビで小学生の算数とか、理科とかを見ていました。ここで、ちょっと人生は変わってしまったのかもしれません。

「ちび黒サンボ」
これはたぶん民話だと思うんだけど、「ちび黒」というところが差別用語に引っかかってしまって発刊されなくなってしまったのは残念です。この頃の大人は何の戸惑いもなく「くろんぼ」とか言ってましたもんね。無頓着な時代でした。この本は、「ちび黒」という題名を代えるなりして残すことはできなかったんでしょうか。とにかく内容がシュールです。あまりのシュールさに脳が活性化されるほど。なんせ、木の周りをぐるぐる周るトラがバターになっちゃうなんて。書いた人が今放送作家になったら抜群の人気を得られるでしょうに。これも音読しました。やっぱり、ハイになりました。何度も何度もハイになりたくって音読しました。今考えてみると音読しながら恍惚としている小学生の私って変ですかね。

これら幼年期に読んだ民話系のお話は自分の底に静かに深く潜んでいる気がします。たとえば人との間で辛いことがあった時などフラッシュバックのように浮上してきます。「あの人の周りをぐるぐる周ってバターになりそうだ」なんて風にね。

書いてるうちにどんどんいろんな本を思い出してきてしまったので、続きはまた次回に。
コメント (8)
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