うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

神無月

2007年10月19日 | ことばを巡る色色
あたしは 君の役に立てたのだろうか。
君がその扉を開けて世の中に出て行く役に 立てたかい?
初めて君に会ったのはいつのことだったろう。
その日も今日のような冷たい雨が降っていたような気がする。
そっとそっと しないと
あたしが君を壊してしまいそうで
こんなに大事に思っているのに だから傍にいたいのに
不器用な巨人がガリバーをそっと摘むみたいにしていたよ
あたしは君の痛いところも弱いところも何にも知らされずに
君に出会って
ただ 君が 一人で歩いていけることだけを願っている
本当は ずっと一緒にいたいのかもしれない
そう考えるだけで 泣けそうになってしまって情けないのかもしれない
そういうのって 変な気持ちだ
変だよね
頼りたかったり 頼られたかったり
頼られているってことに 頼っていたり
でも 外は いろいろな色に満ちていて 
怖いものもあるけど 眩しいものもある
だから 君は一人で そこに行くのがいい
一人で 働いて 食って 寝て 恋をして あたしを忘れて
あたしがいなくても 働いて 食って 寝て 恋をして あたしを忘れて
そうして もう一度会おう
きっと 不器用にしか会えないけれど
いつだってあたしは 
君にもう一度 会いたいと思っているよ 
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お大尽と簪

2007年10月15日 | ことばを巡る色色
日曜は名古屋に所用があった。仕事関連だったけれど、済ませた後は休日。車を豊田鞍ヶ池まで走らせた。10.11月は、トヨタ自動車の創業70年記念で、鞍ヶ池にある豊田喜一郎氏の別邸が公開されている。設計は鈴木禎次氏。

公開はこの10月の土日のみ。一階部分だけの公開で、ガウディを模したという地下やら、和室を持つ2階も見たかったなあとちょっぴり不満。豊田さんって徳川家康に似てるなって、ふと思う。戦国武将が傾いたり金ぴかしたり侘び寂びしたりしてる間に、鳴くまで待っていたんだな。故に太平の豊田王国、豊田幕府を築き上げたのかな。
私は、へそ曲がりなので「へうげもの」が好きだけれど、鞍ヶ池記念館の美しく刈られた芝生の小山、アテンダントのおねえさんは優しく丁寧で、その意味で豊田さんを尊敬する。お商売の形もいろいろあるということだ。

鞍ヶ池を出て、もう一度名古屋方面に向かう。そうして長久手の名都美術館へ。只今は、「櫛簪秀品展」 それはそれはたくさんの簪を見せていただく。今まで意識していなかったのだけれど、日本髪は多くの簪で留められ結われ櫛で飾られる。それは冠をパーツに分け、髪でフォルムを作り上げていくということだったんだ!これほど複雑に髪を結う文化というのも、なかなか稀有のものなのだということに初めて気付いた。櫛簪のみでなく、それを加えた結髪自体がゲージツのようなものであるのだ。マリーアントワネットの鳥かごを飾り込んだ数十センチある髪型に負けず劣らずファンタスティックなものだ。
そうして名都美術館。素晴らしい日本画コレクションだった。昭和のお大尽は大観とか松園とか平山郁夫とかのコレクションがおなじみのラインだ。きっと社長室に飾りやすいのだろう。ネームバリューもリーゾナブル。「この絵は大観ですぞ」といえば、「ははぁー」ということになり、簡単である。画廊さんのいいカモだったろうなと思わせる「社長コレクション」だが、名都美術館の松園さんはワンランク上のものだった。利益超過だから、ちょっと画廊に出かけて買いました、という物とは全然違っていた。建物が新しいのは私としては少し残念だけれど。うーん、林テレンプさん。お目が高い。
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今日のお大尽@楊輝荘

2007年10月13日 | ことばを巡る色色
昨日は名古屋にてお仕事。ただ、一番目のお仕事と二番目のお仕事の間につぶさねばならない時間が7時間あり、それではと覚王山日泰寺に出かけました。縁日でもない平日の参道はほとんど人影もなく、ただただ天に突き刺す塔。

そうして、かねてから訪れたかった楊輝荘へ。このお宅は松坂屋創業者、伊藤左衛門祐民さんの別邸。かつてはこの一帯全てが伊藤さんの地所だったそうで、公開されている北園だけでもかなりのお庭。
こんな観月の橋やら



茶室やら


池には船を浮かべて宴を催されたそうな。

まだまだ次の仕事には時間があるので、今度は産業技術記念館へ。


レンガを通る秋の風に吹かれながら考えた。私達の時代の建物は、100年経ったとき、どんな風に未来の人の目に映るのだろうか。果たして愛されているのだろうか。
かつてのお大尽の脳天気なほどの大きな大きなお屋敷や、どう考えても本来の使用目的には関係なかろうって程に装飾された産業遺産。お屋敷や工場や橋や、には、気づかぬようにそっと花やら鳥やら魚やら小動物やらが散りばめられている。お屋敷や産業遺構は、当時の人々にとって心を込めて荘厳すべき物だったのかもしれない。そんな飾りを今の高層ビルにくっつけても、少女趣味や悪趣味になってしまうのに。当時の経済格差は、現代のそれとは比較にならないほど大きなものだったろう。だからこそ、お大尽は広大なお屋敷を建てることができたのだろう。それはわかっている。だのに、そのお大尽の御商売の結果として残ったお屋敷が、こんなに愛すべきものであるのはなぜだろう。それと比して、戦後民主主義の現代の中で建てられた高層ビルが冷たく掴み所がないのはなぜだろう。その答えを見つけるために、またわたしはお屋敷を訪ねて歩く。
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山を串ざす

2007年10月08日 | ことばを巡る色色
今日は岐阜駅前の岐阜シティ・タワー43の開業日だったようで、全国ニュースでもセレモニーに出る注目の「聖子ちゃん」と「ゆかりたん」が報道されていた。ココはJRの岐阜駅至近の高層ビルで、上層にあるマンションに住まいを持てば、名古屋にも自宅ドアから30分以内で到着する。名古屋地下鉄沿線に住んでいても、30分で名古屋駅につく家を持つことは容易ではなかろう。乗継がうまければ、7:30に家を出て東京10時の会議にも間に合う。それ故に多くの名古屋系大企業の方々が入居されるそうである。JR岐阜駅には繊維の問屋町があり、それは私の子どものころは「ハルビン横町」と呼ばれていた。大学の頃にはそこの業者向け福引の受付のバイトをしたことがあった。韓国から来た繊維買い付けのオモニたちが炊飯器やらジューサーやらをうれしそうに持って帰っていた。それは遠い昔のことだ。岐阜の繊維は構造改革やら格差社会やらの波をもろに受け、ほとんどシャッターが閉まっている。当然の時代の流れかもしれないけれど、「人生いろいろ」と豪語するあの(ひとたらし)のお方の推し進めてきた地方軽視、弱肉強食の施策が一因を担っていることを忘れてはならないと思う。今も、「やっぱし、わかりやすい言葉で、どんどんやってく人は良い」という人もいるけれど、その結果、地方がどのようになっているのか、労働年齢層がどれだけ世の中に倦怠しているのかを、忘れてはいけないと思う。
私の家は、東は遠く地平線が見えるような田舎にある。そうして西には伊吹、養老の山々に大きな夕陽が落ちていくところだった。ほんの数ヶ月前までは。岐阜シティ・タワー43はうちから見える山々を真っ二つに串ざす形で建築された。これで、この町のシャッターが開けばそれはそれでめでたいことだ。たとえその住人が巨大なカイゼンの企業の人々であろうと、この、少し湿った、土の匂いの風の纏わる町をホームタウンと思ってくれれば、それに越したことはない。しかし、県庁所在地の駅前がベッドタウンになるということが、どうしてそんなに明るくめでたいことなのか私にはわからない。

携帯関係続報。
PCにあった音楽データを携帯に保存。まだネットで注文したマイクロSDは届いてないけど、本体に入れたデータはなかなかいい音でヤマハのチップを通して聞こえています。今回の保存はmp3形式でたまたま保存していた物をiTunesを通して取り込んだのだけれど、うちのPC内音楽データのほとんどがrealaudioで保存してありiTunesに吐き出せない。格闘、しています。簡単でラクチンな方法をご存知の方はどうぞお教えください。お願いします。
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銀の実

2007年10月06日 | ことばを巡る色色
今年は遅くまで暑い日が続いたせいか、それとも「表年」なのか、彼岸花が例年より、一斉に紅い。去年はどうしても白い彼岸花が見たくて、出かけたけれど、白いどころか赤いやつも疎らでさびしげだった。今年のはすごいよ。そこから火がついてめらめらと畦が燃えていくのではないかというほど満開だ。
この時期になると、思うことがある。うちの近くの市道は銀杏並木だ。ぽたぽたと銀杏が落ちている。盛りにはあたり一面、心地よくはない匂いが立ち込める。
「拾いたい!」
「車に撥ねられるつぶされるくらいなら、わたしが食べたる!」
ころころ炒って松葉に通して、いいじゃんいいじゃん。
しかし、しかしである。まずは拾うという作業がある。交通量は結構ある。夜中に自転車で行くか、朝駆けか。まるで盗人(確かに!)だね。拾うにも素手では無理だ。手袋持って割り箸持って、袋に入れても、きっと匂いはついてしまうだろうね。その先も難儀だ。「土に埋める」とか、「用水に吊るしておく」とか聞くけれど、きっちりにおいが取れるまでにするには結構な手間と時間がかかりそうだ。そうしてありつけるのは小さい銀の実。でも、それもいい。そういうのを売ってちんまり暮らすというのも、世捨て人のようで、ちょっと憧れる。
が、先日、車で通りかかったときに、親子の猛者を見た。
老年の父と中年の息子が、街路樹の下にブルーシートを敷き、木を揺らす棒を手にバケツ一杯の銀杏を携えていた。何たる蛮行!やっぱ、王道はこっそり唄でも口ずさみながら、であろうに。
おお、急がねば、彼らに拾い尽くされてしまわぬうちに。今年こそ、朝陽とともに起き、銀の実を拾いに行かねば。
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910SH 風と雲と鶴

2007年10月02日 | ことばを巡る色色
先日、携帯電話を変えた。それまでの携帯は、「J-phone」のもの。もちろん、QRコードも読めないし、おサイフ携帯でもないし、ほとんどwebもしないし、SDカードも入らないしね。それはそれで、不便はない。なんなら、使えるとこまで使い倒してやろうじゃないかと思ってたんだけどね。だって、どんどん携帯変えるってちょっとおかしい。固定電話の受話器だって、そうそう変えやしないし、冷蔵庫だって、掃除機だって、普通は使えなくなるまで使うじゃない?そんなささやかなポリシーを持ってたんだけれど、わたしの携帯を見る人からは、「え、J-phoneってまだ使えるの?(←使えます、全然大丈夫です)」「写メ撮れるの(←撮れます、あんま撮ってなかったけど)」3年の酷使に耐え、振り回しても落っことしても大丈夫なヤツだったんだけどね。ただ、910SHって言うカメラ機能に特化した携帯が値下げしたってことを知って、そろそろ変えてもいいんじゃない、携帯としてってより、デジカメとしてね。ってことで、携帯ショップに出かけたのでした。ホワイトプランやら、スーパーボーナスやら、ジャングルの中を歩くように、複雑怪奇な(だって、ソフトバンクの公式サイトにはその値段も書いてないんだよ。売ってるとこが値段を明記してないって一体どういうことでしょ)システムを潜り抜けて、やっとのことで、手に入れた。そんな訳なので、910shは最新機種って訳でもないいわば型落ちの前年機種だけれど、3年ぶりに新しい機械を持つのは、正直楽しい。わくわくしてる。わくわくついでに、京都に出かけた。
京都お出かけの訳は、祇園閣の特別公開と、京都国立博物館の常設に宗達の「風神雷神」が展示されているから。

祇園閣は高台寺近くにある。元はといえば、ホテルオークラの大倉さんの別荘。90過ぎた大倉さんは、鶴のついた傘型の銅閣を作りたいとダダをこねた。まあまあ、といさめられて作ったのがこの祇園閣。それでも、十分面妖な塔ですね。いつもは公開されておらず、この機を逃すといつ入れるかわからない。閣の上からは京がぐるりと見渡せる。横に建てられた別荘は非公開だけれど、いつかは見せていただきたいものだ。
そうして、国立博物館。ここは京都にあっても駐車場が無料。さすが、日本国は太っ腹。500円の入場料で、出るわ出るわのお宝の山を見られる。地方の企画展が束になっても、もちろんかなわぬ。夕方近くに入ったので、全てをむることはできなかったけれど、鷹揚な建物に、こちらの気分も鷹揚になり、ゆったりと見せていただいた。「風神雷神」想像とは違い、金ぴかではない。神様達もみっちり書き込んだという風ではない。大和絵のようなざっくりした筆さばき。しかし、やっぱり、これはすごいよ。風が吹き雲が飛ぶ。青い帯がひゅるりひゅるりと風になびく。それから、光悦の美しい筆ののった鶴の巻物。するすると飛び始め、ついと飛び立ち下降したかと思うと群れが集まってきた。その瞬間、ばさばさと多くの鶴が羽ばたく音が聞こえる。巻物に物語を書くという形が、日本の感覚を育んだということは確かだ。絵巻物の時代から日本は、時空の流れを見る感覚を持ち続けてきたのだ。


うきうきの新しい携帯で写真を撮ってみた。いかが?
コメント (4)
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