うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

sacred places as asyle

2010年12月21日 | お出かけ
ここしばらくは、寺社を巡っている。
もとはと言えば、茶碗→oldnoritake→洋館→街道・歴史的建造物→ って流れである。
流れ自体、不純 である。不純ついでに朱印帖持参である。
巡っているのはほとんどが文化財指定、これまた不敬である。
忘れもしない、あの秋の日。国道41号の上に走る高速道路の向こうに山間の村を跨いで大きな大きな虹を見た。あんなに大きく鮮やかな虹を何年も見てなかった。
目的地は白山長滝神社だったのだけれど、観光案内で奥に白山中居神社というのがあるというのを読み、小雨の中を向かった。阿弥陀ヶ滝に寄って、上へ車を走らせ、林間の注連縄の結界をくぐり着いたのは、聖なる場所の杉と橋と潔斎の川と磐境とお社だった。
偶然の気まぐれで来たのだとは、とても思えなかった。私は不純な不敬な人ではあるが、これはもう必然の場所だと思えてしまったのだ。
その秋は不思議なことに、寺社に出かけるたびに、虹やら彩雲やら龍雲やらを見た。
私は必然に従って、古聖地巡礼をしている。
不信心の私が何を信じ拝しているのか、自分でもよくわからないが、これはこれで、私の信仰であるのかもしれない。人は、特に大人になってしまった人は、自らの必然に逆らわず、身を任せるのが正しい道のりであるように私は思う。

世の中ではpower spotが人気とのこと。当然ながら、私もそんな人たちに最近はよくご一緒となる。戸隠奥社は、初詣のような凄い行列で、そこかしこから「パワー」って言葉が聞こえるし、可愛いお嬢ちゃんたちがいっぱいだし。人出のあまり奥社まで辿りつけなかったり。鞍馬寺では、小学生の会話から三角の石のとこで拝むのがパワースポットって知ったり、貴船神社は手をつなぐカップルだらけだったりするんだけど。
何かに取り上げられているから行ってみるって、もったいない方法だと思う。そんなマニュアルに従わなくっても、聖なる場所は、そこに立てば、聖なる場所である。「行く」ものでなく「体感する」ものなんじゃないかなって思う。
なんだか、アブナイ人みたいだけど、確かにずいぶん、アブナイ人になってるかもしれないけど、知己の人々には引かれそうだけど、そう思う。
休みになると、車を走らせて行きたくなる。山と石と湧き水と川と滝と森と地と風と雲とが、ここは聖なる場所であると教えてくれる。森羅万象と古代からの思いを「神」と呼んでいる場所は、ざぶざぶと細胞のアクを洗い清めてくれる。邪念の徒である私には、それが必要の必然、なんだろう。

岐阜、滋賀、京都、福井、富山、長野、奈良、和歌山を中心に巡った。いい場所に住んでいるものだと思っている。出雲の方が遠いのは残念だけど。ココからはアブナイ人がちょいと独り言を発しますよ。
強く体感したのは、大斎原。入った途端に総毛立ってしまった。凄いところだ。さすがに上皇がのめり込んだ熊野。小栗判官が甦生した場所だ。
貴船神社奥社。なぜか左半分にピリピリした感じがしちゃった。本殿から冷たい空気が出ているかのように、その通り道だけ息が白くなって流れる。由緒書き通りの龍穴なんだろうな。
上賀茂神社 雷の名の通りピリピリする三角錐の二つ山。
石上神宮 ものすごく気持ちの良いところだ。神器を振る布留。物部の聖地だから岐阜の民には気持ちよく感じるのかなあ。
御上神社 ここも心地よい。さわやかで優しく心地よいところだった。
白山中居神社 やっぱり特別な場所なんだろうなって思う。
忘れがたいところはまだまだある。
丹生都比売神社(姫は山間の小さな郷にあまりに美しい御身を秘していらっしゃる)
戸隠神社奥社(あまりの混雑に遥拝しましたが、お山とお山の岩や雲が凄かった、九頭龍で。)
平泉寺白山神社(苔も美しいけど、中世都市も目もくらみそうだけど、やはり御手洗池)
室生寺(奥の院への参道の木立が)石山寺(奥の池あたりが本来の場所かな)

なぜ私は、それを必要とし、必然としているか。
最小限の暮らしをしている。最小限の物を買い、最小限の人と会い、最小限の仕事をし、最小限のものを欲す。
最小限のことを望む。であるから。

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神なき時代の神仏習合その4

2009年11月18日 | お出かけ
何度か検索を繰り返し、HPやらブログやらを読み、ネットの森の中にさまよいながら、数日かけてやっと少しわかってきた。
どうやら、ご夫婦の語った二つの地を往復することを勧めているブログがあるらしい。
そのブログは人気ブログであるらしい。
ブログ主は本も出していて、心酔者がいる。
心酔者は二つの地に参ることを実践しているらしい。
二つの地を往復することでDNAが活性化し、不老効果があるらしい。
 
そう言えば、はじめの神社でも、なんだか似つかわしくない、いわゆるアラフォーの女性二人がお参りしていた

恐る恐る、そのブログを覗いてみた。
コメント欄は毎日何百とカウントされている。ブログ更新のお礼やら、夫婦の不仲やら、婚家との不仲やら、実家との折り合いやら、腰痛やら、鬱病やら、子の引き子守やら、ペットの死やら、頭痛やら 世の中のありとあらゆる悩みと体の不調についての独白と、お祀りの仕方と サプリメント等の使用のあり方などなどが 隣の男性が唱えていた言葉と共に書き込まれている。

そうか、わたしはその真っ只中に、何にも考えずに入っていってしまったのだな。
悩みも、解決すべき問題も持たずに、お気楽に。
多分、拒絶感はそのせいだったのだろう。私はそこのコメンターでもないし、二つの道の実践者でもないのに、立ち入ってしまったのだな。
図らずも、わたしはその御山ゆかりの仏様を先月に拝観しているし、図らずも春にもう一つの地にも行っている。今年に入って二つの間を何度ももちろん何も知らずに往復した。
が、不老となるどころか、このことを知ってしまって、気持ちはあまりよくない。
私の神様仏様は イノセントな明るい無邪気な神様仏様だからだ。
私は寺社がいつも拒むことなく無言でそこにあっていただければ、それでいいのだ。
ちょいと失礼してお邪魔させていただきます という私を受け入れてくださればいいのだ。そこにあると思えるだけでしあわせなのだ。
有史來、多くの拝む人の心が、私の拝む対象であるのかもしれない。

世の中にはなんと悩みの多いことか。なんと悩みを抱く人の多いことか。
私にだって、悩み事や気がかりなことがないわけではない。けりをつけたいこともある。しかし、それを神仏に願うことはしたくない。イッパツ解決なんてものを私は信じない。それは大抵マガマガシイ物だ。イッパツの解決を願う自分もどこか汚らわしい。世の中のことはほとんどがイッパツでは解決しない複雑に絡み合ったものだ。すっきりした解答なんて高校受験の数学までで終わっている。その先は即座に解決しないものであり、人はその解決困難さを受け入れるべきだ。
人は古来、神仏にイッパツ解決を願い、裏切られたと感じてきた。それは神仏のせいでなく、絡み合ったものを絡み合わぬものとしてみたかったがゆえの逆恨みではないか。自らの咎を棚上げしたがゆえの失敗ではないのか。「神仏」というのを「他者」と言い換えなければならないかもしれない。他者にイッパツ解決を願い、かなえられぬと裏切られたと思うことは、人を幸せにしない。
解決しない世の中の前では、祈る。そうして解決していくのは自分でしかない。


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神なき時代の神仏習合その3

2009年11月15日 | お出かけ
古代の神が住まう杉木立の前の拝殿に私は招かれざる人であるように座っていた。
10人あまりの車座の人は三々五々散って話をしている。関西からのご夫婦は雨で濡れた上着を脱ぎ、持参の風呂敷に丁寧に包んでお参りをしている。なんとご丁寧なことと、作法も知らぬ自らが恥ずかしくなってしまった。
違和感は神官さんから発せられたものではない。ということはこの見えぬ被拒絶感は、参列の人からのものなのだろうか。杉木立の神の拒絶でなければよいのだけれど、と思った。わたしが今まで参った神様はそんなことはなかった。どの神様もそこにすっくと居られ、動かれることなくご挨拶を聞いてくださる。唯一、夕方の上鴨神社で感じたピリピリした感じに少し似ているけれど。
雨で濡れた足を気にしながらお参りする。私は招かれぬ者でしょうか。来てはいけないところにお邪魔してしまったのでしょうか とね。もちろん、神は沈黙している。神はいつも何も語らない。
が、私の隣で参っていた人品卑しからぬ温厚そうな男性は沈黙してはいなかった。
それは神への感謝の言葉だったのだけれど、呪文のように3度繰り返された言葉がはっきりと私の耳に響いた。むしろ誇らしげに私に聞かせようとするかのように唱えていたのだ。
下座に戻ると他の人々の話が途切れ途切れに聞こえる。皆楽しく談笑しているが、漏れ聞こえる地名から、村の人の他に数人が遠方から訪ねてきた一家であることがわかった。高速を使わねば4時間はかかるところだ。
先ほど隣で唱えていた男性と他の人が話をしている。この人たちも時間をかけてここまできたようだ。「ブログ」とか「霊感」とかいう言葉が聞こえる。
私は、混乱の極みとなった。
新興の宗教のようなものか?でも神職さんはこの長い歴史を持つ神社の方のようであるし。わからぬ。とにかく私の理解を超えている。
先ほどのご夫婦と再び話をした。「滝は紅葉が素晴らしかったですよ」と言ってもあまり興味のない様子で、ここには2度目だということだ。
え?関西からこの奥の神社に2度もおまいりか?
話が弾まないかと、私も寺社巡りをしていることを話してみたが、このご夫婦からも拒絶感があることに気づいた。
どうしてこちらをお参りですか と聞いてみた。
ご夫婦は古くからの信仰の地であるこのお山と、別の参拝の地をつなげておっしゃったのだけれど、私は「熊野古道」やら「中山道」やらのような古道を巡っておられるのだなと思って聞いた。
なんだか、割り切れぬ気持ちのまま、来た山道をくねくねと走って里へと帰る。「あっ」と気づいて思わず声が出そうになった。二つの参拝の地は遠く遠く離れている。二つを繋ぐ古道も新しい道もない。この二つを繋ぐ話などきいたことがない。
どういうことだ。どういうことだ。どういうことだ。

家に帰ってネット検索をした。
まずは神社の名で。 寺社の紹介とか釣り人のブログとか。なにも らしい ことはない。
次は ご夫婦の語った二つの参拝の地
そして、隣の男性が唱えていた言葉。
わらわらと hit
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神なき時代の神仏習合その2

2009年11月12日 | お出かけ
前記事(神なき時代の神仏習合その1)のように私は最近寺社を巡っている。

心の中では、神なき時代の★明るい★神仏習合
もしくは ★イノセントな 無邪気な 他意なき ★神仏習合 って思って私は寺社巡りをしている。
国宝指定って、やっぱすごい。きっと国宝鑑定人(?)も、最後にはオーラみたいので、これは重文これは国宝って決めているんじゃないかなって程、国宝のオーラはすごい。最近新たに拝観した竹生島本殿も高月町の十一面観音像も、もう近くによるだけで、体内のDNA螺旋が活性化され沸き立ち、龍のように天に昇っていくほどだ!平伏し、へへぇーと言いたくなってしまう。こんなにも素晴らしいものを見せていただいてありがとうございます、なのだし、生きていれば出かけていって見せていただける、あそこにずっといてくださると思えるだけで、生きていることが嬉しくなる。
以前に拝観した、法隆寺百済観音像も広隆寺半跏思惟像、興福寺阿修羅像 
漢字ばっかしだけれど、そりゃあ美しかった。

で、先日の休日、ある寺社に出かけた。
山岳信仰とあいまって中近世には多くの民が講を組んで出かけ賑わったところだ。お山は田に水を恵む。故に田の民はそのお山に巡礼したのだ。お山までの道すがらには点々とお山を祀る寺社がある。お山への道は講の人々でさんざめいたことであろうが、今は静かに寺社が眠るばかりである。お山の口の村に向かう途中の寺社は川沿いにある。船を使って参拝したのだろうか、川に向かって参道が続く。大きな奉納絵馬がかかっているが、月日の中で字はかすれてはっきり読めない。ここはまだ田の民の住むところだ。そこからどんどんとお山に向かって走る。
お山参りの入り口の村の寺社は文化財指定の仏像が宝物殿で拝観できる。端正な仏様だが、訪れる人はほとんどいない。大銀杏は小山の中ほどまで黄色く色づき、紅葉はほんのり赤く染まっているのに。
町の観光パンフレットを見るとお山への参拝道には滝があり、その先にも寺社があるとのことなので車を走らせる。雨の中、カメラ人が二人いるだけの滝は錦秋の中にあり、赤やら黄色の葉が舞い散っている美しい滝だ。雨の中なのに、かすかな虹が見えた気がした。
つづら折の道を登る。そこは山の世界だ。こちらに向かって流れていた川の流れが気づくと進む方向に変わっている。分水嶺を越えたのだ。そして村があった。山を越えた中にあるとは思えぬほどの戸数がある。参拝宿であったろうと思われる民宿もある。かつてはお山に行く人がこの道を通ったのであろう。

山道の右と左の木を使って注連縄が張られている。ここからは神の域。その先の神社。抱えられぬほどの杉が林立し、杉の巨木の間に3人が並べばいっぱいなほどの参道がある。参道は石の階段となって川へと下り、橋を渡るとまた上る。そこがこの神のお住まいだ。苔むす磐境。神は長いことここに坐しますのだ。
拝殿では、人が車座になっていた。神官さんがいらっしゃる。偶然にも参拝の日にお邪魔したようだ。
ふと、この村の人ばかりでないような気がした。
私の住まう郷の鎮守さまには「お宮当番」というものが数年ごとに順繰りである。だから氏子の新嘗祭のようなお祭は見知っているのだけれど、どうも雰囲気が違うのだ。何がとは言えぬけれど、違うのだ。
今時は 地方の観光協会がうたう名の知れた寺社も、お祭りの日でもなければ、参拝している人はそんなに多くない。大概はお年寄りの一人二人にすれ違うくらいである。こんなに山深い神社に他所の人が参りに来ているのだとしたら、どういうことなのだろう。
そういえば、参道を来る時に一緒になった品のよいご夫婦は関西からだとおっしゃっていた。高速道路休日料金はこの山の奥にも人を運ぶかと思ったけれど、一言二言交わした中に、妙な違和感があった。車座の人たちを見て、この村の人でない人がいるかもしれない、と思った時に感じたものと同じ感じだ。
それは、私の ★明るい イノセントな 無邪気な 他意のない★参拝を、どこか非難しているような気がしてならぬものだった。
それは、この杉木立の中に坐します神の拒否なのか、参拝者の拒否なのか、わからなかったのだけれど。
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神なき時代の神仏習合その1

2009年11月11日 | お出かけ
現代は神なき時代であるっ!この日本においてどれだけの人が真剣に神なり、仏なりの存在を信じているのであろうか。いや、確かにおられるのだろうけれど、例えば聖典仏典に書いてあるようなことを真実だと思っている奇特なお方がどれだけおられるだろうか。少なくとも私は、畏れ多くも持ち合わせておらぬのである。
が、寺社巡りをしております。
多分、この遍歴は
オールドノリタケ→洋館→近代建築→歴史的建造物→寺社仏閣 古街道 宿場 城下町
って過程を辿ってきたのだけれど。だもんだから、巡る神仏はほとんど文化財指定されてるとこだったりする、罰当たりのものだったりするのだけれど、休みのたんびに巡る巡るという状態ですよ。
そうなのだ。きっとこういうのって本当に罰当たりなんだろうなあって思う時もあるのだけれど、お寺もお社も、本当に素敵だ。建物って無機物なのに、もうそこにあるだけで拝みたくなる。もちろん、仏像さまも、飛び切りのお方は「神々しい」という言葉は、神様の存在を信じるとか信じないなんてちっぽけなことはひょいと越えてしまったところにちゃんと存在しているのだと思う。
思えば、学校で習った日本の歴史は宗教についてなんてちゃんと教えてくれなかった。それだから、神社では二拍手だけれど、お寺ではそうしては駄目とかっていうしきたりがあって、寺社は分離した信仰だと思い込んでいた。
でも、古い寺社に行けば、神社と寺院が同じ敷地に隣り合って建っていて、本当は仲がよかったのだとわかる。神仏分離というのが明治政府の「政策」でしかなかったことがわかる。
私は今の今まで、そんなことさえちゃんと知らなかったよ。日本人が1000年も前から神様も仏様も一緒に拝んじゃってるってことを知識としては知ってた気がするけど、本当には知らなかった。
ちょっと、いいな、って思った。
区別差別なしに、信じちゃうよ、拝んじゃうよって昔の日本がしてきたことって、ちょっといいんじゃない?
ありがたい、と思えば、それ勧進、ってちょっといいよね。

そんなんで、文化財指定と聞けば出かけ、御開帳だと聞けば出かけ、出かける途中で案内板が出ていれば拝み、の日々なのだ。
古い寺社は名水にちなむところが多いので、湧き水も汲む。故に車には水汲み容器と石段を登るための携帯ステッキは常備なのだ。
秋に巡ったのは 長命寺 竹生島宝厳寺 白山長滝神社 津島神社 国府宮神社 曼荼羅寺 日吉大社 渡岸寺十一面観音様 御朱印もいただいちゃう。

何にも知らなかったのだ。日本の宗教に関するいろいろ。教科書は本当のところを教えてくれていなかった。わずかに残った私の知識欲は、刺激されまくっている。宗派とか、歴史的な事象との関わりとか、もう知らなかったことだらけで、謀られていたのか、私は、と思わんばかりだ。
寺社を巡るたびに、人っていいな、おもしろいな、って思う。
誰だかわからぬ人が、名もない人が この荘厳な建物を建て、神々しくも勿体なくもありがたい仏様を造り、数知れぬ人が拝んで、寺社をお守りしたのだなあ、って思う。そういう、人の心はかわいらしくありがたいなあと思う。
私ごときのちっぽけなものに、神仏を信じてないからけしからんなんてぇ器の小さいことは、全く気にもかけぬように、寺社や仏像は気高く佇む。そこにあるというだけで、拝みたくなる。神仏の区別をつけず拝んできた歴史の中の人々は、そういうこともわかっていたのではないかと思う。
空一面の夕焼けや開き始めの蕾が美しく拝みたくなるのと同じなのではないかと思う。
拝みながらも、ほとんどの場合願い事はしない。寺社を見せてもらいに来ているだけの私なのだから、訪問の名乗りとお礼を言う。それぞれの寺社にはそこをお守りし信仰している氏子さんや檀家さんがいらっしゃり、よそ者の私が願掛けなどせずと、この時まで、ここにあり続けていることと、私の訪問を拒まずにそこにあることをありがたく思うばかりだ。寺社の空気の中にあるだけでよいと思えるものがある。その上願い事など、欲張りなまねはしなくていいのではないかな。
きっと、こういう大きな大きな寺社を造り、人の技とも思えぬような仏像を作る人の行為の中に神仏があり、それを長い時間守ってきた人たちの気持ちの中にありがたきものがあり、その神様仏様を、私は拝みに行くのだな。 
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ええじゃないか 麻吉

2009年04月14日 | お出かけ
なぜか、いけない街には、小暗い急な坂がある。遊蕩の街への坂である。坂は曲りくねっていて、人を誘うが如き名を持つ。

そう。泉鏡花が育った金沢の主計町にあるのは、「暗がり暗闇坂」寺の裏を抜けて茶屋町に下る坂である。男が通る。女が通る。子が通る。皆違うことを考えながら、坂を通る。

おかげ参りに出かける。内宮と外宮に通じる古市参道。そこにあるのが古市の街だ。そこはもう、「都おどり」のもとになったというような、芝居小屋やら茶屋やらを思わせるものは何にも残っておらず、近所の婆さまが語らい、通園鞄を提げた子が母に手を引かれる、昼下がりの住宅街の細い道となっている。
古市に江戸の賑わいを残しているは、この坂と一軒の旅館だけだ。

「手振り坂」
誰が振る手か。誰に振る手か。その昔、男が通り、女が通った坂。その坂に向かって振った手は、両側に建つ「麻吉」の中の人。
「麻吉」は坂を挟んで両側に今もある。東海道中膝栗毛にも出てくる建物だ。坂の上を「麻吉」の廊下が渡る。
伊勢古市はぽってりと八重桜の咲く。
電話のお姐さん伊勢言葉。「まあねえさん、ええやない」と少しおまけをしてもらって、一泊朝食つきをお願いする。
今日は他に客はいないと見た。
入り口からまっすぐの部屋に通される。15畳の部屋は前面に朝熊山、右はやはり桜咲く野。開け放たれた障子からの眺めはお江戸のおかげ参りに連れて行ってくれそうだ。思わず、ため息が出てしまった。
往時の什器を飾る蔵は坂に沿って4階層になっている。もう自分がどこにいるのかわからない。考えれば考えるほど、階段の魔にはまり込んでいってしまいそうだ。

ええじゃないかの旅なら、そうして、好事の方のご宿泊はどうぞ、「麻吉旅館」へ。ネット予約なら一泊二食10500円よりにて、登録有形文化財、木造六階建てにお泊りなんて、素敵すぎるでしょ。
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お休みは隠れに行く

2009年03月25日 | お出かけ
長良川鉄道を検索していて見つけた場所に、お休みの今日は行ってきた。
1ヶ月ほど前から、時間を作って行ってみようと思っていた。今日は隠れ家日和だったわけだ。
美濃の県道をどんどん山の中に入っていくと、6軒だけの集落があり、その一つがドミトリーとカフェをやっているそうだ。


北側には裏山の斜面の草。



南向きの窓からは隣の山のてっぺんが見える。何にも言わずに木が揺れている。


隠れ家のメニューはケーキとコーヒーのセットのみ。プリンケーキとバナナシフォンケーキがあるそうなんだけど、プリンケーキをお願いした。


大阪からやってきたおにいさんがやっている。カヤックをする人だそうな。薪ストーブが燃えていて、私はすっかりもう、隠れた気分になっている。
「隠れ家」という言葉も、「癒し」という言葉同様、人の口で手垢のついたものになってしまって、なんだか恥ずかしいものになってしまったね。世の中に本当に隠れたい人、隠れ家が必要な人はどれほどいるだろう。好き勝手に生きている私はもちろん、本当に隠れたい人でも、本当に隠れ家を必要としている人でもない。ただの隠れ家好き、なだけだ。だから、本当に必要としているような、過酷な日常を過ごしている人には全く申し訳ないのだけれど、今日、私は隠れ家に行ってきました。隠れ家をいっぱい呼吸してきました。
隠れ家は隠れるとこなので、そっと自分のものにしておきたいけれど、もう1.2回行ってみたら、皆にも教えてあげるね。ごめんね、そして、ありがとうね、隠れ家
→→


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下呂検定ふたたびin噴泉池

2009年02月24日 | お出かけ

 今年も行ってきました。下呂検定!

しかし、去年の検定問題のあまりの難しさに、すっかり戦意は喪失しており、おいしいもん食べて、温泉入って、芸者さんみて、楽しんできましょって、ゆるーい気持ちで親戚と3人で申し込んでみました。なんせ、今年の会場は水明館さん。下呂でもトップクラスの旅館です。普通に予約すれば、結構な宿泊料のとこです。

水明館さん、ロビーに入ると、静かな庭が見え、これでもかと香が焚かれて高級感はいかがですかという佇まい。実は数年前、ふとイトーヨーカドーを歩いていて、これから温泉に行きたいと思い、すぐ横にあった旅行取次店で、「今からだと下呂くらいの距離なら大丈夫ですよ」ってことで宿を取ってもらったのが水明館さんだった。確か確か、17000円だった。そん時の印象はあんまりよくなくって、水明館さんって安い客じゃ、楽しめないよね、って思ってる。しかし、今回は検定合宿だし、一泊三食検定料で10000円っていう(去年より2000円値上がりしてますが、下呂にも大人の事情があるのでしょう)破格なので、これを逃せば、また水明館さんお泊まりってこともなかなかなさそうなので、ちょいと楽しみ。

さて、合宿、一年前の遠い記憶の中から、飛騨小坂温泉やら湯ヶ峰やらアルカリ性単純泉やらの用語を引っ張り出しながら、受けましたよ。来る前は検定テキストに徒らにマーカー引いただけってお勉強だったけれど、このまま落ちてもいいやと楽しんでしまうか、それとも最後にあがいて勉強するかを迷いながらね。

1日目の講習が終わり、お部屋に移動。親戚はツインの部屋となり、私だけは格上の臨川閣で6人の相部屋。それが、すっごく楽しかった。ツアー業界のお嬢さんやら、メディア業界のお嬢さんやらと相部屋だったんだよね。なじみでない人と一緒の部屋なんて、まるで修学旅行みたいだ。

宴会は1万円としては当然考えられないようなご馳走でした。ちょっと辛口にいえば、去年の望川館さんよりは、世慣れた大人の原価計算のきっちりされたお料理だったけどね。旅館さんも地元一の看板旅館ともなると、こういうところが、私はちょっと嫌だ。こういうところでくつろごうと思ったら、値段を気にせぬ人になって宿泊することしかないんだろうけど、17000円の客にも、それなりの期待ってのはあるし、下呂検定だけに限って言えば、私は望川館さんのお料理や、検定の客への向かい方が好きだな。って、ここで、数年前の17000円の敵討ちみたいのも変だけどね。でも、去年、2年前に行ったときより、お湯がよくなってる気がする。ぬるぬる度が増している。下呂温泉に何か起こったのか、それともわたしの思い違いか、知りたいとこではある。

宴会が終わり、相部屋は、やっぱり楽しく話が弾み、「噴泉池に行こう!」ということになってしまった。「噴泉池」それは温泉街に流れる益田川(飛騨川)の河原に設けられた無料温泉・・・なんだけど、旅館からも橋からも丸見えの下呂名物。こんな寒いし、10時過ぎてるし、きっと人はいないよ、って浴衣を引っ掛けて行って見ると、先客はいた!地元のおばちゃんが1人と、4人のおにいさん。ままよとバスタオルに着替えて相部屋仲間4人で入っちゃった。私以外はちゃんとしたお嬢さんだったんだけれど、入ってしまえば、おにいさんたちとも、話はできてしまう。恥ずかしがっているほうが恥ずかしいようなとこなのだ、噴泉池は。彼らは「下呂合掌村」で影絵をしている「かかし座」の人たちで、雪降る噴泉池の戸板に影絵を映してくれた。

楽しい夜だった。お高い水明館臨川閣に泊まることも、混浴衝立ナシの噴泉池に入ることも、愉快なお嬢さんおねえさんたちや影絵のお兄さんとお話しすることも 二度とできぬだろうと思うような、特別に愉快な夜だった。もう一度話してみたい、もう一度味わってみたいような夜だった。

こちらは検定を終えて立ち寄った湯ノ島館。さすがの日本建築です。

今回は家に帰って自己採点してみました。

ふふ、受かってるぜ!

 

2008年 下呂検定 その後

 

 

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よそ者、盆踊りの町を歩く

2009年02月19日 | お出かけ
郡上八幡に来るのは何年ぶりかだ。
郡上踊りの狂おしさに夏になるたびに訪れた時期があった。夕ごはんを済ませ、盆踊り第一陣が帰り始める10時頃に着く様に行ったものだ。その頃になるとなぜかいつも雨になり、それでもみんな浴衣を雨に濡らしながら踊っているのを見、自分もその輪に入るとリフレインされる踊りの中でわけもわからずつかれたように踊ってしまうのだ。踊り疲れて町のそここにある名水を飲み、3時頃に帰ると、家につく頃には空が白み始める。
午前中に家を出て、156号線を走った。最近こちら方面へは高速を使うことがほとんどで、国道を明るいうちに走ったことがなかったかもしれない。
美濃を走る。洲原を走る。国道は長良川に沿って走る。春がやってきたような陽気の中。この道は、この川はこんなに美しかったことにはじめて気付いて、なんだか泣きたくなってしまうほどだった。
空も山も川の草も岩も。全部がこんなに美しいことってあるのだろうか。
右下には長良川、左には長良川鉄道。
一度、長良川鉄道に乗ってみたら、空の青い日に乗ったら、どんなにか幸福になれるだろうと思う。
小さい頃に、岐阜県民の歌というのをがっこうで歌った。
岐阜は木の国 というフレーズだ。
岐阜は木の国、山の国、川の国、水の国。

水の町、郡上八幡に着く。町の路地には水路が流れるよ。鯉もいるよ。


窓のばってんもゲージツ的に



懐かしいとか、レトロとか、癒されるとか、そんな言葉はどっかに行ってしまえばいい。そう言ってしまえば、もうそれはその言葉の中に閉じ込められてしまう。懐かしがるためでも、癒されるためでもないからね。わたしはね。ただ、間違いなく言えるのは、古い町にハズレはないということだ。退屈、しない。歩くだけでいい。新しい町のつまらなさと比べて、一体これはどういうことなのだろうと思う。新しいからつまらないのかな、と考えてみるけれど、ちょっと違う。失われようとするものを惜しんでいるという気持ちもあるけれど、でもそれも大きな要因でない。多分、数字で作られていないからなんだろうな。数字で考えられたものには顔も名前もなくって、覚えられない。古い町の古い家にはあるのにね。
世の中がどんどん、顔も名前もなくなっていく。数字でだけ決めた現在未来は何もわたしに語り掛けない。数字はどんどん消費され、数字を残すけれど、それがどんな姿かたちであったのか、笑ったのか泣いたのか、悩んだのか微笑んだのか、わからない。そんな中で、厚顔な人はテレビで強弁を振るうし、自分に都合のいい数字を証拠に、手品のように正当性を述べたてる。
そう考える私は、時代の波に乗れない人なのだろうか。間違ったカビの生えたカンジュセイなのだろうか。
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ひなめぐりの旅に出るずら

2009年02月14日 | お出かけ
こんばんは。毎度毎度の、街道、宿場、古建築めぐりのうさとです。
古い町並みのそそるところは、家の構えだけではない。路地の陰影、崩れかけ蔦草の縁取る姿だろう。特に、古くに栄えた町は。しかし、残念なのは、日常にある町をよそ者が歩くと、やっぱり不審者であることだろう。その証拠に、まず、犬に吠えられる。猫が怪訝に睨み付ける。写真を撮ろうとしようものなら人間にもよそ者とばれてしまう。大通りを歩いているのは許されるのだが、観光向けに公開してますよってのじゃない町の隅は許されない。しかし、やっぱり、そこが見たいのだなあ。古い家がなぜよいのか、いろいろ考えてみるのだけれど、やっぱり、「木」が違うのが第一だと思い当たる。長い年月を生真面目に育った木はぎゅうっと固まっていて、そのくせ伸びやかで、それが今物の建物と大きく違うところだ。見たいみたい。でも、不審者は困る。
しかし、この時期はいい手がある。このたび、古い町は町おこしで「ひなめぐり」が大流行なのだ。



先週は塩の道 足助宿 中馬のおひなさんにでかけた。



この路地は観光地図にも載る「観光公開許可路地」
しかし、大型バスでやってきた人が歩かないような路地には、もはや持ち人も定かでなさそうな、朽ちかけた家があったり、こんな可愛らしい窓があったりする。



懐かしい窓もある。



明日は日曜、また、どこぞのひなめぐりへと参りましょう。どこぞのひなめぐりの路地でお会いしましょう。
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美しい村

2009年02月07日 | お出かけ
日本一美しい村のてっぺんにある城跡に行った。
凍てついた空気の中で城跡は、バリバリと裂ける霜柱に囲まれている。遠い山も美しい里も見える見える。ここの山のてっぺんで、襲ってくる敵を思いながら石を運び、石を鍵形に組み、一人木立の中から里を眺めた城主は、寂しかったに違いないと、思えて仕様がない。ここで育ち江戸城の天皇に使えた女史も寂しかったに違いない。



保存地区に指定された城下町。小さな、やはり美しい町だ。春になれば、町屋の先には雛飾りがされるらしいけれど、まだそれには春浅き訪問だったようだ。



洗面台は、こんなです。



私が思っていたのとは違い、昔の人々はどこでも自在に旅をして、鄙な地も文化的な生活が溢れている。見るもの見るもの、全て。都の文化は流れ伝わり、その地の文化となり、美しく町を形作る。それと比して、今の私達の生活は、文化的だろうか。おもしろいだろうか。美しいだろうか。



寒天が田に乾されている。雪でもないのに、田は真っ白だ。
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東海道に一歩

2009年01月21日 | お出かけ
こんな風に牛歩の更新頻度だと、新しく書くことがちょっと怖くなってしまう。結局どこに行ったか、何を食べたか、ということしか書けないんじゃない、ってね。
いつだか、「あなたのブログは行った、食べたではないから」とコメントしてくださった方がいて、私はそれがやっぱり嬉しかったから、今ではそれが私の枷になっている。
でもね、そうよ、わたし、どこに行ったかを書いちゃうよ。ごめんね、いいでしょ。それっきゃ、今はないからね。ごめんね。
日曜は、三重行。
1月だし、遷宮なのだから、当然お伊勢さんなんだろうけれど、遠いしね、ってことで、とうとう、東海道の宿場を開拓してきましたよ。ここ最近は、時間の取れる休日は中山道の宿場に行っている。宿場町には地方自治体が建てている街道資料館があり、名産が売られ、旧家が公開されていて、そんな町並みを歩くのは、世捨て人(?)の私らしい休日だ。御嵩の脇本陣のおうちは本当にため息の出るような楽しさだった。柱がいい、欄間も、釘隠しも粋だった。太田宿の資料館はなかなか遊べる。岡本一平の旧宅も移築されていた。大湫も、しっとりした街だった。
さて、とうとう東海道。亀山にある関宿は、全長1.8キロもあり国の保護地区にも指定されている町並みである。氷雨のせいか訪れる人は疎らで、中山道の宿場に比べ、やや寂しい。200軒もの町並みが残されているのに、商売っ気のないところであった。その後、車を走らせ榊原温泉に行ってみる。ちゅるちゅるの最高の湯質。経営難か!?と思われる榊原グランドホテルの全く湯煙で先の見えぬ大ナイアガラ風呂。やはりちゅるちゅるのお湯。大お勧めだ。が、大ホテルは寒くて寂しかった。
三重。お伊勢さん以外の三重。がんばれ。と言ってみたくなった私でした。
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青いところとこころ

2008年11月10日 | お出かけ
京都駅に着いたのはまだ11時前だった。だから、私は歩いていこうって思ったさ。江戸時代の庶民の願いは、死ぬ前の、伊勢参り・金毘羅参り・京六参り。京六ってのは、京都六条にある、西本願寺、東本願寺を参ること。わたしゃ、お伊勢さん金毘羅さん西本願寺さんは行ったことあるよ。だから、お東さんでコンプリート。京都駅からお東まではまっすぐだ。ゆっくり歩いたって、すぐ着いてしまう。案内所の若いお坊様に「大人がやってもいいんですか」と聞いて、お東さんスタンプラリーもやってみる。スタンプラリーにはクイズもついてるよ。○○○○はシンラン ほらほら楽勝だ! 完成すると、ほとけさまの鉛筆がいただける。実はお目当ては、渉成園。東本願寺の離れ庭園だ。協力金500円の庭園は、町の中でぽっかりと空に向かって開く池と木々との別天地。たっぷり1時間歩いてみる。
一人で歩いてみる。
六条の次は五条。文子天神さん。
辿り着いたのは五条橋。かかるネオンは、五條楽園。どきどきしながら歌舞練場を見に行く。昼間のイケナイ場所は、ひっそりとしながらその奥に潜むもののコトリと動く音が聞こえる気のするような、湿った渇いた場所だ。立派な唐破風のその下の上がり口にちんまりと座る人がいるのに気づき、目をあわさぬように通りすぎた。私はこの場所が、どんなところか知りもせず、ただただ、通りかかった観光客ですよ、って振りをしているつもりだけれど、小心な胸は波打っている。
大通りを渡れば、見上げるほどの「鮒鶴」
「フランソワ」は行列のできる混みようで、少し上がって「ソワレ」に入る。青い「ソワレ」 ミルクに浮かぶ色とりどりのゼリー。


一人が好きだ。行き場所も決めず、一人で歩き、思いついたところに立ち寄り、ほおとおうちを見上げる。名前を剥がれ、氏素性を消され、一人で歩くのが好きだ。
最近、世の中がうるさくって、みんな、ほんとに面白くって笑っているのかなあ、って思えちゃう。楽しくしなきゃいけないみたいな、楽しくなきゃ、儲からないような、商売にならないような、で、わたしはつまんない。
名前を知らぬ人ばかりの人波の中をぬって歩く。君達は、本当に、そんなに面白がっているんですか。私はこうやって、名無しで歩いているのが、好きだったんだって、今、思い出したよ。
世の中が求めているのは、空欄に名前を埋めることであって、その名が何でも構わないんじゃないだろうか。そんな時代でありはしないのか。取替え可能な空欄に、書いた名前は通番とおんなじで、生きたその人ではないんじゃないのかな。
職人は仕事に名前を記さなかったけれど、その仕事はその人以外の何者でもなかった。私達は、仕事にはんこを押すけれで、明日その名が変わっても大丈夫なシステムの中にある。世の中は、意味もなく急いでいて、取替え可能な空欄しか用意しない、そんな時代になってしまったんじゃないの? 私がかけがえのないものとして書く欄だと、人は思いたいものだけれど、そんな猶予を時代は持っておらず、時代は空虚に焦っているんじゃないの?「たった一つの花」とアジテートせねばならぬほどに、世の中は「たった一つ」を求めていない。「たった一つ」に仕事をさせれば、高リスクで低効率だからね。
そんな世の中であるのならば、名無しで、一人で、歩く。それは私のささやかな逆襲で、名無しになって、そうして、わたしの名前を取り戻すのだ。


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さいきょうの銭湯

2008年11月06日 | お出かけ
11月になる前に京都に行かねば。だって、11月の京都ってば、毎日がラッシュアワーなんだ。紅葉になる前に京都に行かねば、紅葉してしまえば、バスには乗れない、京極は歩けない、祇園は行列だらけなんだもん。
京都国立博物館の「japan蒔絵」はとっても見たいし、チケットも用意したけど、今回は違う趣向でふらふらさまよってみたい。
最強の銭湯! があるらしい。京都に。 行かずばなるまい。行かずにどうしてくれよう。
最強の銭湯は、千本丸太町を越え、北野さんを左に見、千本鞍馬口でバスを降りたところから、徒歩10分弱。
手拭一本鞄に入れて、バスを降りる。夜も更けかけており、不案内な場所で日常のご用を預かる銭湯を見つけるのは容易ではない。と同じく千本鞍馬口でバスを降りた、近所在住中と思しきご婦人に尋ねてみる。そこの信号を渡ってまっすぐやわ、と教えてくださり、すぐ近くの路地に入っていかれた。「まっすぐ」をまっすぐ行く。おお、ここは街道筋。最近は街道の町並みを見に行くことが多いので、街道の筋目が見えるようになってきた。左はどこぞの寺社の参道となっている筋。
そこに見えてきたのは、松と唐破風。自転車がばらばらと止まっている。向かいには最近名が知れてきた、あの一泊2000円のゲストハウスの店先で、宿泊人達が七輪で焼き物を囲んでいる煙が見える。


唐破風。 どうしてこうも唐破風を見ると心が躍るのだろう。寺社・邸宅・悪所。清と濁、聖と俗。それらを包み込んでいる唐破風。厳かで妖しい。
最強の銭湯の入湯料は、410円。客は近所のおばちゃん、じいちゃん、外国人留学生。旅人である私にも、気安く話しかけてくれる。
410円は、天狗の赤い鼻の格天井、帆掛け舟のタイル絵、軍列の欄間、大きな錦鯉の泳ぐ池は女湯と男湯を床下で結んで流れ、そこに架かるは石の橋、天然色のマジョルカタイル。最強に茹で上げられ、ぼんやりと鯉を眺めていると、「露天ですずみぃ」とおばちゃんが言ってくれる。露天では、外から流れてくる煮物のかおり、なんか炊いてはるね、違うおばちゃんが話しかけてくれる。
それが、西京の最強の410円の船岡温泉だった。

秋の夜はもう、すっかり更けていて、京でも北のここでは首の辺りがもう寒い。少し歩いてみよう。近くには、同じく銭湯を営んでいたところがカフェをやっているはず。と思うまもなく、数軒先に「さらさ西陣」 こんなに近くに2軒の銭湯?どうなっていたんだ、この街は。ここのタイルも「船岡温泉」と同種のもの。


兄弟銭湯だったのだろう。銭湯の建物としてはこちらのほうが残存の度合いが高い。煤けた漆喰壁もタイルも。久しぶりにアールグレイを飲み、隣で話す京都の大学生の楽しそうな声を聞きながら、思わず長居をしてしまった。
カフェの隣はわらび餅屋、カフェと銭湯の間には町屋作りの蕎麦屋があり、どちらも心ひかれたのだけれど、わらび餅屋は開いていなかったし、蕎麦をゆっくり食べる時間はない。また来ればいいさ、その時は、あの参道を歩いて参詣してみよう、ちょっと足を伸ばして大徳寺に行ってみるのもいい。
京都から帰って、気になっていたわらび餅屋と蕎麦屋を検索。茶洛 かね井 どちらも評判高い店であった。やはり、もう一度、行かねばならぬ。
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天上の

2008年08月07日 | お出かけ


たりら るるら おはなばたけだよ


さて 夏のお山のわけまえに あずからん あずからん


これも


あれも 大ごちそうだ


たんと めしあがれ


さいてたべてさいてたべて ここはくものうえの らりらっるら

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