今日のように重い雨が降る土曜に、京都を歩いた。前々から、南座の裏に建仁寺があり、表通りのにぎやかさとは別世界のようだと聞いていたので、出かけてみることとした。観光客で溢れる祇園花見小路を通っていく。臨済宗建仁寺派の本山であるこの寺は、真っ白な障子を開け放し、雨にぬれた緑と白の対比がとても美しく、清清しい。人で溢れた京都の繁華街がすぐそこに在るとは思えぬ、きっぱりとしたところだ。建仁寺を裏手に抜けると六波羅蜜寺があるはずだ。六波羅蜜寺には経文を吐く、空也像がある。期待以上に清らかな建仁寺と、空也像、素晴らしいラインナップではないか。
六波羅蜜寺へは、緩い高低差がある道で、古い町家が、半分崩れかけた煉瓦塀やら土塀やらに埋まっている。猪の狛犬(狛亥?)のある摩利士尊天を祀るかわいらしいお堂もある。
と、ここまでは「表」の世界であったのだなあ。
六波羅蜜寺に曲がる辻にあったのは、幽霊子育て飴 飴自体は素朴な甘露飴のような琥珀色のものだが、その伝来は、幽霊の母が夜毎子に飴をくれにやってきたという話からきているようだ。
そうだ、六波羅だ。ちょっとそんな気持ちはしていたのだけれど、ここは六波羅、つまり、六原であるのだ。
六波羅蜜寺で空也様のお姿を拝見するのだが、私が思っていた以上に、ドスの利いた前のめりの立ち姿であった。
もう、子育て飴のあたりで十分ぞくぞくしていたのだけれど、周りをくるりと歩いて三条方面に戻ろうとしたのだけれど、普通の町のスーパーなどがあるところを通るのだけれど、なんだか、異界チックである。私の鬼太郎アンテナはバリ3です。そうそう、ここらあたりは、鳥辺野への入り口である。なんて考えながら歩いていたら、「六道の辻」の石碑、そうして、六道珍皇寺のまん前に行き当たってしまった。そおっと覗くと、祀られているお方は弘法さまのみでなく、小野篁さんと閻魔さん。例の井戸もあるらしい。私は国文学科だったので、小野篁さんのお噂はかねがね聞いている。夕暮れにもなってきたし、雨もやまぬし、ここは失礼しようと次の辻を曲がってみると、崇徳院さまのお名前まで。最強やん。
日が暮れる前に賑やかしい所に行こうと早足で歩いた先に金毘羅さんの鳥居。金毘羅さんといえば商いの神、と胸をなでおろしてくぐったら、参道の横にはハートの窓枠を持つお旅館があり、社務所の前では明るい色に髪を染めたお嬢さんたちが強烈なオーラを発しながらなにやら書いている。その横には夥しいお札が張られたカマクラ様のもの。人一人がやっと通り抜けることができるようになっているのだけれど、お札で白い房犬みたいになっている。こ、こ、これは。見たことがあるぞ、えっと、そうだ。田口ランディの「縁切り神社」の表紙の写真のとこだ。お札やら、その先にかけてある絵馬には、「AとBがわかれ、CとDがわかれ、AとDの縁を結んでください」とか、「Eが嫁のFと縁を切り、新しいいい嫁が来ます様に」とかが、個人情報保護法なんて全くかんけーなし、で書かれており、ストーカー除け なんてストラップまで売っている。そう言えば、さっきのお嬢さん達もそれぞれ個別できているような雰囲気だった。祇園あたりの旅館に泊まり、一緒に京都観光に来た友達には、「ちょっとおみやげ買い忘れたから」とかいって抜け出してきたんだろうか、なんて妄想も沸く。うーん、うーんと考えたけれど、私にはあいにく縁を切りたいような憎い相手もいなかったので、非常に漠然としたお願い事をしてよしとした。
図らずも「裏」を一巡り歩いたので、肩のあたりに力が入って筋肉痛になってしまった。しかし、そこは京都、すぐに華やかな祇園へと戻っていく。うなじの垢抜けた着物のお姐さんが歩いている。怖いとこやし、京都。「表」の分だけ「裏」を持っていなさる。
なんだか昨日から妙に東電OLが気になって仕方がない。堕落論として語られていたりするようだけれど、彼女はやっぱり、病いだったと思う。でも、人ってどうしてそういう風に病んでしまうんだろう。秋葉原事件の母の挫折も気になる。あ、彼女も東電OLと同世代だ。彼女、彼たちはどうして病的な行動に出るほど、傷ついてしまっているんだろう。これから、本屋に行って、「グロテスク」を探してこようと思う。
六波羅蜜寺へは、緩い高低差がある道で、古い町家が、半分崩れかけた煉瓦塀やら土塀やらに埋まっている。猪の狛犬(狛亥?)のある摩利士尊天を祀るかわいらしいお堂もある。
と、ここまでは「表」の世界であったのだなあ。
六波羅蜜寺に曲がる辻にあったのは、幽霊子育て飴 飴自体は素朴な甘露飴のような琥珀色のものだが、その伝来は、幽霊の母が夜毎子に飴をくれにやってきたという話からきているようだ。
そうだ、六波羅だ。ちょっとそんな気持ちはしていたのだけれど、ここは六波羅、つまり、六原であるのだ。
六波羅蜜寺で空也様のお姿を拝見するのだが、私が思っていた以上に、ドスの利いた前のめりの立ち姿であった。
もう、子育て飴のあたりで十分ぞくぞくしていたのだけれど、周りをくるりと歩いて三条方面に戻ろうとしたのだけれど、普通の町のスーパーなどがあるところを通るのだけれど、なんだか、異界チックである。私の鬼太郎アンテナはバリ3です。そうそう、ここらあたりは、鳥辺野への入り口である。なんて考えながら歩いていたら、「六道の辻」の石碑、そうして、六道珍皇寺のまん前に行き当たってしまった。そおっと覗くと、祀られているお方は弘法さまのみでなく、小野篁さんと閻魔さん。例の井戸もあるらしい。私は国文学科だったので、小野篁さんのお噂はかねがね聞いている。夕暮れにもなってきたし、雨もやまぬし、ここは失礼しようと次の辻を曲がってみると、崇徳院さまのお名前まで。最強やん。
日が暮れる前に賑やかしい所に行こうと早足で歩いた先に金毘羅さんの鳥居。金毘羅さんといえば商いの神、と胸をなでおろしてくぐったら、参道の横にはハートの窓枠を持つお旅館があり、社務所の前では明るい色に髪を染めたお嬢さんたちが強烈なオーラを発しながらなにやら書いている。その横には夥しいお札が張られたカマクラ様のもの。人一人がやっと通り抜けることができるようになっているのだけれど、お札で白い房犬みたいになっている。こ、こ、これは。見たことがあるぞ、えっと、そうだ。田口ランディの「縁切り神社」の表紙の写真のとこだ。お札やら、その先にかけてある絵馬には、「AとBがわかれ、CとDがわかれ、AとDの縁を結んでください」とか、「Eが嫁のFと縁を切り、新しいいい嫁が来ます様に」とかが、個人情報保護法なんて全くかんけーなし、で書かれており、ストーカー除け なんてストラップまで売っている。そう言えば、さっきのお嬢さん達もそれぞれ個別できているような雰囲気だった。祇園あたりの旅館に泊まり、一緒に京都観光に来た友達には、「ちょっとおみやげ買い忘れたから」とかいって抜け出してきたんだろうか、なんて妄想も沸く。うーん、うーんと考えたけれど、私にはあいにく縁を切りたいような憎い相手もいなかったので、非常に漠然としたお願い事をしてよしとした。
図らずも「裏」を一巡り歩いたので、肩のあたりに力が入って筋肉痛になってしまった。しかし、そこは京都、すぐに華やかな祇園へと戻っていく。うなじの垢抜けた着物のお姐さんが歩いている。怖いとこやし、京都。「表」の分だけ「裏」を持っていなさる。
なんだか昨日から妙に東電OLが気になって仕方がない。堕落論として語られていたりするようだけれど、彼女はやっぱり、病いだったと思う。でも、人ってどうしてそういう風に病んでしまうんだろう。秋葉原事件の母の挫折も気になる。あ、彼女も東電OLと同世代だ。彼女、彼たちはどうして病的な行動に出るほど、傷ついてしまっているんだろう。これから、本屋に行って、「グロテスク」を探してこようと思う。