うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

春と茶碗

2022年04月11日 | ことばを巡る色色
春はお茶碗まつり。以前は美しいものを買いたくて欲しくてお茶碗祭りが近づくと気もそぞろになった。もうそんな熱は無くなったけど、お茶碗祭りは心が躍る。多治見市之倉幸兵衛窯に行く。薬味入れに良さそうな盃を一つ。今はそれで満足だ。足るを知るというわけではないけれど、わたしが持たなくても美しいものは変わらず美しいのだと、今は思う。
そして、久しぶりの虎渓山永保寺へ。美しい鎌倉室町の屋根。計算上手そうな江戸の屋根とは異なる。夢窓国師の名のように夢の窓から見たようなお堂と池と観月橋、花狭間。終わりの桜の舞う中を川まで出てみる。虎渓に残りの花弁が降っている。わたしが訪れようと訪れまいと千有余年そこにあり続けるあなたがた。人のように自在に動けるわけでない建物は、人が作ったものであるのに、立ち続けるうちに自然物のようになり。そこにあり続けるということの、それのみの、それゆえの有難さよ。そこにあるということがわたしの救いであるのだと思う。
この2年。出かけようとする心持ちは何度も何度も


打擲され、今年の春も、大和に行けなかった。花会式、浄瑠璃寺、円成寺、當麻寺。でも、諦めてはならない。そこにあり続けるその姿を心に描こう。そうして、いつかまた、出かけよう。
コメント (2)
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