もう忘れていたけれど、今日の新聞に1999年9月30日に茨城県東海村JCO で臨界事故があった。
多量の放射能を浴びて、不幸な転帰が起こった。
浴びてしまった放射能は取り戻せない。
残った生体細胞屁の影響をどれ位抑えられるか位しか、対処方法は思いつかない。
更に読むと、高い濃度のウラン硝酸溶液をバケツを用いて沈殿槽に移送していたと、これが手作業で行われていたとある。
そこで、「ここには産業医はいなかったのかい?」と突っ込んでみたい。
1999年(平成11年)には、もう産業医制度はあったはずだが、お抱えさんで機能は申し訳程度だったかも知れない。
更に思えば、この教訓も、忘れていた様に、もう、しっかりと風化していたのだろう。
※ 東京都、定点報告から、インフル流行開始と早い!