プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

精神医学の限界と精神分析

2012年10月26日 08時34分05秒 | インポート

精神医学も科学である以上、客観性を重んじるのは当然のことだと思われます。

だから現代の精神医学も脳の画像によって脳の働き具合を観察したり、細胞レベルで遺伝子の仕組みや神経伝達物質の働きなどを解明したりするための研究を重ねているのでしょう。

でも昔の精神医学はそういう手段や方法がありませんでした。

だから昔の精神医学にできたことは神経症者や精神病者が表現する態度を外側から観察し、それらにいちいち病名をつけ、分類する位でした。

20世紀の半ば頃に薬物療法が開発され、認知行動療法と共に現在の主流になっていますが、精神医学には患者たちの内面の心理的な苦悩を根本的に何とかしようという発想がないのは昔も今も変わりがありません。

それが精神医学の限界だと僕は思っています。

そういうことに目を向けたのはフロイトが創始した「精神分析」だったようです。

彼によって初めて科学的に無意識やトラウマなどの心的メカニズム(機制)の重要性が明らかにされたのです。

でも精神分析が学として確立されるためには世間の人たちの多くの偏見や非難と闘わなければならなかったようです。

それでもフロイトは真実を求め続けました。

英雄的でさえあります。

途中で用いていた概念の一部を修正したりしていますが、それも真実を追究しようという誠実な態度の表れです。

「催眠術」より「自由連想法」のほうが治療効果のあることが判明したら、そちらを採用したり、「快感原則」に矛盾する事実を説明するために「死の欲動」の存在を仮定したりしています。

とにかくフロイトがふざけているわけではないことは本を読めば分かります。

精神分析学は似非科学と評されることもありますが、彼の真実に迫ろうとするアプローチの仕方は科学的だったと思います。

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コメント
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