プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

記憶

2010年09月25日 10時08分21秒 | インポート

アイポッドで音楽を聴いていてふと「この歌手は若いときの自分の声を保存してもらってうらやましいな」と思った。そして僕は若いときの自分の声を残しておかなかったことを少し悔やんだ。僕の声なんてたいして美声でもないし残しておく価値などないかもしれないけど時々どんな声だったか思い出すのもよいのではないだろうか。

でもそんなこともないような気もする。今と未来だけあればいい、昔のことなど思い出したくないと思うこともあるからだ。

それにしても記録と違って記憶は切ない。みんなと同じものを見て聴いてみんなと同じ気持ちを共有したと思い込んでいたのに実は自分独りのものであるからだ。コンサート会場などで熱狂している観客は一体感で満たされているように見えるが僕には美しい誤解に思える。

以前、BS放送でルパン三世の特集をやっていたが見ていて切なくてしょうがなかった。ルパン三世が放映されていたのは僕が小学生の頃だった。学校から帰ってきてインスタントラーメンや焼きおにぎりなどを食べながら観ていた。峰不二子らしき女が夕焼け(たぶん)空の下バイクに乗って疾走するエンディングのシーンがかっこいい。だけどこのシーンは誰の視点で観ているのだろう?バイクは疾走し続けるのにテレビの画面には真ん中に映り続けている。普通の人間の目にこんなことは生じるはずがない。僕たちはありえない映像をさりげなく見せられている。人間の分際で神のような視点を僕たちは無意識のうちに与えられている。だから僕はあんなに切なくてやつれてしまったのだと悟った。

映像だけではない。他人の人生を物語として知ることだってそうだ。こんなことができるのは人間だけだ。

よい思い出はいいものだ。だけど思い出はどんなものでも重い。肉体は弱いから普段はきれいさっぱり忘れていて時々ふと思い出すくらいがちょうどいい。そう思った。

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コメント (4)
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