隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1450.下山事件 最後の証言

2014年03月25日 | ノンフィクション
下山事件 最後の証言
読 了 日 2014/03/10
著  者 柴田哲孝
出 版 社 祥伝社
形  態 単行本
ページ数 452
発 行 日 2005/07/20
I S B N 4-396-63252-5

 

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者の名前を知った最近の話題作「黄昏の光と影」は、どこの図書館も貸し出し中なので、日本推理作家協会賞(2006年第59回評論その他の部門)を受賞したと言う本書を君津市の図書館で借りてきた。本書は木更津市の図書館にもあったのだが、前回読んだもう1冊の「書物奏鳴(ラ・ソナト)」を借りるため、君津市立図書館へと足を伸ばしたのだ。
最近は、この君津市立図書館や、袖ヶ浦市立図書館の方が蔵書数の多いことが判ってきて、両隣の街の図書館を利用することが多くなった。やはり新しい街の方がこうした文化面への予算のかけ方が、多いのだろうか?
隣街へと車を走らせながらそんなことを思う。
うちのカミさんに言わせれば、「そうなのよ、木更津市は文化面で君津市に負けているのよ!」ということだ。まあ、一概にそうとも言えないのだろうが、そういえば君津市の文化センターで催されるイベントのお知らせが、宅配されるタブロイド紙に出ているのをよく見かけるから、ウチのカミさんの言うことも満更なことでもないのかも。

 

 

次第に遠くなりつつある昭和の時代だが、多くの知識人や著名人が後々検証を試みた、この下山事件が起きた昭和24年(7月)は、僕がまだ小学4年生のころだ。
前年に学校法が変わり現在の(新制)中学・高校ができて、僕が通っている学校も、国民学校から町営の小学校に変った。そうした中、新聞やラジオで大きく報じられた事件にもかかわらず、幼い僕の関心を引くことではなかった。
実は正直言って当時の記憶はあまり頭に残っていない。というよりは、多分僕の中では貧乏暮らしだったころのあまり良い思い出のない時代を、忘れてしまいたいという意識が働いて、記憶を消し去ってしまったのかもしれない。

終戦間もない日本全国が物不足の中、明日へのわずかな希望に支えられて必死に生きていたことが、頭の中から抜け落ちているのは果たして幸せなことなのかどうか?
とにかく最悪の食糧事情だったその当時、弁当にサツマイモや南瓜を持って行ったことが、大人になってからしばらくの間、サツマイモや南瓜を食べることができなくなった、というトラウマみたいなことも記憶を消し去る要因だったのかもしれない。
先日の母の葬儀でしばらくぶりに集まった弟や妹たちの連れ合いと昔話をしたが、幼いながらも東京大空襲をただ一人経験した僕が、B29爆撃機が襲来して、まるで雨霰のごとく焼夷弾を落とし、下町一帯を火の海にして、たくさんの死者を出した戦争のさなか母の手に引かれて逃げ回った恐怖の体験も、まるで幻のように消え去ろうとしているほどなのだ。
弟にその時の母がまだ若干28歳だったと話すと、「母は強し、だな。」という。幼い弟を背に、僕の手を引いて火の海から逃げ回った母も、この世から去って時代の体験を共有する者が次第に少なくなる。

 

 

在のJR-日本鉄道の前身だった国鉄の総裁・下山定則氏が昭和24年7月5日に出勤途上行方不明となり、常磐線の北千住-綾瀬間で轢死体となって発見されるという事件が起きた。事故か、自殺か、他殺か?あらゆる面からの捜査が行われたが、多くの謎を残して未解決事件の仲間入りをした。
松本清張氏の「日本の黒い霧」の中で、この事件を検証した「下山事件」がよく知られており、ドラマや映画の元ともなっている。
だが、本書の最大の特徴は、なんといっても著者・柴田哲孝氏の親族がこの事件の当事者かもしれない、ということに尽きる。これはフィクション(小説)ではなく、事実に基づいた検証のドキュメントであり、柴田一族がどのように関わったのかということだけに焦点を絞っても、興味深く読める物語なのだ。
膨大な資料と、多くのインタビューを行った調査は、これでもかというほどの検証を繰り返して行き、気の遠くなるような時間の経過を思わせる。
僕は事件の検証そのものも、もちろんそれが本書のテーマであるから、興味の中心であるが、同時に著者と事件への関わりが深いと思われる彼の祖父との関係、また、その妹(著者にとって大叔母となる)、さらには著者の母との会話―それらもインタビューの一部だ―にとても心地よい雰囲気を感じ取ることができて、そうしたこともこの「最後の証言」としての事件の検証をまとめ上げることのできた要因ではないかと感じている。

昨日3月24日に再びいすみ市大原を訪れて、四十九日の法要について、寺の僧侶と打ち合わせをしたり、妹たちと後片付けを話し合ったりしたので、ブログの更新が予定を1日ずれた。
四十九日法要は4月27日の日曜日に墓のある菩提寺・瀧泉寺の本堂で行うことにした。新盆を迎えるころまでは何かと落ち着かない日々を過ごす予感がして、まだ母を送ったことへの実感がわいてこない。

 

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