忍城(おしじょう)は文明11年(1479年)頃までに成田氏により
築城され約100年間支配した。
天正18年(1590年)秀吉と小田原北条氏との戦いの中で
石田三成らによる水攻めを受け開城。その後、関東に入国した
徳川家康の持ち城となった。昭和63年2月に忍城本丸跡に再建された。
この行田市郷土博物館は、市民の方に郷土行田の歴史と文化に
対して理解と認識を深め、さらに生涯学習の場として利用されるよう昭和63年に開館した。
縮尺100分の1の忍城址の模型。全てマッチでできている。
展示室の全景
展示室は「中世の行田」「近世の行田」「足袋と行田」
「古代の行田」の4つのゾーンに分かれている。
これは中世の人々の信仰を伝える板碑。市内には1236年の
市内最古のものから1571の新しいものまで数多く残されている。
1592年家康の四男松平忠吉が忍城の城主となる。
関ヶ原合戦後に尾張国清須に移った後1633年松平信綱が城主。
その後184年間阿部氏の時代が続いた。
1823年(文明6年)、伊勢桑名から松平氏が移封。
48年余で明治を迎える。そして明治6年に主な建物は競売に付され、
かつて面影は土塁を残すのみとなった。
17世紀後半頃から行田では足袋製造が始まったといわれている。
明治20年代にミシンが導入され大正時代になると飛躍的に
生産量が増加し日本一の生産地となった。
行田市は古代から豊かな水利に恵まれた低地と大宮台地から延びる大地の
突端に多くのムラや古墳群が営まれた。そんな古墳群からは埴輪など
貴重な品が多く出土している。
二の丸にある鐘楼。
忍城址に入って何が驚いたかというと、見事にコスプレをした
若者があちらこちらに居るではないか。
聞いてみると全国からコスプレ愛好家の若者80名程がこの日
忍城に集結し、大会を開催しているとの事。満開の桜の下で
あまり観光客もいない中格好のシチュエーション会場になっていた。
それでは気になった写真を12点程紹介します。
皆自己陶酔に浸っている様で、とても不思議な空気が城内に流れていた。
しみじみと行田の街を歩いたのは初めてだったが正直こんなに
整備されているとは思わなかった。日帰りの小さな旅で行くに価値ある場所だと実感した。
4年前に封切られた歴史映画「のぼうの城」は忍城の城主、
成田長親を主人公にしたもので天下の豊臣軍にケンカを売ったでくのぼうが
いたという原作で私も観た。この地に来て、改めてこの映画の
臨場感を感じるという貴重な体験をした。