ホテル雅叙園東京のエントランスの所に
平成21年3月に東京都指定有形文化財に
指定された「百段階段」がある。
その時は特別企画 百段階段 STORY展
~昭和の竜宮城タイムクルージング~、
同時開催 未来へつなぐアート展from日藝 が、開催されていた。
入場料1,600円。
47名定員の大型エレベーターには螺鈿細工が施されている。
内部の唐獅子牡丹の絵は橋本静水の屏風が原画となっている。
描かれている牡丹は百花の王、獅子は百獣の王と
最も美しいものと強いものの組み合わせになっていて
古くからのポピュラーな画題の一つだ。
エレベーターを降りるとそこに豪華な着物、
2点がディスプレイ的に展示されている。
そこからはかなり広いみやげ物ショップがある。
階段を上がっていくとトイレ(東司)の部屋がある。
当然便器は和式。
実際使ったら落ち着かないだろうと思う程広い。
窓もとても素敵なデザインだ。
「百段階段」とは通称で、旧目黒雅叙園の3号館にあたり、
昭和10年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築だ。
食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を
99段の長い階段廊下が繋いでいる。
階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。
階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、
各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が
飾り上げた美の世界が描かれている。
この部屋の絵を手掛けた画家、荒木十敏の名にちなみ
名づけられた十敏の間。
この部屋は百段階段の中で唯一の平屋であり、
畳の部分が42畳、天井の髙さも4.8mと
7つの部屋の中で一番の広さを誇っている。
又、天井には23面の四季の花鳥図が描かれている。
床柱、欄間、天井が彫刻で装飾された「漁樵の間」。
この部屋の床柱に掘られた中国の画題「魚樵問答」に由来している。
「昭和の竜宮城」と呼ばれた当時の目黒雅叙園の建物の特徴は、
装飾の破格な豪華さにある。
最近の研究によるとその豪華な装飾は桃山風、
更に日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに
見られる江戸文化に属するものと言え、
伝統的な美意識の最髙到達点を示すものとされている。
ここは草丘の間。昔は天気の良い日には富士山が見え、
昼間の宴会場として人気を集めていた。
この部屋の日本画は伊勢崎市出身の
磯部草丘という日本画家が描いたものだ。
静水の間はふた間からなる作りになっている。
この部屋は広島県出身の画家、橋本静水の名から取っているが、
実際には全部で5人の画家が携わっている。
この部屋では食文化の展示が行われていて
非常に興味深いものがあった。
この星光の間は京都出身の画家、板倉星光によって装飾されている。
この部屋は百段階段の7つの部屋の中で最も天井が低く、
約2m80cmとなっている。
しかし、職人の心配りにより心安らぐ空間の造りとなっている。
この部屋では結婚式場としての歴史的展示がされていて、
時代を感じてしまった。
この部屋では近代日本画の巨匠、
鏑木清方が手掛けた絵が飾られている。
清方は西の松園、東の清方と称された美人画の大家だ。
又、この部屋の建築の一番の見所は本間の床柱。
ここでは木の肌がでこぼこした出絞丸太という
珍しい材木が使われている。
この部屋では弓良麻由子の作品の展示が行われていた。
外国の方も外国語対応(3ヶ国語)の文化財
イヤホンガイドを付けて興味深げに鑑賞をしていた。
窓から見えた昭和初期の風景の木造の建物がやけに懐かしい。
改修工事をしているのか足場があって
ちょっと雰囲気を壊しているのが残念だ。
ここは最上段の頂上の間。
ここの床柱には非常に名品と言われる黒柿が用いられている。
この部屋では竹村太一の作品展示が行われていた。
雅叙園90周年の歴史、雅の日(結婚式)、
昭和のエピソード、写真を募集していた。
このポスターの写真を見ると親の代の写真とダブって
戦後復興へのエネルギーを感じる。
百段階段は階段の数が99なのになぜ百段なのか?
その理由は諸説ある。
例えば古来中国では奇数がおめでたい数字と言われており、
それが重なっている99段にした。
あるいは100は完璧な数字で、後は満月が欠けるが
如く衰退をイメージするため、一つ手前の99を良しとしたなど。
現在の雅叙園はこれで完璧なのではなく、
これからも一層発展していくという気持ちを込めて
あえて99段にしたと考えているそうだ。