スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~その424~

2019-03-29 06:12:16 | 食~うなぎ・寿司・天ぷら

うなぎ スッポン料理 すなが

 さいたま市南区南浦和3-44-1

TEL 048-881-2709

駐車場 有

2015-2-9付でアップした「浦和のうなぎ」で紹介された12軒のうなぎ屋さんの内

当店が最後の店と成りました。当店の記憶と言ったら、

今は亡き当社営業社員がよく接待伝票をあげてきた印象が残っている。

そんな彼の事を女将に話したら、えらく懐かしがり、思わず涙ぐんでいた。

当店は昭和42年創業ということで店に入ると年季が入った雰囲気が流れていた。

この日は見ることが出来なかったが2階に座敷もあるとの事。

創業者の女将はとても愛想がよく、鰻重が出来上がるまで

世間話に花が咲いて豊かな時間を過ごすことができた。

創業者は既に亡くなり、息子さん(?)が鰻を焼いている様だ。

当店は鰻料理以外にどじょう料理、鯉料理、すっぽん料理などをやっている。

すっぽんコースは1尾2人前用で26,000円~もする。

今や鰻も貴重になってきたがすっぽんはそれ以上だ。

壁には酒肴にぴったりの私の大好物が並んでいた。

仙台牛のたたき1,800円、松茸とうにの茶碗蒸し1,200円

阿波尾鶏の塩焼き900円、蟹みそ700円、筍の子の旨煮700円、

子持ち鮎の煮びたし950円、根三菜おひたし500円、

ながす鯨尾肉3,900円。この品書きを書いていて思わず唾液が出てしまう。

今回注文した鰻重(中)3,800円。肝吸、新香に自家製の豆腐が付いている。

当店の蒲焼きは見て分かる通りタレが濃く甘味があるのが特徴。

うなぎは鰻問屋の鯉平さんからの仕入れ若干細目の3Pを

使用しているらしい。最初の一口がわずからに臭みを感じ

まだ泥抜きが足らないのかもしれない。

肝吸いがセットになっているのが良かった。

女将自ら「当店の自家製豆腐でございます。」豆腐にこしがあり

木綿とも絹とも違う食感がしてとても旨い。

これが当店の山椒。ミル入りのもの珍しい。

うなぎ屋さんでよく見かける泥抜きをしている籠。

中にうなぎが入っている。それを見せてくれたが良く撮れなかった。

昔は水は井戸水を使っていたが、こちらはどうなのかな?

外には鰻の蒲焼きのポスターが。「この国には旨いうなぎがある。」

本当にそうだ!


浦和エリア旨い店シリーズ ~その423~

2019-03-26 15:26:56 | 食~その他

食堂 おすず

浦和区岸町2-2-1

TEL 048-822-1252

定休日 日曜 祭日 土曜

駐車場 店頭4台

当店の前は数えきれない程通ったが、あまり目立たないのでついつい

通り過ぎてしまっていた。食堂という名の通り、昭和のザ・定食屋といった

趣きの店構えだが、約40年程の歴史があるらしい。

内に入って入るみるといかにも昔の食堂のスタイルだが、

内装は新しい。

おそらく最近リニューアル工事をしたのだろう。

カウンター席が壁に8席、4人がけのテーブルが4卓、

そこに次から次へとお客が入ってくる。

客層は作業服を着た人が多く、大変な繁盛店といった印象だ。

この人数を母と息子らしき人2人のみで切り盛りしていた。

テーブルにはお品書きが置いてなく、壁に短冊状に

張り出されている。

このメニューは店外に張り出されていた代表的なもので、その他にも

多彩なメニューがあった。

とんかつ定食 450円

アジフライ定食 450円

カレーライス 400円

餃子 220円

と恐ろしく安い。このコスパでは客足が途絶えない訳だ・・・。

黒板には今日の定食が2種類。

注文した焼肉、スパゲッティサラダ、味噌汁、ライスはなんと590円。

びっくりだ。

ちょっと場違いなクラムチャウダーセット(キャベツメンチ、カレーコロッケ、クラムチャウダー、ライス)

なるメニューも発見。640円。

ちょっと浮いてるような雰囲気か・・・。

これがA定食セット580円。それにポテサラ170円を追加。

これが焼肉のアップ写真。ボリュームもたっぷり。

味も値段の割にはそこそこ。

このスパは昔の学校給食を思い出させるような懐かしい味。

おそらく冷蔵していたのか、冷えていて胡椒のアクセントがスパイシー。

このポテサラの盛り方は迫力がある。

まるで壁。

味は良い意味で普通なので、名物と言われる所以は

この形なのだろうか・・・。

いずれにせよこの食堂は驚異のコスパが最大の武器なのだろう。


江戸城外堀巡りPART I ーその3

2019-03-25 17:23:15 | 旅 ~東京

まるでこの写真を見るとニューヨーク マンハッタンに居るようだ。

ここは大手町仲町通りを挟んで林立する再開発ビル群エリア。

江戸時代は酒井雅楽頭の上尾敷のあった所だ。

 

このビル群の中に、星野リゾートが経営している「星のや東京」がある。

ここは和のおもてなしを世界に発信する日本旅館タイプのホテルだ。

玄関で靴を脱ぎ、畳にあがるという日本の生活文化を

継承する。それを海外から訪れる方にも体感いただき、

その哲学を世界に発信していく。お茶の間を中心に設えた

小さな宿が塔状に重なり合う造り。江戸東京の文化が彩り,然も温泉まである。

外観は江戸小紋の麻の葉崩しをモチーフにした抜き型で覆われている。

当ホテルは2016年に開業した。ここは都心の真ん中の全く違う

進化した未知の空間の日本旅館ホテルだ。

再開発ビル群の一角にひっそりと立ったていた庄内藩酒井家上屋敷跡の

木標識。ここには神田明神が建っていた。江戸時代初めに移転したが

塚は残り、関東大震災で崩壊した。

この方が㈱歩き旅応援舎社長の岡本社長。

氏は町あるき歴20年、特に東海道を5回踏破、現在も6回目に挑戦中。

江戸時代の古地図を片手に東京を歩き続け、盛んな好奇心と

探究心から今も新たな発見を求め続けている。

この緑地が江戸時代の堀と陸地の境目と熱弁をふるっていた。

ここは大手町川端緑道(延長約780m幅員約12m)。

大手町連鎖型都市再生プロジェクトとして、独立行政法人

都市再生機構が施工している大手町土地区画整理事業により

日本橋川沿いに整備された歩行者専用道路だ。

日本橋川環境絵巻というコンセプトのもとにデザインされた。

この鎌倉橋は日本橋川に架かる橋で、神田エリアと大手町エリアの

境目に当たる。現在の橋は関東大震災の復興事業で

昭和4年に架け替えられたアーチ橋で欄干には昭和19年11月に

米軍による爆撃と機銃掃射を受けた際の銃弾の跡が

生々しく残っている。又、本橋左岸下流側に、江戸城の際に

相模国鎌倉から運んだ木材や石材を荷揚げした河岸があり

鎌倉河岸と呼ばれた。

江戸時代初期に掘られた竜閑川の入口に架けられていた竜閑橋。

川は昭和25年に戦災で生じた瓦礫処理の為に埋め立てられ

現在は橋だけが小公園に残されている。

常磐橋の立派な欄干の柱の横に昭和のにおいがプンプンする

屋台が一台置かれていて思わずパチリ。

ラーメンが700円とはけっこういいcpだ。1万円札はダメとは何かを想像させる。

この一石橋は金座支配の後藤家と幕府御用達呉服商後藤家の間に

あったところから「後藤(5斗)と後藤(5斗)で一石橋」という

巷説がある。かつてはここで外堀と水路が十字に交差していたが

現在は一石橋より西と南の水路、堀は埋め立てられている。

一石橋の上から左に見える橋が日本橋。

橋の南詰には迷子しるべ石標がある。

ここは遠山の金さんで有名な北町奉公所跡。丸の内トラストタワーの

敷地内に外堀の石垣石と復元された下水道の石組みがあり、

大丸前の外堀通り沿いには説明板がある。

もうここを出ると東京駅八重洲口だ。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編243~

2019-03-23 05:43:00 | 食~番外編(都内)

テラス&パブ MERCURY (如水会館)

東京都千代田区一ツ橋2-1-1

TEL 03-3261-1101(代)

https://www.kaikan.co.jp/josui/

江戸城外堀ぐるりの旅の昼食は如水会館で。この一ッ橋如水会館は

東京會館が運営している。「ひとつ上のくつろぎと華やぎを」

目指して、都心とは思えない落ち着きと温もりある雰囲気が漂っていた。

広々としたロビー、シンボルのシャンデリアが出会いのシーンを

温かく見守っている。長年培われたクラブハウスならではの

ホスピタリティはそのまま特別な場所にふさわしい

ラグジュアリー感をプラスし、くつろぎと華やぎに満ちた空間となっている。

1階にありカジュアルなメニューを中心に楽しめる「カフェ&パブ マーキュリー」。

食事(週替りランチ)はもちろんティールームやダイニングバーとしても

利用できる収容人員は76名入れる。店内はカジュアルさの中に

重厚さがあり、シックでとても良い雰囲気の店だ。

新鮮なサラダ、スープが付いたステーキランチ。さすが東京會館運営のレストラン。

味では昔から定評があり、当店もそのイメージを壊していない

高いレベルを保っていた。ここのはやはりプロの味だ。

 

参考に撮ったメニュー。ライトミール(カレー系、ピラフ、ハンバーグ)と

サンドイッチというシンプルメニュー。確かにこういう店があっても良い。

レストランの入口横には埼玉の生んだ偉人渋沢栄一翁の胸像があった。

翁は天保11年(1840年)武蔵国(深谷市)に生まれ

昭和6年逝去 享年92歳と大変長寿の方であった。

ここの如水会の結成にあたり命名者となったとの事。

地上14階、地下2階の高層ビル「如水会館」1982年9月16日、竣工落成。

所有者は一橋大学の後援等を目的とする

一般社団法人如水会。この会館の内には紹介した

「マーキュリー」以外に伝統のフランス料理ベースの「レストランジュピター」

3階には日本料理「橋畔亭」、神前式場、貸会議室

パーティ、レセプション会場などがある。

如水会館は隠れ家的で意外に穴場の施設だ。


江戸城外堀巡りPART I -その2

2019-03-22 06:29:46 | 旅 ~東京

この橋を一ッ橋といい、内濠川に架かる見附橋で徳川家康が

江戸城に入ったころは、大きな丸太が一本架けられていて、

その名で呼ばれていたという。橋の近くにあった松平伊豆の守の屋敷のあとに、

8代将軍吉宗の第4子徳川宗尹が御三郷の一人として居を構えた。

そこで橋の名をとって一ツ橋家と称した。現在の橋は大正14年に架設されたもの。

一ツ橋家の屋敷跡は現在22階建てのビル(丸紅本社の建替え)の建築中。

仮囲いにはそのことを知らせる写真が掲示されてあった。

内堀架かる江戸城の通用門の「平川門」。この門は江戸城内郭門の1つで

三の丸から場外への出口にあたり、御三家・御三郷は

ここから登城した。又、この門は江戸城の鬼門にあたることから

不浄門としても使われており、罪人や死人はこの門から運び出された。

ここは皇宮警察本部が所轄している。平川門から皇居内に

入るには手荷物チェックがある。この日も多くの人が来ていて長蛇の列になっていた。

江戸城の堀、櫓の壁面などに開けてある防御用の穴や窓の狭間。

江戸時代は平和が長く続いた為、狭間もデザイン性を尊重し実用性が欠けているとの事。

平川門の橋の欄干の擬宝珠。この青銅の擬宝珠を良く見ると

寛永元甲年八月吉日と印されている。ということは約400年前のもので 

ずっと江戸、東京のど真ん中の変化を見てきた物だ。

一ツ橋家跡、現在建設工事が行なわれている所の向かい側、外堀の所には

今にも壊れそうな江戸時代の石垣の一部が残されている。

外堀の門の1つ、常磐橋門跡。命名者は江戸三年寄の1人初代奈良屋市右衛門。

現在も門の石垣が残っている。外堀に架かっている橋は明治10年に

門の石垣の一部の石を使用して造ったもの。但し、現在は東日本大震災による

修復工事中で立入禁止になっている。工事現場の仮囲いには

常磐橋の概要、歴史、工事状況、明治〜戦前の常磐橋周辺マップ、

現代のマップなどの資料が貼り出され勉強になる。

外堀の門、神田橋門跡、ここから竜閑橋までの間は

北側が荷揚場であり、鎌倉河岸と呼ばれていた。

この神田橋を渡ると首都高速神田橋入口ランプになり、

その向こうエリアは大手町のビル街に続く。 


江戸城外堀巡りPART I ーその1

2019-03-21 06:20:12 | 旅 ~東京

クラブツーリズム㈱が企画した全5回江戸城「外堀」ぐるり一周。

第1回江戸庶民の飲み水を供給する「水道橋」から

「北町奉公所跡地」周辺「東京駅」へ参加してきた。

スタート集合はJR線水道橋駅。参加者は約25名程、

圧倒的に高齢者女性が多いのには驚いた。

オリジナル解説レジュメと復刻版、江戸時代古地図をもらい

これを見ながら江戸城が蘇る5時間の歩く旅だ。

水道橋駅東口を出て、すぐ通過したのが、水道橋のパワースポット

三崎稲荷神社。当神社の創建は寿永元年(1182年)に

武蔵国豊島群三崎村の鎮守の社として創建されたと伝わっている。

その後転々として明治38年(1905年)に現在の地に移転してきた。

徳川3代将軍家光から旅行安全の神様として信仰され

江戸城の出入りの際は参拝したと伝わっている。

諸大名が江戸城入りする際は当神社でお清めしたことから

「清めの稲荷」とも呼ばれていた。

このツアーには「歩き旅応援舎」の歴史に精通した

女性ガイドさんと会社の社長(この方はTVにも出てきたり

この世界ではスーパースターの様だ。)が同行した。

又最近流行りのガイディングレシーバーも貸してくれて大いに役立った。

堀留橋。もともとここには平川という川が流れていたが

神田川を掘削し、明暦大火後にここより北側の神田川に

通じる水路は埋め立てられたため、外堀の起点はここになった。

滝沢馬琴硯の井戸跡。滝沢馬琴は26歳の時からこの地に

31年間住み、「南総里見八犬伝」をはじめとして

多くの小説を世に出した。この奥に当時の井戸があった。

俎橋。名前の由来については、江戸時代初期に、近くに御台所町

(幕府の台所役人の屋敷と思われる。詳細不明)があったことから

「俎板橋」と名付けられたという話がある。

この橋を過ぎると大通りに出た。先には靖国神社の大鳥居が見える。

渡された古地図は重宝な書かれ方をしている。

昔は表札が無く、地図で名前の上の方が玄関という書き方になっているそうだ。

1回目の休憩地となった千代田区役所本庁舎と九段第3合同庁舎。

江戸城清水門前のこの場所は、将軍直属家臣の居住地や蔵

馬場、厩といった江戸城付属の施設が置かれていた。

近代になるとこの地は、明治政府の厩が置かれた。

明治9年には二度の総理に就任し、早稲田大学を創設するなど

多方面に活躍した大隈重信が邸宅を構えた。

その後、フランス公使館、憲兵練習場、国営竹平住宅を経て現在を迎える。

昭和36年に国指定重要文化財に指定された「清水門」。門の名については

かつて清水が湧き出ていたからという説とこのあたりに

清水寺があったという説がある。1624年(寛永元年)安芸広島藩

藩主浅野長晟により修築され、1657年(明暦3年)の火事で

類焼したと考えられる。又徳川御三卿の清水家はこの門内に

屋敷地を与えられたことに由来する。

一ツ橋、竹橋JCTのエリアは共立女子学園の建物が多く目立つ。

一昔前有名な神田共立講堂、共立女子中、高、女子大学。

創立は1886年で大学設置が1949年。建学の精神は誠実・勤勉・友愛だそうだ。

昔はあまり見なかった水位警報の案内板。水位が護岸天端から1.5mに

達すると自動的にサイレンが鳴るシステムになっている。

おそらく東日本大震災以降、津波を意識して設置されたのでは。

 雉子橋門跡。外掘と内掘を結ぶ堀に橋が架けられ、雉子橋門があった。

幕末の嘉永2年(1849年)に新設された蕃書調所は当初は

雉子橋門外にあったが、火事で九段下に移転した。

尚、この橋は大正14年に架けられた。

以前の住友商事ビルの所に江戸時代の石垣が残っている。

石垣の一部には石を採取する時の斫りの跡が残っている。


浦和エリア旨い店シリーズ ~その422~

2019-03-20 06:25:20 | 食~イタリアン・フレンチ

Brasserie DE CHEF

浦和区仲町1-11-3 小林ビルB1F

TEL 048-833-6229

定休日 月曜日

http://www.de-chef.com/

旧中山道、足利銀行角の路地を入ったグルメ通りの地下にある

カジュアルフレンチのお店。当店は以前県庁第2庁舎の斜め前でオープン。

その後、この地に移転してきた。オーナーシェフは友人の弟さんが

やっており、久し振りの訪問にびっくり、熱烈歓迎をしてくれた。

階段を下りていくと、パティオ的なお洒落な空間に出る。

上を見るとガラスのトップライトに成っていて、電球とは違う

自然の光が射し込んで素晴らしい雰囲気を醸し出している。

ここにはカウンターがあり、夜はバーに変身しているのだろう。

 

店内は2つのゾーンに分かれていて、全部で34席ある。

当店も客はほとんどが女性。大方の浦和のレストランは女性で

持っているのを改めて実感した。ブラッスリーとは

仏語でフランスにおける飲食店の業態で種別ではビアホールの

ように酒を食事を提供するお店のことだ。

ランチメニューはアミューズ、A~E料理焼き立ての自家製のパン2個、

デザート2種にコーヒーが付いている。参考に5つのメイン料理は

A、国産豚肉のキャベツ包み粗挽きソーセージ添え

粒マスタード 1,200円

B、新鮮ノルウェーサーモンの網焼き、新じゃが芋のロースト1,400円

C、ドゥシェフの魚介たっぷりブイヤベース南仏風(サラダ付)1,600円。

D、限定!国産牛ホホ肉の赤ワイン煮込み(サラダ付)2,000円。

それにリゾットランチとして日替りリゾット(サラダ付)1,200円

茸、イカ墨、魚貝、野菜、トマト等

ドゥシェフさんは南フランスのアツアツのブイヤベースなど

香りを意識した料理が得意との事。

これは夜バージョンの単品メニューか?

手軽な小皿タパス料理、10種類がオール550円だ。

ランチAコースをオーダー。アミューズは洒落たポテトサラダに

焼き立ての自家製パン2個。バターも一般的なものとは違っていた。

これがメインの俗に言うロールキャベツ。新鮮な野菜が

たっぷり入っていて、又スープがベリーグッド。やはりこれはフレンチだ。

町の洋食屋さんのとは全然違う。

デザートは5種類あり、自分で確認して2つ選べる。

チョイスしたのはアップルパイにプリン。それに本格コーヒー付。

満足満足のランチであった。


高濱正伸花まる学習塾代表

2019-03-19 06:30:15 | レポ

さいたま市浦和区倫理法人会主催による講演会に誘われて

行って来た。講師は花まる学習会代表NPO法人子育て応援隊

むぎぐみ理事長の高濱正伸氏。講演テーマは「メシが食える大人に

育てる一社会法人教育がこれで分かる!」。

子供の教育と社員教育は相通じるものがあった。

高濱正伸代表は昭和34年熊本県人吉市に生まれる。

熊本県立熊本高校卒業後、東京大学農学部卒、同大学院農学系

研究科修士課程修了、算数オリンピック委員会理事。

著書としては、ロングセラー「伸び続ける子が育つおかあさんの習慣」

「小3までに育てたい算数脳」「わが子をメシが食える大人に育てる」

「算数脳パズルなぞペー」など多数。

1993年「この国は自立できない大人を量産している」という

問題意識から「メシが食える大人に育てる」という理念のもと

「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を主軸にすえた学習塾

「花まる学習会」を設立。1995年進学塾「スクールFC」を設立。

チラシなし、口コミだけで母親たちが場所探しから

会員集めまでしてくれる形で広がり、当初20名だったが

会員数は23年目で2万人を超えた。

主催する野外体験企画であるサマースクールや雪国スクールは

大変好評で延べ5万人を引率した実績がある。

各地で精力的に行なっている。保護者などを対象にした

講演会の参加者は年間3万人を越え、毎回キャンセル待ちが

出る程盛況。障がい児の学習指導や青年期の引きこもりなどの

相談も一貫して受け続け、現在は独立した専門の

NPO法人「子育て応援隊むぎぐみ」として運営している。

2015年4月からは、佐賀県武雄市で官民一体型学校

「武雄花まる学園」の運営にかかわり、

市内の公立小学校全11校に拡大されることが決定した。

・最初に自分の生い立ちについて話をした。開業医の長男として

生まれたが、病人の前に居るのが嫌で医師の道を選ばず

教育の世界でメチャ幸せな人生を好きなようにやってきた。

・多くの教育現場を見てきて、幼児期と思春期には落とし穴がある。

良い子が危ない。与えられた価値はダメだ。

・自分の体験から、褒めることがプラスのマジック

教育の要諦は全員にえこひいきすること。

・離婚の原因は常識と常識のぶつかり合い。

恋はマジック しつけが壁になっている。

・日本はうまくいっていない。本質を見失っている。この国は

責任逃れ、母親はイライラしている。親を変えないと無理だ。

・見えないものが見えてくる見える力、補助線が浮かんでくる。

サッカーのパスコースが見えてくるのと同じ。やり続けることが大事。

・外遊びこそ重要。命のリレー、生命力を作る。

・高濱家はウソをつかないことが信念の家

・教育で三角形の下の部分は基盤力、規範、体力、上の部分を

花まる学習会で人間力、感性を作っていく。

思春期の師匠になる。そしてイモムシから蝶々へ。

高濱代表は情熱家で説得力がすごい。話の中に引き込んでいく

魅力がある。やはり、教育現場(学習塾)に居続けたのが

バックボーンに成っているのだろう。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編242~

2019-03-18 05:40:36 | 食~番外編(県内)

リストランテ ステッラポラーレ

草加市柿木町750-1 (JR越谷レイクタウン駅より車で5分)

TEL 0120-996-757

定休日 水曜 広い駐車場50台

 

広い敷地の中に突然、イタリア風の洋館レストランが現れてきた。

地鎮祭に向かう途中で発見したのが、このイタリアンレストラン。

浦和レッズのオフィシャルスポンサーのポラスグループが経営している。

入口のアプローチは石畳のパティオ、そして重厚な扉が

私達を迎えてくれた。

扉を開けると、異国情緒を感じさせるロビー空間が広がり

ちょっぴり暗目の空間が期待感を膨らませてくれた。

オッ、良い感じのレストランを見つけたものだ。

メインレストランはかなり広く、当レストランは80席あるそうだ。

天井高は12mととても高く、ぐるりガラス窓が巡り、

上質な空間でこだわりのおもてなしの舞台が用意されている。

またレストラン内には、ステージがあり、地元で話題の

ランチ生演奏が行われているとか。

ミュージックプロムナードと称して3月は10日間

3ステージ(30分)、ランチピアノ演奏をやっているらしい。

残念ながらこの日はピアノ演奏は予定されていなかった。

こちらは別室の部屋2つ。いつもよりちょっと優雅に

ゆっくり過ごしたい方には格好の部屋だ。

パスタランチはシェフが手がけるイタリアン料理。

これだけ広いレストランだけに厨房も広い。

中を盗み撮りしようとしたら、シェフに睨まれてしまった。

どうもすみませんでした。

ランチメニューA.B.C  Aは1600円、Bは2100円、C は3600円だ。

こちらのメニューは本日のパスタ料理とメイン料理のメニュー。

全員がAランチをオーダー。まず初めに前菜として

パルマ産生ハムのサラダ。(Insalata)なかなか彩りが美しいサラダだ。

パスタ料理は6種類の中から選べる。

これはベーコンと3種のきのこパスタ。

こちらは本日のパスタ料理。上に乗っているイタリアン野菜はルッコラかな?

ボンゴレロッソのトマト味。

ボンゴレはあさりでロッソは赤いという意。

ところで私は当店一番人気の渡り蟹のトマトソースをオーダー。

なぜならば、最近2店でこのレシピを食べ、大げさに言えば舌に

各店の味の記憶が残っているからだ。食した後の感想は

No.1はムラーノ、No.2はココチーノ、そしてNo.3が当店だ。

デザートは5種盛り合わせ(Dolce misto)

ランチメニューとしては豪華なデザートだ。

当店はイタリアレストラン以外に古いイタリアをイメージした

チャペルフランチェスカロマーナが併設されてあり、

ウェディング会場として使われているとか。

レストランの入り口には新郎用のモーニングと新婦用の

ウェディングドレスが飾られてあった。こんなリストランテの為

駐車場は50台収容と通常のレストランとしては考えられない広さだ。


子ども食堂開所式

2019-03-16 05:55:27 | ご近所情報

上田埼玉県知事肝いりで県住越谷間久里住宅内の子ども食堂

「まくりの家」の開所式が3月3日(日)に行われた。

この施設は県住の集会所をリフォームして、多世代交流施設としてスタートする。

2013年「子どもの食堂対策法」が成立して6年、全国で約3000ヶ所の

子ども食堂があり、去年あたりからどんどん増えているそうだ。

参加した子供は年間延べ約100万人とも言われている。

子ども食堂とは子どもやその親、及び地域の人々に対して、

無料または安価で栄養ある食事や温かな団欒を提供する

日本の社会活動のことで、2010年代頃から

テレビなどマスメディアで多く報じられた。こども食堂の第1号店は

2012年(平成24年)、東京都大田区東矢口の「きまぐれ八百屋

だんだんこども食堂」と言われている。

式典の中で来賓の方がそれぞれの立場で本施設の意義を話してくれた。

間久里住宅自治会長によると本県住は高齢者、母子家庭の方が多く

今迄は全体の交流が低調であった。この3世代交流の提案があり

まさに渡りに船、是非協力体制を作っていきたい。

又埼玉県住宅課の方からは、今年度から子供の居場所づくりを

積極的に取り組んでいる。埼玉県内には現在123箇所あるとか。

2人の県議の方からは、多世代交流の家は県の新しい事業、

全国で2番目に早い取り組みだとか。そして一番びっくりしたことは

夢を諦めざるを得ない子どもたちが7人に1人もいるということ。

この子どもは地域で育てる必要がある。

当食堂の運営はNPO法人「地域こども包括支援センター」が行なう。

ここの理事長は大変な情熱家で勉強家。現在私達はこの

NPO法人に指導を受けている。氏曰く、子ども食堂の課題は

ボランティアの集め方、食材の確保、場所が無いこと、

住器設備などの不足、そして保健所の許可問題などがあるとの事。

又、貧困の子どもはシングルマザーの子ども

ちゃんとしている父母が居ても疎外された子どもが多いとのこと。

開所式が終了後、この日は15人の子供の予約が入っているとか。

その準備の為のボランティアの主婦が厨房で忙しそうであった。

尚、この施設の食材(野菜)は地元の農家グリーンマルシェさんから寄贈されている。

私達、浦和東ロータリークラブは当施設の要請により、

炊飯ジャー、オーブンレンジ、ガスオーブン、液晶テレビ、掃除機、設備工事費などを

寄贈させていただいた。

ユニークなアイディアのプロジェクトを発見。

越谷フードドライブプロジェクトと称して、

レトルト食品、インスタント食品、缶詰、調味料

(醤油、みりん、油、ふりかけ等)のり、お茶漬け、お米、

賞味期限が3ヶ月以上の食品の寄贈をこの缶に入れてほしいとの事だ。

開所式のセレモニーも終わり、いよいよ子ども食堂の準備。

今日のメニューはひなまつりに因んでちらし寿司(ジャイアンツ岩隈選手から)

お吸い物、大根と鶏肉の煮物、キャベツサラダ(越谷グリーンマルシェ

生産者から)、名物ピザ(ピザの材料は明治安田生命越谷支社より)だ。

私達は昼食は辞退した為に、子ども達の食事光景は

残念ながら見ることが出来なかった。