スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ハイテンションボルト不足

2018-11-30 06:29:59 | お仕事

ハイテンションボルト(高力ボルト)とは鉄骨の建築物などで

鋼材を接合するのに用いる部材のこと。ボルトで締めた際に

接合する鋼材の間に生じる摩擦の力などを利用する。

一般的なボルトに比べ、髙い強度と引っ張り力で接合できる。

建物の鉄骨をつなぐハイテンションボルトの不足が、今建設業界の

難題となってきた。東京五輪関連や都市再開発の建設が進む一方

母材となる特殊鋼線材が品薄となり、生産が需要に追い付かない

取引価格も半年で1割強上昇した。ボルト不足が建設需要に

水を差しかねないとの懸念も出てきた。

こんな状況を受けて日経新聞にも特集記事が出た。今、町の中で

鉄骨は立ったが、ひと気のない現場が目につくようになって来た。

ハイテンションボルトの入荷待ちの為だ。

これによって決められた工期にも大きな影響が出て来て、

現場の人間は頭を抱えている。

今月末にオーナーに引渡された浦和駅北口駅前の(仮)東仲町ビル。

地下部分がRCで鉄骨2階、3階建ての商業ビルだ。

前面のフォルムは大開口の強化ガラスフィックスになっていて、

意匠的にシンプルモダンの香りがする。

1、2Fはスケルトン渡しで、思ったより広く見える。1Fはエステ関係の

テナントが入居するそうで浦和東口の賑わいに若干たりとも貢献できるのでは。

地下1階には以前当ブログで紹介した「旬な味 みなと」が裏門通りから移転してくる。

(2016-4-11付、2017-2-16付ブログを参照して下さい。)

ハイレベルな、みなとさんの移転により浦和東口の和食は

激戦区の様相を呈してきた。一日も早いオープンが待たれる。

来年、2月頃オープンの予定とか。

当ビル2Fから見た浦和駅。ピンク建物の右側を入ると浦和駅北口だ。

雨が降っても濡れない地に(仮)東仲町ビルはある。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編224~  

2018-11-29 06:34:47 | 食~番外編(京都)

京料理 竹林

宇治市宇治蓮華21

TEL 0774-21-7039

定休日 水曜日 ほか月2回不定休

平等院表門を出て、平等院表参道を右に曲がるとすぐ左側にある

京料理屋さん。左隣りがすごく洒落たスターバックスだから分かり易い。

こちらは純和風の邸宅をリノベしたのか、門構えがすごく立派だ。

門の所に写真付きメニューが出ていた。本日の御飯は松茸御飯となっている。

門の両サイドには菊人形で使われる様な小菊の鉢がお客を迎えていた。

こちらがちょっと控え目な玄関と横に植えられた観賞系の草(?)。

名は分からないがとても良い感じだ。

1階の席をパチリ。最近は和室にテーブル席というスタイルが

増えてきたような気がする。これも高齢化社会を反映してのことか?

年ととるといっぺんに正座から立ち上がれなくなってくる。

 

 

今回の旅は全て名幹事さんが綿密に計画されている為、

どのコースでいくらなのかが分からない。多分特別京懐石のコースではないかな。

とにかく素晴らしい何度も来たくなるようなお店でした。

八寸・・・・くるみ豆腐 車海老 かます菊花寿しみょうが

栗渋皮煮 銀杏干いちょう 鴨ロース ほうじ茶の香り

くるみ豆腐のアップ。 当店の料理が素晴らしく、もう参りましたの

懐石料理の連続。それだけでなく使われた器もマッチして素晴らしいものでした。

椀・・・・・松茸 鱧 土瓶蒸し

向付・・・・・明石天然鯛 トロ 鮑 2種類の醤油で食する。

焼物・・・・・子持ち鮎杉板焼 あしらい南 石垣豆腐 しいたけ

この料理はすごかった。子持ち鮎の素材の素晴らしさもあったのだろうが

焼いた杉板の香り付けと相俟ってこんな旨い鮎を食ったことがあったかなー?

と思わせるすごさだった。

蒸物・・・・・渡ガニ 菊かぶら、菊花あん これも季節を感じさせる

上品な心のこもった逸品だ。

揚物・・・・・雲子 あられ粉揚げ、あしらい松茸 万願寺

お腹の溜まり具合を考えたボリュームで心配りを感じた。

留椀・・・・・松茸飯 香物 吸物

松茸御飯の上の4本の三ツ葉がなんともにくい。

水物・・・・・ピオーネシャインマスカット 洋梨

ほうじ茶アイス ワインゼリー

今や高級ぶどうは巨峰からシャインマスカットへ。

そこで懐石料理にぴったりの日本酒しかも当店のラベル

「竹林」を昼間からいただき皆ご機嫌 ご機嫌

こちらが当店の板長と女将ご夫妻。

わざわざ通りまで見送りに出て来て恐縮した。実は竹林のご主人は

京都のあの有名な「菊乃井」本店に7年修業してきたとの事。

今でも村田吉弘師匠の所に卒業生が定期的に集まって勉強会を

しているとの事。先日も帰ってきたばかりと言っていた。

竹林さんの京料理を食して菊之井さんの伝統と革新を強く感じました。

しっかり受け継ぎながら自分の世界へ挑戦している竹林さんが

更に素敵なお店になりますように遠くから願っています。

http://chikurin-uji.com/


宇治の平等院

2018-11-28 06:51:54 | 旅 ~京都

中学校修学旅行以来の平等院に来た。ここは素晴らしく整備されている

南門前広場と快晴の中、綺麗に刈られた生垣がすっきりとして美しい。

南門を入ると最初に遭遇したのが、想定外の近代的建物の鳳翔館。

2001年3月1日に開館した宗教法人としては初となる

総合登録博物館だ。詳しくは後述。

これが平等院の旧南門。安土桃山時代のもので、伏見桃山城からの移構とされている。

城造りの天才として知られた秀吉による城門「薬医門」の

現存する最古の建築として注目されている。

平等院の塔頭の浄土院。浄土宗の栄久上人が明応年間(15世紀後半)に

平等院修復の為に改創した寺と伝わっている。

平等院は永承7年(1052年)、関白藤原頼通によって父道長の

別荘を寺院に改め創建された。その翌年の天喜元年(1053年)に

阿弥陀所来を安置する阿弥陀堂が建立され、その建物が現在鳳凰堂と

呼ばれている。経典に描かれている浄土の宮殿をイメージした

優美で軽快な建物だ。そして皆様ご存知のように、10円玉のモデルになっている建物だ。

堂内には、平安時代を代表する仏師定朝の作であることが

確実な現存する唯一の仏像、本尊阿弥陀如来座像(国宝)をはじめ

雲中供養菩薩像52躯、9通りの来迎を描いた壁扉画など

平安時代、浄土教美術の頂点が集約されている。

庭園は浄土式の借景庭園として史跡・名勝に指定され、

現在鳳凰堂周辺の洲浜や平橋・反橋などが整備されている。

ここの庭園は開放的で日本の寺院の中では珍しくとにかく明るい。

極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は中堂、左右の翼廊、

背後の尾廊からなる他に例を見ない建物だ。

中堂の屋根には一対の鳳凰が。本物の鳳凰(国宝)は

鳳翔館で見ることができる。ということで屋根にある金ピカ鳳凰はレプリカ。

しかし、このレプリカが存在感があっていい。

又この鳳凰は1万円札の裏側にも描かれている。

平等院鳳凰堂は平成24年6月から1年半に及び、

平成の大改修を行なった。柱、扉などの色彩は赤色顔料の

鉛丹が塗られ真新しくなった。柱の向こうでっぱった広場が

一番の写真スポットということで皆カメラを向けている風景が面白い。

鳳凰堂内部の拝観は300円の志納金をお納めて見ることができる。

1時間に3回程でご覧の様な行列が。残念ながら時間の関係で入ることができなかった。

なぜか一人目立った黒人の女性が気に成ってしまったのでパチリしてしまった。

ブログを始めて変な習性が付いてしまった。

鳳翔館は旧宝物館(1965年竣工)の老朽化に伴い、

先端的な設備などの導入による収蔵環境の改善を施した

第3世代ミュージアムとして、平成13年に開館した。

鳳凰堂を中心に史跡名勝に指定された庭園の風致と調和した外観を

実現するために大半を地下構造としながら、館内は自然光を

意図的に取り入れるなど、照明の工夫も施している。

さらに国内最大級のガラスウォールケースを使用するなど

展示物に対する空間特性を生かす構造にも配慮している。

設計者は「植村直己冒険館」や「岡崎市美術館」を設計した栗生章氏。

目前に迫る「梵鐘」「鳳凰」「雲中供養菩薩像」など国宝の数々。

館内撮影禁止で伝えられないのが残念です。

 

深く心に残る空間体験、刹那と永遠が交差する平等院

ミュージアム鳳翔館を見終わって1人佇む女性・・・。ポエムの一枚です。

他の寺院と違い、平等院は見所鳳凰堂一点ということで

とてもシンプルで分かり易いが、逆に印象深いインパクトを受けた。

帰路は反対方向の表門へ。


京都 下鴨神社

2018-11-27 06:11:10 | 旅 ~京都

下鴨神社は鴨川の分岐点、京都市左京区にある。

正式には加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。

旧社格は官幣大社で現在は神社本庁の別表神社となっている。

京都の社寺では最も古い部類に入る。これは下鴨神社の正面鳥居。

鬱蒼とした森「糺の森(ただすのもり)」の中に境内がある。

神社は2つの川(高野川と賀茂川)の合流点から一直線に伸びた参道とその正面に

神殿という直線的配置に成っている。

今年は本当に災害の多い年であった。京都も台風21号で多くの被害が出た。

下鴨神社も境内糺の森の樹木120数本。中には樹齢300年から

400年のもの20数本が含まれていた。社殿も多くの被害を

受けたが77棟に及ぶ文化財指定の社殿には

大きな被害はなかったとの事。社寺でこの様な自然災害の

礼状が出ているのを見るのは珍しく、新鮮に心に迫ってきた。

高さ13メートルある重要文化財の「楼門」。東西の廻廊とも

古代様式を伝えている。21年ごとの式年遷官ごとに造替されてきたが

寛永慶以降は解修理をして保存している。

尚、下鴨神社は世界遺産「古都京都の文化財」の1つになっている。

縁結びの神「相生社」。御神祭の産霊神で、

古代から縁結びの神として知られている。

めでたいことを相生というのは、ここから始まったと言われている。

この御神木は、右側のお社、「相生社」、縁結びの神の御神威によって

2本の木が1本に結ばれたものと広く伝えられている。

このことは縁結び、安産子育、家内安全の御神徳の現れであり

謡曲などに相生とうたわれ、京の七不思議として古くから有名である。

又、この御神木は4代目であり代を次いで境内の糺の森の

神域に生まれるのが不思議だ。

下鴨神社全体の境内図。当神社は上賀茂神社とともに

加茂氏の氏神を祀る神社で両社は加茂神社(加茂社)と総称されている。

又両者で催す加茂祭(通称葵祭―5月15日)で有名だ。

境内中央に位置した舞殿と神服殿。両者とも重要文化財の建物だ。

舞殿は葵祭の時、天皇の勅使が御祭文を献上され

東游が奉納される場所になる。神服殿は古来殿内の一室が

行事の時に玉座となった殿舎だ。

中門と本殿。この本殿の奥に国宝の西本殿と東本殿。

下鴨神社には上賀茂神社とともに奈良時代以前に

朝廷の崇敬を受けた。平安遷都により一層崇敬を受けるようになった。

本殿前にある末社(一言社、二言社、三言社)大国主命の7つの

別名ごとの社で17世紀に造営された。12支の守り神とされている。

今年は全国で明治維新150年を記念しての行事が多く行われているが

下鴨神社でも当神社資料館で、激動の時代(神仏分離令、

上知令、新社格制度の導入、加茂祭(葵祭)の東游の廃止など)

の特別企画展が行なわれていた。このポスターの写真は

明治中頃のものとか。歴史が伝わってくる。

ここ御手洗社は井戸の上に祀られることから井上社とも言われている。

ここから湧き出る禊ぎや土日丑の日に行われれる足つけ神事

(御手洗祭り)が行なわれ、御手洗池から湧き出るアクを人の型に

かたちどったのが「みたらしの団子」でここが発祥の地とされている。

ここの水占い(みずみくじ)は御手洗川の水につけて占う。

境内の社殿には「之と祈願祭「の提灯が。下鴨神社には数多くの

社殿があるが、2棟が国宝、31棟が重要文化財のかたまりだ。

よく京都は鴨川を中心に町づくりがされていると言われているが

鴨川の下流に祀られているお社というところから

「下鴨さん」と親しく呼ばれている。


京都 金地院

2018-11-26 06:15:56 | 旅 ~京都

金地院はインクラインから南禅寺に抜けるとても落ち着いた

街並の中にあり、この前を何度も通っては一回は寄らなくてはと

思っていた所だ。当院は応永年間に大業和尚が足利義持の

帰依を得て北山に開創した禅寺で、慶長の初め崇伝長老が

南禅寺塔頭に移建して現在に至っている。

特別名勝 金地院庭園全景図。京都の寺院では小振りな方だが

とても趣きがあってとても気に入った。

天正10年明智光秀が母の菩提のため黄金千枚を寄進して

大徳寺に建立したものを明治初年、当院に移建した「明智門」。

特別名勝、鶴亀の庭園。永年7年小堀遠州の作による。

桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水にして。

古来名声高き庭園である。その広さにおいて、又その豪壮なる

意匠においていつの時代にも人々の心に迫るものがある。

全面の白砂は宝船を象徴すると同時に海洋を表す。

長方形の大きな平面石は東照宮の遥拝石であり、

その右が鶴島左が亀島である。中間に群仙島を象る石を

点在せしめ、前方には崖地を利用して逢莱石を立つ。

背景の大刈込は、幾重にも折り重なる山々で深山幽谷を現す。

重要文化財「方丈」の内部。慶長16年、崇伝長老が伏見城の一部を

徳川家光より賜わり移建したもので、襖絵は狩野探幽並に

尚信の筆。正面に「布金道場」と大書した額は

山岡鉄太郎(鉄舟居士)の筆である。

崇伝長老の塔所にして、後水尾天皇の勅額を掲げ、左右両側には

16羅漢像が安置してある開山堂。

開山堂の裏にある墓地を興味深そうに覗いていた外国人ツアー客が

とても印象深く見えた。一体どんな風に感じたのだろう?

夕方近くに訪問した為か、観光客が少なく、京都の静けさが

感じられ、心地の良い時が流れていた。ここでさらに金地院の

沿革について書いてみる。金地院崇伝は徳川家康に近侍し、

天海僧正と共に幕議に参画し自らは天下僧録司として

社寺の事を掌り、寺門繁興、威勢頗る盛大であった。

世に寺大名と称したのは金地院の別称である。

又、崇伝長老は「黒衣の宰相」とも呼ばれ、畏怖尊敬を

一身に集めた名僧で、寛永3年後水尾天皇から円照本光国師の号を賜った。

重要文化財の東照宮。崇伝長老が徳川家康の遺嘱に依り、

家康の遺髪と念持仏とを奉載して寛永5年造営した。

創建当初は諸堂完備し輪奐の結構さは日光東照宮に

比すべきものであったと云う。現在の拝殿・石ノ間・本殿等は

京都に遺る唯一の権現造り様式である。

元東照宮と開山堂の中間(現在竹林)に池庭があり

中島に弁財天が祀られていたのを明治初年そのまま現在の場所に移した弁天池。


菊正宗酒造記念館

2018-11-24 08:44:01 | 地元企業

神戸市東灘区魚崎西町1-9-1

http://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/

 菊正宗酒造㈱・キクマサ略称は創業が万治2年。

灘の酒を造り続けて330余年。変わること無く培い続け継いだ

酒造りで業界大手として清酒業界をリードしてきた。

樽酒ではトップシェアを誇っている。

現在の地に昭和35年に移転してきて、記念館の来訪者も

年間5万人に達した。しかし、平成7年1月の阪神淡路大震災に

よって倒壊してしまった。平成11年1月25日、全面建て替えて復興オープンした。

2階建てで耐火、耐震構造延1400㎡(424坪)伝統的な

酒蔵をしのばせている。現在は年間10万人以上もの来館者がいるそうだ。

1階は酒蔵展示室と唎酒、物販コーナーに分かれている。

映像展示コーナーもある。2階は文化財収蔵庫で

国指定重要有形民俗文化財「灘の酒蔵用具」を収蔵している。

入口の壁には昔懐かしい大看板と清酒を入れる陶器のうつわが展示してある。

この一枚の大看板は阪神淡路大震災で

一部破損したが貴重な看板だけに修復して復元したそうだ。

館内を丁寧に案内してくれた菊正宗の社員の方。

天井には幾つもの杉玉が飾られていた。菊正宗さんは奉納する

神社が決まっており、手前の大玉が5万円、奥の小玉が3万円の寄付と言っていた。

尚、杉玉とはスギの葉を集めてボール状にした

造形物で酒林とも呼ばれてる。日本酒の造り酒屋などの

軒先に緑の杉玉を吊るすことで、新酒が出来たことを

知らせる役割を果たす。「搾り始めました」という意味である。

もう一方の壁には菊正宗350年のあゆみの年表が。

現在の社長は12代目だとか。因みに菊正宗さんの年間売上は110億円だそうだ。

「重ね蔵」の模型。冬期仕込蔵は六甲おろしを受けて酒蔵に

好適な低温と成り、夏、南からの日光の直射をさえぎり

貯蔵庫の低温保持が図られる。縮尺は1/40。

酒造りに使われた用具類を展示し、会所場から囲場までを

再現している酒造展示室。「菊正宗・生酛づくりの心」を時、場、人の

3つの柱を軸とした三段仕込み展示で体感できる。

酒造りには「飯米」と呼ばれる一般米と酒造りだけに使われる

「酒造好適米」が用いられている。酒造好適米の代表

「山田錦」は灘酒とともに育ってきた最良の酒米で六甲山の

北側の兵庫県美のう郡や加東郡が主産地だ。

ふるさと丹後を後にして来た杜氏が酒造りの為に生活していた

部屋を再現した「会所場」。

ここ麴室では撮り込んだ蒸米にもやしをまく。指先に全ての神経が

集まる床もみ、そして切り直し、盛り、積み替え・・・

男達の心を込めた手仕事でやがて白くきらめく破精麴が生まれる。

酒造と槽場(ふなば)

しぼりたて試飲や唎酒体験ができる唎酒コーナーと記念館限定のお酒や、

楽しいオリジナルグッズも販売している物販コーナー。

「菊正宗」は関東地方に根強い人気を誇り辛口が多い。

料理と一緒に飲む酒として人気があるそうだ。

水車が回る精米小屋は、はねつるべ、干されている半切桶や

櫂など、酒蔵前庭の風景を表現している。又、進学校としても

有名な超難関校 灘中の設立は菊正宗、白鶴、櫻政宗が

共同として行なったとのエピソードは知らなかった。


有馬温泉と兵衛向陽閣

2018-11-23 06:27:06 | ホテル・旅館

700年の歴史と伝統を守り続けている有馬温泉、兵衛向陽閣。

かつて太閣秀吉に愛され、「兵衛」の名をいただき保護され

発展してきたという由緒がある。大分以前TVでコマーシャルしていたことを

思い出した。現在は129室730人を収容できる

大型の関西奥座敷として評価されている。

当館には7つの魅力を売りにしている。

(1) 老舗旅館の伝統

(2) 有馬の名湯 「金湯」をはじめ3種のお風呂が楽しめる

(3) 神戸ならではの食材を生かした懐石料理

(4) 有馬温泉から徒歩5分、観光にも便利な立地

(5) 用途に合わせて選べる様々な宿泊スタイル

(6) 笑顔のおもてなし

(7) お客様の安全と安心の徹底

一の湯、二の湯、三の湯の男女お風呂に入る前のロビー。

有馬の湯は600万年前の海洋プレートに含まれたわずかな海水が

マントルの中を通り、大地の恵みを備えながら有馬の地に

湧き出した世界でも珍しい成り立ちの温泉だ。

廊下に飾られた古い写真の内の昔の兵衛向陽閣の写真。

当館には8名~300名まで人数に合わせ大小さまざまな宴会場が

用意されている。ここは我々の宴会場。

いくら醤油漬け叩き長芋。鱧子おくら寄せ、子芋 柚子味噌。

柿と蓮芋の胡麻クリーム和え ピーナッツ くこの実、

栗渋皮煮白扇揚げ 板紅葉、袱紗玉子焼き くるみ 松葉そば

吸物(小鍋仕立)淡路活鱧 松茸 鱧真蒸 黒豆豆腐

淡路玉葱 えのき茸 三つ葉 酢立

造り 伊勢海老 鮪油身 鯛 平政簿づくり

煮物 鯛荒煮

焼物 魚介鉄板焼き

季節のごはん(丹波産こしひかり)と留椀(赤出し汁) 焼茄子 なめこ粉山椒

果物 柿 梨 抹茶ゼリー ざくろ チャーピル

これが朝食料理

日本三古湯(他は草津温泉、下呂温泉)の温泉の1つ

有馬温泉は兵庫県神戸市北区有馬町(摂津国)にある。

林羅山の日本三名や枕草子の三名泉にも数えられている。

江戸時代での温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされた。

温泉街は六甲山地の紅葉谷の麓の山峡の標高300M~500Mに

位置している。有馬温泉では2010年(平成22年)から

会員制リゾートが進出しホテル旅館が1300室から1600室へと2割増えた。

実は有馬温泉には来たことが無く、一度は来たいと

思っていたのでこれで日本三古湯を全て経験したことになった。

有馬温泉は開湯1400年とその歴史は我が国最古の湯泉地で

由緒正しき名湯だ。その歴史を紐解くと631年、舒明天皇が

約3ヶ月滞在したことが日本書紀に見られる。

又奈良時代は行基、その後清少納言、後白河法皇、足利義植の名が出てくる。

その中でも豊臣秀吉は人生の節目ごとに有馬で湯治を行い

9回も訪れている。谷崎潤一朗は長期滞在して執筆

作品中にも度々登場している。

前述の様に豊臣秀吉は特に有馬温泉を好んだことで知られており、

乱戦によって荒れた温泉街を復興する為に様々な援助を行なった。

秀吉と共にゆかりの深い正室ねねにちなんで作られたねね橋。

秀吉の像、ねねの像は街のシンボルとなっている。

ここ有馬川親水公園は太閣橋とねね橋の間にある。

有馬川の川べりまで行けるように整備された憩いのエリアだ。

滝や池、せせらぎなどが配され、遊歩道も整備されている。

有馬温泉の案内図。この狭い路地界隈には御所泉源があり

太閣の湯殿館、銀の湯、お寺などがある。

ここの金の湯は神戸市営の公的な外湯で有明泉源から引く金泉の湯だ。

湧出口では透明だが空気に解れ着色して赤湯となる。

有馬温泉には塩分と鉄分を多く含み褐色の含鉄塩化物泉と

ラジウムを多く含んだ放射能泉、炭配を多く含む炭酸水素塩泉の3つある。

古い湯治場だった温泉街には付きものの狭くうねった狭い道と

密集した街並。この雰囲気がいいネー。好きだナー。

有馬温泉の名産物、人形筆と炭酸煎餅。

「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする。」

有名な有馬を詠んだ短歌です。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編223~

2018-11-22 06:54:13 | 食~番外編(県外)

中国菜館 東天閣 神戸本店

神戸市中央区山本通3-14-18

TEL 078-231-1351

休日 年中無休

https://totenkaku.com/

当店は北野工房のまちから徒歩1分、トアロードを昇った所にある。

百余年の昔、ドイツ人、F・ビショプが家族の為に建てた館で、

いくつもの笑顔を包み込んできたであろうこの地この場所で

中華の王宮料理の最高のおもてなしをしてくれる。

この異人館を見て入口の漢字看板に違和感を感じた。どうしてここで中華?

ランチメニューはコースとしてはビショップコース、セレクトランチ、

プレミアムコース、ロイヤルコースの4コースがあるそうだ。

館内の古き良き時代の赤ジュータン廊下を歩いて行くと両壁には

ご覧の様な昔の写真資料が展示してある。ここビショップ邸は

明治27年英国人建築家ガリバー氏が手掛けた現存する

神戸最古の異人館だ。昭和20年、中国本土の一流料理人が

この異人館で中国王宮料理店として新しい息吹を吹き込んだ。

現在東天閣さんはここ以外芦屋店と西神戸店の3ヶ店をやっている。

広い部屋のセンターに一際目立つ絵が飾られてあった。

料理が出てくるまで、この絵の作者は誰かで話が盛り上がった。

私は最初から見た瞬間、これはジャガールではと思ったが

丸い構図は見た記憶が無いので自信なげに弱い声で

「ジャガールじゃないの」と呟いた。帰り際に店の人に聞いたらピンポンだった。

これが出て来た中華コース料理です。見た目にも上品で洗練されていて

美しい料理でした。味の方もちょっと抑え目でいて、しっかり主張すべき

所はしている。相当ハイレベルの中華料理だと感じました。

成程、当店は見て美味しい、聞いて美味しい、香って美味しい、

触れて美味しい、食べて美味しい五感で感じる美味しい。

何よりも「美味しい」を信条としているそうだ。納得納得のランチでした。

他の部屋をパチリ。やはり神戸の街は異国の香りがするお洒落な街だ。

この部屋はエントランスの横にある待合コーナールームだ。

この雰囲気、この椅子テーブルなら、多少待たされても

イライラしないでゆったりした空気が流れる。


神戸の街あれこれ PARTⅡ

2018-11-21 05:20:02 | 旅 ~国内

今まであまり縁の無かった神戸の街へ今年は2回も行ってしまった。

そこで神戸の街あれこれと称してPARTⅡをアップしてみました。

(PART 1  2018-5-9 ~2018-5-14 ブログ参照)

新幹線「新神戸駅」に直結し、神戸の絶景を誇る37階建ての

高層ランドマークのシティホテル「ANA クラウンプラザホテル神戸」。

六甲山に連なる山の手に位置し、平成16年2月27日開業した。

客室からは1000万ドルと言われる日本屈指の夜景をパノラマビューで楽しめる。

異人館の入口、パールストリートに位置するイスラム教の寺院

「神戸ムスリムモスク」。昭和10年、神戸在住のトルコ人、カタール人、

インド人貿易商らの寄付、出資によって竣工した。

昭和20年の神戸大空襲や平成7年の神戸・淡路大震災でも倒壊しなかった。

日本で最初のモスクで歴史的価値が高い建造物だ。

北野町にある異人館の旧シャープ住宅。「萌黄の館」で知られていて

昭和55年12月18日に国の重要文化財に指定受けた。

軽快な典型的コロニアル様式の2階建ての木造西洋館で

明治36年に建てられた。裏の庭園で撮影会をやっていたので

思わず割り込みでパチリ。失礼いたしました。

北野町の通りの建設現場で関東ではあまり見ないタイプの

建築業者の看板シートを発見。「企業に倫理を 職場に心を 家庭に愛を」

この仕事をしている身としてはものすごいインパクトを感じた。

ある意味ここの社長はすごい社長だ。

南京町広場には13体の石像が置かれ異国情緒が漂っている。

中国風東屋を囲むように平成元年に完成した干支の石像がずらり。

本場中国製の十二支石像だが、亥の代わりにパンダが加わり

後に猪も復活したので現在十三支になっている。

猿の前で少年がゲームに夢中になっているのをジーと見ているようだ。

南京広場の前の中華屋さんの店頭にあった大きな豚の人形。

やはり少年が豚と戯れているのがかわいらしい。

PARTⅠにも載せた大正4年創業の有名店「老祥記」さん。相変わらず長蛇の列で

肉まんを買いに来ている。当店は豚まんの発祥の店だ。

六甲ケーブルの駅の上にある展望台、「展望台」から見た神戸の街並み。

これを見て分かる様に神戸は六甲山、摩耶山の山並みと

すぐ近くの海の間のわずかな陸地に広がっている。その為埋立地が

重要な役割を果たしている。夜に成れば、

ここから見た1000万ドルの夜景は感動ものだろう。

ゴルフの歴史に詳しい方なら写真の神戸ゴルフクラブが

どんな価値があるか分かるでしょう。神戸ゴルフクラブは

明治36年5月に9ホールでオープンした日本最古のゴルフ場だ。

昭和32年5月21日に営業を開始し、多くの来場者で賑わった

回る十国展望台の写真。ゲートの真ん中にロータリーマークが

下がっているのを発見したのでアップしてみました。

天覧台展望台の隣の小高い山の頂上に目立った工作物があったので

バスガイドさんに聞いたらこれも六甲枝垂れ展望台だとか。

他にも六甲ガーデンテラスという展望台もあるとか。

神戸市役所2号館。阪神・淡路大震災で6階部分がペシャンコに

崩壊した映像を見てショックを受けたがその後5階以上を

撤去して再整備し、使用再開したのがこの建物。

前回(2018-5-14付)は夜のホテルオークラ神戸と

神戸海洋博物館(カワサキワールド)だったが、今回は日中の写真。

比較して見ると随分雰囲気が変わって見えるものだ。

メリケンパークから撮った1枚。天井と地面の影に挟まって

船と人がおもしろい構図で撮れた自己納得の1枚。

これも昼間の神戸ポートタワー。(2018-5-14付ブログ参照)。

1階~3階には展望エレベーターの乗降場以外にお土産店、

レストランがあり、展望室にはスカイウォーク、スカイラウンジ、季節の星座がある。

 

たまたま行った頃はハローウィーの時期でエレベーターガールも

ハローウィーンモード。色々な所にハローウィーンの飾り付けがされていた。

この時期日本中がハローウィーン一色に染まっていて

昔に比べてすっかり定着した感がある。

1階の壁には全日本タワー協議会加盟タワーの写真が

貼りだされていた。この写真だけでも20塔もある。

日本人はひょっとしてタワーが好きな国民かもしれないネ。

高層ビルの間に見えた神戸市の市章マーク。

街並に迫った六甲山があるからこその風景だ。

ホテルオークラ神戸の向こうには、フェリー、大型クルーズ客船が

停泊できる第一突堤から第四突堤が見える。

さらにはるか遠くにぼんやり見えるのは大阪の街並みだろう。

メリケンパーク広場にはイカリのマークが。おそらく地上では

大きすぎて何がデザインされているのかわからないのでは?

ポツンとした人の大きさでその大きさが分かる。

神戸のポートタワーの反対側には神戸淡路大震災の

メモリアルパークが保存されてある。地震によって破壊された

港の堤防がその当時のままに残されている。

ビル全面に張られたミラーガラスに映った神戸の街並み。

印象的な光景だったので思わずパチリ。

この写真は新神戸駅方向を撮ったもの。左に見える超高層ビルが

1枚目に紹介した「ANAクラウンプラザホテル神戸」のビル。

ボートタワー内にあったハートのフォトスポット。仲の良いカップルは

きっとここで記念写真を撮っているはずだ。

真下から撮ったポートタワー。アングルを変えると面白い写真になるものだ。

街の所々にはJ1ヴィッセル神戸のフラッグがはためいていた。

Jリーグのホームタウンに行くと必ず、そのチームのものを

撮ることにしているが、今年のヴィッセル神戸はなんと言っても

FCバルセロナから移籍してきたアンドリュー・イニエスタの話題だ。

先日の浦和レッズ戦でも埼スタを満員にさせてしまう程の動員力。

その日はケガということで出場しないでファン、サポーターを

ガッカリさせたが、Jリーグのイニエスタのファンタジックなプレーを是非見たいものだ。

最後に神戸に来たら、お土産としてFrantz(フランツ)のスイーツを

お勧めします。市内だけで3店舗あり「神戸魔法の壺プリン」

「神戸苺トリュフ」「神戸半熟チーズケーキ」は評判が良い。

買ってきたチョコレートも最高に旨かった。

この写真の真っ赤な店は北野工房のお店です。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編222~

2018-11-20 06:14:33 | 食~番外編(県外)

麤皮(あらがわ)

神戸市中央区山手通り2-15-18

TEL 050-5868-3017,078-221-8547

定休日 日曜日

http://www.aragawa.co.jp/

1959年(昭和31年)創業した「麤皮」。鹿を3つ書いて「あら」と読む。

こんな難しい漢字があるとは。原木より厳選し、創業者山田二郎によって

設計された神戸北野らしい歴史を感じる建物だ。

当店はミシュランガイド110年の歴史上、初のステーキ部門で

ミシュランガイド2つ星(2010年10月)を獲得。

名実ともに世界一のステーキ店となった。

古きよき時代を彷彿とさせるアンティークな店内。

1Fホールは17席、2F個室は10席ある。1Fのカウンターキッチンよりは

当店独自の炭焼きステーキの調理の様子が分かるテーブル席になっている。

当店は兵庫県最高の但馬牛の生産地三田にこだわり

神戸の炭火きステーキ文化を創りあげた名店だ。

 

職人の愛情のこもった手作りの品々。スープの上にはその場で

トリフをスライスしてくれた。当店は本物の食の喜びを届けることを使命としている。

これが神戸の超一流のステーキだ。一口で分かる但馬牛(三田牛)と

馬目備長炭にこだわった唯一無二のステーキ。

三田牛のサーロイン150gを当店オススメのミディアムレアで。

切ると中味はサーロインとは思えない程、赤身が強い。

日本の名職人と言われた初代の味を引き継ぎ2011年秋から

二代目が送る神戸ステーキ(生産者、血統、肉質などを見極めた

最高の肉を厳選)最高の本物の味が味わえる。

専属パティシェの作った心のこもったチーズケーキ。

 

 

神戸の最高峰の店に行きたいという夢が実現した。値段も超一流だが

その自信に満ちた雰囲気は神戸のプライドを感じる。

食したコメントは今回は差し控える。尚店内写真撮影禁止を破って

お料理数枚を撮ってしまったことをお詫び申し上げます。