夕方近くの木屋町通り。
四条通りを挟んで桜並木がほぼ満開を迎えた。
暗くなるとこの通りは「さくらライトアップ」になる。
では、それまで菊乃井・露庵で夕食タイムだ。
昼間の桜も良いが、ライトアップされた夜桜は人の心をハイにさせる。
高瀬川沿いにあるソメイヨシノ桜並木は神社仏閣とは違った生きた生々しい花に見えてしまう。
日にちが変わって翌朝の早朝散歩。
街で最初に気になったのがこの看板。
「この歩道は自転車の通行できません。13歳未満、70歳以上を除く」。
わかったようなわからないような。
とにかく埼玉県も自転車と高齢者の事故は多い。
「此付近慶長天主堂跡」があった。
住宅街の静かな所だが、安土桃山時代から江戸時代初期はキリスト教の布教(織田信長、徳川家康)と
弾圧(豊臣秀吉、徳川家光)の激しく動いた時代だった。
このエリアはたまたま早朝散歩と日中2回も同じ所に来てしまいました。
ここは堀川通りに面した西陣織会館。
京の伝統産業、西陣織の総合展示館。
西陣織の製造工程や製品、歴史的資料などの展示をはじめ、
きものショーや西陣織国産絹織工房などで和の世界が体感できる。
会館内に貼られていたポスターによると「西陣と呼ばれて550年」だそうだ。
晴明神社から戻り橋を渡ってしばらく行くと普通の住宅街+事務所街に「ホントかいな?」と
疑いたくなるような京都の歴史を凝縮した石碑を見つけた。
そこに書かれているのは「応仁の乱 洛中合戦勃発の地、聚楽城 加藤清正邸跡地伝承地、
近衛堀川屋敷跡、藤原道綱母子 源頼光 一条邸跡、筑前福岡黒田屋敷跡」
この石碑をよく見るとNPO法人理事長の個人が最近、建立している。
楽焼窯元・楽家に隣接して建てられた「楽美術館」。
1978年、楽家14代吉左衛門覚入によって開館。
収蔵作品は楽歴代作品を中心に茶道工芸美術品、関係古文書など、
楽家に伝わった作品を中心に構成されている。
ここにはまさに楽焼450年の伝統のエッセンスが保存されている。
さらに早朝散歩を進めていくとやはり住宅街にとても存在感のある建築物が現れた。
この建物は大正10年、京都中央電話局西陣分局として建設された。
設計者の逓信省技師、岩元禄は日本近代建築の黎明期、大正時代において、
建築の芸術性をひたすら追い求め、わずか3点の作品を残したのみで
天逝した天才的な建築家であります。
早朝散歩も京都ブライトンホテルに近づいた所にまた素敵な数寄屋造の和風町屋が現れた。
この個人の邸宅は登録有形文化財であり京都市の景観重要建造物、
歴史的風致形成建装物に指定されている。
玄関の所になにやら風流な書き物と装色石が置いてあった。
どうやら仁風庵というらしい。
京都ほど地蔵信仰の多い土地はない。
地蔵さんを本尊として祀るお寺や、風変わりなお地蔵さんの俗称で呼ばれる寺も実に多い。
霊験あらかたで、現世ご利益大というありがたいお地蔵さんが洛中には目白押しだ。
町内には唐破風屋根のお厨子や小さなお堂があって「卍」の字を掘った石の土台にのせられ、
町内の回り持ちで燈明や香花が供えられている。
又、京都の政治風土は革新系が強いという土地柄でもある。
1950年(昭和25年)から28年間、京都府知事を務めた有名な蜷川虎三も革新系知事であった。
現在の国会議員は自民党では衆議院議長を務めた伊吹文明、
日本共産党の議員団長の穀田恵二などがいる。
西陣会館の近く、堀川通りに面して金らん卸商の(株)伴戸商店という店がある。
この日はあいにく休業であったが驚いたことに現在NHKの大河ドラマの「青天を衝け」で
徳川家康役(北大路欣也)の衣装に当店の金襴が使われているとの事。
たまたま偶然とは恐ろしいものだ。