スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

黄檗宗大本山 萬福寺(真夏の京都 後編)

2019-10-31 05:41:53 | 旅 ~京都

https://obakusan.or.jp/

JR奈良線・京阪宇治線「黄檗駅」を下車して徒歩5分。

黄檗宗の大本山、万福寺の総門に着く。

ここに着いたのは午後1時。真夏の日差しが強く

今回の旅で一番の暑さを感じた。

確か、萬福寺には2度目の訪問。最初来た時の

印象は強く、とても個性的な記憶が残っている。

総門から山門に続く参道。

萬福寺は1654年(江戸時代)、中国福建省から

渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍

家綱公の尊崇を得て、1661年に開創された寺院であり

日本三禅宗(臨済、曹洞、黄檗)の1つ

黄檗宗の大本山である。

建造物は、中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置。

創建当初の姿そのまま今日に伝える寺院は日本では

他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として

主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されている。

重要文化財の山門。延宝6年(1678年)の建立で

三間三戸二重門になっている。

門の名前はちょっとわからないが、どことなく中華の

香りがする建物だ。黄檗宗では儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ

毎日詠まれるお経は黄檗唐韻で発音し、中国明代そのままの法式

梵唄を継承している。

寛文8年(1668年)に建立された天王殿。

一重入田屋道で本堂の手前にこのような堂を置くのは

中国式の伽藍配置で日本では珍しい。

中国では一般的な建て方らしい。

天王殿の内部には弥勒菩薩の化身とされる布袋像が

安置されている。この像は日本で著名な半跏思惟形の弥勒菩薩像とは

全く異なり、太鼓腹の布袋像として表わされている。

他に布袋像の背後に韋駄天像、道内左右に四天王像を安置している。

これらの像は来日していた明の仏師・范道生の作で

いずれも中国風の様式で造られている。

尚、当山は日本最古都七福神「布袋尊」の寺である。

大改修中の建物。ほとんど建物は軸組になっていて

屋根瓦も降ろされ、相当年寄の入った瓦が

丁寧に積まれていた。

瓦も文化財の1つなのだろう。

萬福寺の本堂であり、最古の伽藍の大雄宝殿。

日本では唯一最古のチーク材を使った歴史的建造物だ。

寛文8年(1668年)の建立で日本の一般的な寺院の本堂仏殿にあたる。

本尊は釈迦牟尼仏、両脇侍は迦葉、阿難の二尊者だ。

尚、開祖の隠元禅師の来日で萬福寺の開創だけでなく

さまざまな中国文化が日本にもたらされた。

インゲンマメはもちろんの事、孟宗竹、スイカ、レンコン

などをもたらしたのは隠元と言われている。

又、大雄宝殿の内、両単には十八羅漢像が安置してある。

十八羅漢の内、特に目に留まった二つの羅漢像をアップしてみました。

この建物は重要文化財の斎堂。

今で言う食堂で約300人が一堂に会して食事をする事ができる。

本寺の精進料理は普茶料理と呼ばれる。

中国からのもので植物油を多く使い、大皿に盛って

取り分けて食べるのが特色です。

本寺のそばにはこの普茶料理をいただく所がある。

幽遠な禅味のある三百十余年の伝統と風味新鮮な

素材による高タンパク・低カロリー料理。

昔ここで食したことがあるが旨かった記憶が残っている。

雲の形をした法具で、主にお堂への出頭を促す合図を

送るための鳴物がこの雲版だ。

雲は雨を降らせることから、火事や災害を防ぐ

意味もあると言われている。

斎堂前にある魚版を開版(かいばん)といい

木魚の原形となっているものだ。

時を報ずるものとして今も使われている。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編278~

2019-10-30 05:55:11 | 食~番外編(京都)

手打蕎麦 藤芳

京都市左京区北白川東平井町27-3

TEL 075-711-2817

定休日 不定休

営業時間 11:30~21:00(中休みなし)

大原の里から下りてきて、昼食はどこかおいしい蕎麦屋さんを

紹介してとMK観光タクシーの運転手さんに頼んだら

紹介、セットしてもらったのがここ藤芳さん。

一見すると夫婦でやっている普通の町の蕎麦屋さん。

しかし、かなりの評判の店らしく、

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット等で

多数紹介されているらしい。

こんな小さな店には地元の人だけで

観光客はほとんど来ないだろう。

着いた時は丁度、のれんをかけたばかりで

おかみさんが出迎えてくれた。

ご覧の様に店内は小上がり席2卓、テーブル席4卓

全部で24席のアットホームな雰囲気のお店。

白川疎水に面した住宅街にあり、何かホッとする場所だ。

ご主人、おかみさんともそばの話、京都の話など

色々な話ができ楽しい昼食となった。

そば打ちをしているこの人がご主人。

色々話をしている中で さいたま市の岩槻でそばの修行をしていたそうだ。

我々がさいたま市から来たのでとても懐かしがっていた。

それにしても、岩槻とはビックリした。

そして注文してからそば打ちを始めたのも

こだわりを感じ驚いた。

メニューは写真付。せいろそばは800円と一般的なプライス。

季節のものとして御前粉使用の白い蕎麦

歯ごたえシャッキッとした「白川」(白いそば)900円。

手打ちうどんの歯ごたえでのど越しするりの

「ひやむぎ」も900円。

手打ちそば屋の祝膳2800円はそば屋のフルコース。

鴨のスモーク、天ぷら盛合わせ、生粉打そば(十割)スープ仕立てのそばがき、

そばみそ、ご飯、お吸物、お漬物、デザート(抹茶アイス又はライチシャーベット)

これが一般メニュー。

藤芳さんの蕎麦歳時は1月~4月迄がかわり蕎麦

(柚子切り蕎麦、ヨモギ蕎麦、モロヘイヤ蕎麦、うこん蕎麦、

しこん蕎麦、けし切り蕎麦、笹切り蕎麦など)

5月~9月白川そばとひやむぎ

8月中旬頃から新そばが始まる。

又、9月~翌4月紅花粉をうどんの記事に練りこんだ紅花うどんが供される。

丁度この時期、蕎麦粉十割・生粉打ちそばから

令和の夏の新そばに切り替わったそうだ。

令和と付いているのがとても印象的だ。

この日は旅の疲れが出ているのか、口当たりがさっぱりしたものが

食べたくて「おろしそば」900円を注文。

よく見るとそば切りがほんの気持平べったいそばでいい感じ。

薬味も大葉が付いて花がつをに大根おろしと

サッパリ系で心地よくいただけた。

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編277~

2019-10-26 06:01:39 | 食~番外編(京都)

菊乃井 本店

京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町459

TEL 075-561-0015

定休日 火曜日

http://kikunoi.jp

古き良き歴史の面影を残す京都・東山。

高台寺の緑に囲まれた清閑なこの地に老舗料亭・菊乃井本店はある。

菊乃井さんは伝統と革新の発信地ここ「本店」以外にも

高瀬川の畔に佇む名店「菊乃井露庵」、

真髄を届ける東の京都「赤坂菊乃井」(2016-12-24付、番外編その133 ブログ参照)、

時雨弁当と喫茶の店「無碍山房」がある。

菊乃井の先祖は豊臣秀吉の妻・北政所が茶の湯に用いた名水「菊水の井」を

代々守ってきた茶坊主で大正元年に料理店として創業した。

現在の三代目・村田吉弘氏は日本料理アカデミー創設や

和食のユネスコ無形文化遺産登録など和食を世界に広めるために心血を注いでいる。

お店の内に入ると凛と佇むものを感じ、思わず日常を忘れてしまうような

気品溢れる空間が客人をもてなしてくれる。

京の四季が織りなす風雅な庭園や床の間の軸、花など目に映るすべてに

主人の心配りが込められている。

部屋は座敷で11室、4人用、6人用、8人用、

10~20人用、30人以上と全部で120席もある。

ここは伝統を重んじながら柔軟に進化も続ける時代を超えた名店だ。

この日はグループメンバーに喜寿、金婚式を迎えた方のお祝も兼ねてこの祝宴を持った。

店の心配りとしての祝い膳3点が先におもてなしとして振る舞われた。

 

 

 

それではここから四季折々の食材と真摯に向き合い仕立て上げた

菊乃井、葉月の献立料理をご紹介しましょう。

三代目主人の村田吉弘氏が振る舞うのは、

懐石料理のひとつの到達点ともいえる京懐石だ。

茶の湯の心と水に生かされた野菜の出汁で煮含め調理する水の料理は

伝統を守りながら豊かな四季を繊細に表現し、

訪れる人の心にたおやかに余韻を残す不巧の名作だ。

先付 無花果白味煮 糸花鰹

見た目は意外にシンプルに来たが中味は味が凝縮していてさすがといった逸品。

尚、先付とは本式の前に出す軽い料理のこと。

突き出し、お通し、小付け、通し肴ともいう。

八寸 茗荷寿司、穴子八幡、ささげ黒胡麻和え

糸瓜胡麻和え、鱧胡瓜巻き、山桃葛饅和え、翡翠銀杏

まず見ての通り、発想がすごい。器がほうずきの実だ。

あまりに意表を突かれたので中の八寸を撮ることを忘れてしまった程だ。

いかにも革新性はこんな所にも表現されていると思った。

見た目はカジュアルだが、すごくインパクトのある料理だ。

和食はなんといっても酒が似合う。

ということで日本酒に詳しいメンバーが銘柄を選び、暫し日本酒談義。

徳利の器も素朴に竹を切ったもの。

赤坂の金属の徳利も感心したが、ここのも素朴だが新鮮に感じた。

尚、銘柄は甘口、辛口と料理の流れに沿って選んだが銘柄は忘れた。

向付 蓮の葉盛り

一、明石鯛 太刀魚焼霜、あしらい一式

八寸に続いてさらに攻めてきたといった感じの器と盛り付け。

夏を感じさせる蓮の葉に水滴を落としている所など心憎い演出だ。

大きな葉の中心に小宇宙の様にまとめられた鯛と太刀魚。

その上に一輪の小さな蓮の花がしつらえていた。

八寸、そしてこの向付と度肝を抜かれた感じで

肝心の料理の味をコメントするのに記憶がない。

向付 二、鱧焼霜 鱧落とし 穂紫蘇、梅肉山葵

やはり夏の京都といったら鱧だ。

2口大の大きさがまた上品で食べやすい。

ガラスの器も涼し気でいい感じだ。

鱧の味?旨いに決まっています。

蓋物 賀茂茄子揚げ出し 海老つくね 鷹ヶ峰唐辛子 薬味

この料理が運ばれてきた時、またまたでてきましたへぇーという器。

まるで蓋は本物の加茂茄子の様でよくぞここまでといった器でした。

実は触ってみたら本物でした。

この汁物は言葉では表現できない程の味で実にすごかったです。

静かに小さな声で何度も訴えるように「旨い!!!!」を連呼する味でした。

口直し カボス山葵ソルベ

口直しとは次の料理に進む前に、

口の中に残っている前の料理の味をいったん忘れてもらう、

すなわちリセットする(直す)ために出される簡単な料理のことを言う。

焼物 鮑磯焼き 肝醤油 酢橘塩

この料理を何と表現すれば良いか・・・

見た目驚きの第4弾。

当店は「料亭は大人のアミューズメントパークです。

お越し頂いたお客様に時間と空間全てを楽しんで頂きお喜びを頂きたい。」と言う。

正にそんな料理が続いている。

この料理は鮑の殻に身を添えて細かく切ったワカメをのせ、

その上を塩で包んでかまにしている。

鮑の味は当然だが意外にこのワカメが激ウマだった。

冷し鉢 盛夏の冷製 北奇貝、つぶ貝、蛸、胡瓜、トマトジュレ

唐墨、金魚草、ビーツ、ラディッシュ、セロリ、バラフ、赤万願寺、マイクロトマト。

この冷し鉢は今迄の料理に比べてオーソドックスに来た。

逆に言えばインパクトに弱く、今となってはあまり記憶に乏しい。

下の写真のガラスの器は冷し鉢に相応しいものだ。

強肴 牛肉無花果の葉包み焼き、花丸胡瓜粕漬け

玉葱・フェンネル・パプリカ土佐酢漬け

この料理はすごい。特に茶色のソースだ。

こんな奥が深く味の複雑な、しかも1つ1つの食材が主張しているソースは

滅多にないパワーのあるソースだ。

これは牛肉の衣を借りたソースメインの料理に感じてしまった。

グループの1人のグルメ達人はこのソースに唸りっぱなしで

皆の余ったソースをとうとうおみやにして持って帰った程だ。

御飯 鮎御飯 蓼粉

そしてとうとうとどめの鮎御飯が釜で登場。

これを全員に見せながら仲居がきれいにほぐして各人へ。

蓼粉とは蓼の葉っぱから作った粉か?

とにかく鮎の上にのった緑の粉は美しかった。

止椀 赤万願寺唐辛子すり流し 蓮根餅

七味朱色の椀に朱色のすり流し、これも初めて見た料理だ。

水物 宇治金時 白玉 小豆

この白玉、半端じゃないッス!

まさに盛夏が織りなす菊乃井の京都の世界。

すごかったの一語に尽きる京の夜でした。

部屋から中庭を撮ろうとしたが、

夜で室内の照明が反射してかえって外と内の両方が

おぼろげに写っておもしろい写真となった。

赤坂菊乃井の時も厨房に大勢の未来の巨匠がいたが、

当然本店にも今日の仕事を終えてリーダーらしき料理人が号令をかけて終礼を行っていた。

以前にTV東京「YOUは何しに日本へ」の番組で

菊乃井本店で和食の修行をしている外国人のことを放映していたが、

1人外国人を発見。ひょっとしてこの時の人か?

是非頑張って羽ばたいていってほしいと思った。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編276~

2019-10-25 06:23:56 | 食~番外編(京都)

土井 志ば漬本店(志ば漬本舗総本店内)

TEL 075-7444-2311

定休日 水曜日   営業時間 10:00~17:00

 

地元の人々が土地に伝わる漬物を献上し、その滋味を

お悦びになった院が「柴葉漬」と命名されたのが

今に伝えられている志ば漬本舗さん。

京の隠れ里として全国に名を馳せる。

この大原の豊かな自然が育み、受け継いできた

本物の味を歴史に溢れたこの「志ば漬の里」で心ゆくまで楽しんだ。

上の写真が志ば漬の里本館

(かまど炊きごはん土井と漬物工場)

下の写真が志ば漬の里熟成館

(1号~3号庫、加工庫)

そしてこれが志ば漬の里全体の航空写真。

一番上に写っている紫色のエリアが自社農園。

http://www.doishibazuke.co.jp/

大原の豊かな自然が育む紫蘇栽培地の自然農園。

店内はかなり広く農園側の方は開放的なガラス窓になっていて

大原の情景を味わいながら食事をすることができる。

入店した時間がお昼ちょっと過ぎだった為

ほぼ満席状態であった。

ビュッフェスタイルのコーナーの所に置かれた3基の「おくどさん」。

京都などではかまどをそう呼ぶ。

土間などの住居の中で煮炊きを行う空間そのものを

意味することもある。

数量限定の鯛茶漬け 1800円(税別)。

人気メニューの為か、本日は終了していた。

他に地どりの卵とじ膳 1500円、名物お漬物天ぷら膳 1600円。

こちらのメニューは西京漬ベースのもの。

豚ロース西京漬膳 1600円、さわら西京漬膳 1600円、

鮭西京漬膳 1600円。

当店はお米にもこだわっていて京都産のコシヒカリを使用。

炊き立てのご飯が自慢とか。

志ば漬入り特製から揚げ膳 1600円。

子供用にはわらべ膳 900円も用意されてある。

名物土井の志ば漬のコロッケ 1ケ200円。

志ば漬が入ったコロッケってどんな味なのだろう?

ちょっと想像できない。又、お漬物の天ぷらもユニークだ。

これがそのお漬物の天ぷら御膳だ。

季節のお漬物を使用した創作天ぷらで、ほどよい

お味が付いている。ここは漬物を色々なメニューに変えていく

アイデア料理店だ。

こちらはなんとかオーダーできた、鯛茶漬膳。

はじめに、鯛・ごま・わさび・おかず・京漬物ぬか漬け大根を

お好みで特製つけだれに混ぜ合わせる。

一膳目はお刺身としてご飯と一緒に。

二膳目は鯛とたれを乗せおだしをかけて食する。

二度楽しめるメニューだ。

これが漬物のビュッフェコーナー。

志ば漬物屋さんならではの光景だ。

伝統の志ば漬をはじめ、季節の京漬物、志そジュース、

ノンオイルの志そドレッシングや志そ飴など

大原の風味を一堂に集めた売場コーナー。

ここは食事処に付随して志ば漬の工場を見学することができる

所がユニークだ。

暑い真夏の盛りに収穫した紫蘇と夏野菜を漬込み

その過程の乳酸発酵により独自の酸味と風味が造られる。

一日の気温差が激しい山間の風土が志ば漬造りに向いているそうだ。

 

 

 


大原 寂光院 (真夏の京都 後編)

2019-10-24 06:31:28 | 旅 ~京都

聖徳太子創建 建礼門院ゆかりの御寺、京都大原の寂光院。

当院は天台宗の尼寺で、山号は清香山。

寺号を玉泉寺という。

http://www.jakkoin.jp/ 

当院は推古2年(594年)に聖徳太子が御父・用明天皇の

菩提を弔うために創建された。

初代住職は聖徳太子の御乳人であった

玉照姫(548年に出家、日本最初の三比丘尼の一人。)

以来、代々高貴な家門の姫君らが

法灯を守り続けてきた。

この門は風情ある石段を登りきった所にある山門。

こちらがいかにも尼寺らしい小さなかわいらしい本堂。

本堂の内陣や柱は飛鳥様式、古来以来の様式を

踏襲しており、外陣は慶長8年(1603年)に

豊臣秀頼が修理させた桃山様式を古式通り忠実に復元したもの。

江戸時代には豊臣秀頼や淀君、徳川家康らが

再興に手を尽くした。

本尊は聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵菩薩であったが

平成12年(2000年)の火災により損傷したため、

現在は復元された本尊が本堂に安置されている。

(現在も重要文化財。)

本堂に上がると寂光院の女性が正座して

静かにお話し、説明をしてくれた。

文治元年(1185年)9月、平清盛の長女で髙倉天皇の皇后、

安徳天皇の御母である建礼門院がお入りになり、

源平の戦いに破れて遠く壇ノ浦で滅亡した

平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いつつ

終生をこの地で過ごされた。

後年、後白河法皇が寂光院をお訪ねになったのが

平家物語 灌頂の巻の大原御幸に記されている。今に残る庭園は

幽翠であわれに美しく、当時の余韻を残している。

この像は第2代の「阿波内侍(あわのないし)」(藤原信西の息女)。

崇徳天皇の寵愛を受けた女官であったが、

建礼門院には宮中より仕えた。

出家後に入寺し、「大原女」のモデルとされている。

こちらの像は第3代「建礼門院徳子」

(平清盛の息女、髙倉天皇の中宮で安徳天皇の国母)。

平家一門とわが子安徳天皇の菩薩を弔い、

終生この地で過ごされ閑居御所とされた。

梵鐘「諸行無常の鐘」制作年代は江戸時代(宝暦二年)1752年。

これ以外にも太閤豊臣秀吉の寄進により

桃山城から移されたと言う雪見燈籠、

千年の姫小松(御神木)、汀(みぎわ)の池

などが見どころであります。

本堂右手裏山には建礼門院大原西陵が所在し、

五輪塔の仏教式御陵で珍しい。

翠黛山には阿波内侍をはじめ女院に仕えた

5人の侍女の墓地群もみられる。

ここは平家物語 灌頂の巻

大原御幸諸行無常之寺

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理わりを顕す」

大原の地から京都へ向かっていくと、今評判の

ぽん酢ドレッシングの専門店 味工房「志野」

の前を通ったのでちょっと立ち寄った。

当店はドレッシング屋を始めて30年。

京の田舎から京都らしく、値段は高いけど

味は一番と言われるドレッシング屋。

調味料理屋を目指しているとか。

なにか、もの悲しい、もの寂しさを感じる洛北の地大原。

夕方に近いせいもあって余計に大原の景色を見ていると

そのことを感じてしまいます。

久し振りに訪ねた大原は昔持ったイメージと

今でも少しも変わらない地でありました。

 

 


大原 勝林院と宝泉院(真夏の京都 後編)

2019-10-23 06:22:17 | 旅 ~京都

三千院の参道をさらに奥に進むと実光院、勝林院、宝泉院と続く。

道の両側に緑が茂り、その間を小さなせせらぎの川が横切る。

とても静かで風情があるエリアだ。

ここ実光院は天台宗の寺院で、勝林院の子院として建立された。

寺紋は細川桜。

後鳥羽天皇・順徳天皇の陵墓である

現大原陵は旧実光院であった。

魚山と号する天台宗の寺院、勝林院。

丹仁(慈覚大師)が唐から持ち帰り、比叡山に伝承した

法義声明の修練道場として、弟子の寂源が

長和2年(1013年)に創建し、後に天台声明の根本道場となった。

声明とはインドで始まったバラモンの学問の一つだ。

文治2年(1186年)に天台宗の顕真が浄土宗宗祖の法然を招き、

専修念仏について論議した「大原問答」が

行なわれた所でもある。

本尊は「証拠の阿弥陀」と呼ばれている。

三千院の参道の一番奥にあるのが宝泉院。

この寺院も天台宗の寺で山号は魚山、大原寺勝林院の

僧坊の1つで天台宗山門跡寺院の1つだ。

「声明目録」を著すなど声明の大家として知られる

宗快法印によって嘉禎年間(1235年頃)に創建された。

ここのお庭は鶴亀庭園。

拝観客は、盤桓園・五葉の松の見える座敷に通され、

境内入口で渡されたお抹茶券と交換に

一服の抹茶と茶菓子を供される。

庭園の1つ、盤桓園は「立ち去りがたい」という意味を持ち

書院の柱や鴨居を額に見立てて鑑賞することから

「額縁庭園」という名で親しまれている。

樹齢約700年の五葉松は京都市天然記念物であり

三上山(近江富士)を象ったとされている。

髙浜虚子はこの松を

「大原や 無住の寺の 五葉松」と詠んだ。

天井に血がしみ込んだ血天井。(この写真ではちょっとわかりずらいが)

慶長5年、関ケ原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下

数百名が豊臣の大群と戦い伏見城中で自刃した。

その武将達の霊をなぐさめ、供養のために

自刃した場所のものを天井にして祀ったものである。

2005年(平成17年)3月に枯山水庭園の宝楽園が完成した。

庭園作家の円治(えんや)が造園し、山形県や長野県などから

約300トンの石を運んでいる。

大原には三千院を挟んで二つの小さな川が流れている。

呂川と律川と言い声明の呂(呂旋法)と律(律旋法)に因んで

そう呼ばれている。

呂曲を律旋法で唱誦するとき呂と律の使い分けを

できないことを「呂律(ろれつ)が回らない」と言う。

ろれつが回らないの語源はこの川から来ている。

 

 


大原 三千院 (真夏の京都 後編)

2019-10-22 06:20:29 | 旅 ~京都

世の中、すっかり秋に成っているのに真夏のブログで申し訳ありません。

今日から真夏の京都、後編をスタートします。

 

大原の地は千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地であり、

念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至っている。

創建は伝教大師最澄上人(767~822)が比叡山延暦寺建立の際、

草庵を結ばれたのに始まる。

別名は梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗

五箇室門跡の1つで、当院は皇子・皇族が住職を勤めた宮門跡である。

最初の写真は三千院の代名詞になっている石段の上にある御殿門。

三千院御殿門前の参道は数軒の茶店が並び周囲の緑と相まって趣のあるエリアとなっている。

確か大原には学生時代以来で数十年ぶりの再訪だが、

その当時とほとんど変わっていないのがうれしい。

三千院の境内図だが、一部太陽の光で見づらくなってしまった。

現在の各称は、明治4年法親往還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に

掲げられていた霊元天皇宸筆の勅額により三千院と公称されるようになった。

宸殿は後白河法皇により始められた宮中御懴法講(声明による法要)を今に伝える道場です。

ご本尊は伝教大師作として伝えられる秘仏、薬師瑠璃光如来だ。

三千院には往生極楽院阿弥陀堂を中心とした有清園庭園(瑠璃光庭)と、

客殿に面する聚碧園庭園の二つの庭園がある。

有清園は往生極楽院阿弥陀堂を中心に「細波の滝」の滝石組・

中島を有する池等が設けられ、杉の木立とスギゴケを中心とした

特徴的な景観を作り出している。

また、聚碧園は小さな滝流れ・二段の池築山と、縁先手水鉢からの流れに伴う平庭からなり、

築山ごとに有清園の杉の木立ちや往生極楽院阿弥陀堂を望むことができる。

双方の庭園ともスギの木立や、滝流れや池、

あるいは築山等の美しい景観を作り出している寺院の庭園として貴重である。

この往生極楽院は惠心僧都源信が父母の苦提のため

姉の安養尼と共に建立したと伝えられている。

お堂に比べて大きい「阿弥陀三尊像」(国宝)を

納める工夫として、天井を舟底型に折り上げている。

その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれている。

中尊の阿弥陀如来は来迎印を結び、右の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、

左の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前屈みに跪く「大和坐り」で慈悲に満ちたお姿だ。

この写真はなぜか光を発し後光に満ちた神秘的な仏様に撮れてしまった。

摩訶不思議だ。

2019年初夏、夏の「そうだ京都、行こう」のテーマは苔と緑。

常寂光寺と祇王寺が舞台らしいが、ここ三千院も隠れた主役だと思う。

永六輔作詞 いずみたく作曲 デューク・エイセスが歌った「女ひとり」の一節

「京都 大原 三千院 恋に痛れた女がひとり・・・」が聞こえてくるようだ。

今回の旅でたまたま縁あって3日間お世話になったMKタクシーの運転手さんの

ユニフォームが今年チェンジしたばかりということで、

顔は出さないという条件で一枚撮らさせていただきました。

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編275~

2019-10-21 06:18:05 | 食~番外編(県外)

黒船亭

横須賀市久里浜8-17-5

TEL 046-835-0241

無休

東京湾フェリー久里浜港ターミナルの構内にあるバス団体客専用の魚介料理・海鮮料理店。

どうやら個人では利用できないらしい。本当かしら?

2日間お世話になった若いガイドさんが写ってしまったので失礼。

当店は130名も入れる。

団体、会食、パーティの予約営業をしている。

価格はリーズナブルな設定らしい。

三崎まぐろや新鮮な地魚を使用した料理が自慢との事。

これが到着した時にすでに並べられてあった料理。

まず一見してボリュームが多くメニューも多彩。

鯛のシャブシャブに地魚の刺身、、さざえのつぼ焼きに天ぷら、3貫の握り寿司に

その上炊き込みごはんまである。

入店前の門構え、すでにセットされていたのを見て

正直味はたいしたことないナと思ったが、この予想を裏切って味はグットだ。

おそらくバスガイドさんが到着時間を事前に連絡して、

それを受けて配膳したのだろう。

これで一体いくらのランチセットなのだろう。

ここはオススメできる店だ。

ここは久里浜港、幕末に黒船ペリーが来航した地だ。

ここ久里浜から千葉県の金谷港へフェリーが出ている港だが、

夜中の台風15号通過の為か車は一台もない。

運行が中止になっているのだろう。

我々もまさかここから浦和迄バスで7時間半もかかるとは想像もしていなかった。

首都高が横須賀から横浜の先まで通行止めで主たる目的の防衛大学校の視察もできず、

夜中の暴風雨で夜は眠れず、このシリーズの冒頭で書いた

「行きは良い良い、帰りは怖い」とは、こういうことだったのです。

 

 


三浦半島の旅

2019-10-19 07:03:56 | 旅 ~国内

比較的近い三浦半島へは宿泊でなかなか行く機会が少ない所だ。

ここは温泉も出てなく満足できるホテル旅館も少ないのもその理由にあるかもしれない。

しかしこの地には城ヶ島、三崎港、油壺などの景勝地もある。

今回の研修旅行はこの地に着いた時あたりから状況は激しく変化してきた。

宿泊先はホテル京急油壺 観潮荘。

外観から見てもここはイマニのレベル。

そこへ夜中に強烈な台風15号が上陸してくるとは・・・。

宴会も終わり二次会あたりから外が雨と風で騒々しくなってきた。

ファクサイと命名された台風15号がまさかのこの地、三浦半島に上陸。

台風の上陸地点に居るのは人生初めての経験だ。

夜中になると部屋の窓に激しい雨と風がバチャバチャ吹き込み、

微妙に建物が揺れ、なかなか寝付けない。

トイレに行くと真っ暗くら。

初めは電球が切れたのかと思ったが、この時間から停電だ。

そうこうするうちに館内放送が始まった。

「只今非常警報が鳴りましたが、確認をしたところ問題はございません。

ゆっくりおやすみ下さい。」

外はもうゴーゴーすごい風と雨の音。

ゆっくり寝るどころの騒ぎじゃありませんでした。

明け方、風呂に入ろうと廊下に出たら真っ暗。

廊下の隅にランタンが置いてあり、お風呂のお湯もぬるくなっていた。

そうだ、ここは沸かし湯だった。

露天風呂は木の葉と小枝でいっぱい。こんなこと初めての貴重な体験だ。

そして朝食になると停電の為ごはんが炊けず、

近くの系列ホテルに取りに行くので若干待って下さいとの事。

当ホテルはどうやらオール電化らしい。

その後この台風15号は主に千葉県に甚大な被害をもたらした。

台風が上陸する前の三浦半島のなだらかで広々した畑。

三浦半島の魅力のひとつは人気を誇る広大な自然で育った野菜だ。

三浦・横須賀野菜は一流ブランド野菜として注目を集め、

都内のレストランシェフが朝獲れ野菜を買い付けに訪れるほどだ。

ブランド野菜でも有名なのが三浦大根。

今では紅しぐれ大根、紫大根など種類のラインアップも増え、

その緻密で柔らかい肉質、みずみずしさからサラダピクルスにも大活躍。

又、煮崩れしにくいという特性から煮物にもぴったりだ。

その他カブ、ルッコラ、パクチー、クレソン、ベビーキャロットなど

西洋野菜まで広がっている。

こちらは台風通過後の畑。二枚目の写真には富士山が写っている。

今思うとこの近辺の台風被害の写真をなぜ撮らなかったのだろうと反省しているが、

停電によって信号が消え、あちらこちらに樹木が倒れ、

一番ひどかったのは住宅の2階屋根部分が吹き飛んで道路をふさいでしまった事だ。

その結果、大渋滞。この交通事情は帰る迄続いた。

三崎港にある三浦市超低温魚市場冷蔵庫。

冷凍技術の進歩は大げさに言えば鮮魚の世界に一大革命を起こしている。

このエリアに到着した頃にある所から緊急連絡が入った。

今回の研修の最大の目玉「防衛大学校の視察」の防衛大から

夜中の台風の風と雨により防大へ入る道が多くの倒木によって遮られ入校できない。

又、校舎も雨によって漏水し見学の対応ができないのでヨロシクお願いします、との事。

ヤァーマイッタナ!残念!

大変なタイミングに来てしまったナ。様々な思いが去来しました。

しかし一行の一人が言った言葉が気持ちを変えました。

「また来ましょうヨ。今回はかならず記憶に残る研修になりましたヨ。」

台風一過の三崎漁港。

ここは全国の水揚量ではカジキ2位、キンメダイ2位、ブリ2位、

マグロ2位、サメ5位、タイ5位を誇る漁港だ。

その中でも取扱量の約80%を占めるマグロは日本でも指折の水揚量だ。

三浦漁港のすぐ隣にある三崎フィッシャリーナ・ウォーフ

「うらり」内にある「みうら・みさき海の駅」。

1階はさかな館で2階は三浦野菜で有名なやさい館。

http://www.umigyo.co.jp/

因みに海の駅は全国になんと168駅もあるそうだ。

これがうらりマルシェ1階の店内。

到着が9時過ぎという早い時間だったので他に来客はゼロ。

我々で貸切り状態でお店の方も丁寧に対応してくれた。

ここはなんといってもマグロ。

各部位のマグロが山積みになっていて、

高いイメージのマグロが安く感じる程でリーズナブル価格。

多少まとめ買いしたら端数はカット。

その上マグロ商品のおまけ付きとサービスがとても良かった。

 


YOKOSUKA軍港めぐり PARTⅡ

2019-10-18 06:15:52 | イベント

YOKOSUKA軍港めぐりは今回で2回目になる。

(PART Ⅰ 2018-6-18付ブログ参照)

観艦式(2015-10-31付)を含めると3回目だ。

航路案内図によると黄色の場所がアメリカ海軍施設で

ピンク色の狭いエリアが海上自衛隊の施設のある所になる。

これを見ても分かるように、海上自衛隊の面積はずっと少ない。

今回の船はSea Friend 7号。

汐入桟橋を出航して横須賀本港を巡り、吾妻島をぐるりと回って長浦港を経由して

新井堀割水路を通って戻ってくるコース約45分だ。

今迄の2回は彼の名調子のガイドを聞いてきたが、

残念ながら海軍オタクの話は聞けず今回は見送り係だ。

アメリカ海軍横須賀基地の1~3号ドライドックに停泊している2隻の海上自衛隊潜水艦。

このそうりゅう型潜水艦は2005年から2021年建造され現在12隻ある。

この潜水艦の大事な要素は音。

かなり音声を抑える為には電気の充電が重要ということで只今充電中との事。

こちらは自衛艦。

昨日までは多くの自衛艦が停泊していたがこの日は皆、沖に出て待機中との事。

海上自衛隊の船舶は普段隣り合わせに停泊しているが、

この日は台風15号に備えて船同士がぶつからないように沖に避難しているとの事。

この事情を聞けば数日前に書いた「行きは良い良い、帰りが怖い」の訳が

多少わかってきたと思います。

実際は本日は天国、明日は地獄と言ってもよい程の2日間になりました。

前回に引き続き今回も原子力空母ロナルド・レーガンに会えた。

停泊していた12号バースは全長約410mの航空母艦専用の埠頭だ。

このロナルド・レーガンはアメリカの空母で唯一海外を母港としている。

案内人の話によると横須賀に寄港する前に

各飛行機は他に行ってしまって空母内には無いそうだ。

因みに乗組員は5,680名というすごい人数、

そしてもっと驚くことは平均年齢20代そこそこということだ。

今回の案内人はご覧のような女優のような美人の女性だった。

YOKOSUKA軍港めぐりの特徴の1つは案内人だ。

普段はめったに見ることができない海上自衛隊や

アメリカ海軍の基地に停泊している艦船の種類や名前、

役割などを分かりやすく生解説してくれる。

案内人が説明している前には大きなディスプレー板があり、航路のコースなどの表示がある。

しかしもっと大事なのは今通っている所の水深、魚群のレーダーなど

うっかりしてしまいそうなデータが表示されているのを知らなかった。

写真の右側の島は日米が共同利用している吾妻倉庫地区で立ち入り禁止地区だ。

その間にある新井掘割水路は明治時代に横須賀本港と長浦港をむすぶため、

旧海軍によって掘られた水路だ。

こちらはアメリカ海軍のイージス艦。

アメリカの艦船のカラーはやや明るいグレー。

それに比べて海上自衛隊の船のカラーはもっと濃いグレーだ。

これは各国の海軍によってそれぞれ違うらしい。

その色のベースになるのが各海軍の領域の海の色で決まるらしい。

今回は台風が来そうな為、海上自衛隊は沖合に避難したそうだが、

アメリカ海軍の艦船はバースのスペースが広い為、そんなことをする必要はなく、

横須賀基地内に待機しているとの事。

まだここには数十年たっても勝者と敗者の差がはっきり残っているような気がする。

YOKOSUKA軍港めぐりの予約046-825-7144

10:00~15:00 1時間毎

大人1,400円 小学生700円

㈱トライアングル

https://www.tryangle-web.com/