スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

名勝 円山公園 (真夏の京都 前編)

2019-08-31 06:10:22 | 旅 ~京都

今回早朝散歩で最髙のルートを見つけた。

青蓮院門跡から知恩院そしてここ円山公園のルートだ。

ホテルから意外に近く、とても整備されていて広々として気持ちいい。

ここ円山公園は東山区にあり、園域は八坂神社、

知恩院に隣接した京都観光名所の1つだ。

国の名勝にも指定されている。

ここで円山公園の歴史について調べてみました。

明治維新までは八坂神社や安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部であった。

明治初年の廃仏毀釈の一環として1871年(明治4年)に

上知令によって土地が政府に没収され1887年(明治19年)に

総面積約9万㎡の公園が設けられた。

1888年(明治20年)には京都へ移管され京都市初の都市公園となった。

1912年(大正元年)に小川治兵衛により池泉回遊式の

日本庭園が作庭され、現在の形となった。

これが日本古来の回遊式庭園。

自然の丘陵を利用した渓谷を造り、四季の草花を植樹、池や噴水を建設した。

春には桜の名所として多くの人で賑わう。

さくらの名所の中でも特に有名なのが

この一重白彼岸枝垂桜。(現在は2代目)

花見のシーズンにはライトアップが行われ、

深夜でも花見客の姿が見られるという。

別名、通称「祇園の夜桜」とも言われている。

この坂本龍馬と中岡慎太郎の像は昭和11年に旧自由党員の今幡西衛らの

尽力によって建てられたが、第2次世界大戦の時に撤廃された。

その後、京都髙知県人会有志によって昭和37年に再建された。

中岡慎太郎の背の低さを目立たなくする目的で

このようなポーズになったらしい。

丁度この時期はサルスベリの紅白の色が咲いていて

きれいで目立っていたのでパチリ。

公園の西側、八坂神社の近くの方に

RC造の立派な祇園祭山鉾を納めた館があった。

この山鉾館には十基の山鉾が保管されている。

このラジオ塔は昭和7年、NHK京都放送局開局の際、

ラジオの普及のためにつくられた。

当時は毎朝、塔の前でラジオ体操を楽しむ姿が見られたという。

円山公園に隣接したこの鳥居は八坂神社のもの。

東は東山で南に髙台寺、北に知恩寺等があり、

豊かな樹々の茂る境内に公園は囲まれている。

早朝6:00頃には年配者の人が集まり、

井戸端会議の後、ラジオ体操をしていた。

犬と散歩している人の姿もあったが、

なぜか野良猫が多くいたのがとても印象的であった。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編267~

2019-08-30 06:27:33 | 食~番外編(京都)

鉄板焼 くぬぎ

京都市栗山区田口華頂町1 ウェスティン都ホテル3F

TEL 075-771-7111

年中無休

宿泊1日目のディナーは幹事さんのセットによりウェスティンホテル内の

鉄板焼屋さん「くぬぎ」であった。

ここは隠れ家的なレストランでホテル内にある為、

街の喧騒から抜け出した落ち着いた髙級店であった。

店はU字型のカウンター席のみで15席と家族的雰囲気。

我々だけで10席を取り、なんとなく貸切り状態に成った。

木のぬくもりあふれる店内はお客様それぞれに適した接客ができ満足度大だ。

テーブルの上にはデンと松阪牛と神戸牛の塊が置かれ、迫力がある。

どうやらこれは見せ牛肉で他の客用だとか。

髙級食材とダイナミックなパフォーマンスで魅せる「くぬぎ」の鉄板焼。

和牛と新鮮な魚介類を季節野菜とともに楽しめる

その手さばきを見ていると、ある意味鉄板焼はエンターテイメント料理だ。

手が込んだ髙尚な先付。

生春巻を手で巻いたような料理だが、詳しくは忘れた。

海の幸のテリーヌ、バルサミコの香り。

にこごりの中に魚介が納められているような料理だ。

サー、鉄板焼の始まりだ。

最初はロブスターと旬の京野菜の小松菜。

鉄板のヘラとナイフ、フォークを使って見事な手さばき。

とてもリズミカルで思わず見入ってしまう。

ロブスターは部位ごとに分けられ焼く時間を変えていく。

これでまずいはずがない。

ただなんとなく鉄板焼は集中力に欠けてしまう。

続いて伊勢志摩産の鮑とアスパラガスの鉄板焼。

この段階になると食する方に神経が行き、

鮑の調理を撮ることを忘れてしまった。

この料理はなんといっても鮑の肝が絶品の味だった。

いよいよ本日のメインイベント。

神戸牛のサーロイン、松阪牛のフィレの鉄板焼のスタート。

それぞれ客の好みの焼き方にし、

網の上に置いてあるのが当店のミソのように見えた。

付け合わせの野菜は玉葱と青唐辛子、2種類の茄子。

最後に香り付けとしてフランベした。

ガーリックチップは付け合わせというより酒の肴。

これを最初に作っていたが、ようやく出てきた。

ステーキ用の味噌だれ、ゆずポン酢、わさび、

京都松野醤油、京都丹波の赤ワイン塩にお好みで付けて食する。

ここでも色々な味を楽しめる。

グリーンサラダは旬の京野菜を使っている。

当店は「旬の京野菜提供店」の認定を受けている。

この認定は旬の京野菜を使用し、

その素材が持つ旨みや風味を引き出す料理を提供するお店で、

京野菜を常時3品以上、年間で10品目以上使用しているなどの

厳しい条件を満たした店舗に与えられる。

私の大好物のガーリックライスが〆で出てきた。

この中にも小さく切られたステーキが入っている。

これも作る手さばきは見事。

フライパンと違って返しができないだけに技が必要だ。

京野菜5点少々と味噌汁。それぞれの器もとても良い。

向い側の客にもフライパンの上でフランベ。

これはショータイムだ。思わずカメラを向けたくなる。

どうやら向い側のファミリーは中華系の香港人か?

日本に来るアジア人は皆リッチな人達に見える。

一昔前では無かった光景で、いかにも経済発展が急に進んだ現れだ。

夕張メロンなどのデザート。

こじんまりしたこのレストランの奥には京都ならではの坪庭が。

全ての料理が終わった後、又々驚かせられた。

それは使用した鉄板の掃除。

鉄のヘラでこれでもかと徹底した拭き取りをしていた。

鉄板に付いた味取りが大事と言っていた。


大報恩寺 (真夏の京都 前編)

2019-08-29 06:13:56 | 旅 ~京都

MKタクシーの運転手さんがもう少し時間があるのでもう一ヶ所

近くのおもしろいお寺を案内しようということで、

来たのが真言宗智山派の寺院で山号は瑞応山。

通称「千本釈迦堂」という大報恩寺だ。

正直初めて聞いたお寺だが、智積院能化の隠居所として護持された所らしい。

京都ではお盆を迎える頃、精霊迎えをします。

精霊迎えとは、お盆に先祖の霊が冥土から戻る際に、

六つの道に迷うことなく迎える行事で京都では

「お精霊(しょらい)さん」とか「六道参り」などと言う。

六道参りの期間は本尊釈迦如来坐像が開扉される。

この釈迦如来像の手に結ばれている白布がお精霊さんを迎える

鐘につながっていて迎え鐘をついて先祖の精霊を供養する。

このお寺の創建は鎌倉時代の初期、承久3年(1221年)。

本堂は応仁の乱にも焼けることなく創建当時のもの。

洛中最古の建造物で国宝である。

この太い柱には応仁の乱の刀と槍のきずあとが残り

今でもその当時の歴史のひとこまを物語るものである。

因みにこの辺りは西軍の中心部でもあり、

西軍の将、山名宗全の特別のはからいもあり

当本堂が残されたといわれている。

なぜかこの日は2人の山状が居て、受付の仕事をしていた。

当時の有名な話の一つはおかめの物語だ。

本堂を造営する際、大工の棟梁であった髙次(長井飛騨守髙次)が

代わりのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。

それを見ていた妻のおかめが斗組を用いたらどうか、と一言アドバイス。

その結果、無事竣工。

しかしおかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと

上棟式を待たず自害してしまった。

髙次は妻の冥福を祈り、おかめ塚を建て、

おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。

度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき

厄除、招福のおかめ信仰につながった。

そういうことでここは縁結び、夫婦円満、子授けにご利益があるという。

貴族の衣服のもえぎ色に近い桜なので御衣黄桜という。

当寺の開基は藤原秀衡の孫、義空求法上人によって成された。

本尊は釈迦如来で重要文化財だ。

このことは徒然草にも言及されている。

当寺は先述のおかめの物語以外に12月の風物詩になっている

大根炊きで知られている。


等持院 (真夏の京都 前編)

2019-08-28 06:29:39 | 旅 ~京都

MKタクシーの運転手さんのオススメで臨済宗天龍寺派の等持院に来た。

ここは小さなお寺だが、大変由緒あるお寺だった。

真夏の暑さもあって拝観者はほとんど居ない。

では等持院の由来について記してみます。

暦応4年(1341年)足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、

衣笠山の南麓に創建されたのが当院である。

のちに尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、

足利将軍家歴代の苦堤所となった。

応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われたが、

太閤も秀頼に建て直させたほど、この寺は重んじられていた。

等持院には足利5代230余年の歴史を語るものがある。

入口下足の場はだいたいどこも庫裏にある。

庫裏は台所の為、天井が髙く吹抜けになっている。

現在の方丈は元和2年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、

文政元年(1818年)当院に移築させたもの。

現在は解体修理中だ。方丈の襖絵は狩野興以の作。

この庭園は夢窓国師作として伝えられる。

方丈の北庭の東の苑池である心字池。

(草書体の心の字をかたどって作られた池庭。)

一方書院から望む西の池は芙蓉池。

この日の尾張屋ソバ屋さんから結局帰るまで縁あってお世話になった

MKタクシーの運転手さんは京都について本当に詳しい。

会社の定期的研修もあれば京都検定も取得しているとの事。

その彼がお寺の池にはなぜ鯉がいるのか?と聞いてきた。

チコちゃんに叱られてではないが、不意な問いでふと考えてしまった。

それは鯉は出世魚ともいわれ中国の伝説によると

鯉が奔流を昇ると龍と化す「鯉龍変幻」信仰が

もとと言われている。禅宗ではそうらしい。

方丈北背の小髙いところに、茶室の清漣亭がひっそりと

落ち着いた姿で建っており、控え目なたたずまいを見せている。

村田珠光や相阿弥らと茶道を興じた義政の好みと伝えられている。

等持院に来てなんと言っても一番驚いたのは

足利尊氏将軍の墓所があったことだ。

それも鎌倉幕府の源頼朝の墓の様に生前の実績評価から見ると小さくて地味。

尊氏の墓は塔の台座は四面に立派な格狭間があり、

宝瓶に蓮華を挿した紋様があって室町時代の形を示している。

台座の正面に廷文3年4月の文字が見える。

この書院から庭園をゆっくり一回りして戻り、

ゆったりした気持ちになった所で抹茶とお菓子で一服タイム。

それにしても京都の暑さは関東とは違うムッとしたすごい暑さだ。

最後になって書き忘れそうになったが、等持院のさらにすごいのは霊光殿

(現在解体修理中、2020年春完成予定)には

5代、14代をのぞいて13体の歴代足利将軍の

肖像彫刻が安置されていることだ。

室町幕府を率いた13人の個性あふれる将軍像が小さなお堂に

ひしめき合うように居並ぶ様は壮観だそうだ。

現在、将軍像は特別展「室町将軍 戦乱と美の足利15代」で

太宰府天満宮横の九州国立博物館へ行っている。

 


北野天満宮 (真夏の京都 前編)

2019-08-27 06:28:04 | 旅 ~京都

北野天満宮の参道から一の鳥居へ。

北野天満宮は上京区馬喰町にあり、二十二社(下八社)の一社で、

全国約1万2000社の天満宮の総本社だ。

旧社格は官幣中社で神紋は星梅鉢紋。

通称は天神さん、北野さんと呼ばれている。

参道を進むと最初に楼門をくぐる。

上部に掛けられた額には「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれている。

平安時代の中期の学者・慶滋保胤(よししげの やすたね)、

大江匡衡(おおえの まさひら)が、

当神社の主祭神である菅原道真公を讃えた言葉だ。

ここは太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、

当社から全国各地に勧請が行われている。

近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。

本殿へ向かう途中には神紋のベースに成っている梅苑がある。

梅を愛した菅原道真公ゆかりの梅の木50種、

約1500本が約2万坪の敷地に咲き競う。

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花

主なしとて 春を忘るそ」

拾遺和歌集 菅原道真の有名な句だ。

境内に沢山の梅干が天日干しされていた。

これを令和の初梅「大福梅」として縁起物として売られていた。

特にこれは令和元年の初採り個数限定品だそうだ。

次にくぐるのが中門の三光門。この門は重要文化財だ。

ひと際、壮麗な造りと上部に掲げられた後西天皇御宸筆の

「天満宮」の勅額によって当宮のシンボル的な建築として知られている。

三光とは日、月、星の意味で梁の間の彫刻があることが名の由来。

星の彫刻だけが見られないのは、この門の上に北極星が輝くことから

天空の一つとなって平安京を守っていた場所がこの北の地だそうだ。

この門は「星欠けの三光門」として

今でも当宮の七不思議に数えられている。

当宮には幾つもの牛の像がある。

この臥牛の像の牛は神使(祭神の使者)として

天神さまのお使いの姿としてあらわされている。

これは菅原道真公が丑年生まれであったこと、

大宰府でご生涯を閉じられた際、道真公の御遺骸をお運びする

途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなって

やむなく付近の安楽寺に埋葬したこと、

又、牛が刺客から道真公を守ったことなどの故事に由来している。

これが国宝の社殿本殿で様式は権現造り。

本殿は千年余りの歴史のなかで何度も火災にあったが、

現在の本殿は豊臣秀吉公の遺命により豊臣秀頼公が

慶長12年(1607年)に造成されたものだ。

ここで北野天満宮の由来について記してみます。

右大臣菅原道真が左大臣藤原時平に左遷させられ、

延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷など災害が相次いだ。

これが道真の祟りだとする噂が広まり御霊信仰と結びついて恐れられていた。

没後20年目、朝廷は左遷を撤回、官位を復した。

そして朝廷の命により道真を祀る社殿を造営した。

当宮の創建は天暦元年(947年)である。

その後、永延元年(987年)に一条天皇から北野天満宮の勅号が贈られた。

以来、幕末の神仏分離令まで三院家の社僧が代々神官を務めた。

最近この様な玉砂利が散乱しない様なフレームを見ることが増えてきた。

こんな所にも時代の変化が現れるのですネ。

この絵馬所は元禄12年(1699年)に建てられ、

規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と言われている。

ここではちょっと珍しい平安京ゆかりの清めの神事

「御手洗川足つけ燈明神事」が行われていた。

実は2016年から「京の七夕」の会場になった当宮では

かつて行われてきた祭事の復興が進められていてこの神事もその1つだとか。

初穂料300円で5色のロウソクのうち叶えたい願いを選び、

御手洗川に入って清らかな水で邪気を祓う。

そして献灯台へロウソクを奉納する。

絵馬所の上の段には古風な百人一首の額が飾られてあった。

これを見ていると文化の香りが伝わってきて、

さずが学問の神様、天満宮だなーと納得してしまった。

重要文化財御屋根葺替の寄付の掲示板には特別名誉会員

500万円以上のさらに右側に金一封として裏千家の大宗匠 千玄室、

家元の千宗室、そして表千家の家元の千宗左の名を見つけた。

「オッ、千さんの名が一番前にあるよ。

一体いくら寄付したんだろうね?」とみんなで話した。

我々のグループには裏千家の大幹部もいる為そんな話題が出た。

天正15年(1587年)10月1日、境内において

豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された。

その時に使われたのがこの太閤井戸だ。

境内西側には秀吉が築いた土塁「御土居」の一部も残り史跡に指定されている。

北野天満宮は天のエネルギーが落ちる場所として平安の世から都を守り、

天神信仰の発祥の地となっている。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編266~

2019-08-26 06:17:44 | 食~番外編(京都)

御用蕎麦司 本家 尾張屋

京都市中京区車屋町通 二条下ル

TEL 075-231-3446

定休日 毎年1月1日、1月2日

https://honke-owariya.co.jp/

京都の蕎麦の人気店 尾張屋さんの歴史は信じられないくらい程すごい。

創業は寛正6年(1465年)というからなんと室町時代。

応仁の乱の2年前だそうだ。

ということは創業555年になる恐るべき老舗店だ。

京都というところはそういう所なのですネ。

尾張の国から京都へ来てはじまりは菓子屋。

蕎麦屋としては江戸時代中頃からとの事。

1700年頃、禅寺で蕎麦切りが食され、多くの寺院に

蕎麦を納めた所から始まった。

まずは京都の歴史ある町屋のたたずまいが迎えてくれる。

この建物は明治時代はじめの頃の木造建築。

御用蕎麦司の暖簾をくぐるとその向こうに蕎麦の香りがする。

ご覧の様にすでにウエイティング客が、そしてあとからも

タクシーで続々客が来る。

どうやら観光客が多いようだ。

因みに御用司とは御所への出入りを許されて店の江戸時代後期の総称。

明治以降は宮内庁御用達と呼ばれた。

創建当時から尾張屋を見守っている泰山木の横には

坪庭的な石庭が。多少待たされてもこの落ち着いた風景を

見ているとあまり気に成らない。

逆に今京都にいるのだナーという雰囲気を味わうのに丁度とよい時間になる。

当店は本店だが、他に市内に四条店、高島屋店の2店舗を有している。

現在の店主は15代目からモダンな16代目若女将が仕切っているとか。

尚、当店は予約は不可だそうだ。

又、店頭には創業時の甘味和菓子も売られていた。

店の造りは2階建。

1階は茶室座敷と椅子席、2階は椅子席と広間座敷など細かく

色々なタイプの部屋に分かれて全部で92席もある。

とても渋くて風情のある空気が流れていた。

そば屋さんの価格指標になるかけそばが810円と高目だ。

関東であまり見かけないメニューを列記してみます。

けいらん 918円。

どんなのか想像がつかない。

のっぺい 1134円。

のっぺい汁と関係があるのかな?

京都のそばの代名詞にしんが 1242円。 

又、名物の中にはそば寿し 1188円、利休そば 1296円もある。

突出しとし、京だし巻 648円。

丼ものとしては衣笠丼 864円。

木の葉丼 864円。

芋かけ丼 1242円がある。

どれも関東では聞きなれないメニューで興味がある。

さすが、日本一の国際観光都市のそば屋さん。

英語のメニューが用意されているのには驚いた。

そして各メニューの詳しい説明文も書かれていた。

せいろは(Plain buckwheat  noodles) served with wasabi.

Japanese leeks and dipping sauce on the side

てな具合。

店内にお洒落に展示されていた名物宝来そばのサンプル。

宝来そばの八寸添えもあった。

これは14代目が考案したメニューだそうで、

結局全員これをオーダーすることになった。

ケースの後ろには季節のしつらえとして

京都五山の送り火がデザインされている扇子が飾られていた。

いかにも京都らしさを感じる1枚だ。

これが名物 宝来そば 2160円(税込)。

蕎麦は昔から大変縁起の良い食べものと言われ

蕎麦を食すると宝が来るという言い伝えがあり

「宝来そば」と命名されたそうだ。

京漆器・象彦意匠の割子に京焼の器で店主が独自に創作した

京蕎麦でこの日は北海道音威子府産の蕎麦粉を使っているとか。

五段重ねの蕎麦にわさび・のり・ねぎに加え、

ごま・紅葉おろし・錦糸玉子・椎茸・海老のあられ揚げと

彩りも美しい薬味が付いている。

召し上がり方は好みで一椀ごとに好きな薬味を

二、三種そばの上に乗せて徳利のおだしを

上からそそぎそのまま食する。

一椀ごとに違った味と風味が楽しめ、

最後にお湯呑みにそば湯をそそぎ、

おだしでお好みの味付けをして、桜の香りを楽しむとか。

お盆の上に丁寧にその召し上がり方が図解で書かれていた。

暖簾の先には歴史を感じさせる厨房エリアが。

京の町屋造りだけに奥に細長く続いており、裏側も風情を感じる。

尾張屋さんの佇まいをよく見るといかにも京都らしい造りに気が付く。

階段の手すりは年季の入った竹を使っている。

土間から石畳、上がり框も歴史を感じさせ、とても味がある。

土壁の飾り窓も竹を上手に編んで人のぬくもりが

伝わってきて素晴らしい。

京都の住居表示は一種独特だ。

京都は北へ行くのを上る 南に行くのを下ると言う。

東西は通りで表わし、〇丁目〇番地という表現をあまりしない。

 

 

 

 

 


THE WESTIN MIYAKO 京都(改修版)

2019-08-24 06:02:03 | ホテル・旅館

京都五山の送り火の宿泊は今やこのグループの常泊に

成ってしまったウェスティン都ホテル京都。

京都駅から地下鉄(烏丸線・東西線)で約15分、

地下鉄「蹴上駅」下車徒歩約2分。

https://www.miyakohotels.ne.jp/westinkyoto

(2017-12-15付ブログ参照)

昭和11年3月当時の都ホテルの全景。

都ホテルの歴史は1900年に保養遊園地吉永園(華頂山麗)の

園内に都ホテルを創業。

以来、日本最大の観光地である京都の迎賓館として

最髙級ホテルとして君臨し続けてきた。

1960年に村野藤吾氏の設計(代表作・日生劇場、横浜市庁舎、

箱根プリンスホテル、新髙輪プリンスホテルなどのモダニズム建築)

による本館(現在)の完成模型図。

2002年4月にウェスティンブランドに仲間入り。

当ホテルは都ホテルズ&リゾーツの中心ホテルで

マリオット・インターナショナルが展開する

ウェスティン・ホテルズ&リゾーツの1つ。

運営は近鉄・都ホテルズで旧名称は「都ホテル」だ。

現在2020年の創業130年の節目に合わせて

2018年6月から大規模リニューアル工事中で、

2020年春に完成予定だ。

仮営業中のフロント・エントランスは当然こじんまりとなっているが、

前のフロントのイメージを残している。

2018年までは客室数は499室、スウィートルーム11室だったが、

客室面積を拡大(35㎡から50㎡へ)して約半数の270室になる。

他に約1000㎡のスパを敷地内に掘削して温泉利用し

半露天風呂も新設する。又、ジムも創る。

北側一面には一面ガラス張りにしたビュッフェレストランを新設。

2019年12月には本格的フレンチレストラン

「ドミニク・ブシェ・キョート」を開業する。

客室を大幅に拡大したことによって独立した洗い場を設けた。

天井にはシャワーが付き、これがまた素晴らしい。

この様なスタイルの浴室は初めてだ。

又、丸い使用済バスタオルを入れる籠は初めて見た。

これはお客の気持ちをくんだ心憎いアイディアだ。

ゆったりしたバスタイムが楽しめて、今迄のウェスティンの

イメージを一新させ、本当に気に入ってしまった。

朝食会場もリニューアル中の為、宴会場を利用。

しかしここの眺めが素晴らしく、京都市内を一望できる。

これがウェスティン都ホテルの朝食。

ビュッフェスタイルのメニュー写真。

レベルはさすが髙級ホテルと言われるクオリティだ。

サラダの種類も多く、又ドレッシングの数もなんと9種類とすごい。

関西ならではの一口大お好み焼もある。

そしていかにも京都らしい京豆腐、京うどん、京つけものもあった。

これがてんこもりの我ブレックファースト。

当然旅先のダイエットは中止だ。

ウェスティンの朝食はビュッフェスタイル以外に

この和食セットも選ぶことができる。

このやり方だけでもリッチな気分になる。

 

 

 

 


京都五山の送り火

2019-08-23 06:05:52 | イベント

日本には様々な行事(催事)がそれぞれの地域の歴史、

文化を背景に行われているが、特に日本人の心のふるさと

古都、京都には四大行事(祇園祭り、葵祭、時代祭、京都五山送り火)がある。

一度は見てみたいと思っていた京都五山送り火に今年行く機会を得た。

宿泊したホテルのエントランスの所に飾られてあった京都五山の提灯。

右から横綱格の東山如意が嶽の「大文字」。左へ松ヶ崎の「妙と法」。

一番奥の「舟形万灯籠」。続いて「左大文字」。

そして一番西の「鳥居型松明」。

五山送り火は毎年お盆期間中の8月16日、午後8時から行われる伝統行事だ。

この旅では特別、ホテル側の計らいで送り火を部屋のベランダから見られる

スウィートルームを提供していただいた。

送り火はお精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊を

あの世に送り届ける行事で、たまたまこの旅グループの1人の方が

今年7月突然倒れて亡くなった霊を偲ぶ特別な日と成った。

京都の人にとっては、この送り火はお迎えした先祖の魂とともに

過ごした数日を惜しみつつ、精霊が冥府に戻られるのを見届け、

一年後の再会と、その間の家族、知人の健勝と多幸を心静かに

祈る特別な時間で、我々観光客とは重みが違う。生活の一部だ。

この送り火をじっくり共有する為に京都の人は

家の灯りをなるべく暗くするそうだ。

故にこの写真を見てもこの日の京都の夜は

いつのより灯りが少ないと感じた。

残念ながらこの部屋からは如意ヶ嶽の大文字は

一本の線にしか見えなかった。

京都五山の送り火は1963年から観光業界の

要請により点火時間が決まったそうだ。

点火時間は20:00から始まる。

次に点火されるのがこの松ヶ崎の「妙と法」で20:05点火。

妙法は南無妙法蓮華経のお経から取られたらしい。

ここからは「妙」が大きくはっきりと見ることができた。

もっとも良く見えたのがこの舟形万灯籠。別名:精霊船。

西方寺の鐘が合図で点火される。

送り火の起源は平安時代とも江戸時代とも言われているが、

場所、行為を具体的に特定した史料が登場するのは

近世に入ってからだそうだ。

これが左大文字。

20:20の最後に点火されるのが、全く見えなかった

鳥居型松明。この送り火は思っていた以上に短い時間で燃え尽き、

何か儚(はかな)ささえ感じてしまう。

火が消えた後の闇の暗さに、夏の終わりを惜しみ、秋の訪れを感じる。

これは翌日の松ヶ崎の「妙と法」。

そして大北山の左大文字。

五山の送り火の準備の為に事前に大部以前から取り掛かると聞いたが、

8月16日の夜、約30分位で終わってしまう。

この切なさ、儚さが日本人の心、京都人の心に

深く響くのだろうとしみじみ思った。

この日はNHK・BSと地元放送局が「京都五山の送り火」

実況中継の特番を組んでいた。

見えなかった分はTVで解説付で両方見られるという

贅沢な時間を過ごすことができた。

そして翌日、部屋に届けられた地元紙・京都新聞の記事。

「炎に、月に あの人を思う」。

京都府警によると、今年の人出は2万8,000人で

去年に比べて4,000人多かったと言う。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その248-Ⅱ~

2019-08-22 06:08:12 | 食~イタリアン・フレンチ

壁の穴 浦和店

さいたま市浦和区髙砂1-12-1(浦和コルソB1F)

TEL 048-824-5307

不定休 日曜営業 11:00~21:30

当店の第一回ブログアップは2015年11月24日付で詳細はその時に記した。

そこには次回は「壁の穴」の人気メニューでオリジナルの

「若者のアイドル」をオーダーしようと記されてある。

これがその「若者のアイドル」だ。税込1,008円。

野菜が主役の和風のスパゲティで、ソーセージ・ベーコン・

トマト・ピーマン・しめじ・椎茸など具沢山で見た目にも賑やかで確かに美味しい。

しかし癖になりそうまでは残念ながらいきませんでした。

当店は浦和コルソ地下1階のビルインのお店。

ビルインのお店はどうしても外観は個性を出しずらい。

イタリア国旗カラーののぼりに

パスタ&スパゲッティと書かれている。

パスタとスパゲッティの違いはパスタは小麦粉などの

穀類の粉を練った麺や生地の総称のこと。

スパゲッティはパスタの中の1種類のことで他に

マカロニ、ペンネ、ニョッキ、ラザニアなどがある。

今回、店内の写真撮影で2度程、

お店のお客様にご迷惑をおかけしますので、と

注意を受けてしまった。

その時はブログ魂が買ってしまって密かに撮り続けてしまいましたが、

外に出て、やはりまずかったかなと反省をいたしました。

「メニューを撮るなら外にあるものでお願いします。」

と言うことでこのメニュー写真は苦心のものです。

店内の黒板に「新しくピッツァも始めました。」とのご案内が。

7種類のPizzaメニューが書かれてありました。

メニューには16種類が。

そしてイタリア産の米使用のリゾット3種類、ニョッキにピザのメニュー。

店外サンプルとしてショーケース内とテーブル上に。

当店名の「壁の穴」はとても印象的なネーミングだが、

その由来はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」の終書に出てくる

HOLE IN THE WALLから付けられたとの事。

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その277-Ⅲ~

2019-08-21 06:06:33 | 食~居酒屋

旬の味 みなと

さいたま市浦和区東仲町10-2 東仲町1Kビル

TEL 048-885-0777

定休日 日曜日

https://minato8850777.com/

一日も早く行かなくてはと思いつつ、新装になった「みなと」さんに

お伺いできたのは思わぬ形からであった。

今年2月に移転、新装オープンになった「みなと」さんが

入居したビルは当社が施工したビル。

その半地下に入店が決まって、開店を楽しみにしていた。

以前の店は裏門通りにあり、2回程ブログにアップした。

(2016-4-11付、2017-2-16付)。

旧店の門構えよりRC打放しを利用してずっとモダンなイメージの玄関となった。

店内のイメージも随分変わった。

前の店はオープンな造りだったが、新店は個室のスペースを3倍位に広げ、

落ち着いた大人の料亭っぽい雰囲気に成っていた。

カウンター席は8席、前店はL型だったが、

新店はストレートでよりシンプルになった。

間仕切りできるスペースが増えた為、今後は色々な会合で使えそうだ。

厨房も前店は奥まった所でオープンなスペースであったが、

新店はよりお客に近づいた所で顔だけが見える隠れスペースに変わった。

ふと見るとそこで働いている若手料理人が1人増えている。

今迄の若手が中堅になり、若手を仕込んでいる姿は美しく、

2人の未来の巨匠に乾杯だ。

個室のテーブルには真新しい鈴が新たに置かれていた。

確かにこれは良いかも。

基本的にメニューは前店と変わってはいない。

おまかせコース、要予約。

みなと10,000円より、雪5,500円迄の4コース。

他に冬季のみ、ふぐコース8,000円、すき焼きコース8,500円。

一品料理も同じだ。字も達筆で同じ。

これは店主の字か?

お造り、酢のもの、魚と貝料理、野菜もの、肉料理、酒の肴、食事もの。

どれをみても注文したくなるメニューが続いていて

見ているだけで楽しくなる。

この昼膳メニューを見てランチタイムをやっていることを知った。

お客との髙級ランチは当店はピッタリだ。

まずは最初のお通し。

ずいきと小はまぐりの和えもの。

お通しとしては随分、凝ったメニューだ。

器も渋くて形もおもしろい。

きゅうりと長芋のしょうゆ豆 750円。

しょうゆ豆とはあまり聞きなれない。

3つの組み合わせが絶妙で素晴らしい逸品になっている。

これは器といい、盛り付けといい、とても美しい料理だ。

真鯛と九条葱のおろしポン酢 1,200円。

鱧と茗荷の玉子とじ 1,600円。

夏といえば鱧。

そこに涼しげな味の茗荷が加わり、旨みを玉子とじで封じた逸品。

みつせ鶏と蓮根の桑焼 1,000円。

新店に成っても「みなと」さんは私達の味の期待を裏切らない。

車海老とさつま芋のかき揚げ 1,300円。

一切れ食べてしまった後に撮ったので実際の量はもうちょっと多い。

これまたカラッと揚がっていて最髙です。

最後の〆は鯛茶漬けにしようと決めていたが、もう満腹状態。

方針変更で、茶そば 700円を注文した。

 

 

 

それにしてもこのビルを施工したこともあって店主と女将、

又、未来の巨匠とも話す機会が多く持てて、

色々なことを知ることができ、楽しい時を過ごすことができました。

特に女将のイメージが変わり、とても良かったです。