スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~その591~

2023-04-29 06:05:45 | 食~そば・うどん

手打ち蕎麦 しば田

さいたま市浦和区高砂2-2-2 BAIGYOKU’Sビル1F

TEL 048-400-2150

定休日 第2、第4月曜日

浦和の一等地、旧仲仙道に面した県庁通りとの交差点の近くに建て替えられたまさに

絵に描いたようなペンシルビルの1階に昨年12月26日にオープンした手打ちの蕎麦屋さん。

この地には建て替え前はやはり老舗の蕎麦屋「梅玉」があった。

(2014-3-20付 その143ブログ参照)

ビルの形状からして無理もないが店内はうなぎの寝床のように細長い。

入口を入った所には個室コーナー、テーブル席が2人席が3卓、

他4席、一番奥にカウンターL字型4席、全席で28席だ。

内装は和のシンプルモダンで落ち着いていて感じが良い。

カウンター席の壁にはボトル棚が造られていてそばで一杯といった空気が流れていた。

そして客席の先、木の枠の奥が厨房になっている。

 

 

それでは当店のお品書をご紹介しましょう。

お蕎麦屋さんの定番メニューが続いています。

昔は蕎麦屋でいっぱいというのが粋な飲み方。

その酒の肴のラインアップ。

事前に予約をすれば鴨の焼きしゃぶコースも用意されている。

スミダマンにとってはまずはランチメニュー。

おすすめに鴨そぼろと穴子、季節ものでは牡蠣南蛮まである。

ミニ天重、ミニカツ重、ミニ親子重も素材に凝っているようだ。

その中でおすすめランチ鴨そぼろ丼とおそばもり1250円を迷いなく注文。

食べ応えのある鴨そばとふわふわの炒り卵にしょうがの効いたあんかけをかけたというコメントに納得。

見た目にも丼、美味しそう。

美味しかったのです。

問題は手打ち蕎麦のほうだ。

初めてのご対面なのでじっくり味あわさせていただきました。

ー合格でーす。

リピート決定。

店内の片隅には手打ち蕎麦屋さんの三種の神器、石臼挽き器と酒墹器がさりげなく置かれてあった。

このメッセージは何を意味しているのか?

何かを伝えようとしている。

「がまんの気には実がなる」

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その590~

2023-04-28 06:00:07 | 食~イタリアン・フレンチ

北海道イタリアン&カフェ 北国とミルク

さいたま市浦和区東高砂11-1 浦和パルコ5F

TEL 048-871-2757

浦和パルコ5Fのレストラン街に「パパミラノ」(2015-9-15付 ~その236~ブログ参照)のあと、

2022年12月9日オープンした北海道イタリアン&カフェのお店。

最近レストランから消えつつあるショーウインドーケースもデパートなどの飲食店ではまだ健在だ。

古いアナログ人間のスミダマンにとしてはこれからも残ってほしいと願っている。

当店は前店と同じ倶楽部ダイナックが経営している。

北海道の「浜中町」で作られる濃厚で高い乳質のミルクや

自家製のバタークリームをたっぷり使った濃厚イタリアン料理を素朴でレトロな哀愁の漂う店内で楽しめる。

系列店としては他に都内、大塚店と多摩センター店がある。

それにしてもなぜ似たような業態を変えたのか訳が知りたくなった。

店の外の壁には大きな黒板に白墨で描かれたような人の温もりを感じさせるPR看板が目に付いた。

店内は北海道ミルクをイメージしたホワイトで壁や椅子、テーブルでまとめられ、

清潔感でいっぱいの雰囲気が流れている。

とても良い感じじゃないですか。

こちらが週替わりのパスタランチメニュー。

ジャンル別にトマト系、クリーム系、和風系、オイル系の4つが用意されていて選びやすい。

当店のパスタは北海道産全粒粉生パスタを使用しているとか。

メニューのデザインは写真とデッサンを併用していて斬新で美しい。

週替わりランチでいかと大葉のたらこ和風ソース1,188円(税込)をオーダー。

これにはスープ(コーンスープ)とドリンクが付いていた。

当店はフリードリンク制を取っていてアップルジュース、

オレンジジュース、アイスティー、ハーブウォーターなどが用意されていた。

また、店内照明器具も凝っている。

ミルクファームザノースランドと書かれたバケツのようなランプシェードに

イカの篝火のようなランプなど北海道を連想させるものを使っていた。

当店では北海道浜中町への還元として北海道チーズソースのハンバーグパスタビアンコの

売上の5%をシマフクロウエイドに寄付する社会貢献を行っている。

 


新たまねぎといわしのからし酢みそ~その4 9~

2023-04-27 06:03:14 | 料理

道場六三郎レシピの第18弾。

からし酢みそは色が鮮やかなオレンジ色で食欲をそそる。

自己評価は80点。

これが毎度おなじみの道場六三郎のレシピ。

食材ベースが新たまねぎといわしの春の旬なもの。

いわしは3枚におろしてから塩をふり、氷水に酢を入れたもので洗い、皮をむいて水気を切る。

いわしだけでなく魚はなんでも塩をして下処理しないと生臭い。

新たまねぎはごく薄く輪切りにして水にさらしたあと水気を切る。

ここからはこの料理のポイント「からし酢みそ」の作り方。

白みそ、酒、みりんを火にあたためながらよく練り合わせて水分をとばす。

これがコチジャン。

コチジャンは朝鮮半島でよく使われる調味料で甘辛い味が特徴。

日本ではこれを味噌の一種とみなして唐辛子味噌とも呼ぶ。

このコチジャンを酢でのばす。

これを冷ました白みそなどの中に酢でのばしたコチジャンを入れて混ぜ合わせ、からし酢みそを作る。

そして完成したのがこの逸品です。

彩りとして今回冷蔵庫にあったインゲンを塩ゆでして付け合わせてみました。

相性はいまいちでした。

それよりいわしと新たまねぎとからし酢みその相性は抜群。

たまねぎがこんなに味変するとは、さすが発想自由の道場のレシピだ。

 


古河桃まつり

2023-04-26 06:08:38 | 自然

「ようこそ日本一の花桃の里へ」のキャッチコピーに惹かれて

第47回古河桃まつり(茨城県)に行って来ました。(3月21日)

ここがJR古河駅。

上野東京ライン(黒磯~熱海)湘南新宿ライン(宇都宮~逗子)の停車駅。

浦和駅からは約40分で来られた。

駅前の広場には古河市の花「ハナモモ」が1本、シンボルツリーとして植えられており、ちょうど満開。

スミダマンを優しく迎えてくれた。

古河桃まつりの会場、古河総合公園の「古河公方公園」に到着。

バスで約15分、渡良瀬川の近くにある季節の花々が彩りそえる自然と歴史豊かな公園だ。

猿島台地の西端に位置する公方様の森。

三方を御所沼に囲まれ、その独特な地形は見る角度によって様々な風景を作り上げている。

江戸時代初期、古河藩主土井利勝(どいとしかつ)が江戸で家臣の子どもたちに

桃の種を拾い集めさせ、古河に送って領民に育てさせたのが始まり。

(領地では、燃料となる薪が乏しかったので、成長が早く、果実が食料となる桃が選ばれた。)

この故事に基づき1975年の古河総合公園の開園を機に花桃

(花を鑑賞するための桃)を植えて江戸時代を偲ばせる桃林を復活させた。

園内では主に4種類の花桃が楽しめる。

「知」「寿星桃」「源平」そして「菊桃」だ。

公園内にはいくつかの池があり桃の花の色が映った水面にゆったりと泳ぐ鴨がいたのでパチリ。

それでは園内の風景スナップを何枚かどうぞご覧下さい。

さらにちょっとアップして桃とあじさいの葉、満開の桃、

桃とレンギュ草、桃とコブシの花のグラデュエーション。

全園桃だらけの中で逆に小さな白い可憐な花をつけた鈴蘭に似た純白な花がとても新鮮に映った。

鎌倉公方足利利成氏(あしかがしげうじ)は1455年古河に移り、この台地に館を構えた。

以降「古河公方」と呼ばれ、五代にわたり約130年間北関東に一大勢力を誇った。

ここは徳源院の跡。

さらに公園内の目に止まった風景をカメラで切り取ってみました。

園内を歩いていく内に皆同じ着物を着た若き女性グループと遭遇した。

タスキを見ると「古河桃むすめ」と書かれてある。

皆さんイベントの合間に休憩タイムを取っているようだ。

この小高い山は富士見塚。

渡良瀬川の堤防と同じ標高22Mの高さに作られている塚は

子供たちの芝すべりの場所としても人気スポットだ。

山の山頂から見た眺めは素晴らしかった。

富士見塚の前には全面ガラス張りの洒落た平屋造りの軽食・喫茶、おみあげ処ジェラテリアがある。

その隣にはテントの中で古河の地元のおみあげ品(甘露煮、お茶、地酒など)が販売していた。

ジェラテリアを通って芝生広場に向かう途中に大きな鳥小屋がありなぜか立派な孔雀数羽がいた。

この広い芝生広場では古河桃まつりのイベントが行なわれていて多くの人々がくつろいで楽しんでいた。

屋台も多く並び大好物のあゆの塩焼が売っていたので買ってしまった。

古河駅前にはひと際目立つ超高層マンションがある。

この中の一室を現在当社では販売中。

最近、研修の旅のブログが続き、中古マンション販売の物件情報提供が滞ってしまったが、

今回たまたま古河に来たのでアップしてみました。

問い合せは048-882-0166(代)不動産部 大久保、内山、山野、押田まで


浦和エリア旨い店シリーズ ~その25-Ⅱ~

2023-04-25 06:08:34 | 食~うなぎ・寿司・天ぷら

江戸前 美家古鮨

さいたま市浦和区東高砂町3-4

TEL 048-711-3787

定休日 日曜日

営業時間 17:00~25:30

(2011-6-10付ブログ参照)

スミダマンとは少なからず縁のある江戸前鮨の名門「美家古鮨」が

浦和駅東口(1分)に10数年ぶりに戻ってきた。

これは浦和駅西口再開発事業による立退きのためで他にも多くの飲食店が東口に移転してきた。

(当店の隣の栄寿司さんも同じで、機会があったらご紹介します。)

元々、美家古鮨さんは約60年前に東京柳橋から2番弟子の通称ヤッチャン(故人)が暖簾分けして

当社の第一スミダビル旧館商店街に入居してきたという歴史がある。

江戸前寿司の名店美家古鮨は台東区柳橋で1808年(文化5年)創業。

200年守り続けた江戸前寿司(都内最古の江戸前鮨店)、

この歴史を守り続けながらアットホームな温かさは浦和でも愛され続けてきた。

そして今年初め(1月26日)再び東口にカムバックしてきた。

新店は奥のテーブルボックス席3卓と手前のカウンター席で20席。

まだ新装オープンしたばかりで気持ちが良い。

つけ場で握っているのが現在の大将で通称直ちゃん。

スミダマンの中学校の後輩で小さい時からスミダビルの中庭でサッカーをして遊んでいたのを思い出す。

久し振りにあった直ちゃんはここで風格が出てきた。

いよいよオヤジの後を追ってきたなーという感を強く持った。

カウンターに置かれたお品書きと壁に貼られた本日のオススメ。

特に本日のオススメは酒飲みの肴としてはよだれの出そうなものが並んでいる。

カワハギキモ刺し、帆立いそべ、鯵なめろう。

特にアン肝には花丸がついていた。

まずはお通し。

何だったか忘れたが、とにかくすごく旨かったのは覚えている。

鯵なめろう 1,000円。

小肌といわしの刺身。

色艶素晴らしい。

味は旨いに決まっている。

帆立のいそべ 500円。

相方がオーダーした貝づくし5種。

帆立、赤貝、とり貝、みる貝。

いわしと鯵の握り。大きさがマチマチなのが直ちゃんらしい。

スミダマンは光物が大好物です。

またまたいわしと帆立と小肌。

この日は舌の嗜好が片寄っていた。

そして絶対外せないのが穴子。

これも江戸前のチャンピオンだ。

仕上げのまぐろ赤身、赤貝、鯛の握り。

 

 


高松の街あれこれ

2023-04-24 06:02:55 | 旅 ~国内

香川県及び四国最北端の高松駅。

駅の愛称は「さぬき高松うどん駅」で開業は明治30年。

JR四国の予讃線の主要駅だ。

現在の駅舎は4代目で2001年(平成13年)竣工。

高松駅から3分のところにあるサンポート高松。

高松港の西半分を埋め立て再開発した。

高松のシンボルタワーでイベントホール、会議室、商業施設、オフィスなどの複合商業施設だ。

小豆島(土庄)、直島豊島行高速船、女木・男木島行フェリーの客船乗り場の港。

通称「ことでん」。

高松琴平電気鉄道(株)の高松築港駅。

当鉄道には3つの路線があり、2011年4月ことでんは開業100周年を迎えた。

グループのキャッチフレーズは「うみ・まち・さと・心でむすぶ」だそうだ。

いかにもご当地らしいマンホール蓋を発見。

平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落した屋島、那須与一の逸話で街おこし。

車中からの屋島の全景。

屋島は高松市の北東に位置する南北に長い台地状の地形で硬質の溶岩に覆われた平垣面が浸食された残丘だ。

屋島山頂エリアから見た高松市街地の風景。

瀬戸内海そして四国一の高層ビル「サンポート高松」

1泊お世話になったJRホテルクレメント高松の雄姿がよく見えた。

この屋島の東岸の入江一帯が治承・寿永の乱(源平合戦)における重要な局地戦の1つである

屋島の戦いがここを戦場として繰り広げられたところだ。

飛行機から撮った高松空港。

四国の他の3県の飛行場は海の近くにあるが、ここ高松空港だけは内陸部にある。

スミダマンが飛行機の窓から見た風景。

特に離陸、着陸時の風景を見るのが好きだ。

頭の中にある地図を思い浮かべながら想像の世界に舞うのがなんともいえない心地良い気分になる。

今回のフライト、ラッキーなことに数人だけ年齢順にプレミアム席になった。

おかげで機内のデザートもリッチになった。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編445~

2023-04-22 06:03:55 | 食~番外編(県外)

オーベルジュ・ドゥ・オオイシ

香川県高松市屋島西町65

TEL 087-843-2235

定休日 月曜日・第1、第3火曜日

https://www.auberge-de-oishi.jp/

高松駅より車で約20分。

源平合戦で有名な屋島の麓、風光明媚な海辺の閑静なロケーションにある有名フレンチのレストランだ。

当店は1998年ここ屋島の地でレストランとしてオープン。

後ほど紹介するが7年を経て2005年5月オーベルジュとなった。

景色がきれいな地中海っぽい一軒家レストランで、こう言ったら失礼だが、

高松市街からかなり離れた海辺の田舎にこんなにも洒落たレストランがあるなんて

日本のグルメレベルは大変なものだと感じ入ってしまった。

店内もご覧のようにフランス片田舎あるいは地中海風の雰囲気が漂っていて素敵。

天井の木軸の梁もお洒落だ。

全席で20席ある。

こちらのチャーミングな女性が担当フロアーレディ。

横浜出身の彼女は愛嬌があって愛想が良くとても印象に残った。

カリフラワーのムース。

当店のオリジナルメニューで決して奇をてらっていない素晴らしい逸品だった。

天然鯛のマリネ エイゴレット

お皿まわりのソースの引き方が丁寧で美しい。

自家製パン

小カブのポタージュ

瀬戸内の平目ソテー ブールノワセットのソース

仔牛のロース マデラのソース

デザート盛り合わせ

(くりのムース、ぶどうのゼリー、クリームブリュレ、すだちのシャーベット、ティラミス、チーズケーキ)

エスプレッソコーヒー

コーヒーカップがゴッホのひまわりの絵みたいで素敵。

この方がフランスで少々、大阪で料理を磨いたというシェフ。

この方も人柄が良いのがこの写真からも伝わってくる。

 


ここでカメラにちょっとしたアクシデントが起きた。

誤作動させた覚えがないが結果としてアートな写真が何枚か撮れてしまったのでアップしてみました。

 


瀬戸内の海にそっと寄り添って佇んでいた

スモールラグジュアリーホテル「オーベルジュ・ドゥ・オオイシ」。

108㎡テラス付き屋上デッキ4室と80㎡テラス付き1室の1日5組限定ホテルだ。

 

 


特別名勝 栗林公園

2023-04-21 06:15:21 | 旅 ~国内

国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で最大の広さ(総面積約75ha(約23万坪)平庭部約16ha)を持つ栗林公園は

緑深い紫雲山を背景に6つの池と13の築山を巧みに配し400年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園だ。

ゾーンは大きく2つに分かれ南庭回遊コース(所要時間約60分)と北庭回遊コース(所要時間40分)がある。

スミダマングループは時間の関係上南庭を回遊した。

東門(切手御門)から入園。

栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって西南地区に築庭されたことに始まるといわれ、

1625年頃に当時の讃岐国領主、生駒髙俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園され、現在の原型が形づくられた。

この門から北庭の回遊コースが始まる。

公園の沿革はその後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代高松藩士・松平頼重公(水戸光圀公の兄)に引き継がれ、

1745年5代頼恭公の時に園内60景命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の大屋敷として使用された。

明治8年に県立公園として一般に公開されるようになり、昭和28年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され今日に至っている。

110個の石を組合せ亀を表現し、その背中に鶴が舞っているような姿をした黒松を配している。

園内でも最も姿の美しい松の「鶴亀松」(別名百石松)。

この木は桜の標本木だそうだ。

明治32年に香川県博物館として建築され、本館西館東館北館とそれを結ぶ廊下により

回廊構造となっている「商工奨励館」

栗林公園の情報や伝統的工芸品の展示・実演などを行なっている。

夜はライトアップも行なっている様で、和のかがり火の様な洒落た和紙風のライトが昼間でも雰囲気を出している。

公園の名前は栗林(りつりん)だが、庭園は造られた当初から松で構成されている。

園内には約1400本の松があり、そのうち約1000木が職人が手を加えている手入れ松だ。

約300年に渡って手入れされてきた松はまるで盆栽のような見事な枝ぶりだ。

南庭では南湖に次ぐ大きさの「北湖」。

池には2つの島が浮かび、東側には富士山の形をした「芙蓉峰」が築かれている。

ぼたん石と見返り獅子。

まったくの自然石であり、奥の石はぼたんの花、右手前の石は獅子が振り返った姿に似ていることから、

このように名付けられた。

一種独特の枝振りの松並木が続き、まるで松の生垣のようであった。

明治初期に建てられた石州流の茶室。

中には茶室が5部屋あり、両側に露地(茶庭)が設けられている。

講武謝といってこのエリアでは流鏑馬が行なわれていたそうだ。

ここ掬月亭は四方正面の数寄屋造りで、庭園の中心的な建物だ。

唐詩の一句「水を掬すれば月手に在り」から命名された。

「掬月の間」から南湖を望む景観は見事で、歴代藩主が大茶屋と呼びこよなく愛した建物だ。

広さ約7900㎡の大きな池「南湖」。

池の周囲を歩きながら楽しむ回遊式庭園として造られた。

池には3つの島と「仙磯」と呼ばれる岩組、偃月橋があり、周囲を散策したり、

舟で回遊しながら、景色の変化を楽しむように造られている。

岡山後楽園でもそうであったがここ栗林公園でも

新婚さんカップルが数組挙式を挙げていた。

とても風景に自然に溶け込んで古き良い日本の原風景を見ているようで妙に感動してしまった。

広い庭園内を歩いてしみじみ感じるのは樹木が本当によく手入れされていること。

感心してしまいます。

そして池といえば錦鯉。

いましたいました沢山群がるように。

しかしのんびりした時の流れでしたね。

「世界が認めた庭園美」

栗林公園はミシュラングリーンガイドジャポンで

「わざわざ旅行するに価値がある」を意味する三つ星として紹介された。

また「栗林公園の松」と「掬月亭」は二つ星、「偃月橋」と「飛来峰」は一つ星で

全てあわせると栗林公園は九つ星だ。

藩政時代、歴代藩主が舟遊びをされたときの舟を保留していた場所で

東隈と呼ばれている。

この約100mの直線の園路は江戸時代には藩主の馬場として利用されていた。

馬場沿いの土塁(築山)上に桜並木があったことから桜の馬場と呼ばれている

因みに文化財保護法で現在、特別名勝の指定を受けている庭園は、大名庭園6、寺院庭園13、その他庭園5のあわせて24庭園ある。

 

 


史跡 高松城跡 玉藻公園

2023-04-20 06:03:35 | 旅 ~国内

ホテルの部屋から眼下に見えた史跡・高松城跡。

そして右手前に見えるのが通称「ことでん」の高松築港駅。

この電車に乗っていくと琴平さんまで行くのだ。

朝の散歩はここ1点で決まりだ。

高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麻呂が

讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで

このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるといわれている。

この城は天正15年(1587年)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が

天正16年から香東郡野原庄と呼ばれていた現在地を高松と改め築城に着手した平城(水城)です。

縄張り(設計)は当時築城の名手であった黒田孝高(如水)とも細川忠興ともいわれている。

瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は日本三大水城のひとつといわれている。

城には本丸を中心に時計廻りの方向に二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸が配され、

三重の堀とともに堅固な構えとなっていた。

園内の案内図はポイントポイントに説明書きが記され、この図をじっくり見るだけでお城の全容がつかめる。

今gooブログは皆さん、春の花爛漫。

全国の桜の絶景が次から次へとアップされていますが、スミダマンのブログは秋の代表的な花・菊が爛漫。

このギャップも決して悪くはないですよネ。(笑)

本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋の鞘橋(さやばし)。

当初は欄干橋でしたが、江戸時代中期末頃にはこのような屋根付の橋になっていたようだ。

この城は堀と海がつながっているので潮の干満による水位調節のため水門が設けられている。

堀にはタイやチヌなどの海の魚がいて、エサつり体験が楽しめる。

生駒氏時代の天守は絵図や古文書によると3重だったとされている。

松平氏時代の寛文10年(1670年)に改築された天守は3重5階(3重4階+地下1階)の

南蛮造りで四国最大の規模をほこっていたが明治17年(1884年)老朽化を理由に取り壊された。

平成17年から天守台改修工事が行われ、発堀調査の結果地下1階部分から58個の礎石が当時のまま現れた。

平成25年には修復工事も完了し、今後天守閣復元までに期待がかかっている。

現在堀と海は唯一城の北側を通る国道30号の下に所在するこの水路によってつながっている。

堀の水位は潮の干満によって変わっているが、水門によって水位調節することもできる。

海から稚魚が潮に乗って水門から堀に入り、成長した魚(クロダイ、スズキ等)が泳いでいる。

そのための鯛のエサが自販機で売っていたのには驚いた。

「鯛願城就」だって。

マイッタナー。

内濠遊覧の和船もある。

ハゼの紅葉が美しい。

もう春ですからこれ以上言えません。

蘇鉄も素晴らしい。

重要文化財の「披雲閣」。

松平藩時代に藩の政庁及び藩主の住居として使われていた。

その後大正6年に現在の披雲閣が再建された。

この中の波の間には昭和天皇・皇后両陛下が宿泊された。

現在高松市が管理して会議、茶会、華展などに利用されている。

故に水飲み場にも松平藩の三つ葉葵の紋が。

生駒氏の治世は4代54年間続いたが寛永17年(1640年)に

生駒騒動といわれる御家騒動により讃岐一国を召し上げられ、出羽国(秋田県)矢島1万石に移された。

このあと寛永19年(1642年)に当時常陸国(茨城県)下館藩主だった松平頼重が

東讃岐12万石の領主として入城した。

頼重は徳川家康の孫で徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたる。

頼重以降、松平氏の治世は11代228年間にわたり、高松は松平氏の城下町として栄えた。

 


JRホテルクレメント高松

2023-04-19 06:00:09 | ホテル・旅館

研修2日目はJR高松駅の近く、高松港そばのJRホテルクレメント高松にお世話になった。

https://www.jrclement.co.jp/takamatsu/

それにしても、桜の咲く季節にクリスマスツリーとは違和感がありますよネ。

勘弁してくださいネ!

この写真は早朝散歩ででかけたホテルの隣りにある史跡高松城跡玉藻公園から撮ったもの

2001年5月24日開業の海の見える4つ星のシティホテルだ。

客室数は300室を誇る超高層ホテルの姿は威風堂々としていた。

開放感溢れる空間のロビーとフロント。

やわらかく溶け込む光の粒子。

人生を深めていく出会いは鮮やかに、華やかに。

なかなか良い感じの空間が広がっていて第一印象はベリーグッド!

ラウンジの感じも光と影、素敵ですよネ。

瀬戸内海や高松市内を一望する美しいパノラマビューが迎えてくれた。

デラックスツインのシングルユースという贅沢。

なぜかこの部屋はとても心地のよいひとときを過ごすことができた。

全158席の大型ブッフェレストラン。

オープンキッチン型のライブ感溢れる料理コーナー。

旅の中でホテル、旅館の朝食は楽しみな時間のひとつ。

ここ高松ではどんな食事が用意されているか、期待してしまう。

サラダバーとちょっと変わっていたのが「お好きなパンと具材でつくるオープンサンド」コーナー。

フレンチトーストコーナーも数種類のものが用意されていた。

こちらは和食コーナー。

あんもち雑煮しょうゆ豆など香川県の郷土料理が用意されている。

そして最近気に成る朝カレーコーナー。

やはりここでもありました。

これは絶対にあるナーと思っていたのが讃岐うどん。

ご丁寧に讃岐うどん麺の作り方まで図解入りで表示されている。

毎度おなじみスミダマンのてんこ盛りの朝食。

カレーライスに讃岐うどんにライス。 

ちょっと取り過ぎたかな? KA   RO  RI--