スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

さいたま市立病院施設整備-Ⅲ

2019-06-29 06:04:17 | ご近所情報

先日、さいたま市立病院に行ったら、

新築現場の仮囲いシート、足場がすっかり取れて、

躯体の全容が現れていた。

今迄当病院に関するブログを2回アップしてきました

(2016-4-1付Ⅰ、2016-8-5付Ⅱ)が、

あくまで計画段階のもので、現実に建物をこの目で見たのは初めて。

かなりの迫力のある規模です。

現在使用している病棟から見た新病棟の工事現場。

レッカーが写っている写真は完成すると貴重な写真となる。

新病棟の外観デザインコンセプトは髙機能医療施設としての

先進性や地域完結医療の拠点としての格調を有するとともに、

緑豊かで閑静な周辺環境に調和する端正なデザインとし、

地域の中核病院として髙度急性期医療を担い

「安心して暮らせるさいたま市のシンボル」となる新病院を計画する。

新病院の施設整備スケジュールは

病院建設完成 2019年9月予定

新病院の開院 2020年1月予定

グランドオープン 2022年3月予定

(旧病院の解体、整備完了後)

尚、本工事の着工は2017年6月から行われている。

新病院の完成模型と工事施工全体写真。(2019年3月26日撮影)

これを見るとわかる様にA~D病棟の4つのコアを真ん中のコアでつないでいる設計。

最上階10階は機械室で、9階にはレストランがあり、屋上庭園が造られる。

そして新病院のインテリアデザインコンセプトは

心理的な不安感を持って来院する患者や家族の心情に配慮し

あたたかく迎え入れる包容力を持った空間デザイン、色彩計画とする。

又、ベースカラーとアクセントカラーのコントラストにより、

メリハリのある色彩計画とするとある。

いずれにしても一時も早いその開院が待たれる。


浦和エリア旨い店シリーズ ~その434~

2019-06-28 05:54:07 | 食~和食

和酒和膳 和つき

さいたま市浦和区岸町3-16-7 蓮見ビル1F

TEL 048-711-8116

定休日 月曜日(令和元年7月から)・金曜日ランチなし

https://watsuki2018.com

場所は旧中仙道、調コミュニティセンターの真向い、

以前ブログ紹介(2019-4-20付ブログ)した

蕎麦屋さん(満寿屋さん)の2~3軒隣にある。

半年前の2018年12月13日のご夫婦で開業した日本酒と和食のお店です。

木のぬくもりを感じる空間にカウンター6席と

テーブル、ソファー席に分かれ全部で20席の造りだ。

ご主人は料理一筋28年、銀座髙級老舗割烹店仕込、

又、大阪の超有名老舗割烹料亭でも料理人を務めた経験もあるそうだ。

そして居酒屋チェーン店のメニュー開発にも携わったとか。

まだ若々しい女将の奥さんは浦和出身ということでこの地にオープンしたのでは?

このケースは最近よく聞くことが多い。

ランチメニューの目玉「花龍膳」 1,300円(税込)

メインのおかずは、本日の焼物 鮭のハラス焼、金華鯖の開き、

又、本日の揚げ物 鶏の唐揚げ やみつきの醤油味、

チキン南蛮 タルタル添えの4種類から選べる。

それ以外に刺身、煮物、小鉢2品、それに香の物、味噌汁、デザートが付いている。

それが大きな籠の中に入っていて目にも美しく楽しい。

当店は美しさや色合いも大切と考えて盛りつけにも工夫をしているとか。

味の方も刺身はすごく新鮮だし材料にこだわりを感じ、

読者の方々におすすめできる。

デザートは杏仁豆腐。

奇をてらわず、王道レシピの素朴なデザートだが、味は奥深い。

又、器の方も女将の父の手による味のある陶芸作品を使っていて、

より料理を盛り立てている。

和つきさんのおしぼりは一般的なものとは全く違っていた。(下のグリーンのもの)

これを見て思わず聞いてしまった。

「これは使い捨てですか?」

もちろんそうだと。

かわいらしい柄が書かれたこのおしぼりは、

わざわざ京都から取り寄せているとか。

これらは夜のメニューか。

とりあえずから始まって、刺身、サラダ、焼物、煮物、揚物、

お食事、汁物、デザートと続く。

目に留まったメニューをあげると

①薫るポテトサラダととろり玉子のせ 550円

②梅水晶 450円

③総州古白鶏吟譲焼き 790円

④ふわふわ月見つくねの鉄板焼き 650円

⑤大将自慢の鶏の唐揚げ 650円

⑥ホタテのクリーム春巻き 650円

⑦和つきめし 690円 等々

美和食と同時に当店では全国各地より厳選した銘酒が堪能できるのも

日本酒党にとってはたまらない。


大宮ゴルフコース

2019-06-27 06:22:16 | ゴルフコース

都心からわずか40㎞先にある本格的林間コース。

大宮ゴルフコースは昭和34年開業、今年でちょうど創業60年を迎える老舗コースだ。

これは埼玉県では8番目に古いゴルフ場になる。

当コースの経営は㈱大宮ゴルフコースで、母体は横浜に本社がある甘糟産業汽船だ。

ここは系列コースは無いがセミパブリックコースなので

地元ゴルファーに人気があり稼働率が髙いという。

クラブハウスもそこそこ古い為か、

プロショップは通路スペースの一角にあり、あまり広くない。

パッティンググリーンもクラブハウスの目の前にあり、

最近できたコースに比べるとなんとなく

スペースに余裕が無い印象がある。

逆にスターティンホールの前には立派な建物の喫煙室がある。

昨今の喫煙禁止の時代の流れの前にこの建物はできたのかもしれない。

このコースは全体的に厳しいコース設計を強いられており、

交通量のある公道をあちこちで横断する。

この和風の門もクラブハウスからインコースに向かう途中に渡たるゲートだ。

そんなことで各ポイントポイントには安全確認する

オレンジ色のジャンパーを着た職員が立っていたのが印象深かった。

インコースNo10ホール。

当コースの設計は名匠浅見緑蔵氏。

氏はプロゴルフ界の草分けで、氏の名前が付いた浅見C・C、

よみうりG・C、那須国際C・Cなどを設計した。

当コースのティーマークはかわいらしいタツノオトシゴだ。

どうしてタツノオトシゴなのかキャディーさんに聞いた所、

オープン時のオーナーが辰年だったからとの返事。

成程、それは明快な答えだ。

当コースは大宮ゴルフコースといいながら上尾市の住宅街の中にある。

昭和34年開業だからその当時は多分周辺には住宅などなかったのだろうが、

現在はご覧の様に戸建ての住宅だけでなく、マンションも隣接して建っている。

故に人家がある所はずーっとOBラインに成っている。

ひょっとして当コースは市街化地域にあるとすれば

大変な含み資産のあるゴルフ場だ。

当コースは2グリーン制で18Hのコース。

巧みに配置された大木とクロスバンカー、ガードバンカーが歴史を感じさせる。

風光明媚なショートホール。

池には黄色いかきつばたがが咲き乱れていた。

そういえば皆さん「あやめ」と「かきつばた」と「菖蒲」の違いわかりますか?

1つの違いのポイントは咲く場所。

「あやめ」は畑のような乾燥地で栽培するのに適し、

「かきつばた」は水辺などの湿地帯に適し、

「菖蒲」はその中間で畑地でも湿地でも栽培できる

というのが簡単な違いです。

私の朝と昼の食事のお楽しみ場所は度々ブログでも書いて来たが、

旅館ホテルの朝食とゴルフ場の昼食。(余計な事はどうでもいいか!)

これがレストランと各メニュー。

週替わり、月替わりランチがある。

料理長のおすすめはステーキ御膳 税込1,836円。

とんかつ御膳 税込1,728円、オムハヤシライス 税込1,620円、

天ぷら蕎麦 税込1,404円、ビーフカレー 税込1,404円と

全体的にあまり価格差がない。

(ステーキとカレーの差額 432円)。

同伴競技者が注文した週替わりランチ「カツ煮御膳」

(玉ねぎ、三つ葉、大根おろし、冷奴、フルーツ付で)税込1,728円。

私が注文したのが「五目あんかけ焼きそば」

(飲茶シューマイ、ザーサイ、スープ、デザート付で)税込1,620円。

コースはフラットなフェアウェイと

赤松や杉の大木にセパレートされた本格派の林間コース、

ここはビジターだけでも気軽にプレーできる。

コース間にはレンガと藤柵で作られた立派な休憩コーナーがある。

ピンフラッグには「Since 1959、60th Aniversary」の表示が。

60年前といったら日本で第一期ゴルフブームが起こった頃。

昭和32年に霞ヶ関C・Cで行われたカナダカップで

中村寅吉・小野光一の日本チームが優勝した頃だ。

大宮ゴルフコースで一番驚いたのは黄色いTシャツに赤い帽子を被った

年配の男性が大勢働いていたことだ。

前述した道路横断のガードマン的な人から、大木に隠れボール探し、

確認をしてくれる人など。

高齢者雇用には大変貢献しているゴルフ場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その119-Ⅱ~

2019-06-26 05:50:47 | 食~ラーメン・中華

ぎょうざ・らーめん処 興兵衛

さいたま市南区南浦和3-46-11

TEL 048-887-2966

定休日 水曜日、第2第3火曜日(令和元年より)

(2013-11-28付ブログ参照)

興兵衛さんの麺メニューは、まかないラーメンなど

オリジナリティがあって、しかも旨い。

今回は敢えて麺メニューを捨てて、ごはん物の代表である

チャーハンがどんな味なのか知りたくて決め打ちで来てみた。

これが興兵衛のチャーハン。780円(税込)

ここのはあえてパラパラ感を避けたしっとりジューシー派のチャーハン。

炒める際に当店特製ちゃーしゅーから出る旨みをごはんに染みこませたもの。

仕事は丁寧で細かい。

具材のねぎ、人参、玉子が本当に細かい。

人参を使用しているのも珍しい。

チャーシューは大、小の2種類の大きさのものが入っていてこだわりを感じる。

そして、780円でボリュームが多い。

一生懸命こだわっているのが目を通じて伝わってくるが、

いまいち私の舌の味覚に訴えてこない。

確かに美味しいがそこで止まってしまっているようで残念だ。

スープは他と違って魚介系の味が新鮮でこれは旨かった。

これが当店のチャーハンメニュー。

ユニークなチャーハン、そして新メニューの雑穀米チャーハン税込890円。

おいしい健康シリーズその1で大好評だそうだ。

そして強烈なインパクトのチャーハンが

Ayers Rockちゃーしゅーチャーハン(エアーズロック風)税込1,750円だ。

オーストラリアのエアーズロックをイメージしたもので、

ちゃーしゅーの塊がチャーハンの上に立っている。

前回の店内写真とは逆に撮ったものと入口から厨房に向かって撮ったものだが、

相変わらず店の人の目を気にして1枚はボケてしまった。

料理人は近年、親父から息子さんに代わって

ますますチャレンジ姿勢が強くなってような気がする。

とても逞しく感じる次第です。

他に美人の看板娘(お嫁さんか?)と年配の女性(お母さんか?)の

4人で店を仕切っている。

興兵衛さんは飲食店の世代交代の壁を

見事に乗り切ったと勝手に判断している。

店内のメニューの一部には興兵衛の今昔と題して

昭和25年頃、昭和33年頃の南浦和近郊の写真、

そして昭和53年の開店した時の写真が入っており、

お店のこだわりを感じる。

個人的にはとても懐かしい写真だ。

そして昭和53年10月吉日の興兵衛オープン時の案内状も残されてあった。

勿論その当時は手書きで

「…落ち着いてお食事をして頂く為に、

配色は茶系統にしました。灯りも白色電球です。

特製の餃子鍋でお酒は辛口、ビールはキリン、ジュース類を置きました…」

時代の変化を感じますネー。

メニューの表表紙も素敵です。見て楽しくなります。

その手前に撮ってしまったメニューが冷やし中華1,560円、

興兵衛43年のロングセラーだそうです。

前回もアップしましたが、手書きの絵にコメントがついた元気シリーズのメニュー。

アナログ人間にはこうゆう絵はたまりません。

このメニューにも当店名物のちゃーしゅーの盛り合せ写真が。

そして随所にNEWが付いた新作がのっている。

これを見ると息子さんのヤル気が伝わってくる。

こちらは興兵衛らーめんの能書きが。

それによると厚生労働省が定める成人1人が1日に摂取するべき野菜は360g。

それに比べて興兵衛らーめんの野菜は450gを超えているそうだ。健康にも良いとゆうこと。

餃子メニューもいろいろ書いてあるが、何と言ってもお客の胃袋を考えたメニュー

「ちょこっと食べたい2個餃子 税込290円」は

顧客満足度を上げる発想で素晴らしい。

又、当店の好奇心を誘うメニューとして、

まかない食おまかせラーメン(裏メニュー初出し)1,080円も気に成る一品だ。

Whateverはスラングらしく色々の意味があるようだが

このケースは「いったい何」という意味だろう。

当店ではお土産も販売している。

ミニぎょうざ、冷凍チャーハン、冷凍焼きぎょうざ、冷凍もつ煮など。

どれも自信のある商品らしい。

いつか買って食してみたいと思っている。

店外に置いてあった玉ねぎの山。

よく見ると等級Lを使っている。

野菜の品質を見ても手を抜いていないのがわかった。

 


名古屋城本丸御殿 PARTⅡ

2019-06-24 06:14:18 | 旅 ~国内

名古屋城には4年半振りの訪問。

2015-1-6付ブログで主に本丸中心にアップした。

本丸御殿については2014年5月29日から公開されているが、

今回本丸御殿が完成し、

2018年6月8日から豪華絢爛の上洛殿も公開された。

これが名古屋城の全体地図。

名古屋城は徳川家康が天下普請によって慶弔14年(1609年)築城。

以降は徳川御三家の一つでもある

尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。

大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭は

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。

この名古屋城大小天守、御殿などは昭和20年の大空襲で焼失。

戦後昭和34年、SRC造で今日の天守閣に復元された。

そして現在この天守閣を本来の木造に建て直すことが決定し、

平成30年5月から入場が禁止されている。

因みに木造天守閣の復元竣工予定は令和4年12月の予定で、

工費は約500億ということだ。

名古屋城といったら金のしゃちほこ(金鯱)。

別名「金鯱城」といわれ名古屋の街の象徴になっている。

金板張りの木造鯱では、現在はここ名古屋城大天守へ

載せられていたものを復元したもののみとなっている。

城内では68回にもなるさつき大会が行われていた。

多くの展示されていた作品の中で目に留まったさつきをアップしてみました。

1つは銘花(大)の部、もう1つは女性の部の作品です。

名古屋城本丸御殿は尾張藩主の住居かつ藩の政庁として

慶長20年(1615年)徳川家康の命によって建てられた。

昭和5年には天守閣とともに城郭として初めて国宝に指定されたが

昭和20年の空襲により建物のすべてを焼失してしまった。

今度復元された本丸御殿は日本を代表する近世書院造の建物で

総面積3,100㎡、13棟の建物で構成されている。

尚、玄関、表書院は2015-1-6付ブログに

掲載してありますので割愛いたしました。

身内だけが立ち入れる、豪奢かつ私的な殿舎の「対面所」。

藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた建物。

上段之間(18畳)・次之間(18畳)・納戸一之間(24畳)・

納戸二之間(24畳)の四部屋からなり、

上段之間と次之間の障壁画は「風俗図」と呼ばれ、

京都や和歌山の四季の風物や名所がおだやかな筆致で描かれている。

対面所と上洛殿を結ぶ鷺之廊下の格天井。

天井の障壁画がまだ描かれていない。

逆に、まだ未完成な所がリアリティを感じる。

本丸御殿の建築様式である書院造では、部屋の格式や用途によって、

天井や欄間、飾金具などのつくりや意匠が大きく変化する。

江戸時代初期に完成したと言われている武家風書院造の様式美と

現代の職人による匠の技は見応えがあって大したものだ。

特にこの欄間の彫刻は目を見張るものがある。

金をベースに派手な鳥が彫られている。

一見すると金ピカで超派手な感じもするが、

決していやらしさは感じなかったのは自分だけだろうか。

それにしてもすごい技だ。

ここ上洛殿は、寛永11年(1634年)に三代将軍家光の

上洛にあわせて増築された御成御殿だ。

江戸時代は御書院、御白書院と呼ばれていた。

本丸御殿の中でも最も格式の髙い建物であり、天井には板絵、

部屋の境には極彩色の彫刻欄間がはめ込まれている。

又、襖絵には王の正しい行いを描いた障壁画

「帝鑑図」や「雪中梅竹鳥図」は当時33才の狩野探幽によるもの。

ここにも「この部屋の天井板絵(復元模写)は現在制作中です。」

との注意書きが。

なかなか文化財見学の中でこの様なものは見ることがないので、

かえって新鮮に感じた。

この日も多くの観光客が本丸御殿に来ていた。

この中には最近は慣れてきた中国系の団体客も居た。

梅の間は将軍をもてなす役割に任じられた

尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋だ。

上洛殿と共に寛永11年(1634年)に増築された。

上御膳所の中の御膳所。簡単に言うと台所だ。

西の丸の広場には何やら怪しい忍者たちがいた。

海外では忍者はポピュラーらしくアジア系外国人が一緒に記念写真を撮っていた。

又、何かの撮影の為か、前田家の武士に変していた人達もいた。

ここはこの様な人達がよく似合う。

昨年3月にオープンしたばかりのホットスポットが「金シャチ横丁」。

ここは名古屋城正門側エリアの伝統・正統の義直ゾーンと

名古屋城東門側エリアの新風・変化の宗春ゾーンの2つのエリアに分かれている。

尾張徳川藩主の名を冠したのがユニークだ。

ここ義直ゾーンは名古屋の歴史が醸す魅力に触れる

定番・老舗のなごやめしが10店舗も集結している。

「うまし尾張を馳走せん。名古屋の歴史と今に舌鼓」。

名古屋コーチン親子丼、手羽先唐揚げ専門の

「鳥開総本家」 052-218-2422

ひつまぶし、金シャチひつまぶし、鰻いなりの

「びんちょうひつまぶし」 052-223-5777

名古屋めしの名物みそかつの「矢場とん」 052-231-8810

以前、東京駅八重洲口でもブログで紹介した。

個人的には大好きな店で、この店も豚の商標マークが

これでもかとばかり、あちらこちらにデザインしてあった。

他にも煮込みうどん、きしめん、味噌田楽(八丁味噌)、

宗春ゾーンには、あんかけスパなど

名古屋めしの個性豊かな19店舗が出店している。 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編259~

2019-06-22 06:06:47 | 食~番外編(県外)

しら河別邸日本料理 大森

名古屋市中区三の丸1-1-1 名古屋能楽堂内

TEL 052-218-2220

年中無休 夜は予約のみ 9:00~21:00

名古屋正門前に平成9年3月に完成した名古屋能楽堂内の建物の中にある当館は

浄心本店をはじめ市内に5店舗を有し、

多彩な名古屋独自の味を堪能できる日本料理店だ。

入口の所にあった看板には「お昼しませんか、能楽堂で。」

当店とは旬を味わう、粋に味わう、名城の袂。

能楽の懐にこの店あり。

唯一無二の香り髙き日本文化の上質空間の中で尾張の名工が醸し出す

多彩な名古屋独自の味が堪能できる。

お昼のお食事メニューは7種、御膳メニューが並び、

一番安いので1,620円からだ。

重厚で洗練された中にもゆったりとくつろげる感じの店造りだ。

店内は意外に広く、テーブル席54席、

部屋テーブル個室11部屋、全140席もある。

しかも全館バリアフリー仕様になっているとか。

今回はグルメツアーということで、ひつまぶし御膳3,240円だ。

もちろん数ある名古屋めしの中でひつまぶしは代表的な料理だ。

しら河のこだわりは素材への目利き、割きの技術、焼きの勘、

そして味を守り作る情熱。

その職人気質が生み出す逸品ということで食するのがとても楽しみだ。

一度で三通りの食べ方が楽しめるのがひつまぶしの楽しさ。

一膳目はそのままで食べる。

二膳目はお好みの薬味(わさび・のり・山椒など)を添えて食べる。

三膳目はお好みの薬味を添え、温めたお出汁をかけ、お茶漬けで。

それに茶碗蒸しとデザート付。

ところで当店のおもしろい情報を聞いた。

毎年2月3日、年に一度女将が和の仮装で皆様をお迎えするお化けの日。

いったいどんなのか一度見てみたいものだ。

店内の奥のコーナーにひときわ目立った存在感のある屏風が飾られてあった。

これは式年遷宮記念神宮美術館特別展

光~歌会始御題によせて~の出品作品だ。

日本画とステンドグラスの融合した硝子アート。

作者は硝子アート作家、藤田光子の作品だ。

世界最大の名古屋能楽で幽玄の世界に触れる。

直線の屋根が美しい、日本建築様式の優美な外観。

総木曽檜造りの能舞台と日本最大級を誇る630席の観客席。

世界遺産の能・狂言をはじめ、国際会議や様々な催しにも利用されている。


おはらい町とおかげ横丁

2019-06-21 05:46:45 | 旅 ~国内

伊勢神宮内宮の参拝を終えて宇治橋を渡り右の方へ行くと

そこは江戸の街へタイムスリップしたようなおはらい町通り(旧参宮街道)へ。

ここは伝統的な建物、お料理、暮らしの道具と食べ物、

催し物で伊勢の風土と日本の文化を楽しむことができる。

おはらい町は伊勢神宮内宮の鳥居前町で伊勢参宮街道に沿って

約800Mの両側に広がっている。

その町の中央におかげ横丁がある。

沿道には伊勢うどんや手こね寿司などの郷土料理を提供する飲食店、

真珠や伊勢茶などを販売する土産物屋が軒を連ねている。

ほぼすべての建物が切妻、入母屋、妻入の木造建築で統一されている。

これらの建物の多くは1970年代以降に民間主導で進められたまちづくりの結果、

景観維持を目的に整備されたものである。

それではその中で目に止まったお店、建物を紹介しましょう。

いかがですか?雰囲気ありますよネ。

こんな建物、お店がずーっと続いています。

おはらい町は江戸時代には参拝客が年間200万人~400万人も押し寄せた

庶民の憧れの地であったそうだ。

当時日本全国から参宮客を集めた街師と呼ばれる人々がこの通りに館を連ね、

客人をお祓いや神楽でもてなしたことからいつしか

「おはらい町」と呼ばれるようになった。

髙度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半、観光客は参拝を終えると

おはらい町へ立ち寄らず次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く人が増加し、

伊勢神宮の参拝客が500万人であるのに対し、

おはらい町を訪れた観光客は20万人までに落ち込んでいた。

この状況を憂慮して立ち上がったのがこの地に本店を構える

老舗和菓子店の赤福であった。

赤福社長の濱田益嗣の「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ、

日本的なこころのふるさとが求められている」という考えに基づいて

伊勢の伝統的町並みの再生が始まったのがこの「おかげ横丁」だ。

1993年(平成5年)の式年遷宮に合わせておかげ横丁がオープンした。

おはらい町通り、新橋のたもと、おかげ横丁の正面入り口の前にあるのが

伊勢名物「赤福餅」で有名な赤福の本店がある。

https://www.akafuku.co.jp/

赤福の正確な創業年は不明だが、江戸時代初期には皇大神宮前、

五十鈴川のほとりで既に「赤福」の屋号を持つ餅屋を営んでいたといわれる。

現在は1707年(宝永4年)を創業としている。

実に310余年の歴史を有する老舗和菓子店だ。

赤福の名は明治28年、餡を入れた餅を大福と呼ぶ対比として、

赤い餡をつけた餅であるから赤福と称したと推察している。

しかし赤福のホームページでは、まごころ(赤心)を尽くすことで

素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の

「赤心慶福」に由来するとしている。

本店での店頭では、この部屋で手作りの実演販売がされているが、

現在は手作りなのはその場で食べる分など一部に限られている。

赤福はあんころ餅の一種で餅を漉し餡でくるんだもので、

漉し餡には2本指で三つの筋を付け、

五十鈴川の流れを表しているとされる。

おかげ横丁には20店の料理店、茶店、15店の名産品・お土産店(食べ物関係)、

15店の名産品・お土産店(工芸物)、そして10店の見て体験できる店がある。

正に江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の様子を再現した町だ。

その内の一つ、伊勢の老舗牛肉屋「豚捨」で

昔懐かしいコロッケをつまみ食いした。

このつまみ食いというのがなぜかすごく旨いんだナー。

この豚捨さんは創業明治42年で、ユニークな屋号は牛肉にこだわって

豚を捨てたことから名づけられたと言われている。

伊勢地方ではこの様なしめ縄を飾ってある。

門符に書かれた「蘇民将来子孫家之門」とは何?

その由来は須佐之男命がこの地を通った時、暴風雨に遭って、

蘇民将来という人の家で暖かく迎えられた。

命が立ち去る時、「悪疫が流行したら蘇民将来子孫家門と書いて

門口にはるとよい」と言い残した。

以後この地方ではこの木札を注連縄で飾り、

厄除けするようになったという。

 

 

 

 

 

 

 


伊勢神宮 内宮

2019-06-20 06:54:58 | 旅 ~国内

伊勢神宮内宮は太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を主祭神としている。

我々国民からは総氏神のように崇められている神様だ。

又、伊勢神宮は正式には単に神宮と称し、神社本庁の本宗でもある。

しかし他の神宮と区別する為に伊勢神宮と通称している。

そして親しみを込めてお伊勢さん、大神宮さんとも呼ばれている。

一級河川である五十鈴川は伊勢南部に発した北流。

伊勢市街を流れ、伊勢湾に注ぐ。

倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、

御裳濯川の異名を持つ。

古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。

因みに、いすゞ自動車の社名の由来にもなっているとか。

五十鈴川に架かる宇治橋は神聖な世界への架け橋。

聖俗界を分ける境界だ。

この擬宝珠に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると言われている。

玉砂利を敷き詰めた長い参道。

ここには心のふるさとと称される日本の原風景が広がっている。

これが皇大神宮(内宮)の宮域図。

伊勢神宮は二十二社(上七社)の一社。

他に石清水八幡宮、上賀茂神社、下鴨神社、伏見稲荷大社、

春日大社、松屋大社、平野神社などがある。

観光案内人のお伊勢さん。

この人達は検定「お伊勢さん」上級編に合格した後、研修を経て認定される。

観光案内人になると世界とは違う日本人の素晴らしさはどこからくるか?

伊勢の地にある天照大御神様とは?

神様の世界に隠された日本人の魅力、文化や歴史を伝えるなど

日本人の原点を伝えることを旨としている。

伊勢神宮の御手洗場は神聖な川、五十鈴川だ。

清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮する。

この川には数段の広々した石段を下る。

ここの雰囲気はやはり他の神社とは違いとても清々しい気持ちになる。

内宮は外宮と違って右側通行。

他にも違いがあるが先日の外宮のブログに記述したので参照して下さい。

ご祈祷の奉仕とお守りなどを授与する内宮神楽殿。

天照皇大神宮の御神札は剣祓(500円)、角祓(1,500円)、

大角祓(2,500円)の3種類がある。

他に各種の御守を売っていた。

神聖なる伊勢神宮の大木にはご神木としての気を皆感じるらしい。

多くの人が大木に寄り添ってじっと瞑想する姿を多く見た。

こちらは別宮、風日祈宮、祭神は外宮別宮の風宮と同じ

級長津彦命・級長戸辺命。

別宮とは「わけみや」の意味で正宮に次ぎ尊いとされる。

内宮の別宮は他に4宮ある。

ここは正宮の裏手に当たる所。

ここも静寂な空気が流れていて裏手からも何かを感じる。

正宮に近づくと参道の中にある杉の大木には竹が編まれた幹が何本もあった。

これも何か意味があるにちがいない。

正宮の鳥居の前には外宮にもあったが木の小さな壁が立っている。

ガイドさんにこれは何かと聞いたら魔除けだという。

いよいよ正宮へ参拝。

しかしここからは撮影禁止との事。

外宮では多少ルールを破って撮ってしまったが、

よく考えると神様にたてつくこととなり、

仕事に悪影響を及ぼしてはいけないと思い、

一切写真を撮ることをやめた。

これが正宮。

伊勢神宮内宮の創建は垂仁天皇26年(日本書紀)、

崇神天皇と垂仁天皇記の分注(古事記)に

「倭姫命、菟田の篠幡に祀り、更に還りて近江国に入りて、

東の美濃を廻りて伊勢国に至る」とある。

又、伊勢神宮は歴史的に皇族、朝廷との結びつきが強く、

現代でも内閣総理大臣や農林水産大臣が

年始に参拝することが慣例となっている。

尚、20年に1度の式年遷宮はおよそ2,000年前から続き、

平成25年10月に62回目の遷宮を終えた。

 


しんわ千季 戸田家

2019-06-19 06:06:52 | ホテル・旅館

伊勢志摩国立公園の中にある鳥羽温泉郷、戸田家さんは

JR、近鉄鳥羽駅から徒歩3分、ほぼ駅前にある。

南館が115室、収容人員635名、嬉春亭が54室、収容人員390名。

そして南館の魚魚夢(ととむ)がリニューアルオープンしたばかりだ。

当館の歴史は古く、天保元年(1830年)に開業して、

おもてなし一筋約190年の歴史を有し、年間20万人の来客者に

「喜ばれる楽しい旅のお手伝い」をしている。

又、当館は天皇家御用達の宿でもあるらしい。

フロントロビーの所では戸田家のフロント研修生

「ぺっぱー」が当館のあらゆるガイドをしてくれる。

その内容は「東風と海」「ドクターフィッシュ」

「トリックアート錯覚体験」「七福神ラリープレゼント」

「お風呂へのごあんない」「遊ぶ」だ。

チェックアウト時に時間があったのでこれをチェックしてみたが思わず失敗したと思った。

これはチェックイン時に見れば良かったと反省。

広い広いおみやげコーナー。

当館の一番人気は戸田家オリジナル銘菓

「とだやのおかみはん」だそうだ。

当館のもう一つの売り、奇跡の魚「ドクターフィッシュ」。

15分1,000円で究極のエステ

手足の角質を食べてくれる体験ができる。

当館では女性客にデザイナーズおしゃれユカタを

1,000円で貸し出すサービスも行っている。

今の若い女性にはウケるかも。

天皇家御用達旅館としての写真も展示してある。

そして平成から令和へと、今年は全国で

この様な表現を見かけることでしょう。

これも1つのおもてなし。

ゴミの分別箱にも木のデザインで優しさを表している。

こんな表現が令和時代では拡がるのでは。

部屋からは伊勢港佐田浜の港の絶景が一望できた。

目の前の観光船のり場、マリンターミナルからは

渥美半島・伊良湖へ行く伊勢湾フェリー(約55分)も出ている。

これが本日の団体宴会料理。

今回はグルメツアーということで当地の新鮮な魚、

特に伊勢エビが食べられるとのことで楽しみにしていたが、

この大きな舟盛3台を団体で分けると伊勢エビは1人3切ぐらい。

「伊勢エビなんてあった?」

「伊勢エビが甘海老より小さかった」など

期待外れの声があちこちで!

こちらがメガネが似合う美人女将。

180年の歴史を肩に背負って毎日奮闘しているのでしょうネ。

頑張って下さい。

長い年月を重ね、広い当館には、

様々な伝統工芸品をはじめ調度品を館内に展示してある。

読書コーナーをはじめ館内ギャラリーをのぞいてみた。

早朝風呂を入りに戸田家温泉村へ行く途中に

嬉春亭のフロアーにある、イベント広場「四季の広場」を通った。

今回こちらとは縁が無く、こんな空間があるとはわからなかった。

夜はこちらで何かのイベントでもあるのだろう。

戸田家館内には和紙を巧みに折りあげ、

「式年遷宮」「おかげ参り」「斎王群行和紙人形」を

再現した人形絵巻を展示している。

この和紙人形は「斎王群行」。

天皇が即位するごとに天照大神の御杖代として

伊勢に派遣された未婚の皇女「斎王」。

飛鳥時代、天武天皇の御代に始まるこの斎王制度は、

南北朝時代に終えるまでおよそ660年の長きにわたり続いた。

そしてその間には64名もの斎王がその任についたという。

戸田家の湯めぐりは男女あわせて13湯+足湯2湯+岩盤浴18床。

特に戸田家温泉村には朝日そして夕日に染まる

茜色の空と伊勢湾が望める風流野天風呂棟、

風見貝殻風呂など多彩なお風呂が楽しめる。

いよいよお楽しみの朝食タイム。

会場は回転展望レストラン「東風と海(こちとうみ)」

入口の所にはイラストでわかりやすく案内絵があった。

ここにもタイ風朝カレーがあった。

案内によると朝のカレーは脳を活性化させるらしい。本当?

ご当地らしい、イカエビスープ。

これはイケた。

奥に行くとシェフ・料理長による焼きたて料理が味わえる。

出し巻きたまご、温野菜、焼魚、オムレツ等々。

特に焼きたてのフレンチトーストを久し振りに食べて旨かったナー。

今回一番新鮮に感じ、インパクトがあったのがこの「おにぎりコーナー」。

手先の器用な女性がその場で2口で終わるような

小さなおにぎり6種を握ってくれる。

これができたてでとても美味しい。

これが毎度温泉旅館に来てアップするプレートにとった朝食。

やはりこのプレートは給食の器ぽくって好きになれないな。

そして朝食会場「東風と海」のバイキング料理が並ぶ全体光景。

 


二見興玉神社

2019-06-18 05:38:19 | 旅 ~国内

バスの駐車場の関係で二見興玉神社にはおみやげもの屋、

飲食店が入居しているビル(伊勢夫婦めおと横丁)の中を抜けていく。

この商店街の通りは「めおとちょうちん参道」といい

天井にちょうちんがずーっと下がっていて雰囲気を作っている。

ここを過ぎると海と海水浴場になりそうな海岸に出る。

とても景色の良い風景が続く。

この海岸線を歩いていくとそこが目的地だ。

初めに出て来たのが二見興玉神社境内社の龍宮社の赤い鳥居だ。

当然、形は伊勢鳥居型だ。

海の守り神・綿津見大神を御祭神とする神社「龍宮社」と

夫婦岩が描かれた絵馬。

どうしても前を通って行く為、通り過ぎることもできず、

お参りに寄って行く。

これが遠くから見た伊勢夫婦めおと横丁の建物。

これを見ると随分長い建物で、これで多くのお店が

入っているのがわかると思います。

海の上に架けられた禊橋。

意外にも三重県では2番目に参拝者の多い所で、

2013年には約260万人の方が参拝に来たとか。

この神社は境内の幾合にある夫婦岩で知られている。

夫婦岩は日の下神(天照大神)と興玉神石を

拝むための鳥居の役割を果たしている。

又、年2回夫婦岩を結ぶ注連縄の張り替え神事が行われる。

ここの神社の神使は蛙で境内には無数の蛙像が並んでいる。

カエルとは無事に帰る。貸した物が還る。

お金が返るのカエルを掛けた験担ぎから生まれた。

これを聞くといつも思うことがある。

日本の文化は庶民的、ある意味レベルが低く

ダジャレ文化に負うところが多い。

最後になってしまったが、これが二見興玉神社だ。

猿田彦大神、宇迦御魂大神を主祭神としている。

猿田彦大神は天孫降臨の際に髙天原と豊葦原中津国の間の

道案内を務めたことから「道開きの神」といわれている。

夫婦円満、縁結び、交通安全などのご利益があるという。

実は大分以前、修学院離宮で買ったお気に入りの

携帯ストラップがほどんど同時に2本切れてしまった為、

この神社でボケ防止になるという、

ボケナスのナスが付いたストラップを新調した。

これからのテーマはボケをいかに防止するかが

大事なテーマに成って来たからだ。