スミダマンのほのぼの奮戦記

~仕事・家族・自然・経済・趣味~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~その330~

2017-06-26 03:41:57 | 食~和食

日本料理 よしみつ

浦和区仲町3-2-16 2F

TEL 048-711-8263

定休日 月曜日、第3火曜日

平日 ランチ11:00~15:00 ディナー17:00~22:00

日曜 ランチ11:00~15:00 (夜は予約のみ)

浦和に又、新しいスタイルの日本食のお店が5月15日にオープンした。

店は大将の苗字から。真新しい暖簾をくぐって2階へ。こちらは日本の旬と

料理人の技と心を、たとえ一時でも日常の疲れやストレスから開放できるような

「店」「料理」「人」「空間」をつくり提供したいというのがコンセプトだそうだ。

白木の広いカウンター席が10席、奥には窓から風になびく竹が

季節感を感じさせてくれる。こんな店舗設計は好きだなー。

カンターの向こうでまだ若い大将が愛想良く名刺を差し出してくれた。

ここまでの第一印象はとても良く、思わず期待をしてしまう。

通路をへだてて掘り炬燵式の4人用テーブルが5席。

想像していたより広いお店だ。さらに別に最大10名収容の個室もあるとか。

BGMはモールアルトが流れていた。ここでも拘りを感じる。

店内にあった開店祝の蘭の花の中に二人の知人の名を見つけ

より身近に感じて来た。

お昼のお献立は4種類。大将曰く「子供の頃から手巻寿司が好きだったので

メニュー化したとの話を聞き、「山海の恵 手織寿司」1200円(税別)を注文。

ランチメニューとして非常にユニークなレシピだ。ご覧の様に旬の食材が

色とりどり、見ているだけでも楽しくなる。気に成ったのが大根のウサギちゃん。

ピンクの目まで入っていて手が込んでいる。まるで盆栽、箱庭のようだ。

酢飯でお好の手巻を巻く。これは行ける。旨い。黙々と自分の世界に入って

よしみつワールドに浸ってしまった。この料理はすごくおもしろい。

他にお昼のお献立として山海の恵 美彩御膳1800円(税別)、穴子おこげめし御膳1500円(税別)

山形牛ステーキ御膳4000円(税別)がある。CPは結構高いが

それ以上の幸せ感が味わえそうだ。

大将に聞いてみると、一番の売りは穴子料理と山形牛だとか。

大将は東京のホテル、料亭、京都の懐石料理店、そして最後に彩懐石

浦和高砂に居て、今回独立したとか。たまたま、売りの穴子の捌きを見せてもらったが

大将の名刺には山形調理師清和會理事と書いてある。

それは兄が山形の天童ホテルの料理長をしている関係からとか。

又々浦和に良い店が出現とうれしくなった。

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江戸東京博物館 PARTⅡ

2017-06-24 05:19:54 | 建物

昨年のレオナル・ド・ダビンチ展(2016-1-29ブログ)に

続いて、今回は常設展示室に行って来た。こちらは

写真撮影OK、場所によってはフラッシュ撮影もできるので

ついついアップ枚数も増えてしまったので悪しからず。

常設展示室は6階のこの日本橋を渡って入っていく。

日本橋がはじめて架けられたのは、1603年(慶長8年)と言われ

諸街道の起点と定められた。この日本橋の復元年代は

19世紀前半、北側半分の14間を復元した。当博物館は

平成5年3月28日に開館、6階全部と5階の約半分が江戸ゾーン。

5階の残り約半分東京ゾーンになっている。

ちょっと分かりずらいが、これが5階6階の案内図。

6階は江戸城と町割り、5階の江戸ゾーンは町の暮らし、

出版と情報、江戸の商業、江戸と結ぶ村と島、江戸の四季と盛り場

文化都市江戸、江戸の美、芝居と遊里、又東京ゾーンは

文明開化東京、開化の背景、産業革命と東京、市民文化と娯楽、

関東大震災、モダン東京、空襲と都民、よみがえる東京

高度経済成長長期の東京に各コーナーが分かれている。

江戸時代の芝居小屋「中村座」の正面部分を復元した模型(縮尺1/1)

ここでは、庶民も大名も、日常を忘れて歌舞伎の世界に

心を遊ばせた。公許のしるしである櫓の下に、絵看板や

文字看板、提灯などを飾りたて、往来をにぎわせた。

江戸城本丸大手門の前に建てられた越前福井藩主

松平伊予守忠昌(1597~1645)の上屋敷。

広大な敷地に桃山風の豪壮な建物が建っていたが、

明暦の大火により焼失し、以後このような華麗な大名屋敷は姿を消した。

寛永の町人地。江戸初期、日本橋北詰付近の町人地だ。

松平忠昌の上屋敷とほぼ同じ面積を復元。敷地が広く

多くの建物が建っていた大名屋敷にくらべ、町人の家は

一戸一戸がきわめて狭かったことが理解できる。

今回のブログはこの小さいが精巧な人形を多く撮ってみた、

かなりのものがぼやけてしまったが、比較的写りの良いものを

アップしてみた。それにしてもこの人形は本当によく出来ている。

江戸城本丸、諸大名が将軍に拝謁する大広間、それに続く

松の廊下、勅使との対面などに用いられた白書院、

大広間に付随する能舞台を復元。松の廊下は大広間と白書院を結ぶ

L字型の廊下で南北33m、東西約21mと推定されている。

幕末の江戸城一本丸・二丸御殿。江戸城の中心部である内堀に

囲まれた内部は本丸・二丸・西丸・吹上御庭などから構成され

本丸・二丸・西丸にそれぞれ御殿があった。

本模型は1/200で復元したもの。本丸御殿の建坪は約1万1373坪で

江戸時代における最も規模の大きい木造建築群の1つである。

この日は社会科見学なのか高校生など学生でいっぱいだ。

日本橋を渡って江戸城と町割りのエリアはご覧の様にJKで占拠されていた。

金を多量に使った装飾豊かな女乗物。13代将軍家定

(大河ドラマ篤姫で堺雅人が演じた)の生母本寿院の所用と考えられる。

外国人が物珍しそうに記念写真を撮っていた駕籠。

エスカレーターを下りるとそこは町の暮らしのエリア。町の仕組み

暮らしのさまざまなど江戸の町の生活風景が再現されている。

JKが桶の天秤棒を担いではキャーキャーしていた。

何をやっても笑ってしまう年代が懐かしい。

纏を振り回していた男子高生。垂れた帯がいかにも躍動していておもしろい写真だと思う。

浮世絵の工程と版木、道具が展示してあるコーナー。名所江戸百景

亀戸梅屋舗(1857年-安政4年)の複製。

錦絵 さしう問屋(?)泉屋市兵衛の店

江戸時代はこんな店構えで商売をしていたのか。

江戸時代のファーストフード寿司屋の屋台。現在の寿司と比べると

1貫が大きく、赤酢を使用しているのでお米が赤っぽくなっている。

ネタは江戸前の魚が多く、酢で〆たものを主に使用した。

江戸の町では店を構えず、町中での屋台で営業する商人も

多く見られた。扱う商品も食べ物、飲み物、日用品、嗜好品など

多種多様だった。これは二八の蕎麦屋さんの屋台。

 

19世紀初期の三井越後屋江戸本店の東見世部分。越後屋は江戸時代の

代表的な呉服店で、今の三越の前身。創始者三井高利は伊勢松坂の出身で

1673年(延宝元年)京都に呉服の仕入れ店を設け、江戸に販売店を開いた。

越後屋の販売方法は「店前売」といって、客は多くの反物を手に取ってみることが出来た。

それまでの商法では、商人が得意先に行って商品を渡し、後で利息を付けた対価を

受け取る後払いであったが、新商法は、店頭で現金販売とする代わりに

利息をかけない「現金、懸値無し」というものであった。

それにしてもこんなにアップにしても耐えられる人形は本当に手が込んでいてすごい。

神田祭りの山車「神田明神山車」江戸時代9月15日の神田明神の

祭礼の日には、神輿の前後に30数台の山車とさまざまな練物が従い、

江戸町人の盛んな意気を示し、隔年に江戸城にくりこんで、将軍の上覧に供した。

両国橋の西詰の広小路には、軽業や歌舞伎芝居を見せる見世物小屋、

髪結床、水茶屋などいくつも立ち並び、寿司、てんぷら、うなぎなどの屋台

すいか売り、朝顔売りなどの物売りや大道芸人も多く集まった。

夏の間は花火見物に興じる屋形船、屋根船、猪牙船が浮かび、

その間を物売りやウロ船や花火船が行き交った。この模型は

天保の改革の取り締まり記録をもとにして、改革前の

盛り場の姿を1500体の人形を配置して再現したもの。

江戸歌舞伎の代表的な演目、「助六」は1713年

(正徳3年)に2代目市川団十郎が初演した。

 

遊郭吉原の1日は、昼見世、夜見世と一日に2回の営業があった。

睡眠や食事時間がほとんど取れない過酷な労働環境だった。

そして江戸期の吉原遊女の人口推移。一番多い弘化の頃は下層遊女を

含めると7144人に及ぶ。吉原遊郭は1617年(元和3)、

惣名主の庄司甚右衛門が現在の中央区日本橋人形町二、三丁目

辺りに集め、公許を願い出たのが始まり。明暦の大火で全焼したのち

浅草寺裏手の日本堤近くに新吉原が開設された。

ここからが東京ゾーン。文明開化東京での朝野新聞社。

そして自動電話と称した電話Box。ここでもJKがダルマ自転車に乗って

ワァーワァー言いながら盛り上がっていた。尚東京ゾーンは

文明開化東京から始まって開化の背景、産業革命と東京、

市民文化と娯楽、関東大震災、モダン東京、空襲と都民、

よみがえる東京、高度経済成長期の東京

そして現代の東京のエリアに分かれている。

昭和6年製の円タクで使用されたフォードA型4ドアセダン。東京のタクシーは

大正元年に営業を始めた。昭和初期には市内を均一1円の料金で走る"円タク"が

登場し、庶民も利用するようになった。昭和10年の統計ではタクシーの車種の

約44%はフォード、約27%はシボレーであった。

高度経済成長期まで、多くの人は木造住宅に住み、家族団らんの場があり、

そこが日常生活の中心でした。この体験住宅では実際に靴を脱いであがり

昭和29年頃の暮らしぶりを体験できる。まだ家庭電化製品が普及していない時代で

ほうきや氷式冷蔵庫などを使っていた。

昭和34年から入居が始まった、住宅公団(その当時)の

ひばりが丘団地。間取りは1DKから4Kまで様々なタイプがあったが

最も多かったのが2DK。室内には浴室が設けられ、文化住宅と

いって先端を行っていた住宅だった。もちろん分譲マンションなどは無かった。

1960年代から10年刻みで2000年代まで変化を

続ける東京。一つ一つの物を見ていくと自分の人生と

タブッて生々しいタイムカプセルに乗った様な気分になった。

物質的にはまだまだ貧しかったが心の中はどんどん

膨らんでいった時代で日本の黄金期の時代に位置付けられるかもしれない。

この常設展示室は2年前の3月28日(土)にリニューアルオープンしたそうだ。

1960年以降の東京はその時代から展示された様なニュースを見た記憶がある。

トンネル状の長いエスカレーターを登って館内に入る。まるでタイムトンネルみたいだ。

途中の壁にはその時代その時代の人物が描かれていて、

過去の東京江戸へ誘ってくれる。

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浦和エリア旨い店シリーズ~その329~

2017-06-23 06:26:01 | 食~ラーメン・中華

平和軒

場所:さいたま市浦和区東高砂町17-1

TEL:048-886-6878

定休日:火曜日

前地通りの目立たない、通り過ぎてしまいそうな街のラーメン屋さん。

一言で言えば昭和の匂いが漂うお店だ。

室内は狭い。

リニューアルしたようできれいだ。

カウンター席の2人用テーブルの1席、先客は作業員の方、年配の近所の方。

 

老夫婦と息子の3人家族で商売?

昭和50年に大井町の平和軒からのれん分けし、以来42年間前地通りで

営業をしている模様。

産業道路までは出前にも対応するようだ。

メニューは中華物の他に丼物もある。

中華丼648円、カレーライス594円とこういうお店には珍しく端数が出る税込表記。

初めての店なので無難にラーメン486円を注文。

連れはラーメン+半チャーハン定食702円。

味は・・・昔ながらのラーメンといった感じで懐かしさ満点。

ノスタルジックな気分に浸りつつ完食。

こういう所の味は、まぁ間違いないね。美味しくいただきました。

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毛 丹青作家・神戸国際大学教授

2017-06-21 07:06:01 | レポ

中国はニッポンをどう見ているのか「中国若者の日本人観にみる

知の拡散」というテーマで、毛丹青作家・神戸国際大学教授の

話を聞いてきた。氏は、1962生まれ。北京大学東方言語文学科卒業後、

中国社会科学院哲学研究所助手を経て、1987年三重大学に留学。

商社勤務などを経て、日中バイリンガルによる執筆活動を開始。

日本語著作「にっぽん虫の目紀行」「歎異抄」の中国語訳など。

2011年の「知日」創刊から主筆を務める。

氏は日本に来て30年。全くちがう発想で真正面から

日本というコンテンツを見て来た。氏の論理は右脳的で哲学的。

論理を追っていくと分かりにくい。感性で聞くと本質に迫ってくる。

配られた資料を見ると、一見自己陶酔的、自己納得的で

1回や2回聞いても分かりにく。文化には表層として観光現象などを

通じて文化創知をする見える文化と、深層としての理念道理規範

宗教(人間の思い)など知への欲望の見えない文化がある。

そして情報伝達方法として政治主導のマスメディアと

情報が拡散するソーシャルメディアがあり、このビジョン型が

中国では最近急に広がっている。中国には日本へのあこがれがあり、

海底の世界は政治に影響は受けない。身近な生活のライフスタイルには強い力がある。

この写真だけを見ると何を伝えたいのか分からない。

中国人が多く来日しているのが日本に静かな心の拠り所が

沢山残されている。昔の美しい中国の懐かしさが日本に来て思い出す。

そして帰って口コミで広がっている。日本を知ることは中国自分自身の為だ。

西の文化が接近し溶け込んでいるがこれからが正念場だ。

失われた日本と言われているが、恵まれた日本だ。

あのスティブ、ジョブスは日本文化に憧れていた位だ。

日本文化の力は相手に教える力がある。

その具体例を芥川作家の又吉直樹(お笑いピース)コピーライター

(氏は言葉の匠と言っていた)糸井重里、氏が翻訳に携わっている作家

村井春樹。そして三浦友和、山口百恵のコマーシャル

「夕日を眺めながら赤ワイン半分が残っている、二人に会話もない」

この時間の美しさ。この非イディオロギー性は日本に住んでみてわかる。

2008年のリーマンショックを節目に日本人は拡大から

深化に変わった。日本は世界のモデルとして振れつつあるかもしれない。

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浦和エリア旨い店シリーズ ~その328~

2017-06-20 06:16:55 | 食~ラーメン・中華

らぁめん ふうび

浦和区元町2-2-12 松本BLD1F

TEL 048-871-0420

当店の前は「基玄」というラーメン屋さんだった所に

(2014-1-10付ブログ掲載)、昨年10月9日にオープンした

味噌ラーメンが売りのラーメン専門店。その前も確か

「三匹のこぶた」というラーメンチェーン店だったと思う。

こういう流れのお店は何軒かあるが、居抜きベースで設備投資は

少なくて済むが、大方失敗して閉店するだけに、出店判断は

難しいと思う。特にここは前店の味が旨かっただけに余計そう思う。

こちらもラーメン専門店定番の自販機での事前オーダーシステム。

ひょっとして前テナント基玄の自販機を使用しているのでは?

基玄のブログ写真をみると位置も同じだし、似ている。

メニューは味噌系を中心に醤油系、塩系そしてつけ麺と

一通りあるが、種類は少ない。期間限定で夏季メニューの

あげ茄子と豚バラ肉の冷し中華780円は当店の頑張りの

メニューだろう。トッピングとして生姜、にんにくが無料は良い。

店内はカウンター席のみで11席。これも前店と全く同じだ。

杉板を使った内装は人の温もりを感じていい雰囲気だ。

働いているのは厨房内の大将一人。目の前にビニール袋に

入った黄色目の麺がやけに目立った。片隅に製麺所の箱が

山積みに置いてあったが、電話番号のみが書いてあるだけで

どこのメーカーかは分からなかった。

これが当店オススメの野菜味噌そば880円。チャーシューの

こま切れにキャベツ、長ねぎ、ニラ、もやし、人参、三ツ葉と

一日分のたっぷり野菜380gが乗っている。

そこに金山寺味噌風がトッピングされているのが他店と違う

オリジナリティだ。お客がそう多くないのにキャベツが充分炒めきれて

いなかったのが、残念だったが、総じて70~80点の旨さか。

当店で一番感心したのが、この扇子だ。冬は味噌ラーメンの

季節だが、それ以外はちょっと汗をかく為、注文しずらいだけに

この心遣いにはおもてなしの心を感じる。

しかも、うちわではなく扇子というのが気に入った。

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ドローンとは

2017-06-19 09:12:36 | コラム

これが最近話題になっているドローン。通称ドローンは

一般的にUAV(Unmanned Aerial Vehicle)と呼び

英語の頭文字からきている。簡単に説明すると

「遠隔操作可能な、比較的小型の無人飛行機」 元々は軍事用であり

本格的な研究は第二次世界大戦時から。従来のラジコンとの

違いとしては、自動飛行が可能な事や、ただ飛ばすだけでなく

何らかの役割を果たす目的を持って飛行させること。

ドローンの価格は、ホビー(玩具)用として数万円から

産業用としては1000万円以上のものまで、その幅は大きい。

日本国内で最も多く使用されているのがDJI社製のFantomという

機種で20万円程度のもの。インターネットで簡単に購入出来る。

テレビ番組での空撮や災害調査や農薬散布等で今使用されることが多い。

2000年代に入り海外から輸入されたドローンは

主にホビー用として親しまれた。今や高価なヘリコプターや

高所作業者を使った写真撮影もドローンを使えば

比較的安く行える事から、広い範囲で使われている。

2016年4月からは、土木工事でi-Constructionを開始し

計測業務でもドローンの活用を始めた。

これはドローンノコントローラー(操縦器)。

ところが2015年様々な事故が起き始めた。

・首相官邸屋上に意図的にドローンを墜落させる事件発生。

・長野善光寺の大祭で墜落事故(10代少年)

・神奈川県でマラソン大会撮影中の墜落事故

・花火会場撮影中の墜落事故

これらの事故・事件を受けて国土交通省では2015年12月に

航空法132条を改定した。それによってさいたま市、(一部除く)

東京都等では申請が必要になった。違反した場合は

30万円の罰金刑。現在は許認可だけだが、近い将来には

資格(免許)が必要になるとも言われている。

パイロットは常に慎重に「飛んでいる物は落ちるのが当たり前」との

認識を持ち操縦することが肝心である。

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浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編156~

2017-06-18 07:33:36 | 食~番外編(都内)

日本料理 つきぢ 田村

東京都中央区築地2-12-11

TEL 03-3541-2591

営業時間 AM11:30~PM10:00

築地界隈の大手財界人たちの、「この辺で美味しいものが食べたい」

という一言から、当時築地の有名料亭で料理長をしていた

先々代、田村平治に白羽の矢が立ち、昭和21年11月

「つきぢ田村」が誕生した。創業者田村平治は数え年14才で

京都に出て、瓢樹の主人・西村卯三郎に指導を受けた。

西村師匠からは料理の技術ばかりでなく、料理の心を学び、

7年間の修業で得た教えがこの「五味調和」だ。

五味とは、甘い・酸っぱい・苦い・塩辛い・香辛料の辛みの

五つの味で「料理はこの五つの味がうまく調和していなければいけない。

それでこそ、食べるお客様はうまいと感じるものだ。」

この教えを代々継承し続けてきたからこそ、今の「つきぢ田村」がある。

エントランスを入ると1階が個人客用の椅子席フロアー「大原」。

2階からは和室の「庭つき貴船」、70名迄入れる「広峰」など10室の個室がある。

つきぢ田村のすごいところは温かい料理は温かいうちに

冷たい料理は冷たいうちにとの創業の心を受け継ぎ

1階~5階の各フロアにそれぞれ厨房を備えているところだ。

こちらが3代目当主の田村隆社長。昭和32年生まれで

大阪髙麗橋「吉兆」で修業した。初代、二代から教えを受けた伝統を

守りながら、料理、盛りつけ、演出などにおいて新しい感覚を

積極的に取り入れている。NHKテレビ「きょうの料理」の講師など

業界、マスコミを通じて幅広く活躍している。先日も

「Youは何しに日本へ」で京都の菊乃井とともに

外国人の和食職人修業のテーマでTVに出ていた。

この日の懐石料理の御献立「慧舟」

手作りの温もりが伝わってくるお品書きだ

前菜  松風ずし 楓麩、鶏チーズ焼、もろこ南蛮漬 

鮭昆布巻煮、いか糝暮雲丹揚 茹で蛸。

小付 ひじき旨煮

椀 蓬豆腐 木耳、青味、木の芽

造り 梶木、かんぱち、紅いか、山葵

焼物 鰆けんちん焼 黒はり大根、しし唐

冷鉢 青ずいき、もずく、海老、酢取茗荷、うま酢

煮物 角揚豆腐、蒟蒻、筍、青味、人参

鶏雑炊 香物

水物 フルーツゼリー寄せ

甘味 しるこ

抹茶

大広間の広峰とテーブル椅子席の大原

 

 

一、おいしいものを美味しくいただく

最高の素材を使い、すべて活かし余すことなく使い切る。

料理の素材の生命をいただくのですから。

一、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく

すべてのお客様に一番最上の状態で料理をおもてなしする。

お客様の目や手に触れるすべてのものに心を尽くします。

一、美味しい時間(ひととき)

料理をもてなす空間は美味しい空間。椅子席、お座敷、

掘り炬燵と落ち着いたお部屋でお寛ぎください。

 

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ミュージカル劇団四季 

2017-06-17 05:18:16 | イベント

久し振りに劇団四季のミュージカルを見る機会があり、

しかも2週間連続で行って来た。このブログを永く書いてきて

感じることの1つに「なんでこんなに続くの、不思議!」ということがある。

例えば2015年には鎌倉幕府3将軍の墓へ初めて行ったこと、

2016年にはJALと ANAの機体工場見学へ行ったことなど。

偶然ではなく何かの力を感じてしまう程だ。

今回も国内では「マンマ・ミーア」以来本当に久し振りに、

しかも同じ館内で違うミュージカルを見て来た。

東京都港区浜松町にある劇団四季の専用劇場四季劇場「秋」。

同じ建物の中には「春」もある。JR東日本のメセナ活動の一環で

JR東日本アートセンターが運営している。

2003年11月11日に開館し、初のミュージカル公演は「コーラスライン」だった。

四季劇場「秋」では6月25日(日)までミュージカル「ノートルダムの鐘」を

「春」ではロングランの「ライオンキング」を上演している。

ノートルダムの鐘は来年4月から横浜公演が決定。

ライオンキングは7月から大井町にある四季「夏」へ大移動する。

チケット売り場には2つのミュージカルの売場がいっしょだ。

因みにS席11,880円 /A席8,640円 /B席6,480円

C席3,240円 /バルコニー席5,400円 /バルコニー席(学生)2,700円。

四季の会会員料金はS席のみ10,800円だ。

ノートルダムの鐘は、1996年公開のディズニー長編アニメ。

原作はヴィクトル・ユーゴー。原題はノートルダムのせむし男だが、

日本の放送コードに抵触する為、邦題は変更された。

このような処置がとられているのは世界中でも日本だけだ。

日本では2016年12月に初演された。初演キャストは

公開オーディションで決定され、演出台本は浅利慶太だ。

入口を入るとそこは共通ロビー。チケットは全て売り切れだ。

尚劇団四季劇場はここの2ヶ所以外に汐留の電通四季劇場「海」

大井町の四季劇場「夏」、そして名古屋、大阪、福岡、札幌にもある。

劇団四季の創立メンバーの1人、日下武史さんが

去る5月15日に逝去した。享年86才。

ここで劇団四季について書いてみる。昭和28年、東大文学部仏文科学生

(米山晰)と、慶大文学部仏文科学生(浅利慶太、日下武史)を

中心とする10人で結成した学生演劇集団が始まり。

浅利は専用劇場の確保を模索。昭和58年西新宿で

テント張り仮設劇場で昭和59年11月10日まで「CATS」のロングラン公演をした。

現在劇団四季は700名以上の俳優、スタッフにより

年間3000ステージを上演し、年間観客動員数は

リピーターを含めて300万人に達している。

劇場は客席の奥行きと舞台の奥行きがほぼ同じで

席と舞台が近く出来ていて、臨場感を感じやすい。

客席数は約500席ある。

それぞれの劇場にはそのミュージカルのオリジナルグッズを

中心としたスーベニアショップがある。ここはライオンキングに

比べるといまいち人だかりが少なかった。

 

 

このミュージカルは全体的に暗いストーリーで特に前半は

盛り上がりに欠けたが、後半はグッグーと迫ってきた。

このドラマは人間の光と闇を深く美しく描き出す荘厳なもので

愛は宿命を変えられるのかがテーマ。特に印象に残ったのは

舞台仕掛けの展開が良く出来ていて感心した。

こちらはまるで魔が差した様に、一週間後に行った

「ライオンキング」劇場は「春」だ。「春」のこけら落とし作品が

「ライオンキング」で、それから日本最長の15年以上の

ロングラン公演を記録している。

「ライオンキング」は1994年全米で公開されたディズニーの

長編アニメ(32番目)で、1997年ニューヨークの

ニューアムステルダム劇場で初演された。「オペラ座の怪人」を

抜いてブロードウェイ史上最高の興業収入を上げた。

又日本国内の公演は「CATS」の記録を塗り替える公園回数を続けている。

幕が上がると悠然と歩く2頭のキリンが姿を現す。

巨大なゾウ、シマウマ、チーター、客席を埋め尽くす動物たち。

そして躍動するエルトンジョンの音楽。心ふるわせるパワフルで

刺激的な生命の連鎖を巡る物語はあらゆる想像を超えて、

深い感動に包みこまれる。又高さ4mを誇るプライドロックなど

大掛かりな舞台装置を使うことでもライオンキングは有名だ。

ライオンキングの売場は学生の団体客が多かったせいか

ショーウィンドに何十もの人だかりで大変な繁盛だった。

劇場内にはちょっとお洒落なカフェ&バー「モンカフェ」がある。

ミュージカルを見てここでお茶する。頭の中は

非日常でいつものコーヒーと味が違うはずだ。

皆、心なしか満たされた顔をして劇場を出る。

劇団四季は1970年年代以降、海外ミュージカル作品の

ロングラン上演を通じて日本にミュージカルを

定着させるのに大きな役割を果たしている。

 

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浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編155~

2017-06-16 06:36:57 | 食~番外編(都内)

ツキ シュール ラメール (T'SUKI sur La mer)

東京都港区海岸1-15-5(ゆりかもめ竹芝駅より徒歩1分)

TEL 03-5777-2929

無休 (年末年始を除く) 駐車場25台

http://tsukisurlamer.com/

某銀行のミュージカル観劇の企画に参加し、そのランチで

東京ベイエリアの当フランス料理店に来た。

東京ベイの大パノラマを舞台に「新鮮な魚介類と野菜、

厳選された肉料理」そして今回は体験できなかったが

「日本古来の美味しさ~寿司」(寿司・・・月下氷人)を追求している

レストランが当「ツキ シュール ラメール」さんで2000年にオープンした。

このエリアの案内地図。住所が港区海岸1丁目というだけに

周りは海で遠くにレインボーブリッジとお台場が見える。

ここはニューピア竹芝ゾーンで近くにホテルインターコンチネンタル東京ベイ

ニューピア竹芝サウス、ノースタワーなどがある。

港は竹芝客船ターミナル、新東京丸乗り場になっている。

エントランスを入るとちょっと照明を落とした大人の雰囲気が漂う

お洒落な空間に出会う「ツキ シュール ラメール」は

世界中のグルメが注目する美食都市「TOKYO」に在りそうで

無かった~フランス料理と寿司が共存する~ガストロミナ・レストランだ。

ダイニングルームに行く途中にスタンドバーとワインセラーがある。

ここは昼間の眺望も素晴らしいが、やはり夜でしょう。

「イルミネーションの光輝く夜はスタイリッシュな空間に様変わり。

岸辺ゆえの静寂な空間はドラマチックな世界観を醸し出す。

ゲストと共に分かち合うかけがえのない素晴らしいひととき」と

パンフレットで謳っている。

ダイニングに隣接する寿司カウンダーの「月下氷人」。

高い天井と茶とベージュの市松模様の壁が素晴らしい。

さぞダイナミックな景色を眺めながら板長がもてなす

寿司を食するとは贅沢なひとときだろう。

建物のインテリアで気に成るものがいくつかあるが

照明器具はその1つだ。この照明器具もすぐ目に止まって

シャッターを押してしまった位、素敵だ。値段も結構いいのでは。

ダイニングルームはこの日は一般客と私たち貸切り様と

二つに分かれていたが、パーティでは着席で120名、

立食で250名迄入れる。レストラン内にはチャペルまであり、

東京ベイの大パノラマを舞台に、思い出に残る、

素敵な結婚パーティが行われているのだろう。

アミューズ・ブーシュ

サーモンマリネとアスパラガス、ハーブの効いたフロマージュプランのテリーヌ

当店は今テリーヌに拘っているみたいだ。

代官山にあるミシュラン1つ星を連続して獲得している

フレンチレストラン「レザンファン ギャテ」と姉妹店を結び

スペシャリティのテリーヌを新たに登場させているとの事。

コレナイ豚肩ロースのグリエ粒マスタードソース

ガトー・ココ・マンゴートロピカルフルーツのソルベ

T'SUKIの目の前は海。東京ベイの爽やかな潮風 

壮大なレインボーブリッジ。行き来する白い船たち。

お台場を対岸に臨む圧巻の大パノラマが舞台のレストランです。

 

 

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うらわ美術館 

2017-06-15 05:22:32 | 地元企業

浦和ロイヤルパインズホテルがある浦和センチュリーシティの

3階にあるのがさいたま市立の「うらわ美術館」、

2000年に開館して17年に成る。こちらの特色は1つは本にまつわる

美術品のコレクションを中心に据えている。もう1つは地域ゆかりの作家の

優れた作品を収集、保存、研究展示しながら

それらを未来へと継承していくことである。

ギャラリーはABCD4つに分かれ占有面積が732.6㎡(222坪)ある。

美術館という用途から天井高4mと一般の建物より高い。

ギャラリーDでは第8回世界盆栽大会inさいたま記念として

「植物とうらわコレクション」交流展が開催されていた。

休館日は月曜日だ。

4月22日(土)から6月18日(日)までは、サカツ・コレクション

「日本のポスター芸術」・・・明治 大正 昭和の彩り が開かれていた。

選りすぐりの約85点を展覧している。個人的には興味深い企画であり

パインズホテルに予定より早く着いてしまった為、

時間調整で久し振りに入館してみた。

館内は一切撮影禁止。それでも読者の皆様に少しでも

雰囲気をお伝えすべくシャッターを押してしまったが、 

コーナーコーナーに係の人がおり、注意を受けてしまった。

館内にはほとんど来館者がいなかったのも目立ったのだろうか。

申し訳ございませんでした。

その中で一際目に留まったのがこの有名なポスター。

「グラスを持つ半裸の女性」(大正11年)片岡敏郎・井上木它。

たまたま2週間後に日経新聞で連載している小説「琥珀の夢」

小説鳥井信治郎と末裔伊集院静作 福山小夜画に

このポスターの由来が書かれていた。

「信治郎は、そのポスターをじっと見ていた。女優の松島栄美子が

"赤玉"の入ったグラスを手に何か言いたげにこちらを見つめている。

その表情は以前より艶香が漂っているように思える・・・。

もう一度グラスの中の"赤玉"の血のように赤い色を見た・・・。

実に1年近い歳月をかけて"赤玉ポートワイン"のポスターが完成した。

寿屋洋酒店の第1号のポスターは、その大胆な半裸に映る

モデルの姿と、表情に大評判となり、世間を驚かせた。

日本初のヌードポスターと噂になり、"赤玉"を飲まない人たちからも

ポスターが欲しいとの申し出が殺到した。後にこのポスターは

ドイツで開催された世界ポスター展に出品され、

堂々の第一位を獲得した。日本の広告史で初めてのことだった。

このポスターも時代を感じる。三ツ矢サイダー。横に平野水と

書かれている様に読める。又

全線サイダーとは?三ツ矢サイダーのマークがやけに訴えて来る。

限られた時間でパーと駆け足で見たので印象しか分からないが、

昔のレトロ調の絵、写真は今の日本で失ったものを

現代人に伝えてくる説得力を持っていた。それにしても

キリンビール、カルピス、エビスビール、月桂冠と

飲み物のポスターばかり目立った。広告、コマーシャルの源流は

この業界から始まったのかもしれない。

 

 

大正12年の関東大震災後は、地震の少なかったこと、

首都圏から20㎞の至便性などから、浦和の住宅地としての

評価が高まり、多くの文化人が移り住み、特に

「鎌倉文土と浦和画家」といわれ、多くの芸術家が活躍した。

画家以外にも彫刻家や詩人が居住し、文化人同士の

交流も盛んであった。昭和初期には40人以上の画家が居住し、

絵描き村のようだと報道され浦和アトリエ村とも称された。

代表的な画家としては永田二郎、田中保、寺内萬治郎

(昭和9年浦和にアトリエ、裸婦を描く聖人といわれた)

山田説義、須田剋太、高田誠(元日展理事長)、渡辺武夫、

斉藤三郎、小松崎邦雄。彫刻家の内藤四郎(人間国宝)

詩人の長谷川かな女、神保光太郎、立原道造、秋谷豊。

そして昭和26年に旧浦和市仲町に移住した瑛九。

氏は前衛的な作品、抽象的な作品を多く残した。

6日前にブログ掲載した池田満寿夫にも影響を与えた。

きっと池田満寿夫も浦和に来て、うなぎを食べていたにちがいない。

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