スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編282~

2019-11-30 06:33:10 | 食~番外編(県外)

川魚料理 林家

群馬県邑楽郡板倉町板倉2337

TEL 0276-82-0031

定休日 不定休

雷電神社の参道、鳥居の前にある2軒の川魚料理店の内の1軒。

ご覧のように昭和レトロな雰囲気が色濃く漂う店構えだ。

田舎の街並みにすっかり溶け込んで自分的にはググーッと来ましたネ。

バスの駐車場の都合で入店したのは店の裏側。

木々が繁った裏庭を通って入った為、

正直あまりの田舎チックさにビックリした。

壁には手書きの筆文字で、うなぎ、なまず、こいこく、鯉のあらい、

天ぷらと川魚料理の定番品書きが書かれてあった。

これは完全にカントリーワールドの世界だ。

店の中に入ってさらにビックリ。

コンクリートの土間にレトロな机

(テーブルという表現よりは机と言った方が似合う)

椅子はパイプ椅子だ。

壁にはうなぎのポスターが乱雑に貼ってあり、

古い扇風機があるのも良い。

葛飾柴又にある寅さんの店「とらや」よりもインパクトは強い(笑)

これが川魚料理のフルコース。

なまずの天ぷらに鯉のあらい、それと小魚の甘露煮、

酢の物、煮野菜が付いてくる。

それに当然うな重と肝吸いが加わる。

最高のラインアップだ。

やはり田舎料理は郷愁を誘う何かがある。

大げさに言えばこれが日本の食文化だ。

うな重は見ての通り白っぽく仕上がっている。

おそらく白焼きを一回だけタレ付けして焼いたのでは?

味も浦和の蒲焼と違ってとてもアッサリ系。

でもこれはこれで旨いんだナー。

鰻の素地の味が直に伝わってきて

これもありかナーと感じさせた逸品だ。

肝吸いも浦和と違っていろいろ具を多くしてある。

所変われば品変わると言いますが、鰻の蒲焼も色々あるのですネー。

とても良い神社、とても良いうなぎ屋さんを知って幸せ気分になりました。

 


雷電神社

2019-11-29 06:42:03 | 旅 ~国内

こんな所にこんな立派な神社があるとは、まだまだ日本で知らない所が

いっぱいあるという思いをさせる雷電神社。

板倉町にある雷電神社は関東一円、

特に利根川中上流域に点在する雷電神社の総称で、

創建は聖徳太子によるものだといわれている。

延宝2年(1647年)には上州館林藩主・

徳川綱吉公(後の第5代将軍)の命により社殿の大改修が行われ、

以後徳川三ツ葉葵の紋章の使用を許されている。

主な祭神は火雷大神、大雷大神、別雷大神。

この地は古くから雷の被害が多い土地のこともあって繁栄したのだろう。

それにしてもこの赤い雷の顔はなんとなくかわいい。

はっきり言ってこんな田舎の地にこんな立派な彫刻が

廻らされている社殿があったとは驚きだ。

本社社殿には左甚五郎から10代目の

石原常八の作とされる彫刻が全面に彫られている。

現在の本社社殿は天保6年、奥社社殿は慶応4年の造営である。

明治時代には郷社に列せられ、今日では雷除けはもとより、

氷嵐除けや豊作祈願、厄除けや安全、

特に電気関係をはじめとする請工事の安全の神として名高い。

この奥宮は安産、家内安全、縁結びの女神である

伊邪那美命を祀っている。

東広場の向こうの門の中には災難除け、

元気回復のなまずさん像がある。

なでると地震を除けて自信が湧き出るという。

授与所の前にあるのは御神木だ。

鳥居の近くの一番目立つ石柱にはいつ寄贈されたのかわからないが

金百圓の文字がはっきり読みとれる。

本殿から見た鳥居越しの参道。

入口の近くには左右に名物なまず料理が食べられる

いかにも古そうな食堂が2軒並んでいる。

この日は左側にある鰻の「林家」さんで昼食となった。


道の駅きたかわべ

2019-11-28 06:34:57 | ドライブ

道の駅きたかわべは埼玉県加須市にあり、

埼玉県道9号佐野古河線の道の駅だ。

ここはスーパー堤防上にあり、スポーツ遊学館にてヨットやカヌー、

自転車のレンタルができ、渡良瀬遊水地にて楽しめる。

2004年(平成16年)に開駅した。

道の駅徒歩6分位の所に埼玉県、栃木県、群馬県間の

県境が交わっている点があり、三県境と言われている。

三県境は全国に40ヶ所以上あるものの、

基本的には山間部や川の中にあるため

平地にあるこの三県境は全国的に珍しい。

屋上は展望台になっており、渡良瀬遊水地を一望に見ることができる。

その遊水地側には大きなハートのオブジェが。

そうです。

渡良瀬遊水地の谷中湖は上空から見るとハートの形をしており

恋人の聖地(Lover's Sanctuary)と呼ばれている。

田中和美博士は天保10年(1889年)

この地の旧古河藩領(現在の北川辺町)に生まれ、

わが国の解剖学の父と言われている。

没後100年記念としてこの像は平成16年に作られた。

1階はみやげ物コーナ、めだかコーナーがあり、

レストランではハートの道の駅カレー800円が名物になっている。

丁度道の駅に到着した時に

地元のケーブルTVの撮影があって遠慮しながら入った。

スーパー堤防の遊歩道も群馬県板倉町と

埼玉県加須市との県境表示がされてある。

その向こうに見えるのが谷中湖だ。

土手に茂る葦とスーパー堤防の上に雲が広がり、

それはそれは映画に出てくるようなポエムの世界だ。


佐野厄よけ大師

2019-11-27 06:46:44 | 旅 ~国内

佐野厄除け大師とは通称で正しくは山号は「春日岡山」、

寺号は詳しくは「春日岡山転法輪院惣宗官寺」と称し、

天台宗の寺院である。

又、当山は厄よけ元三慈恵大師を安置し、厄よけ、身体安全の祈願を続け、

年毎に信者が激増して正月大祭には約百万人以上の参拝者が来るという。

http://www.sanoyakuyokedaishi.or.jp/

この山門は当山が江戸初期(慶長8年)、

現在の城山公園より現在地に移転する際、

移されたもので約10万石の格式の大門といわれており、

総けやき造りの堂々たる風格を誇っている。

厄除元三慈恵大師一千年御遠忌を記念して建立された。

金銅大梵鐘は人間国宝・香取正彦によって謹製された

日本一大きな金の梵鐘で昭和59年4月に完成した。

明暦4年(1658年)天明鋳工105人が合作して寄進した大鐘の銅鐘。

竜頭は蒲宇(想像上の動物)の首を現している。

天明鋳物の中でも代表的作品である。

先代住職が三大師を提唱、以後当山は関東の三大師として定着した。

因みに他の二大師は青柳大師、川越大師だ。

これが今年の厄よけ、方位よけの一覧表。

健康は最上の利益

満足は最上の財産

信頼は最上の縁者

心の安らぎは最上の幸福である

当山では次の祈願もしている。

方位除災・身体安全・家内安全・商売繫盛・心願成就・

交通安全・進学祈願・無事安産・海外渡航安全・

虫封じ・新築祈願・社内安全

奇跡のれいすい観音。水は生死の海の水を意味している。

平成24年1月9日未明、盗難に遭ったが

皆様の願いが通じたということで同年2月22日朝、

駐車場(佐野市大町地内)に雨の中一人でたたずんでおり、

無事に帰ってきたという逸話がある観音様。

昭和53年に建立された子育て地蔵尊。

ふくよかで愛らしい笑顔のお小僧さんで

竹ぼうきを持って立っているまめまめしい姿は

お子様の無事成長を願う親達の心に言い知れぬ期待感を与える。

-はけば塵拭えば又散り積もる 人の心も庭の落葉も-

当大師さまには驚いた。

御礼の気持ちの奉納所、おみくじ、絵馬などが

自動販売機で取り扱われていた。

その自販機にはおみくじのひきかたまでもが書かれている。

「目をとじて生年月日を唱えながらひいてください」

こんなやり方でご利益の気持ちが起きるのかしら?

神仏の神秘性が無くなってしまうのでは。

義人・田中正造の墓が当山にあるとは知らなかった。

田中正造翁(1841~1913)は佐野市小中町に生まれ、

この惣宗寺を本拠地として政治の道に進み、

栃木県会議長を経て帝国議会代護士となり、憲政史上に不朽の名を留め、

全生涯を正義の旗手として人々の尊重と自然保護のために捧げた。

翁の没後、当寺院で本葬が執行され、

遺骨は、ゆかりの地5ヶ所に分骨埋葬された。

近代日本の先駆者・田中正造翁は明治34年12月10日、

第16議会開院式から帰る途中の明治天皇に、

足尾鉱山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民の窮状を直訴した。

当時盛岡中学四年在学中の石川啄木は

この感動を31文字に託したのがこの歌碑の歌だ。

夕川に葺は枯れたり 

血にまとう民の叫びの

など悲しきや    啄木

この佐野東照宮は徳川家康公の御霊が静岡県久熊山より日光遷座の途中、

元和3年3月28日、一泊、この仏縁により

諸大名の寄進にて本殿等の造営が成り、

江戸後期を代表する華麗、精緻な技巧によって完成された。

全国に祭祀されている東照宮社殿400余社の中、

最も優れた建造物と高く評価されている。

佐野といったら佐野ラーメン、いもフライに大根そば。

それをキャラクターにした記念写真用パネルが境内にありとても目立った。

 

 

 

 


台風19号の爪痕

2019-11-26 06:40:04 | コラム

10月12日(土)に伊豆半島に上陸した台風19号

(アジア名:ハギビス…フィリピン命名)は

関東、甲信、東北地方などに記録的な大雨をもたらし、

甚大な被害をもたらした。

タイミングとしてはかなり遅れてブログアップとなりましたが、

その影響を受けた場所の状況を書いてみました。

台風19号が上陸した4日後に行った栃木県佐野市には

陸上自衛隊の救援の為の車輌、給水車などが駐車し、

多くの隊員が救援活動を行っていた。

これは佐野市内を流れる利根川水系の秋山川が氾濫した為である。

秋山川の近くにある関東三大師の佐野厄よけ大師にも

数名の陸上自衛隊員がお参りに来ていた。

身に着けているものをよく見ると中部方面警務隊と書かれてあり、

腕には警務MPの腕章が。

皆、表情は厳しく、災害援助活動の任務に集中しているのが伝わってくる。

そして手を合わせている姿がとても印象的で目に焼き付いた。

佐野の秋山川が流れ込む渡良瀬川(利根川水系)は

台風上陸4日後なので水は引いていましたが、

河川敷に茂っている木々を見ると泥がかぶっており、斜めになっていた。

台風直後は土手まで川が流れ、川幅は300m程になったそうだ。

バスから撮ったので正確な川の名前はわからないが

栃木市内を流れる巴波川ではないか?

ここはまだ増水している状態に見える。

普段はのどかな渡良瀬遊水地もまるで海のようになったらしい。

この時は史上最も多い水を貯留したとの事。

この台風では多くの川が決壊し大変な被害が出たが、

逆にその一歩手前で治水事業が功を奉したケースも多くある。

その1つが以前数回ブログでアップした八ッ場ダムもその例だ。

八ッ場ダムはたまたま10月1日に試験湛水が開始されたばかり。

国交省によれば最高数位に達するまで

3ヶ月から4ヶ月程度かかるとみられていたが、

この台風のほぼ2日で満水になったそうだ。

たまたま台風通過の翌日10月13日(日)に

浦和駅に行く用があって12:00頃撮った風景。

改札のあたりには多くの人が集まり、皆電光掲示を見ている。

京浜東北線、湘南新宿ラインは運休。

高崎線、宇都宮線も間引き運転と成っていた。

駅には産経新聞の記者が取材に来ていた。

そういえば、最近の気象庁の会見で使われる表現が

激しい言い方に変わってきたような気がする。

今回の台風情報でも「命にかかわる」とか

「息が苦しくなるような圧迫感…雨」とかだ。

この前の台風15号の時の

「夜には一気に世界が変わり、猛烈な風や雨になるおそれ」

との注意喚起が話題に成ったそうだ。

伊勢丹浦和店も13日(日)は午後2時開店予定との事。

こんなことは滅多にないことだ。

JR系列のアトレ浦和店も12日(土)は全館臨時休業。

13日(日)は午後2時開店予定の貼り紙が。

この日の駅周辺は日曜日というのに風景が全く変わってしまった。


浦和エリア旨い店シリーズ ~その447~

2019-11-25 06:25:59 | 食~ラーメン・中華

中国菜 燧轅菜館(すいえんさいかん)

さいたま市浦和区本太2-17-2

TEL 048-883-2422

定休日 第3水曜日、毎週木曜日

駐車場 店の隣に2台

当店は越谷街道沿いだが少し入った所でわかりずらい。

夫婦2人でやっているようだが奥さんはあまり愛想が良くない。

オーナーシェフは銀座アスターで修行したらしい。

店の外部フェンスに大きく写真付で代表的なメニューが掲示されていて、

入店する前にしみじみ見てみた。

豚肉ときゃ別の味噌炒めセット 950円の

「きゃ別」はなぜこのような字に?

オリジナル性を感じるのは「すいえん麺 800円」

「セロリー麺 900円」「海老麺 1,100円」など。

店内は丁度良い広さで6人用、5人用、2人用のテーブルと

カウンター席が2席の全部で15席だ。

どうやら客層は近所の常連とリピーターが多いようだ。

ところで、「すいえん」という難しい店名はどうゆう由来で

付けたのだろう?機会があったら一度聞いてみたいものだ。

オススメは何ですか?と聞いた所、すいえん麺800円と言われた。

やっぱりだ。

スープは正油ベースの上に味噌のゆるいとろみスープ。

若干とんがらしが効いていて後を引く。

麺はご覧の様に細麺。

具は豚肉、ハム、白菜、竹の子、きくらげ、細ネギと具沢山。

ここはかなり旨いと聞いていたが、その噂は正しかった。

次行く時はご飯系の炒飯900円を注文しようと店を出た。

(後日また行って炒飯をいただいてきた。

まずくはないが期待をして行っただけに

もうちょっと・・・といったレベルだった。)

晴天の中、店を出ると多くのサボテンが目に入ってきた。

ひょっとして当店オーナーはサボテン飼育が趣味なのかもしれない。

 

 


港区白金エリアの豪邸

2019-11-23 06:37:36 | 建物

白金プラチナ通りから坂を登って

いよいよ白金エリアの豪邸地帯へ豪邸巡りに入る。

東京の坂は名前がついているものだけで800以上もあり、

なかでも江戸時代に武家屋敷の多かった

文京区・港区・新宿区・千代田区あたりに多い。

ここ「明治坂」は昔から存在していた道であるが、

明治坂と呼ばれたのは大正初年からと言われている。

豪邸とは言えないかもしれないが意匠的にとても目についた木造3階建住宅。

ピラミットのように上にいく程つぼまり、

4階部分にはラセン階段で昇れるように成っている。

木の外壁がとても生きた外観に設計されている。

坂上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江に因んで

蜀江台と呼んだことから付けられた「蜀江坂」。

この坂の標示には坂の名とともに

その由来が書かれており、とても興味深い。

ブラタモリでも紹介されたお嬢様学校の聖心女子学院

初等科・中等科・高等科。

当女子学院は1908年(明治41年)に

語学校として開設された名門の女子学校だ。

本当に閑静な高級住宅街の中にあり、

緑が多く、ゆとりのたっぷりしたキャンパスだ。

ご覧の様に校門に至るアプローチは私道で、

なぜこのような道があるかはブラタモリの番組で詳しく放送されていた。

それによるとこの地は江戸時代、大名松平右近の抱屋敷があった所で

その当時の区割りがそのまま残ってこのアプローチに成ったとか。

又、このかわいらしい正門は建築家ヤンレツル設計によるとか。

ブラタモリでは高級住宅街の条件を5つあげていた。

①豪邸があること ②緑が多い ③高台であること

④治安が良いこと ⑤ほどよい静けさがあること

白金エリアはそのすべてがある。

この写真を撮った場所は白金4-12-1。

白金をシロガネと言っている人がいるが正解はシロカネ。

場所柄、住所表示にも英語が使われているのも白金らしい。

すごい邸宅だなぁと思ったら、よく見るとマンション。

この地価の高い場所で2階という低層マンションの

分譲価格は一体いくらだったのだろう?

高級住宅街に円盤の宇宙船が下りた様な建物だ。

こちらの豪邸は一歩抑え目だが

シンプルなラインがすっきりしていて素晴らしい。

白金エリアは電車のアクセスがあまり良くない為、

どこの家も車が必要で車庫が大きい。

ベンツ、BMW、は当たり前ベントレー、ポルシェなど外車の多い事。

又、シンボルツリーを中心に車の車路がすごい。

タモリから青春時代の思い出話が出た「三光坂」。

本来は坂下惠心寺にあった三葉の松にもとづき

三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、

日月星の三光などともいう。

高級住宅地の中でもシンボル的な超豪邸の洋館は

時計のセイコーの創設者・服部家の邸宅跡。

上杉弾正下屋敷、抱屋敷の地に

昭和初期に建てられたとの事。

ブラタモリの番組によると現在は外資が所有しているらしい。

RC打ち放しの3階建てがツインになっている。

このシンプルモダンの意匠はまだ新しい住宅かも。

こちらの邸宅は街並みに馴染んでいて

派手さは無く、落ち着いたフォルムだ。

タモリが「クランク・クランク・クランク」と言って

笑わせた看板を偶然にも発見した。

この道路表示を見ても通り抜けたくないと思う複雑な道が、

とても開発しにくくさせ、残った原因の一つに成ったとか。

こちらも分譲マンションと思われるが、ひょっとして二世帯住宅?

このエリアは建築の規制がある為、高層の建物はなく、わかりづらい。

外壁が2種類の石張りの豪邸。

今の時代はこの種の建物はどうしても重く感じてしまう。

  隈研吾氏が流れを作ったわけではないだろうが、

今は木の温かみ、優しさが主流になりつつある。

こちらはもっと石の存在感が強い豪邸だ。

鉄平石のような石を塀、壁に存分に使っている。

こちらは逆に庇の上部をスリット状に木仕立てにして

やはり優しい空間を造っている。

こちらのマンションの1階の1室はなんとリベリア大使館だ。

リベリア共和国は北にギニア、西にシオラレオネ、

東にコートジボワールと国境を接した西アフリカの国だ。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編281~

2019-11-22 06:07:36 | 食~番外編(都内)

カフェ・ラ・ボエム白金(Cafe LA Boheme Shirokane)

東京都港区白金台4-19-17 1F・2F(プラチナ通り)

TEL 03-3442-4062

定休日 無休

営業時間 11:30~27:30

https://www.global-dining.com/

白金プラチナ通りに面して一際目につくゴージャスな

お城のような一軒家イタリアンレストラン。

地元の人たちはもちろん遠方の人からも愛されているとか。

他に世田谷、表参道、銀座、青山、お台場、新宿御苑、

麻布十番、G-Zone銀座自由が丘、元町中華街、桜新町、

ラ・ボエムクアリタ渋谷にも姉妹店があるそうだ。

浦和にもこんなレストランがあるといいナーと思わせる店だ。

グリーンいっぱいでワンちゃんもOKな開放的なテラス席。

自然光が差し込む大きな窓。

ここではワンちゃんがアクセサリーに見えてしまうから不思議だ。

ここだけでも白金のおしゃれな雰囲気が味わうことができる。

店内はまるで中世ヨーロッパのお姫様のような気持ちになる

シックで優雅な空間が続いている。

席数も193席と大型。

8名~250名まで仕切れるパーティ会場があり、結婚式二次会、

企業パーティ記念日などには最高だ。

まさにインスタ映えすること間違いなしのレストランだ。

洗練された店内はオープンキッチンになっていて、

日本各地から取り寄せた旬の食材を使ったイタリアンが堪能できる。

インスタ映えするといえば、店の奥にある3つの

動物の蛇口、これが泉になっている。

他に大きなシャンデリア、外部には螺旋階段まである。

広い店内から大柄の市松模様の床の廊下を抜けていくと

トイレがこれまた渋くていい雰囲気だ。

そういえばちょっと前に偶然見たテレビ東京の人気番組

「YOUは何しに日本へ?」で当店が紹介された。

ある来日外国人がナインティナインの岡村隆史が大好きで、

どうしても会いたくて色々調べていくと

カフェ・ラ・ボエム白金の常連で、

ここに来れば会えるのではと、一日居た番組をやっていた。

確かに店の人の話によるとある2階席が

岡村専用のコーナーになっているとか。

全然関係ない事が偶然結びついていくのは

ワクワクドキドキ感がある。

当店のPASTA SETは12種のPASTA+

TODAYS SALAD+BAGUETTE+7種のDRINKで1,500YENだ。

メニューが英語表記でいかにもプラチナ通りらしい。

そしてもっとすごいことがわかった。

レストランのOPENが11:30から、CLOSEがなんと27:30。

いかにも芸能界の業界人が来そうな営業時間ではありませんか。

TODAYS SALADとBAGUETTE。

Weekly Special(今週のおすすめパスタ)

Carbonara(カルボナーラ)

それにビールのおつまみ

DEEP FRIED CALAMARI(子ヤリイカのリング揚げ) 680YEN。

 


白金プラチナ通り

2019-11-21 06:34:23 | ご近所情報

通称白金プラチナ通りとはここ白金台交差点から

白金6丁目交差点までの全体でわずか1km弱の間を言う。

この通りは正式には外苑西通りだ。

白金プラチナ通りは美しいイチョウ並木通りに成っていて、

道路幅が広く路駐ができるスペースが充分にある。

この日もスポーツカーの外車が駐車して街の高級感にアクセントを付けている。

なぜプラチナ通りの交通量が少ないかというと

道路拡張の為の用地買収がうまくいかず、一部分しか開通しておらず、

この通りは利便性としての価値が低い為だ。

しかしここで計画道路の見通しが立ち、

近々工事計画が実現化し、状況は変わるようだ。

港区白金台5丁目19番地にある周辺の地図。

これを見るとよりこの地がわかりやすい。

東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、自然教育園、

聖心女子学院一帯の緑地エリアがいかに広大かがこの地図を見てもわかる。

ブラタモリでも言っていたが、白金に住むおしゃれなマダムを指す

「シロガネーゼ」という言葉がひと昔前に流行った。

そんな言葉の通り、白金にはおしゃれな店が集まっている。

1Fに入店しているテラス付きのカフェ、ブルーポイントがある

この白い2階建てのビルもその1つだ。

当店は森田茶道さんがデザインのアメリカンダイニングだ。

又、隣には後日アップする「カフェ・ラ・ボエム白金」もある。

ここには他に大人な感じの結婚式場「白金倶楽部」も入居している。

こちらは外壁面にガラスルーバーで化粧されたアールのビル。

夜になるときっとボンヤリ浮き上がる素敵なビルに変貌するにちがいない。

テナントとしてゴルフブランドのキャロウェイが入居している。

白金台の交差点近くにある地下レストラン「Pranzo」。

メニュー看板を見て驚いたのは、価格表示がユーロになっていること。

こんなのは初めて見た。

近くにヨーロッパの国々の大使館が多い為か?

おしゃれな店が続くなかで、ここだけは江戸の空気が流れている

蕎麦屋さん「利庵(としあん)」。

古民家風で粋な雰囲気が漂う人気店らしい。

わらびもちが売りでピーク時には行列ができることもある程とか。

私にはこの鉄骨が建物の耐震補強の鉄骨に見えてしまうのだが、

鉄骨に無駄がありすぎる。

何か意匠性も考えての施工なのか、あまり見ない鉄骨造だ。

こちらは目黒通りに面した普通の白金台どんぐり児童遊園。

しかし、遊んでいる子供を見守る母親が

シロガネーゼに見えてしまうから情けない。

白金エリアではペットの犬を散歩させている

外国人女性はとても絵になり、カッコいい。

ここ自然教育園は、室町時代に白金長者と呼ばれる豪族が

館を構えていたと言われている。

江戸時代は高松藩主・松平讃岐守の下屋敷、

明治時代は海軍省・陸軍省の火薬庫、

大正時代は白金御料地と移り変わり、

昭和24年に国立自然教育園として一般に公開されるようになった。

ここには都区内では見ることが少なくなってしまった

ホタル・トンボ・メダカ・ヘビなど

多くの動物が生き続けていることが自然の豊かさを物語っている。


東京都庭園美術館(その2)

2019-11-20 06:25:05 | 建物

2014年(平成26年)にはホワイトキューブのギャラリーを備えた

この新館が完成し、80年余りの歴史と伝統に新たな創造空間が加わった。

この新館はユニークなガラスの廊下で本館とつながっている。

そのユニークなガラスはガラス面全体が歪んでいて

多数のエンボス状の突起があるもの。

思わず触りたくなるのは自分だけか?

オープンな感じのミュージアムショップ「ノアール」には

買いたくなる様なオリジナルグッズが売られていた。

今までの経験からミュージアムのショップは買い物の穴場だと思う。

白で統一されたお洒落な空間のカフェ「TEIEN」。

店名の様に庭園のテラスにも白いテントの席が用意されている。

そして、テラスには一昔シロガネーゼだったらしき女性が語らっていた。

天井の造りもミュージアムならではの凝った造りとなっていた。

ホワイトキューブのお洒落なギャラリー1.

アール・デコ、朝香宮邸、アンリ・ラパン、ルネ・ラリック、

宮内省内匠寮などの資料等が、ゆったりと展示されてある。

朝香宮邸の書斎に置かれた机、椅子、電話台、

絨毯の一揃いが展示されてあった。

これらはフランスから輸入されたものと考えられている。

ブラタモリの番組によると戦後、

吉田茂首相がこれを利用していたとしていた。

朝香宮邸で大客室及び大食堂のスライドドアや

雨開き扉に嵌め込まれたマックス・アングラン作のエッチング・ガラス。

同じくマックス・アングラン作の油絵「四季」。

1920~1930年代に描かれたもの。

ほんわかしたのもが伝わってくる。

個人的には好きなタイプの絵だ。

アール・デコ時代のテーブルと椅子だと思う。

細部にこだわりを感じる素晴らしい家具だ。

1924年に朝香宮允子妃が描かれた水彩画「アイリス」。

妃殿下はパリ滞在期間に

イヴァン=レオン=アレクサンドル・ブランシュに水彩画を習った。

とても品を感じさせる作品だ。

浴室もタイルの配色が上品で素晴らしい。

その当時の暖房器具はラジエターが使われている。

ギャラリー2ではDVDが放映されていた。

写真撮影としては失敗作だが、

このボヤケが芸術的には不思議な作品になり、すごく納得。

東京庭園美術館というだけに広大な庭園内の本館から

一番奥まった西洋庭園。

庭園のみの入場でも一般は200円必要だ。

後から増築したと思われるエレベーター塔。

せっかくの素晴らしい施設なだけにもうちょっと意匠イメージを

考えても良かったのではないか。

逆に廃棄施設と思える煙突は全体の風景に馴染んで見えるから不思議だ。

下に見える通路が本館と新館をつなぐ回廊。

こちらは良い感じになっている。

本館出口から見た植栽されたロータリー。

玄関のアールのアーチが優しい空間を演出し、

思わずシャッターを押してしまった。

再度本館南面の全体、半分ずつをアップしました。

庭園も宮邸時代の面影を残しており、

芝生で覆われた解放感のある庭と相まって

本当に味のある素敵で品のある建築物だ。

旧朝香宮邸の茶室「光華」は武者小路千家の茶人である

中川砂村(是足庵1880-1957)が設計し、

大阪の数寄屋大工棟梁・平田雅哉(1900-1980)が施工して

昭和11年に上棟した。

「光華」という名称は朝香宮鳩彦殿下自らの命名で

扁額も殿下直筆のものと言われている。

茶席は小間、広間、立礼席の三席からなる。

平成27年には本館等とともに国の重要文化財に指定された。

日本庭園は白金御料地の樹木をなるべく保存活用し、

起状のある地形を活かして設計され、池とその周辺の園路、

築山、そして茶室を備えた築山林泉式となっている。

園庭の設計は宮内省内匠寮工務課・

庭園係長の中島邸三郎が行った。