スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編440~

2023-03-31 06:04:32 | 食~番外編(京都)

Grill French (グリル フレンチ)

京都市中京区小川通御池上る下古城町377

TEL 075-213-5350

定休日 木曜日、第1・第3水曜日

当店は1970年(昭和45年)6月にオープンした京都で一番美味しいとも言われる洋食店の老舗。

場所は二条城の近く、さらに最近話題になっている御金神社はもっと近い。

レストランの前は看板が小さく、うっかりすると通り過ぎてしまいそう。

残念ながら当店は料理を除いて全てカメラ撮影は禁止なので、

今回は写真としては多くは紹介できませんことお許しください。

当店は階段を登ってレストランは2階にある。

基本カウンター席(12席)が中心で他にテーブル席1卓(5席)、別に個室もあり全部で17席。

すっきりとしたシンプルな内装のフレンチ風の洋食屋さんで、

いかにもベテラン風のオーナーシェフと2人の若手(バリバリ)シェフが

ものすごい集中力で12時ジャストからランチをスタートした。

その働いている姿は無駄のないキレキレの動き。

以前アップした京都の超人気洋食店「おがた」とすごく被るものを感じた。

ちなみに当店は2020、2021、2022、2023にBRONZE賞、そして2020、2022百名店に選ばれている。

オーナーシェフに聞いたところ、

この三種盛り(前菜盛り合わせ)を是非食べてみてくださいと薦められた(2,400円)

ご覧のようにビジュアル的にも美しく味の方は旨いに決まっているでしょう!

わかさぎ、かにサラダ、何か忘れたがミルフィーユ風のもの。

スープはスミダマンはクラムチャウダー950円。

中の具材はものすごく丁寧な仕事をしている。

相方は小かぶのポタージュ650円をオーダー。

繊細な小かぶの味と香りが何とも言えず淡く奥深くとても美味しいと感動していた。

これはカニクリームコロッケ2,400円。

グリルフレンチさんの看板メニューの1つでサクサクな揚げ方。

中はクリームコロッケ特有のトローリ感。

この両者のバランスが絶妙で素晴らしい仕上げになっている。

久し振りにレベルの高いカニクリームコロッケをいただいてすごい幸せ感に浸った。

洋食の代名詞ハンバーグ5,000円。

お値段も立派だがそれ以上にこのハンバーグは答えてくる。

このレベルになると食レポは本当に難しい。

〆のデザートとして自家製のプリン。

お値段は忘れてしまいました。

昔ながらのプリンでプリン本体とキャラメルソースの味のコラボが最高。

当店のメニューはどれも心のこもった最高のレベルで提供されているのが素直に伝わってきた。

まさに街の名店だった。

 


本山 興正寺

2023-03-30 06:12:07 | 旅 ~京都

当寺は阿弥陀如来を本尊とし、親鸞聖人を開祖とする真宗興正派の本山である。

興正寺の寺号は日本に仏教を広めた聖徳太子の事績にちなみ

「正しき法を興しさかえさす」との意味が込められている。

当寺の隣りには西本願寺があり、遠くから見ると両寺が一体に見え、

当寺は西本願寺の一部と間違えてしまう。

以前スミダマンもそう思っていたが両寺に来て別の大寺だとわかった。

当寺の創建は鎌倉時代にさかのぼり、京都の東山科の地に建てられたと伝えられている。

南北期時代、寺基は山科から渋谷へと移り、

その際、阿弥陀仏の放つ光明にちなみ寺号を「佛光寺」と改めた。

室町時代、蓮教上人は本願寺蓮如上人と歩みを共にし、

佛光寺は弟に譲り、再び山科に「興正寺」と改めた。

その後は本願寺と歩調を合わせ、幾度なる移転にも行動を共にした。

桃山時代、現在の地へ移転したのも本願寺との深い関係を示している。

明治9年(1876年)には真宗興正派の本山となり、

現在も「興隆正法」という願いのもと興正寺の歩みは続けられている。

なお、この建物は明治45年に建立した御影堂。

大正4年(1915年)に再建された阿弥陀堂本堂。

前述したが本寺の本尊は「阿弥陀如来」。

本堂の前の階段のところには「やっぱり阿弥陀さん」。

すごくシンプルな表現だがその意味するところはとてつもなく深そう。

当寺は梅が名所ということで訪ねてみたが、梅の木はこの紅白の2本。

しかし、この大木の梅の木の枝振りと花が素晴らしく、

全体的な光景の中で光り輝いていた。

この地には決して多くはないが、この梅を目当てに来た人たちがいる。

特に熱心で本格的なカメラマンがおり、

彼らのテクニックを真似して撮った水鉢に映った梅だ。

今度はカメラのアングルを引いて撮った2枚。

お寺の屋根の中に隠れたような紅梅と白梅の先のビル群の向こうに垣間見えた京都タワー。

こちらは安永3年(1774年)に再建された鐘楼。

桃園天皇の13回忌に際し、皇太后恭礼門院(一条富子)から梵楼とともに寄進された。

嘉永元年(1848年)に建立された経蔵。

法宝院ともいう。

勅願「法宝院」は右大臣近衛忠熙の筆で孝明天皇から賜ったもの。

令和5年4月18日より20日まで宗祖親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年になるそうだ。

境内の中には子供でもわかるような看板が置かれていた。

「ご縁を慶び、お念仏ともに」

「親鸞さま ありがとう!」

 

 

 


島原遊郭跡

2023-03-29 06:43:12 | 旅 ~京都

慶応3年(1867年)5月に建設された島原大門。

豊臣秀吉が京都を再興するに当たり、二条柳馬場に柳町の花街を公許したが、

これが後に六条坊門(現在の東本願寺の北側)に移され六条三筋町として栄えた。

その後朱雀時に移ったがその急な移転騒動が時あたかも九州島原の乱の直後であったため、

それになぞらえて島原と称されるようになった。

ここ輪違屋は大夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、元禄年間(1688~1704)の創業と伝える。

現在の建物は安政4年(1857)に再建されたといわれるが、

その後増改築がなされて、明治4年(1870)にはほぼ現在の姿になった。

この建物は建築的に質が高く、また古い置屋の遺構として貴重であり、

京都市指定有形文化財に指定された。

島原花街の正式名称は西新屋敷。

6つの町で構成されている。

1976年に京都花街組合連合会を脱会し現在は前述の輪違屋のみが

正式なお茶屋の鑑地を有して置屋兼お茶屋の営業を行っている。

ここ島原エリアの中にある湯の宿松栄と誠の湯。

旅館松葉は露天風呂・檜風呂もある充実の浴場施設が自慢。

このお風呂は京都市内随一のものだとか。

一方誠の湯はスーパー銭湯。

タクシードライバー曰く「ここは新選組が好きな方に人気があるとか」

どうして?

この風情ある日本建築は島原遊郭と関係あるのかわからないが、

その存在感に思わずシャッターを押してしまった。

ここで再度島原の歴史を振り返ってみると、島原は元禄期に最も栄えた。

立地条件が悪かったこと、また格式の高さが原因となって祇園町、祇園新地、

上七軒二条などの遊里に人が流れ、次第に衰えていった。

この角屋(すみや)は寛永18年(1641)の島原開設当初から連綿と続く揚屋

(今でいう料亭で、江戸期京都では民間最大規模の宴会場)だ。

揚屋は江戸の吉原になく、京島原と大阪新町にあった。

揚屋は置屋から太夫(傾城の最高位)や芸妓を呼び、遊宴をするところだった。

幕末ごろは、新選組の局長クラスの宴会があり、また隊士が勤皇派を探索に来たが

ここでは池田屋のような乱闘はなかった。

因みに新選組局長芹沢鴨は文久3年(1863)9月18日に角屋で

行なわれた局長クラスの宴会に出席し、その夜屯所で暗殺された。

この角屋の向い側には「角屋饗宴もてなし文化研究所」がある。

昨年12月から休館していたが、3月15日から「四条派と角屋の交流」という企画展が始まるそうだ。

又島原の歴史に戻ると幕末、西郷隆盛、久坂玄瑞や新選組らが出入りした。

昭和後期にお茶屋、太夫、芸妓の人数が減りついにお茶屋組合が解散して普通の住宅地と化した。

因みに太夫道中は置屋から揚屋へ練り歩く様子をいう。

江戸時代の島原は単に遊宴にとどまらず詩歌、連俳等の文芸が盛んで、

中でも俳階は島原俳壇が形成されるほど活況を呈していた。


梅小路公園

2023-03-28 05:58:58 | 旅 ~京都

この公園は1990年(平成2年)3月に移転したJR貨物梅小路駅の跡地、

平安遷都1200年を記念して作られた市営の都市公園(総合公園)で1995年4月29日に開園した。

面積は13.7haある。

この公園の用途は多彩で以下の通りだ。

①七条入口広場

②ビバスクエア京都

③チンチン電車

④京都水族館

⑤芝生広場

⑥総合案内所(大宮入口)

⑦すざくゆめ広場

⑧カフェ(すざくゆめ広場内)

⑨市電ひろば

⑩カフェ・ショップ(市電ひろば内)

⑪野外ステージ

⑫梅林

⑬京都鉄道博物館

⑭レストラン(緑の館内)

⑮緑の館

⑯朱雀の庭・いのちの森

⑰河原遊び場

⑱大宮ちびっこ広場

七条口を入ると七条通を横断して嵯峨の線の「梅小路京都西駅」がある。

見た感じこの駅はまだ新しそうで意匠デザインもなかなか斬新だ。

ここはビバスクエア京都内にあるアイスパーティーパークで

1月23日~2月26日までスケートリンクとしてオープンしている。

ご覧のように子供に対してスケートワンポイントレッスンをやっていた。

和室、茶室、イベント室がある緑の館とこの建物から入れる朱雀の庭といのちの森。

この公園は下京区にあるがこの京都タワー、その奥の東山を見れば、

その位置、距離がわかると思います。

明治時代の京都市電の車両(チンチン電車)の保存運転が行われている市電ひろば。

市電の中にはカフェ・ショップもある。

広い公園のちょうど真ん中あたりに立っていた案内標識。

前述した梅小路京都西駅の先には京都の台所、京都市中央卸売市場第一市場とすし広場がある。

ここは一度ぜひ訪問したいと思っている。

公園の北東側にはこの公園の目玉、2012年3月14日に開園した京都水族館がある。

この内陸型大規模水族館は京都駅から徒歩15分とアクセスも抜群で

京都の川に住むオオサンショウウオをはじめ、10のエリアで約250種、約15,000点の生き物がいる。

https://www.kyoto-aquarium.com/index.html

今回梅小路公園に来た目的はこの公園の一角(南東部)にある梅林の梅が満開ということで見に来た。

たまたまタクシーがこの梅林の全く逆側で降ろされたため、

この公園全てを見ながら横断してここまで来た。

この梅林エリアは東側、北側、南側の3つに分かれていて14種140本ほどの梅が植えられている。

この写真は東側梅林のものです。

個々の梅はちょうど見頃を迎えており、のどかに堪能させてもらいました。

この梅林の南側には嵯峨野線とJR京都線が走っておりこの公園の位置がわかるのでは。

一方、北西の方に目を向けるとまだ山に雪が見える山々が連なっており、

これを見ての京都の冬の厳しさがわかる。

京都水族館の前には広大な芝生広場が広がっており遠くには野外ステージが小さく見える。

この観光案内は小さくてわかりにくいが、

このエリアはあまり来たことがないところで今まで盲点になっていたエリアだ。

 

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編439~

2023-03-27 06:16:26 | 食~番外編(京都)

鶏料理 なが田

京都市上京区真盛町726-22

TEL 075-467-8810

定休日 木曜日

https://kyoto-nagata.com/

北野天満宮梅苑「花の庭」のライトアップが日没からということで、

早くから開いている店を予約しようとあたっていたら

当店が「この日は定休にしようと思っていたが、わざわざさいたま市から来るなら特別開けましょう」と

意気に感じる返事をいただき、これはありがたいとお願いした。

当店は大人の鶏料理専門店だ。

こちらは鶏料理の専門店なだけに入口のところには秋田県ブランド鶏比内地鶏の産地証明書

あるいは高知県の土佐シャモの手ぬぐいが張りつけてあった。

店内はとても凝っていて民芸風の造りで隠れ家的な雰囲気が流れている。

キッチンというよりは台所といった感じのオープンキッチン。

カウンター席は掘りごたつ式で落ち着ける空間だ。

京都の飲食店特有の風景は舞妓、芸妓の源氏名が書かれたうちわを飾っているところが多いことだ。

当店は特にうちわのディスプレーが徹底している。

壁にまるく飾ってあると思えば天井にも貼ってある。

上七軒の芸舞妓は当店をよく利用するらしい。

これがプロ好みの徹底した当店の鶏料理のメニュー。

鶏一筋の店主が厳選した京赤地どり、前述の秋田県本家の比内地鶏に高知県土佐幻の純血種、

卵は京都大原山田農園の有精卵と素材選びも徹底している。

出てきた時はちょっとビックリしたオススメの鶏肉関係オンリーの盛り合わせ2,300円。

丁寧な説明を聞いたが残念ながら忘れてしまった。

鶏の珍しい部位3ヶ所の刺身。

これは滅多にお目にかかれない珍味の絶品だ。

肝焼590円。

このボリュームは迫力満点だ。

青・赤・地どりのもも肉1,500円。

万願寺唐辛子焼付き。

せせり790円。

この世界になるとスミダマンも所詮素人の世界。

本当に大人の鶏料理ワールドだ。

ぼんじりと九条ねぎの塩炒め680円。

最後にホイル焼き椎茸790円。

定休のところ、店主の心意気で開けてもらったが、その後2組の予約が入ったということでホッとした。

〆に御飯物か稲庭うどんをオーダーしようと思っていたが特別開けたので用意してないとのこと。

即納得して梅苑「花の庭」のライトアップ会場へ向かった。

 

 

 


花街 上七軒

2023-03-25 06:10:28 | 旅 ~京都

花街上七軒は京都五花街の中でひとつだけ離れた場所に位置していて、

京都で最古で北野天満宮との関わりがとても深い花街だ。

他の花街は江戸時代に始まったが上七軒は室町時代に生まれた。

場所は今出川通りの上七軒交差点から北野天満宮の東門までの約400Mの真っすぐな通りの周辺にある。

通りの所々には第71回北野をどりのポスターが貼れてあった。

時期は3月20日(月)~4月2日(日)

場所は上七軒歌舞練場で行なわれる。

戦前まではお茶屋は50軒、芸舞妓は60名、娼妓も3名居たという。

現在はお茶屋は10件、芸舞妓の数は31名と言う。(2015年現在)

舞踊の流派は明治以前は篠塚流だったがその後は花柳流に変わった。

夏になると約1ケ月間は歌舞練場内がビアガーデンになり、

その時は浴衣姿の芸舞妓さんと気軽に話ができ、お酒も飲めるそうだ。

TVでは見たことがあるが、実際一度来てみたいものだ。

歌舞練場入口裏通りの所に上七軒のお店マップがあった。

とてもわかりやすいマップでお店の名前と電話番号、業態が色別で書かれてある。

約400Mの通りに46軒の店がある。

上七軒の由来は室町時代に北野天満宮の一部が焼失して再建した時の

残りの木材を使って7軒のお茶屋が建てられたことが起源とされている。

小さな花街だが通りの両脇には古い町家が並び京都らしい町並がつくられている。

今度は夜の上七軒。

桃山時代、豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折、茶店側はみたらし団子を

献上した所大いに誉められて以来、上七軒はみたらし団子を定紋としている。

また西陣の結びつきで花街として繁栄を極めた。

有職菓子御調達所「老松」は明治41年(1908)に上七軒で創業した和菓子屋。

当主の家系は平安時代の宮廷祭祀官の流れを汲み、古来より朝廷に伝わる有職故実に

もとづく儀式・典礼に用いる菓子、茶道に用いる菓子を手がけてきたことから、

屋号を有職菓子後調達所としている。

夜店の前を通ったら、大きなゴミ袋が山のように積んであった。

これは梅花祭で出した老松の菓子で出たゴミでしょう。

こちらはお茶屋さんの「大多加」 

提灯にはみたらし団子の定紋が。

豆腐料理の「くろすけ」

雰囲気ありますネ

御召・和装小物の「弓月京店」

洋食の「彌兵衛」この日は飲食店はどこもウエイティングの列ができていた。

やはり長蛇の列の麺類・丼物の「ふた葉」

京都らしいけいらん、しっぽくが800円。

本当はここで食べたかったのだが…。

塀越しに枝振りの良い紅梅の木が赤みを帯びてきて風情がありますネー。

上七軒通りから路地に入った所にある京都中華の名店「糸仙」さん。

この佇まいで中華屋さんなのです。

当店に来たくて事前予約を入れたが人気店の為満席で断られてしまいました。

この日は人混みの中本当に歩いたのでどうしても休憩したくなり上七軒の佃煮製造販売であり、

喫茶店もやっている「たきものゑびす」に飛び込んだ。

https://www.takimono-yebisu.jp/

ホット玉露とお抹茶と和菓子セット950円と1050円を注文。

日本茶は一保堂、和菓子は老松の特製。

この和菓子は素晴らしく美味しかった。

他にゑびすのちりめんじゃこと塩芋けんぴが付いていた。

帰りには自家製のチリメン山椒756円

金胡麻おかか756円をお土産に買ってきた。


北野天満宮 梅苑のライトアップ

2023-03-24 06:02:56 | 自然

昨年から北野天満宮の梅苑「花の庭」は

京都洛中の名庭「雪月花の三庭苑」のひとつとして新たに再興した。(令和再興)

その夜間ライトアップ期間は2月24日~3月19日の金・土・日曜日。

時間は日没から20:00まで。

入苑料はお菓子付で1,200円だ。

今回はラッキーにも夕食の「なが田」さんより入場招待券をいただいて入苑できた。

上七軒で夕食を取り、日没を見て、重要文化財である東門から、

暗闇の中を梅苑「花の庭」へ向かった。

ご覧のように昼間の大混雑がうそのように人気がほとんど無くなってしまった。

東門をくぐり国宝の御本殿そして三光門へ。

夜の北野天満宮境内は本来の厳粛さを取り戻し、厳かな空気が流れていた。

毎月25日、天神さんの日はこのように日没から21時まで境内がライトアップされるそうだ。

いよいよ京都随一の梅の景観が見られる梅苑「花の庭」の入口のところに来た。

当苑の夜間ライトアップはLEDとかの電気系ではなく、

ろうそくの灯りで梅花を照らす和の方法で幻想的な世界を演出していて、

とてもホックリした光景となっていた。

最近新設された展望台近くは電灯のライトアップでくっきり浮き出てそれはそれなりに美しい。

夜の休憩所も昼間と変わらず人の群れ。

夜のお菓子も老松の銘菓が振る舞われていた。

苑内には梅の木を中心に約700燈のろうそくの光が

なんとも妖艶にボンヤリと梅の花を浮き出していたのがすごく印象的だった。

暗夜の中ライトアップされた楼門と一の鳥居を抜けて帰路についた。

今日も1日よく歩きました。(1万4700歩)

 


北野天満宮と梅花祭

2023-03-23 06:03:22 | 自然

2月25日は菅原道真公の命日の梅花祭が開催。

この梅花祭の歴史はなんと約900年、本当にすごい歴史の重みだ。

梅は御祭神であられる菅原道真公がこよなく愛された鼻に御神縁深き愛木として親しまれて、

道真公が京の都を去る時の歌があまりにも有名だ。

「東風が吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るるな」(拾遣和歌集)

毎年梅花祭では野点大茶湯が開かれる。

この行事は昭和27年から始まったそうだ。

ここ文道会館では野点拝販券が2,000円で販売され、恐ろしいくらいの長蛇の列が出来ていた。

お茶会ということで着物を着た外国人の並んでいるのが一際目に付いた。

重要文化財の中門と呼ばれている三光門前に見事に咲いた白梅と

鼻の庭入口に1本圧倒的に存在感のあった紅梅。

悪疫除札付「思いのまま」初穂料1,000円の授与所と各願いのお札の古神札収め所。

完全にガードされた梅花祭野点大茶湯の風景。

多くのカメラマンがお茶会の雰囲気を撮ろうと立派なカメラを持って

シャッターチャンスを狙っている中を一ブロガーが一緒になって写真を撮ってみました。

この日は花街上七軒の舞妓芸妓が総出でご奉仕だ。

それにしてもすごい人出だ。

境内一円を梅の香りが包む。

まさに「にほいおこせよ梅の花」だ。

北野天満宮梅苑は「花の庭」と称して妙満寺塔頭、

成就院「雪の庭」清水寺塔頭成就院の「月の庭」とここで雪月花三名園といわれている。

ここ梅苑「花の庭」には菅公ゆかりの梅50種類約1500本が植えられ、

白梅、紅梅、一重、八重の梅が咲き競っている。

梅苑の中に新設された展望台。

梅苑360度が見渡せて、絶景を大いに楽しむことができる。

広い梅苑の一角にはお茶とお菓子をいただきながらゆっくり休憩できるお茶屋がある。

ここを運営しているのは上七軒にある老舗菓子舗「老松」のようで和菓子と昆布茶が振る舞われていた。

本殿の裏手には豊臣秀吉が京都を守るために作った有名な土塁「御土居」があり

下には紙屋川が流れ、この高低差は人工的なもので秀吉のすごさが伝わってくる。

ここは梅というよりは秋のもみじの紅葉で有名な場所だ。

2万坪の境内一円に紅白の梅が咲き競い京都に春の訪れを告げる。

改めて「東風(こち)吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るるな」

昼間は気が付かないが梅の花の影にガラスのランタンが。

明日はライトアップの花の庭をアップします。

 


北野天満宮と骨董市

2023-03-22 06:12:52 | 旅 ~京都

北野天満宮 2019-8-27付ブログ参照

京都の人々からは北野の天神さん、北野さんと呼ばれ親しまれている北野天満宮。

その入口の所の一の鳥居。

京都では御所の四方の鬼門の北西を護っている大事な神社だ。

この日2月25日(土)は年に一度の梅花祭の日だ。

今回の旅は京都の催事に行きたいという思いが、梅を見るのは若干早いのを承知でこの日を最優先に組み立てた。

一の鳥居から楼門までの広い参道には、毎月25日道真公の御縁日に沢山(約300店程)の露天が立ち並ぶ。

特にこの日は年2回道真公の誕生日(6月25日)と命日(2月25日)に由来する特別の縁日(骨董市)だ。

今やこの縁日も国際化しスペイン、フランスの国旗が立つ露店も現れていた。

この骨董市には多くの着物の古着屋さんも出店しておりコロナが治まってきた中、外国人の姿を多く見かけた。

この様に着物を着飾った外国人女性もかなり見かけた。

鳥居の入口にはどこの縁日でも見かける屋台のおでん、煮込み屋さんがその匂いで誘ってくる。

結果的にお昼はここのおでんを食べればよかったと後で後悔した。

この写真を見てもわかるように3年間という長いコロナ禍ではほとんど見かけなかった大変な人出。

この参道はすっかり通常の縁日に戻っていた。

縁日の露店というと、どこにでもあるイメージの店が出ていると思うが、

この骨董市にはここならではのお洒落なコーヒー関係の店、

古都ならではのお線香、ローソク専門の店、又、古銭を扱っている店など個性的な露店が数多くあった。

食べ物でも地域名産の「丹波干柿」を売っている露店も新鮮だ。

この社は学問の神様である菅原道真公を祀りする全国の天神様天満宮の総本社で学業成就、

学力向上祈願、入試合格、各種試験の合格祈願にご利益があると言われている。

境内には「なで牛」と言われる寝そべった牛が十数体もある。

体の悪い部分を撫でると病気やケガが治ると言われている。

その中、一体だけ、本殿に立ち上がろうとする未だ謎の唯一の立ち牛というのがある。

平安時代、天暦元年(947年)この地に朝廷によって社殿が創建された。

400有余年と新しい桃山時代から今に残る稀少な社殿は国宝だ。

他にも数多くの国宝、重要文化財が奉納されている。

当神社の神紋は「星梅鉢紋」だ。

現在の絵馬所は元禄12年(1699年)に建てられ規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と言われている。

百人一首(?)の絵札が飾られていて、一味も二味も違う建物になっている。

重要文化財の「三光門」。

御本殿前の中門で日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれている。

実際には星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として天神さんの七不思議に数えられている。

この時も小雪が舞って京都らしい風情と成った。

北野名物長五郎餅が販売されていた。

長五郎餅は太閣秀吉が開いた北野大茶会の際用いられたという

由緒正しきお餅でなんとこのお店は創業天正年間という。

本当に京都の歴史はすごい。

天満宮の東門から出て参道と平行して南北にある道路にもびっちり露天が出ていて大変な人混みだ。

本当に外国人も多く熱心に骨董をチェックしていたのが印象的だった。

こちらはやはり東門から出て東方面の花街上七軒に向かう途中の広場に出店していた露店。

ここの露店は本格的な骨董品が多く見応えがあり、北野天神の骨董市にきたナーという感じをじっくり持てた。

北野天満宮の骨董市はリサイクル着物やハギレの宝庫で着物市としても名を馳せている。

着物が1枚1000円と信じられない価格で売られており、女性達の目は真剣だ。

この女性は人気者らしく地元の男性から「この娘、おたべにそっくりやねん」といじられていた。

ここ北野天満宮の骨董市は東寺の弘法市とともに二大骨董市と言われている。


京都御苑と梅

2023-03-21 06:15:53 | 自然

2021-4-28付、2022-8-31付ブログ参照

蛤御門。

正式の名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」。

門の形状は高麗門型の筋鉄門。

御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、

固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞられて

「蛤御門」という俗称が付けられた。

そして蛤御門の変で門柱に命中した弾痕の跡。

京都御所の南に位置する御所の正門がこの建礼門。

天皇・皇后と外国元首級のみが通ることのできる最も格式の高い門。

建礼門から南に大通りがのび「葵祭」「時代祭」は建礼門がスタート地点になっている。

京都御所の南西側にある梅林には約200本の梅の木がある。

主に昭和20年代に京都各地の神社から譲り受けた穂を接ぎ木で育てたもの。

梅林の北隣には約70本の桃林がある。

九条邸跡。

九条家は五摂家の1つで平安後期以降多くの人が朝廷の重要職である摂政や関白についた。

その娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子(さだこ)もその1人だ。

広大だった屋敷も今では池の畔の茶室の拾翠亭と九条邸の鎮守だった厳島神社が中島に残るばかりだ。

京都御苑池の弁財天厳島神社。

その鳥居は平清盛建立の唐破風鳥居で重要文化財になっている。

蚕ノ社の三柱鳥居、伴氏社の鳥居とともに京都三珍鳥居の1つに数えられている。

京都御苑南西角に位置する閑院宮邸跡は江戸時代から続いた閑院宮家の屋敷跡だ。

京都御苑は御所を中心に200もの宮家や公家の邸宅が建ち並ぶ公家町でしたが、

明治初期の大内保存事業でこれら邸宅は取り壊された。

そのなかで閑院宮邸跡は創建以来の場所にあって当時の建物や庭園の面影を今に伝えている。

閑院宮家は伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ四親王家のひとつで

東山天皇の第6皇子直仁親王を始祖として宝永7年(1710年)に創立された。