散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記20220507土 ~ 20220515 日 遠足 敬老パス紛失 

2022年08月24日 21時35分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
20220507土 プチ断食 副食作り 録画ファイル整理
翌日に、催し物に参加する予定があったので、日曜日予定のプチ断食を、この日実行。
午前中は何もすることなくTVを見た。
昼から午後にかけて長時間別置きHDの録画整理を行った。
録画ファイルは部門別のフォルダーを設け収納するように変更した。
この日以前の録画は収録日順で、様々なジャンルの録画が時系列順に収納されている。
それを例えば音楽であればクラシックとオペラ&バレーとに分けた。
美術も、現代 近代 印象派 古典 日本画 彫刻 仏教美術といった感じで分類しようと考えている。
そのためにはフォルダーを作り、HD内のファイルの録画内容を見て収納フォルダーに入れる必要があり、非常に時間がかかる。
夕方から夜は、食材の買い出しと副食作りに時間を費やした。

20220508 日 歴史散歩・毛馬閘門 敬老パス紛失
朝から、JRで大阪城公園まで行った。
通っているジム・プールの合同散歩に参加した。
大阪城公園から、藤田美術館―淀川堤―毛馬閘門―旭スポーツセンターまで約10km歩いた。
私が通っているスポーツセンターからの参加者は私一人だったようだが、他のスポーツセンターからは多くの人が参加していた。
小さな公園での昼食時、他の参加者との交流を楽しむと同時に、他のスポーツセンターの情報を得ることもできた。
終了後メトロに乗ろうとして、敬老パスがないことに気付いた。
当然、周囲を探しまわり、メトロの駅でも落とし物を確認したがなかった。
帰路は、現金で切符を購入し帰宅した。
駅の駐輪場では、6時間以上の駐輪で300円支払う羽目になった。
帰宅後すぐに、駅で聞いた連絡先に連絡し敬老パスを停止した。
しばらくの間は、交通機関を使った外出はできないと思った。
交通費が経済的に大きな負担になり、今までどおり利用すると、確実に赤字になる。
家賃抜きで月6万円余りの生活をする身にとって、片道数百円の交通費は大きな出費なのだ。
当面、メトロを使った外出は控えることにした。

20220509 月 
ほぼ終日TVを見たり、マイペースでゆっくりと副食製造を行う
昼に、警察署の遺失物係から電話があり、敬老パスの拾得届があったと連絡があった。
拾得場所は公園で、昼食時の公園で落としていたらしい。
しかし、落としたその日に、敬老パス管理会社に紛失届を出したので、再発行の手続くに入り、その時点で落とした敬老パスは失効し使えなくなると言われ念押しされていたので、拾得物の所有権を放棄した。

20220510 火
新聞広告で、大手製薬会社のミクロン単位でウイルスを除去でき、通気性が高いという高性能マスクを見て、ネットで注文した。
午後からジムに行き、レッスンを受けた。

20220511 水
午前中株を調査した。
午後署名活動本部に自転車で行きチラシをもらってきた。
その後 スーパーの前で他のグループと一緒に署名活動を行った。
彼らは、政党に直結したグループで、日常的に街宣活動し、このスーパー前では週1回定期的に街宣活動をしていると言った。
署名活動終了後、夕方からプールに行った。
その後、気分転換のためファストフードに行き、読書した。
夜遅く、署名活動の、ラインのやり取りに時間を割いた。
疲れた。
市民運動の大変さが分かった。

20220512 木
午後署名活動のことで、電話やラインのやり取りでかなり時間を割いた。
夜は副食製造を行った。

20220513 金
午前中、署名活動のため、環状線近くの路地裏長屋の、とある市民グループの活動拠点に行き、女性代表と面談した。
10-20人の女性グループで、さまざまな活動を行っているらしい。
男性には、強い警戒感を持っている様子だった。
署名活動の概要を伝え、パンフレットを渡した。
どうやら直接署名活動事務所の本部へ行き、受任者になり署名グループを作り署名活動するようだった。
夜は遅れている、昨日記を書いた。

20220514 土
メールの整理や、録画ファイルの整理を行った。
夕方、昨日記を書き、その後自宅から商店街やその周辺をウオーキングし、約1時間速足で歩いた。

20220515 日
夜にファストフードで読書した以外、目的をもってこれといったことをするでもなく、適当に過ごした。
なんとなく疲れた感じだった。

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近況報告 20220819

2022年08月19日 20時56分25秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
再びの近況報告です。
前回、昨日記を書くと言いながら、夏休みの宿題同様放置したままで申し訳ありません。
(とりあえず反応もないので、このブログの常連の読者はごく少数で、ゼロに近いと思っています。
多分ブログをアップロードしたときに、たまたまアップロード後数十分間の間に、このブログが目に留まって、なんとなく読んだ人が数十人程度いるのだろうと思っています。それでも、誰も見てくれなくても自分の生きた証としてこれを書き、同時に自分を振り返り自分で対話します。)

さて、貧困の独居老人である私は、無冷暖房の夏を、自分の持てる科学知識を駆使しながら、酷暑を乗り切りつつあります。
10年ほど前は、今よりもっと過酷な状況で夏を過ごしていました。
室内が高温になる要素として、炊事場においてある冷蔵庫があり、これが室温を高めていると考えていましたし、実感していました。
冷蔵庫が動き出すと、冷蔵庫の外壁温度が上昇し、炊事場は更に高温になり、その空気が居間や書斎兼寝室兼通路に流れこみ、眠れない夜になったりしていました。
そんなわけで、当時は高温のため終日半ば朦朧としてやる気もなく過ごし、日が傾く3時ごろから50m屋外プールに行って暑さをしのぎつつ、泳いで運動能力の低下を防いでいました。
プールの帰りには、駅近くのファストフードで泳いで疲れた体を休め、涼をとりながら本を読んでいました。
プールとファストフードにいる時間だけが暑さから解放される時間で、私にとっては天国のような時間でした。
帰宅後は、夜になっても33度以上ある室温に、頭はボーつとし、無気力になり、とりあえず夕食を作り食事を済ませ、朝食や昼食を準備するといった無気力で単調な日々を送っていました。
就寝中も、蚊と暑さで寝覚めることは、ほぼ毎日のことでした。
この時だけは、貧困生活の苦痛を感じました。

現在も無冷房で生活環境は変わっていませんし、室温は夜や早朝でも31度あります。(換気能力を工夫してあげたので、室温が低下した。)
10年前と比べ、網戸を作り炊事場の冷蔵庫の排熱を、サーキュレーターを駆使して炊事場の窓から排出するようにしてから、ずいぶん室温の上りが少なくなりました。
同時に、玄関の明り取りの窓を外し網戸に変え、裏庭側も網戸を付け、扇風機やミニファンを使った結果、32度であっても風がよく通るようになり、何とか苦痛なく作業ができるようになりました。
ちなみに今、この机の上は32度53%で、斜め後ろからミニファンで弱風を送っているので、苦痛を感じることもなく作業をしています。
ただし、夏が始まるときに、30度以上の高温になれるまでの暑熱順化の間の数日間は、大変な苦痛を感じます。
10年前は、Tシャツが数時間で汗が搾れるほどびしょびしょに濡れていて、1日数回着替えていましたが、今は、Tシャツの一部分が汗で湿っている程度です。

いろいろこまごましたことを書きましたが、現在健康状態は全く問題なく、元気に過ごしていますが、完全自炊のため、食事関連家事は手抜きをすることができず、大変です。
ジムと室内プールは、体を冷やす目的もあり、頻繫に通っていて、健康維持できている原因の一つと思っています。
その他、日常生活に、変化はありません。

日々の行動は予定日報票をつけていて、15分から1時間単位で行動がわかるようにしています。
それを見ながら、明日からマイペースで遅れている昨日記を作成する予定です。
多分、今までと同様1週間分程度をまとめ書きして、投稿すると思います。

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