散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記151229火()

2015年12月31日 13時01分32秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =10.1 2.6
29日火曜日午前中は、ブログを書いたりする以外は、何もすることなく過ごした。
だが、机の上は、展覧会の案内状や書類や本が、重なり合っていて大変な状況になっている。
とりあえず、レシートだけは透明ビニル袋に入れてまとめて記帳しようと思っている。

これに関連する話だが、今日(12/31)ゴミの収集は終了したが、正月休みの間に机や大量の本の整理をしようと思っている。
出来れば正月は読書に励みたいが、性格的にグータラなので無理だろうと思っている。
実際、いつもフル稼働すれば、それほど無理をしなくても100%できる予定を頭の中で作るが、現実にはついついTVを見たり間食をしたりして、計画したことの三分の一程度しかできない。
しかし、グータラであっても、たとえ三分の一でも前に進めることこそが大事だと思っている。
少なくとも計画的に物事を考えている証拠であり、何かをしたいが、そのために計画を練るといったことさえしなくなれば、自分の置かれた現状を認識できず、将来の希望や展望を持てなくなり、その時は多分認知症になったときだろう。

先日意紙切れの端にメモした留意しておくべき事柄があった。
しかし、29日はその紙切れをどこに置いたかわからず、机の上を探したがない。
仕方なく、約1時間近く思い当たる場所を手あたり次第探したがなかった。
あきらめて他の作業をしていて、精算のため財布を開くと、その中にメモした紙切れがあった。
その時メモを財布にしまう時の、考えや状況を即すべて思いだした。

この日、やはり、この年末年始は整理整頓に注力しなければと痛感した。
しかしこの日は、午後から遅れている昨日記の記載と副食作りに追われ、整理や大掃除どころでなく、目前の家事に追われ寝たのは1時頃であった。
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昨日記151228月(有償ボランティア)

2015年12月30日 23時41分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =9.8 3.0
28日は、午前中短時間の有償ボランティアとその付帯作業を行った。
ボランティア作業終了後、作業を見に来ていた町内会関連のAさんが常駐している「老人憩いの家」に行き、話し込んだ。
なんとAさんは、科は違うが、工業高校の後輩とわかり、しかも「老人憩いの家」の近くに住む工業高校の級友が、Aさんの中学校のクラブの先輩にあたるということで驚いた。

夕方から副食の食材の買い出しに出かけた。
寝る前に歯磨きをしようと炊事場に行くと、ネズミが慌てて逃げたことを確認したので、テープを使ってネズミの行動を妨害する仕掛けを作ったり、粘着シートを設置したりしたため、寝るのが遅くなった。
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昨日記151227日(見下しの心理 ジム)

2015年12月30日 20時37分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ = 10.8  4.3
27日は、午前、TV番組で指摘のあった心理学の実験の詳細を知ろうとして調べたが、分からなかった。
(私の記憶では、次のような話であったと思うが、記憶が正確かどうかわからないので、この話は参考として受け取ってください。)
その実験は、アメリカの大学での実験で、AとBの二人でビジネスゲームをするが、その時Aは2個のサイコロを振り、Bは1個のサイコロを振るように最初から設定しておく。
ゲームを重ねると、Aが必ず儲けるのでBと格差がつく。
その結果、AはBに対しての思いやりが無くなったりBを見下すようになり、Bは見下されたり落ちぶれた気分になるという。
こうした心理が、アメリカ大統領候補のトランプ氏の言動に影響している可能性が考えられるという。
この心理学実験が正しければ、お金持ちはこのような心情に陥りやすいといえるだろうし、年齢にかかわらず、こうした環境の人の中の一部には、いじめを平気で行ったり、差別発言や行動をとったりする可能性があるのかもしれない。
過去に接した一部の金持ちに、実際におごり高ぶった人達を見受けたことがあるが、納得できる話である。

午後から中央図書館に行き、数日前に借りたジャンルと違う分野の本を借りた。

夜になって、今年最後のジムに行った。
筋トレとランニングを行った。
成績は、変化なかった。
正月休み明けに、どれだけ筋力や持久力が低下するか心配だ。

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昨日記151226土(CAS金沢健一展   私的芸術論)(追)

2015年12月29日 20時54分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ = 12.1  4.9
26日は、午後からCAS(大阪市浪速区元町1丁目2番25号 A.I.R.1963 3階)(http://cas.or.jp/index.shtml)に出かけた。
CASは初めて行くギャラリーだ。
事前にネットで調べていったが、少し迷った。
金沢健一展が開催されていた。
この日は、下記のパフォーマンス/トークがあった。
  「芸術という名の科学、科学という名の芸術」
金沢 健一 × 倉持 宏実 (東京大学工学系研究科特任研究員、東京造形大学非常勤講師)
芸術と科学の関係性について興味があったので参加した。
科学と芸術に関しては、今年の1月30日にグランフロント大阪で開かれた、アートX生命科学の探求展に参加したことがあり、科学とアートの関係に興味はあった。
その時の内容は、昨日記150129 150130に記載している。
今回の展覧会ではパフォーマンスもあった。

私はもともと設計技術者で科学と芸術が絡むパフォーマンスにも興味があった。
そのパフォーマンスは、円・三角・四角と形を変えた9㎜?の鉄板に砂を載せ、擦ると砂が集まりきれいな円形の輪になるというものであった。
このパフォーマンスは、面白くスマートでよかった。
ただ、このイベントに、実験とパフォーマンス・表現の境界がどうなのかという、面白くかつ哲学的議論の問題提起の糸口が含まれているのかもしれない。

これは共振現象で、物体の材質と形状から決まる固有振動による共振現象であることはすぐわかる。
最後の質問の時に、その事について関連したことを発言したが、逆に私が間違ったことを言ったように疑われて話が終わった。
更に、別の人からもあやふやなことを言うと信用を失うといったことも言われ、少しへこんだ。
科学技術と無関係な人がほとんどなので、致し方ないことかもしれないが、なんとなく不完全燃焼した感じであった。

共振現象は、建築の固有振動による長周期振動にも関係するし、スピーカーや楽器の特性にも関係したり、パイプオルガンで共振して教会のガラスが割れたりすることも引き起こしたり、様々な場面分野で見ることができる。

今回のギャラリートークで、科学と芸術の本質ということを改めて考えるとともに、今まで芸術の事に関して哲学的に記号論的立場から思考してきたことに間違いないことを確信した。

科学に関しては、真理は一つで、再現性があり、いろんな方向から考えても同じ結論に達する。
科学は、起きている事象を解き明かし証明することであり、主観や予断を排し客観的に事実を積み重ね、論理的に説明することなのである。(客観性を獲得するために計測可能、定量化、構造化は必要な事である。)
科学において、証明過程は非常に創造的な作業であるが、その目的は隠されている事実の「発見」なのだ。
それに対し、芸術は、価値観により形成されているので、その価値観の中で優劣がきまり、ヒエラルキーが形成されると同時に、創造そのものであるといえる。
価値観は、実存的な事項、即ち主観や環境や社会・民族・宗教・家族・人間関係・教育・経験体験といった様々な、人間活動に起因する事象により形成され、個人の価値観は時間とともに変化する。

芸術論メモ
同時に芸術は表現であり、頭の中にあるだけでは芸術にならない。
即ち、描いたり造形したり音を出して、外部に五感に感知できる形にして作品にすることで、芸術になるが、作品となるためには他者が了解できる、共通の文法や文脈(記号意味・記号内容)が必要である。
他者が作品制作者の作品を了解できなければ、そこにコミュニケーションは存在せず、表現されていないことになる。
その意味において、鑑賞者もある程度の、コミュニケーション能力=作品を了解する能力は必要である。
作者が素晴らしい作品を提示しても、鑑賞者がそれを理解できなければ、「猫に小判」なのであり、外国語を理解するには単語や文法を知らなければ理解できない。
それぞれの芸術(例:演歌 浪曲 義太夫節 ハードロック フォークソング 現代音楽 バロック音楽 オペラ・・・・・)には、それぞれの、単語、文法、文脈が存在する。(表現のシンボルや表現方法や表現内容・コンテンツ、その他さまざまな他分野から影響された要素が含まれる。)
新しい芸術は、現在も生まれているが、人々に理解や認知され定着するには時間が必要。
例えば、ビートルズの音楽が出た時には、一般の人やクラシック音楽関係者にとっては、単なるやかましい音楽だったが、今は多くの人に愛されている。
ジャズも当初は、アメリカ南部の地域の黒人音楽であり、美術の印象派ですら当時理解されなかった。
真に前衛的な作品は、始めは創作者自身も明確にわからないまま創作・表現していることも多いと聞く。

従って現代美術といっても、多様な価値観(ミニマルアート、表現主義、ポップアート、コンセプチャル・・・・・)があり、すべて表現する価値観と表現手法としての文法文脈が違うのである。
即ちパラダイムが違うのである。

無論現代芸術以前の芸術(印象派 ロマン派 バロック・・・・) も同じで、現代とかロマン派とかの区分も、人間の価値観で区分したに過ぎず研究者により微妙にその区分や作品の評価も違う。
異なったパラダイムで、お互いを評価できない。

(以下上記芸術論メモの言い換え+α)
又、価値観は、時代や地域や民族や宗教で変化する。
同じ価値観の芸術ですら、その中に微妙に違う価値観が存在する。
権威といわれる評論家や学芸員ですら、意見が分かれたりするのは当然の事である。
時間がたつと価値観は収束し定着する。
その意味でも評価するときは、間違いとかを否定せず、様々な議論をオープンに競わせることで、評価はおのずと定着する。
即ち間違った意見は、多くの人の賛同を得られない。

ここで、誤解されては困るのだが、評論家や美術館や大学の評論等が、価値がないと言っているのではない。
少なくとも、専門家はその分野を事実を基に実証的に研究し、最新の学説や考えを基本に論旨を展開しているのであって、その段階では正しいかどうかは別にして、大いに傾聴に値するものだと考えている。
事実に基づかない、単なる感想を述べるのは、専門家や学者ではなく、酒場の雑談と同じである。
ただし、優秀な芸術家やコレクターの、感性に基づく芸術的感想は、そもそも芸術的感性そのものが経験的側面を含むので、目の肥えた人の感性的な見方は尊重される。
目を肥やすには、いい作品に多く接することが必要というのも、共通する話である。

現実に、ほとんどの場合、我々はそうした現在や過去の経験豊かな優秀な専門家の見方考え方を通して又は参考にして、作品を評価している。(専門家にも優秀でない人も多い。)
そのうえで新たな事実の発見や新しい価値観も取り入れて、今までの評価とは別の評価を付け加えてたり、自分なりの考えを持つこともあるといえる。
その意味で専門家の考えや分析や感じ方をよく知り尊重した上で議論することが重要であり、専門家は芸術の評価には不可欠の存在であることは言うまでもない。(どの学問にもあてはまることだが)
また、知識は、勉強すれば覚えられるが、芸術的感性やセンスの良しあしは、一般人がいくら努力してもセンスのいい専門家に及ばないところがある。
芸術的感覚・感性の良さは、専門家の鋭い感性を参考にしたり教えてもらいながら、更に自らもいいものを見聞きして養うより方法はない。

ただし、日本人の場合多くの人が肩書や権威に弱く、反論すると失礼にあたるとか、検証もせず無批判にその言説を受け入れていることが多い。
もっと極端なことを言うと、一部の権威により評価された作品が、後世から見れば「共同幻想」という評価を受けることも否定できないかもしれない。
その権威は、マスコミが自分の目や耳で評価せずに、評論を無難なよく活動している評論家に委ねた場合、万一その評論家の感性が曇っていても、マスコミのブランド力によりある意味無責任な評論の垂れ流しを見抜けず権威と信じる無批判な大衆が評価を受け入れる形で、権威や評価が作られる可能性も無きにしも非ずである。(通常感性の曇った評論家が起用されることはない。)
例えば印象派が当時の権威から否定されたように、後世に再評価されることも多いのだ。
科学と違い、芸術は価値観で形成されているため、これが正しいということはなく、ただ大多数の人にその価値観が認められその価値観に従って評価しているということなのである。
従って、極端な話、「IS」にとっては、彼らの狂信的な宗教観が最高価値であるため、パルミラ遺跡や偶像は無価値というより、否定すべきもので、歴史的美術的価値を認めず、ただの否定されるべき物に過ぎないのである。
あり得ない話であるが、もしISが政権を取れば彼らなりの価値観による美術館や博物館を作るであろう。

以上述べたように、地域風土・民族・宗教・・により、世界の価値観は多様に分布していて、近代国家が共有している西洋文明の価値観だけが正しいということはできない。
地域的・民族・宗教な価値観の違いは、経済力の差により最も経済力のある地域の価値観が、それ以外の地域に影響を及ぼしたが、現在通信・交通技術の発達により地域的文化の差異は急速に縮小し、経済もグローバル化しかつ経済的パワーも急激に変化しつつあり、今まで標準とされてきた西洋文明も、どんどん多文化の影響を受けつつあり、世界的に変化しつつあるのかもしれない。
それと同時に、時間(時代)の変化とともに、同じ(西洋)文明であっても、急速に価値観が変化していることは、忘れてはならない最も重要な要素である。
例えば、ゴッホを含む印象派の評価の変化はいい例であり、バッハもメンデルスゾーンにより再評価されなければ、埋もれた作曲家になったかもしれないのだ。
最近一部で再評価され始めたヨハン・ネポムク・フンメルは、当時ベートーベンと並ぶ巨匠であったが、近年まで全く忘れ去られた存在であった。
今創造されつつある現代芸術は、それが認められるまで時間がかかり(価値観が受け入れられ定着するまで)多くの芸術は一部の人に支持されるが、やがて人の記憶から忘れ去られ消えてゆき、極一部の芸術のみがその時代を代表する芸術として、多くの人に支持され次の世代に受け継がれるのだ。



参考

散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより
(参考ブログは、数週間に1度追加削除しています。数か月以前のものは分野別<芸術 健康 エッセイ 歴史宗教思想 情報機関> に分類しています。)
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昨日記151225金(クリスマス 録画機能不調・設定修正)

2015年12月29日 17時51分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ = 13.3  7.3
25日は、朝FBを見ていて友達の名前と紛らわしい人の見知らぬ人からの投稿が掲載されているのに気づき、そのことに関し投稿し、この昨日記にもその記事「FBの友達関係」を掲載した。
その後も遅れていた昨日記の151223の記事を作成し投稿した。

クリスマスイブもクリスマスも、キリスト者でない私にとって、余り関心はない。
我が家には、神棚や仏壇があり、父の田舎からは毎年、出雲大社(大社教)の神主さんが祝詞をあげに来ていて、キリスト教徒は全く無関係だった。
それでも子供のころは、両親がクリスマスケーキを買ってきてくれたり、プレゼントをくれたりしたが、中学にもなるとそういったことはなくなった。

しかし社会人になってから、キリスト教に強くひかれたこともあり、少なくとも新約聖書は一応通読し、その構造もある程度理解したが、旧訳聖書はまだ一部しか読んでいない。
というのも、西洋の音楽・文学・絵画・哲学の主要な部分のかなりのところは、キリスト教の理解無くしてわからないことも多く、特に直接的にキリスト教に関心を持たざるを得ないと思ったのは、バッハの曲を深く聞きだしてからだ。
バッハの数々の名曲は、例えばマタイ受難曲は新約聖書のマタイ伝を元に作曲されていて、マタイ受難曲を聞き始めた時は、マタイ伝を読んだことがなかった。
このクラシック音楽を代表する名曲の一つでもある、『マタイ受難曲は』歌詞・語りにも劇としての意味が込められていて、深く理解するにはキリスト教の理解が不可欠であり、そのことが新約聖書を本格的に読むきっかけだった。
そもそも西洋音楽とキリスト教の宗教音楽の関係は密接につながっていて、キリスト教の宗教音楽が現在のクラシック音楽の起源(バロック音楽以前・中世の音楽)の中心をなしているのではないかと思っている。(音楽史で西洋音楽のそのルーツは研究されているが、詳細は不勉強で知らない。)

私が初めてキリスト教関連の音楽と結びついたのは、中学生の時に音楽の先生から強制的に音楽部に入れられ、コーラスに参加することになり、区の合唱コンクールに出るための曲を合唱させられたが、その時の曲がグノーのアベマリアであったのが、キリスト教関係の音楽を本格的に知るきっかけだった。
そのころから、クラシック音楽に関心を持つと思に、キリストやマリアを意識するようになった。
社会人になってからも、更に興味を持ち折に触れ信仰とは無関係に宗教音楽も聞いた。
しかしバロック音楽に興味を持ち出してから、先に述べたように、特にバッハの曲を深く知るためには、キリスト教の知識が不可欠と知った。

同時に哲学面や科学史でも、キリスト教の教義との論争を理解するにもキリスト教の思想の理解が必要だった。
例えばニュートンの時代でさえ、科学は神の力を証明するため(神に仕える)にあると考えられていて、近現代の純粋に科学は自然の成り立ちを理解するための学問という考えではなかった。
そのことは、ダーウインの進化論と教会との論争を見てもわかる。

現在は、宗教的には仏教の事も神道の事もキリスト教の事も儒教の事も、哲学や文化人類学や考古学や歴史や芸術的関心から、少しずつ本から知識を得ていて、そうした関心の中の一つとしてのキリスト教という見方である。

それ以外、クリスマスやクリスイブに特別な思い出はない。
ただ、家にただ一人過ごしていてもつまらないので、何度か教会のクリスマスイブのミサに参加したことがある。
またアメリカで英語留学していた時にクリスマスを体験したが、街や学校から人が消え店も閉まり、寂しく孤独なクリスマスだったことを覚えているが、その時は、親しいクラスメイト(外人達)たちと、ファストフードでお茶を飲みながら雑談していたように思う。

クリスマスの余談が長くなったが、夜になってジムに行き筋トレを行った。
その夜は退屈なので、早く寝ようと思いつつ、TVの録画機能が不良になっていて、再生するときに録画されていないことで発見しチェックを始めた。
設定や、表示機能をひとつずつチェックし、実際に番組を録画させたりして機能を確認し、ついに問題を解決することができた。
このトラブル処理に時間を取られたので、寝たのは2時近かった。
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昨日記151224木(年賀状作成)

2015年12月26日 21時35分58秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ = 15.9  10.2
24日は、朝から前日の参鶏湯パーティーで飲みすぎて二日酔いにはなっていなかったが、体調がなんとなく悪く、頭もスッキリしない状態だった。

午後から、年賀状の作成にとりかかった。
デザインや文案も白紙だった。
まず、昨年宛名の印刷をどうしたのか、思い出そうとした。(一昨年のウインドウズXPまでは差込ファイルを使って宛名書する手法を完成させていた。)
関係のファイルを調べると、データ処理ソフト、アクセスに入力した住所氏名のデータを、ワードの差込ファイルを使って入力していることがわかりテストを繰り返したところ、使えることがわかった。
ワードの差込ファイル用のフォームは4-5年前から開発し改良を重ねて、現在に至っている。

文面の方は、昨年度の文章を全面的に作り変えて、フォームを少し変えてうまく印刷できる状態になった。
イラストも入れようと思ったが、手間がかかるのでやめた。

ほぼ、宛名も文面も印刷できそうなレベルまで仕上がったので、近くの郵便局に年賀はがきを買いに出かけた。
年賀はがき入手後、すぐに昨年度の失敗はがきで試し刷りを行い、少し修正を加えた。
その後は、一気に年賀状を仕上げ、その日のうちに投函した。
年賀状が制作から投函まで1日ですべて終了したのは、ここ20年来初めてのことだ。

年賀状投函後、出金のため銀行に行き、ついでにファストフードでいつものようにコーヒーを飲みながら読書を楽しもうとしたが、読書の途中から強い眠気に襲われ仕方なく帰宅した。
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昨日記151223水(みんぱく展示ツアー エキスポシティー 参鶏湯パーティー)

2015年12月25日 17時54分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ = 10.7 6.4
23日(水)は、朝から副食作りで忙しく働いた。
とにかく昼までに、ある程度副食を完成させておく必要があった・
結局8時過ぎまでに、11食分の副食を40%程度完成させ、その後その中の一つを完成させ朝食にした。

朝食後、万博記念公園までの最も安いルートを調べたが、地下鉄からモノレールへの乗り換えの状態が不明なので、慣れている御堂筋線を使うことにした。
御堂筋線を使うと、江坂から千里中央までは北大阪急行になり高齢者割引が適用されずに別料金を取られて高くつくのだ。

昼前に缶詰とご飯で、簡単な昼食を済ませ、家を飛び出した。
天気は悪く小雨が降っていた。

モノレールの万博記念公園に着いたのは、1時半ごろだった。
しかも雨は少し強くなっていた。
最近できた新しい巨大施設、エキスポシティーは、雨にもかかわらず、多くの家族・友人連れやカップルの人の群れを吸い込んでいた。
それでも、いくらかの人は万博記念公園に向かっていた。
入り口で、みんぱく「国立民族学博物館」から来た(みんぱく展示ツアー」の案内メールをのコピーを提示し万博公園に入った。
正面に太陽の塔が高くそびえているが、いつ見ても美しい。
モノレールの駅から、万博記念公園まで、結構歩かなければならないし、公園入り口から「みんぱく」まで500m余り歩かねばならないし、みんぱくに入ってからも広いスペースを歩かねばならず、多少運動を強いられる。

セミナールームには開始時間の、1時半から5-10分ほど遅刻した。
会場ではすでに講座が始まっていた。
みんぱく展示ツアー「貝の魅力―その使用価値、装飾的価値、象徴的価値」というタイトルで飯田卓国立民族学博物館准教授が担当されていた。
セミナールームで、展示ツアーの概要を聞いた後、館内で貝を使用した貴重な民族資料を見ながら、詳しい説明を聞いた。
ツアー終了後、再びセミナールームで解説を聞いた。
その後質疑応答のあといったん解散し、更に興味ある人は先生の周りで質問したり資料を見たりしていた。
その中で興味深かったのは、徒然草34段前文に貝の香料があることが記載されていて、その巻貝の貝の蓋を粉にした資料を持参されていて、参加者に嗅がせてもらった。
ほんのりといい香りがした。

展示ツアー終了後急いで、モノレール駅に引き返した。
駅の周りは、エキスポシティーへ向かう人は続いていた。
せっかく来たのだから、とりあえずエキスポシティーに向かった。
その中は、若い人や家族連れであふれかえっていた。
センスのいい新しい店やブランドがたくさん並んでいた。
とてもじゃないが短時間で見て回れない。
話題の水族館もある。
次の予定があるので、途中で切り上げモノレールに乗った。

千里中央駅を降りて、ファストフードで一休みしたのち、地下鉄で淀屋橋まで行き老松通に向かった。
途中中の島では例年行われているイルミネーションの催しと、中央公会堂のプロジェクションマッピングが行われていて、雨にもかかわらず多くの人が来ていた。

老松通にある天野画廊の周囲はしんとして人影もなく音も聞こえてこなかった。
初めて天野画廊の年末恒例の参鶏湯パーティーに参加した時は、入り口もわからず音も聞こえないので、参加せずにむなしく帰宅したことがあった。
画廊裏の細い路地からビルに入り、画廊の扉を開けると多くの人が来ていた。
知っている人は数名だったが、最近ほとんど顔を見なかった懇意にしている馴染みの有力作家が来ていて驚いた。
参加する前から気にはなっていたのだが、通常差し入れの酒かあてを持参するのが普通なのだが、今回は手ぶらで参加し、ドアを入るときに多少肩身が狭かった。
雨なのでいつもより多少来ている人は少なかった。
天野さん手作りの参鶏湯を囲み、お酒を飲みいろんな人と様々な話を楽しんだ。
この参鶏湯は何日も前から、オーナーの天野氏が食材を仕込んで手作りで何匹も準備されるという手間暇をかけたものであり、パーティーの主役の一つでもある。
馴染みの作家のいたことで、いつもより大量に酒をのみ、二日酔いのペースになりながら、御開きまでいて、彼と一緒に大阪駅まで帰った。
帰宅すると11時半を過ぎていた。
慌ただしく動き回った一日だった。
帰宅後も疲れや二日酔いは、感じなかったが、意識も多少薄れているので、翌日には二日酔いとか肉体疲労が出るだろうと思いながら床に就いた。
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FBの友達関係

2015年12月25日 07時52分35秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
何か月前からFBのタイムラインに、日本人のローマ字表記KTの「いいね」の記事が頻繁に多く乗るようになりました。初めはKTと名前は同じだが苗字が違う「友達」の「いいね」の記事がと思っていました。そのままにしていましたが、大量に記事が掲載されるので念のためKTのプロフィールを見ると、私の該当する友人と生年月日が全く離れていました。
FB登録して間もないころに有名人に友達申請した人が数人いましたが、それ以降、実際に会ってお話しした人以外しか友達になっていません。FBに登録された友達は1-2度しかあったことのない人も含め、だいたい覚えています。
1-2週間に一度は友達リストを見て登録した状況を思い出しているので、一度しかお話ししたことのない人でも、おおよそ、どの場面で会ったか覚えています。
しかしKTなる人物とここ1年の間に会った覚えはありません。しかも私の友達リストには載っておらず、KT側のプロフィールの友達の分類では知人になっていました。
そういうことがわかったので、KTのプロフィール上でフォローや友達をやめる操作をしました。

FBの友達には、「親しい友達」「友達」「知り合い」の区別があり閲覧できる範囲も違うようです。プラバシー保護の観点から、友達に迷惑が及ばないように、親しい友達や友人であっても、友人が数百人以上と多い人については、親しい友人人でも友達の区分を「知り合い」にしていることが多いです。その理由は、友達の友達が、友達リストを見て、まったく見ず知らずの人に、ビジネスや勧誘目的で友達申請する可能性があるからです。

実際に、私の親しい外国人の友人が、多分彼の情報(機関)関連?の仕事として、手あたり次第私の友達に友達リストを見て友達申請を行ったことがありました。
たまたま親しい外国人の友達Lの友達リストを見ていて、知り合う可能性が全くありえないのに、私の友人が私の親しい外国人の「友達」になっているのを発見して、そのことがわかりました。
また別の友人とパーティーで会ったときに、FBで全く知らない外国人から友達申請が来ているが、承認しようか迷っているとの話があったので、その外人の名前を確かめると、私の親しい外国人の友人Lでした。
それ以降、私の親しい外国人の友人は知人扱いにしていますが、彼が来日した時は会い一緒に飲むこともあります。

また、私のよく知る友達であっても、「いいね」を大量にクリックしている人は、私のタイムラインがその人の「いいね」の記事で埋め尽くされるので、「フォロー」を外しています。
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昨日記151222火(ジム・筋トレランニング)

2015年12月24日 11時54分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 15.2 7.4
22日の午前中、タブレットを普段から手元に置いて、思いついたことをメモするようにしようと、ネット情報をコピーしたり地図の取り込み方を工夫したり、簡単にメモ代わりに使うためにどのアプリを使うのが良いか試したりして、時間を取られた。
タブレットを操作し見続けていると姿勢も悪くなり、目が疲れる。

昼に冷凍ご飯が無くなっているのに気づき、炊飯し冷凍ご飯を十数食製造した。
午後になって、副食が無くなるので、食材の買い出しに出かけた。

夜になってジムに行き、筋トレとランニングを行う。
筋トレの記録は、前回とほぼ変わらなかった
ランニングは、時速8kmから時速10.4kmまで1分間ごとに0.2kmスピードを上げ、きつくなれば
時速9.2kmに戻し、再び1分毎に0.2kmスピードを上げる方法で、休み無しで30分間走行距離4.7km走った。
運動後の疲労感は無かった。
それなりに、持久力がついてきているようだ。

夕食後、12時過ぎまで副食作りを行い、寝るのが遅くなり、床に就いたのは1時前だった。
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昨日記151221月()

2015年12月22日 13時28分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =11.7  7.0
昨日は、特に何かをするということもなく終日過ごした。
外出したといえば、今日で副食が無くなるので、そのための食材の一部を、2軒のスーパーに買い出しに出たことぐらいだ。

ところで、最近、3種類のヨーグルトを作っているが、うまくいったり行かなかったり、品質が安定しない。
自家用なので、品質が悪くても問題ないが、うまく固まらないことが多い。
手間暇かけて作ることを考えると、市販のヨーグルトを買った方が安くつくかもしれないと思っている。
それに、何回も作っているうちに雑菌が入っている可能性が高い。
ある時は作ったヨーグルトが糸を引いていた。
これは、納豆菌の影響ではないかと思っている。
ヨーグルトにオリゴ糖が含まれているという蜂蜜を混ぜているので、蜂蜜を餌に納豆菌も増殖したのかもしれない。
こうした雑菌の繁殖を防止するため、2回ほど作ると、市販のヨーグルトを種菌にして新しく作っている。
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昨日記151220日(冷え込み ジム・ランニング)

2015年12月21日 23時41分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =11.7 2.2
20日は、一段と冷え込み真冬の寒さだったが、前日も書いたようにそのような実感はなかった。
高齢者は、温度に鈍感になるといわれるが、私は暑さ寒さにまだ敏感だ。
ただ、昨日でも室温は早朝でも12度あったが、真冬では、外気温が2度でも室温は5-8度まで下がる。
従って、昨日は、寒さを感じなかったのだろう。
先日も書いたように、地面がまだ冷えていないので、底冷えや放射冷却がないのが原因と思われる。

昨日は、雨が降っていたこともあり、夕方雨がやんでからジムに出かけた以外は、外に出なかった。
夕方になって、ジムに行きランニングを行った。
この日ジムでランニングしておかないと、中4日以上ランニングの休みになり持久力に影響が出ると考えられ、できる限り行かなければと思った。
最近疲労気味なことを考慮して、軽めに走ろうと思った。
時速8kmから走り始めて、時速10.4kmまで0.2km単位でスピードを変えながら30分間休まず走った。
走行距離は約4.3kmだ。
最後に時速10.0kmから10.4kmまで1分ずつ走り、息がかなり上がった。
帰宅後は、疲労感もなく快調だったが、結果的には普通のランニング練習と変わりなかった。
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昨日記151219土(西天満 疲労 ネズミ 運動)

2015年12月21日 17時07分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =11.7  4.8
19日は、午後から西天満に出かけた。
本当は、西天満以外の画廊を回ってから行く予定であったが、FBを見たりネットで調べ物をしたりして予定していた時間が無くなり、西天満の画廊だけを回ることにした。
以前は盆や正月前は半月前から休みに入る画廊が多かったが、最近は暦に近い形で営業する画廊が多くなったようだ。

西天満へは、いつものように自転車で行った。
自宅から西天満まで、片道6km余りの道を、途中多くの道で信号による足止めをくいながら約30分かけて速いスピードで走った。
赤信号のたびに加速を繰り返し、大阪城公園ではスピードを上げて走るので、それなりに足に負担になり、強い向かい風が多い時は、ギャラリーを回るときに足の疲れを感じることが多い。

西天満では、ギャラリーHOT(秋山邦彦展) ギャラリー白(小松純展 重松あゆみ展) 天野画廊(モスクワビエンナーレとは何だったのか展。酒井敏宏氏) Oギャラリーアイズ(大野浩志展)を見て回った。
いずれの画廊も、定評ある作家の展覧会であり、それぞれいい内容だった。

西天満を回った後、いつものように天満橋に寄り、コーヒーを飲みながら読書を始めた。
ところが1ページを読まないうちに夢見心地になる。
ハット目覚め、コーヒーを飲んで、数十行読むと再び夢見心地の繰り返しだった。
最近、就寝時間が遅くなっているのと、4-5日前は体調不良を感じるほど疲労気味であり、まだ完全に疲労がとれていないために、強い眠気を催したと思われた。
読書はあきらめて、上の階にある百均ショップに必要な商品を買い物に行った。
ネズミ捕り用のシートを何枚か買った。

ハツカネズミやドブネズミやクマネズミと3種類とも、我が家で見かける。
クマネズミなんかは、たまに調理しているときに、稀に窓の横の柱を平気で上り下りするのを見かけることがあった。
イタチも同じだ。
イタチを見かけるときは、ネズミはいなくなるし、炊事場の棚にネズミの血痕らしきものが何か所か付着していたこともあった。
雨の日には、炊事場にイタチの肉球の足跡が残されていることはよくあるし、このことは以前このブログにも書いた。

数十年前は、ネズミといえばドブネズミでクマネズミは見かけなかった。
ここ数か月で見かけたのは、ハツカネズミとクマネズミだ。
今走り回っているのは、小さいハツカネズミのようだが、オメガ3のえごま油の蓋をかじったのはクマネズミの可能性が高い。

数週間前にネズミ捕りシートを仕掛けた時は、夜中にバタバタと激しい音をさせていたので、てっきり、シートにかかったと思ったら、逃げられた後だった。
起きて見に行くと、シートの面に、わずかに何かが引っ付いた痕跡があった。
多分警戒しながら歩いていて、前足の一部が引っ付いたので驚いてシートを外して逃げたのだろうと思った。

ネズミの余談話が長くなった。
帰宅後すぐにジムに出かけ、筋トレを行った。
記録は前回とほぼかわらなかった。
ジムに行ったため、夕食はかなり遅くなった。
しかし、経験的に筋トレやランニングを1週間サボルと確実に成績は落ちる。
廃用症候群(生活不活発病)によるもので、老若男女何時でもなるので、人間は自分の体を健康に保つためには、死ぬ時まで体に合った運動をするしかないのであり、一種の動物の宿命だ。
楽をして体力や筋力や更に知能を維持できる方法はない。
とにかく体や脳に一定の刺激を与えないと、確実に退化しさび付いて動かなくなるのだ。
この日は、疲労を回復させるため12時過ぎに寝た。

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昨日記151218金(底冷えなし 旗谷吉員展)

2015年12月20日 17時26分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ =9.6  5.0
18日は、真冬並みに冷え込んだ。
しかし、今年は個人的には昨年の真冬ような寒さを感じない。
事実、毎年真冬には、分厚い冬山登山用のダウンジャケットを着こんでいるが、今年はまであその前段階のスキージャケットで過ごしている。
多少、昨年より体力筋力がついて、基礎代謝が増えて、寒さに強くなったのかも知れないが、多分環境からの輻射熱の影響が強いのではないかと思っている。
先週まで、10月から11月の温かさが続いていたので、地面の温度は高いはずである。
大寒のころの地表温度と、現在の地表温度はかなり違うと思う。
俗にいう底冷えも地面の輻射熱の多少によるものではないかと考えている。
実際に、工学ではステファン・ボルツマンの法則から輻射熱の熱収支の計算式が導かれているが、体温の4乗から環境温度の4乗(それぞれ絶対温度表示=測定温度+273.15)を引いた値に比例している。
即ち地表温度が冷えれば、温度差の指数関数的に体から放熱され、寒く感じるようだ。
指数関数的に変化するため、少し地表が冷えるだけでも体感温度は大きく変化するのではないかと思う。
そうした意味で、床にアルミ箔付きの断熱シートの反射面を上にして敷くと、体からの輻射熱が反射され、輻射熱による放射損失が減るので温かく感じるし、実際の保温効果も大きいようだ。

余談が長くなったが、午前中ヨーグルトの作り方を改良した。
午後からは、副食の食材の買い出しに出かけた。
夕方から大阪市港区磯路2-11-5(港区役所北向い)にあるギャラリーはたなかで行われている、旗谷𠮷員展に行った。
今回は、ZEN GARDENSというタイトルで禅寺の庭園を彼独特の描き方で書いたものである。
彼は近現代美術に精通していて、自分なりの見方・考え方を持っていて、ミニコミ誌に投稿したり、地方新聞のコラムを書いたりしている。
ギャラリーをやっていたころから交流のある作家の一人で、絵本作家の岡田慶隆氏は彼にとって大学の後輩になる。
神戸の長田区でご両親の代から大衆浴場をしていたが最近廃業し、その話題がマスコミで取り上げられていた。
ギャラリーでは、美術談義に花が咲いた。

帰宅後、夕食を済ませてから翌日からなくなる副食の製造を始め、11食分を30%程度仕上げた。
そのため、1時に寝る羽目になった。

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昨日記151217木(鳥達の思い出 地図コピー PCの異常 ジム・ラン)<追>

2015年12月19日 12時44分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ =10.7  5.6
17日は、昼食後少しの時間の暇つぶしにと思い、ペットの鳥の事を調べていた。

30歳ぐらいまで、十姉妹、文鳥、セキセイインコ、カナリア、鶏、姫鶉、キンカチョウ、といろんな取りを飼育してきた。
ほとんどの鳥は、イタチに捕食された。
当然のことながら、その対策は取っていた。
しかし油断していて、玄関等においていると鳥かごの入り口を空けて侵入し捕食する。
バタバタという羽音が聞こえて、飛び起きていくと、鳥籠はもぬけの殻というのがお決まりのパターンだった。
病気で鳥を死なせたのは、数えるほどしかない。
イタチの捕食以外は、放鳥中に驚いて逃げ出したのが、ほとんどだ。
文鳥やセキセイインコは、繁殖して、大家族になったりした。
どちらもよくなつき、いろんな思い出がある。

まだ20代のころ、母が、私を起こすためにいつも文鳥を放鳥した。
すると文鳥は私の寝ている顔に乗り、顔をつつき始める。
寝ぼけながら、顔の文鳥をつかんで足元に放り投げるが、いったん布団の上に止まり、ちょんちょんと鳥歩きしながら顔までやってきて、また同じことを繰り返すので、仕方なく起き上がる。
文鳥は、そのことを心得ていて、面白がって遊んでいるように感じた。
こちらも、文鳥に起こされると悪い気はしない。

文鳥は、放し飼いにしておくと、私が本なんか読んでいると、一度肩や背中に止まり、腕を伝わって手の甲に乗り、そこから読んでいる本をつつきだす。
捕まえて、怒りながら握って遠くに放り投げてやるが、そのまま再び肩に止まったり、または、いったんほかの場所に止まって、こちらの様子を伺って、背中や肩や頭に止まったりして、その周辺あちらこちらをつついたのち、腕に降りてきて同じいたずらを繰り返すのだ。
とにかく人の邪魔をして遊ぶのが好きなようだった。

姫鶉の時は、姫鶉は砂浴びが好きで(当時鳥が砂浴びするなんて知らなかった。)、母親が砂を入れてやれというので、家の中に菓子箱に砂を入れ砂場を作ってやったら、頻繁に砂浴びを始めた。(母は農家の出身なのでそうしたことはよく知っていた。)
これには困った。
姫鶉は、家の中を自由に走り回っていたので、羽に着いた砂が家中に拡散し微細な砂で、畳がざらざらしていた。
裏庭で遊ばせる時もあったが、初めのころはイタチを警戒して、私も縁側に座って過ごした。
姫鶉は、裏庭を走り回り、ダンゴムシやナメクジなんか捕まえて食べていたようで、姫鶉を裏庭で放し飼いしていたときは、ダンゴムシを見かけなくなった。
ある時、何かくわえてクークーと喜ぶ時の声をあげながら、私の足元を行ったり来たりしていた。
よく見ると、ゴキブリだった。
よほどゴキブリの狩りを自慢したかったのだろう。
その後、姫鶉はそれを丸のみにした。
そして、垂直に体を立てて背伸びし天に向かいクォー・クォーと体と不釣り合いな大声で、雄たけびを上げていた。
このように振り返ると、鳥に関する思い出は多くあり鳥類に関心も愛着もあるので、ネットで調べ出すと夢中になり、時間を忘れる。

その後、午後から行く予定にしていた。ギャラリーの場所をネットの地図で確認し、回るルートを組んでみた。
その地図を、タブレッPCにリンクさせコピーする作業をした。
ワードの挿入の中にあるスクリーンショット機能を使ってコピーする方法は何度か試しているが、まだ不慣れでたまに設定等間違えたりするので、何度も地図の拡大サイズや、ワードの用紙サイズや用紙の向きや、スクリーンショット時のトリミングの範囲を調整し試行錯誤を繰り返しつつワードにコピーし保存した。
そうしたことに時間を取られたので、ギャラリー回りする時間が少なくなり行くことをあきらめた。

夕方になって、ジムに行こうとしたところ、PCの起動画面が異常になりフリーズしてしまった。
ウインドウズの初期画面では、タスクバーが無くなっていて、更に以前にもPC異常の時に何度か見た白紙のファイルアイコンが、正常なアイコン群の横に並び、正常なアイコン群の文字は重なっていた。
PCの電源を切ろうとしたところ、ウインドウズアイコンもフリーズし、ウインドウズアイコン操作による起動画面の表示も出なくなり、起動もできないため、POから電源操作することができなくなった。
その後も30分ほど様々な操作を試したが、完全にフリーズしていて、手の打ちようが無くなった。
この、異常起動画面の前にタブレットとのリンクをしたまま電源操作したのだが、メインのデスクトップPCのフリーズとタブレットPCとのリンクがどう関係しているのかわからない。

何をしても修復しないので、あきらめてフリーズしているメインPCの電源コンセントのスイッチを切り、ジムに出かけた。

ジムでは門限ぎりぎりに入場できた。
ランニングのみを行った。
時速8-9kmから10.2kmまで1分単位で変化させながら、30分間で4.3km走った。

帰宅後、ジム関連の荷物の整理もせず、すぐにPCを起動させた。
そして電源を入れても、状況は何一つ変化していなかった。
とりあえず、画面上の右下隅のアイコンもいつものアイコンが消えていたが、逆に見たことのないアイコンが赤く点灯していたのでクリックすると、普段使っているウイルス対策ソフトのポップが出てきたので、ウイルス対策ソフトを起動させ、完全スキャンをしたが、ウイルスは発見されなかった。
状況は、夕方と全く変わらなかった。
そして5-10分試行錯誤しながら操作しているうちに、突然マイクロソフトからのメッセージが入り、ソフト更新中なので電源を切るなというポップが出た。
少なくとも、今回の故障は起動ソフト、バイオスに関係しているように思えたので、ソフト更新時にバイオスも問題点を修正してもらえるなら、正常化するのではないかと期待した。
ソフトの自動更新に長い時間かかったが、終了後再起動すると何事もなかったように、異常画面はなくなり、正常に起動した。
その後もタスクバーやショートカットを確認したが、完全に正常化していた。

そんなわけで、夕食もすっかり遅くなった。
同時にPC不良の対応に気を取られ、ジム関係衣料の洗濯を忘れていて、夕食の食器洗いの時に気付き、近所迷惑になると思いつつ午前0時過ぎの洗濯を行った。


余談
手持ちのタブレットPCは、家では無線ルーターが使えるので自由にインターネットを使っているが、家の外でインタネットを使うためには、モバイルルーターを買わないとWi-Fiを受信できないのでインターネットが使えない。
だが、このタブレットPCには、NTTのホットスポット契約をしてあるので、少なくとも大阪の地下鉄の駅等でNTTの公共無線ラン設置場所近辺では、家と同様間違いなくインターネットを受信できるはずなのだが、私の設定不良のせいか、まだ成功していないので、今後もテストしたい。


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昨日記151216水(体調回復 タコ魚の目取り みんぱく講座・絹)

2015年12月18日 12時44分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ =15.9 9.3
体調はほぼ回復した。
多分体調不良は、疲労の蓄積で、ここ数日の異常気象の影響も加わっていると思う。
異常気象といえば、数日前は、各地で梅や春に咲く花が咲いたという話題が飛び交い、東京では秋冬のコートを脱いで歩いていた。

朝食後、ランニングの時に気になっていた左足の母指球に出来たタコと魚の目の卵を切り取った。
2-3週間も経つと固く分厚く成長し歩いたり走ったりすると、痛みを覚えるようになる。
いつも数週間毎に、成長すると、電子回路工作用のニッパを使って切り出していて、タコの中心部の底には、魚の目の卵ができている。
十年以上前は、両足に出来ていて、タコの中心には、はっきりと表面まで露出した魚の目もあった。
いつか忘れたが、魚の目にお灸をしたり、何度も線香で魚の目を直接焼いたりすると消えてなくなった。
右足のタコもそのころから自然に消えて、今では左足のタコとその皮膚の奥底に隠れて縮小した魚の目の芯らしきものが残っている。

午後から、副食作りを行い、7食分を完成させた。

その後、急いで昨日記を仕上げ、梅田のグランフロント大阪(北館IFカフェラボ)に向かった。
予約してあった「みんぱく」(国立民族学博物館)の連続講座「世界の天然素材」に参加した。
今回は、「インドの野蚕―その特徴と魅力」というテーマで上羽陽子准教授の講義だった。
講義の内容は濃密であった。

蚕に関する思い出といえば、小学校のころ、小学校近くの文具屋で蚕と桑の葉を売っていて、それを購入してv何度も家で蚕を飼っていたことがあり、一度蛾になってその蛾の卵から、更に2代目の繭を作らせたこともあるが、桑の葉が販売されなくなり、それで終了した

また、40代にアメリカに語学留学した後に民芸雑貨の店をやっていたころ、直接仕入れた中南米の民芸雑貨に交じって、日本の問屋から仕入れたインドシルクの薄いスカーフを販売したこともあった。
日本のシルクと違って糸が太く、まがい物と思っていて、お客さんにもその説明をしていた。
しかし、スカーフにはピュアシルクのタグがあった。

今回の講座を聞いて、絹にはさまざまな種類があり、インドシルクも本物であることを知った。
繭を作る蚕には、家蚕と野蚕があることは知っていたし、日本の野蚕が薄緑色の天蚕で、絹の最高級品であることも知っていた。
今回初めて、インドシルクの繭や天蚕の繭の実物を見て触れた。
また、そうした繭から、作った糸や織物も見た。
絹は、繭から作られるが、繭の機能としてさなぎを守るため、もともと繊維が長く保温力が高く殺菌力もあり防水機能もあり、その性質が、絹に引き継がれているという。
真綿というのは、木綿と思っていたが、絹の綿の事を言うのだと、初めて知った。
すると、フォークソングの「シクラメンの香り」の真綿色した・・のイメージも変わる。
真綿の作り方も説明があり、受講生の中に信州出身の方で経験者もいて、真綿づくりの実際を語っていたし、先生自身も絹関連の様々な作業を国内外で体験しておられるようであった。
講座では、たくさんの話を聞くことができたが、その中には纏向遺跡(奈良の三輪山・大神<おおみわ>神社近くにある、卑弥呼の時代の巨大遺跡で、近くには最初の巨大前方後円墳で卑弥呼の墓ではないかといわれる箸墓もある。)から、絹織物の巾着袋が出土したという話もあり、それが天蚕ということで注目されているという。
この話しは、他国でも絹に関連した出土遺物が出ていて、養蚕の起源が中国からの単独起源ではなく多元的に発生したのではないかということも議論になっているという。

絹織物を作るには、1本の絹糸は7粒前後の繭から糸を挽いて作るといい、講座終了後実演されていた。
絹製品を作るには、桑の栽培から、織物染色まで、セットの技術体系が必要で、古代では高度な最先端産業であったことが理解できた。
絹は、現代でも高級品であるが、古代では、シルクロードの交易でもわかるように、金や銀にも勝る高級品であったことがよく理解できた。
レジュメには、絹に関する様々な文献が記載されていた。

因みに、いつもの、みんぱく講座では見慣れぬビジネスマンらしき人達が立ち見で、先生の話を熱心に聞いていた。
デザイナーや、商社関係の人達かもしれないと思った。
ファッション業界では、従来のシルク織物だけでなく、東南アジアの野蚕も含めた絹織物が注目されていて、すでにトップブランドのファッションにも野蚕が使われているという。
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